バスケ 試合前半戦
暦夏紀は冷や汗を掻いていた。目の前に、千堂俊郎が腰に手を当て立っていたからである。
「お前が今の部長か? 確か暦の妹だったな」
「ハイッス! 暦夏紀ともうします! 千堂先輩ご無沙汰しております!」
「何となく覚えてる。なかなか動きが良かったのを覚えている」
「光栄っす!」
千堂俊郎が在学の時、一年生だった夏紀は千堂俊郎との直接の接点は無かった。男女分かれたバスケ部で同じだった、というだけである。
俊郎は同学年に多くの熱狂的な信者を抱え今の詩季とは違った意味での親衛隊が居る程に目立つ人物であった。
俊郎自身は目上の人間以外には基本的に高圧的で偉そうであり、それは今も昔も変わらない。同級生や下級生の女生徒に対しては物でも見るかのような態度で一貫しておりそれが堪らないというマゾ属性を持つ生徒達によって親衛隊が組織されていったという経緯が有る。
シンパが多かったのも事実だがその一方で俊郎を良く思わない生徒や狂信者と化した親衛隊にドン引きで距離を置く生徒も多かった。
一部の過激派と化した親衛隊の活動が在学中の俊郎の数々の偉業をサポートする原動力となったのである。
俊郎の渾名も詩季同様に「王子」であった。だが詩季は「アイドル」「憧れの優しい王子」的存在で有るのに対し、俊郎は「冷血王子」「断罪の帝王」「指先ダウン」という異名を陰で得る程に恐れられていた側面も有った。
ちなみに「指先ダウン」とは「指先一つでダウン」の略で、一度俊郎が目に余る振る舞い、事故を装った男子生徒へのセクハラ行為を行った素行不良女子生徒達に対し激高し指を差して注意した事が有り、その日の夕方にはその女子生徒が女子トイレにて心神喪失状態で発見されたのが渾名の由来である。
その女子生徒達は皆口を揃えて「黒い奴らがっ黒い奴らっごめんなさいごめんなさいもうしませんそれは飲めません洗剤ですごめんなさいだんご虫は食べ物じゃありませんごめんなさいそれは歯ブラシじゃないですごめんなさいごめんなさいっ」などとしか証言せず犯人は見つからなかった。
俊郎自身はいくら相手が素行不良だと言ってもそんな心に傷を負うような状態など望んでおらず、犯人探しに乗り出した。だが己の力では見つけられなかった。
かといって普段手足となっている親衛隊の犯行だけに親衛隊の中では自浄作用が無く、実行犯は隠蔽されようとしたのだが、当時俊郎と同じクラスであった暦春姫が意図せず実行犯を炙り出し、結果俊郎は借りを作ってしまったと余計に春姫に対してライバル心が燃え上がる結果となったという一幕もあった。
その事件だけでなく様々な事件を知っている夏紀にとって、俊郎は憧れの先輩どころか「触れるな危険」な存在だと認識していた。というよりも本能が「距離を取れ! 出来れば逃げろ!」と叫ぶ相手であるからして緊張も致し方ないことと言えた。
「妹が世話になってるそうだな」
「とんでもないっス!」
「声がでかい」
「すんませんっス!」
「でけぇっつの」
「す、すんませんっ」
「暦春姫とは全然違ぇなお前」
「はいすみませんっ」
「謝るとこじゃねぇだろが。そういうのはうぜぇから止めろ」
「あの」
平身低頭な夏紀にうんざりし始めた俊郎だったが背後からの何者かの声掛けに振り向くと、そこに立っていたのは夏紀の弟詩季であることに気付く。
表面上は平静を装って居るが内心はここしばらく再会を願った相手だけに鼓動が嫌がおうにも高鳴る。やはり美しい。そして、遠目で見たときよりも携帯の画像で見たときよりも比べようもない程に愛らしく美しいと感動していた。
「あの、姉が何か失礼な事でも?」
たまには、と応援に来ていた詩季だったが、俊郎を責めるような口調ではなく純粋に心配して声を掛けたのである。
この世界の女性が男性に責められている姿は珍しくもないのだが、内容や男性の言動次第では非常に不条理な状況に追いやられ、何かの罪を被せられたりする可能性すら有る。
そのため近年では女性達の間で気付かれずに起動出来る小型ボイスレコーダーを持ち歩くことが当たり前とすらされているのがこの世界の女性の立場を表しているとも言えた。スパイ映画さながら、服のボタンやベルトのバックル、または時計、髪留めなどボイスレコーダーの種類は多岐に渡る。
詩季はそのあたりを考えての行動ではなく、頭を下げ続ける姉が心配になり思わず声を掛けただけであった。
「まずは挨拶すべきではないか?」
そう告げる俊郎。内心では「うわぁああああああああああああああああああ! 違う違うそうじゃそうじゃなぁい! 何をいきなり攻撃的に返してんだ俺は!」である。
「え、あ、失礼しました。暦夏紀の弟で詩季と申しますっ」
しっかりと立ち頭を下げる詩季。その礼によってふわりと詩季の香りが俊郎の鼻孔を刺激する。
「……ああ、俺は千堂宮子の兄、俊郎だ。妹が世話になっている」
内心では「えええ!? なんだこの香水や整髪料のような人工的ではない良い香りは!? たとえるならそれは朝露の森林の空気! だがどこか淫靡さも感じる! くんかくんかはぁはぁ! 何とかこの空気を持ち帰る術はないのか!? 袋!? 空き瓶!? 何か無いのか!?」 である。
「あ、千堂さんの。僕の方こそお世話になってます。この間、母と一緒の所で母が具合悪くなったところ千堂さんと友田さんに助けて貰ったんです」
正確には節子が痴女に間違われたからなのだが敢えてそこは細かく話さない詩季。
「そうか。あの馬鹿もたまには役に立つな」
千堂兄の妹に対する評価が計れず詩季は曖昧な表情で応じ本題に戻る。
「それで、姉が何か粗相でも」
「いや、妹が世話になっている礼を言おうとしたのだが、その前に声がデカすぎるから注意しただけだ。運動部で先輩相手とは言え目の前に居るのだから俺の鼓膜を気遣って欲しいものだ」
出来るだけ責めるような言い方をしないように気を付けたつもりだが、俊郎にとってはこれが限界であった。
「ああ……すみません。お姉ちゃん、緊張してたんでしょ?」
「う、そ、そうなんだ……千堂先輩って言ったら、俺らの学年にとっては憧れのOBだから」
夏紀にとっては憧れでもなんでもないが、本人を目の前に怖い先輩とは言えないのでそう表現する。
詩季も流石に夏紀の様子から好意的には思っていないのだろうと察したが千堂兄も嘘を言っていると思えなかったので相性の問題だとひとまず判断した。
「ふん。まぁそれはともかくだ。暦夏紀と言ったな。妹は中学の頃と比べものにならんくらいに心身ともに成長しているようだ。それはお前の影響も大きいのだろう。改めて礼を言う」
「と、とんでもないっす」
そうだこの人は女に対して厳しい面も有るがこうやって礼儀正しかったり筋を通すのが他の男性と一線を画すのだ、と思い出す。
ただ激情家なのは疑いようもなくいくら美男子とは言え、詩季ニュウム分で満たされている夏紀にとってはあまりお近づきになりたいと思えない。
「これからも遠慮なく鍛えてやってくれ。今日の練習試合は北高だったな?」
「はいっす」
「俺が応援している目の前で無様晒すことのないように」
冷酷王子の応援と聞き、夏紀は総毛立つ。なんて恐ろしい応援なのだ、と。
「詩季君と言ったな。一緒に応援しないか」
「はい」
冷笑としか見えないが、悪意は感じられなかったので詩季は頷いた。




