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幕間 十鬼紋女のふるさと

 十鬼紋女は我慢する。

 仕事についてではない。詩季とのメールでのやり取りの頻度についてである。


「三日に一度がいつの間にか毎日になってしまっているぞ」


 自分の事ながら節操が無い。まだ十代の未成年相手に他愛もないと言えば他愛もない、日々の報告や雑談を繰り返している。


「詩季君は優しいからなぁ」


 例え本心がどうであれ、突き放すということが出来る人間だとは思えない。ましてや自分は詩季の母親の雇い主だ。詩季からすると圧力に感じてしまっているとも限らない。


「むぅ……今日は、止めておこう」


 大抵紋女からメールを送り、二三回やり取りして終わる。始めのメールを送って、返信が来るまでいつも胸の動悸が止まらない。返信が来たときの喜びも悶えるほどに嬉しい。まさに幸せである。


「我は十代の娘っ子か。恥ずかしい」


 そう自嘲し、その夜は丁度届いたホストクラブのお気に入りからの営業メールにのる事にした。繁華街近くに住むのも考え物だとため息をつきながら着替えるのであった。



「紋女さん、ありがとう!」

「ふん」


 紋女は不機嫌そうにハンドバッグを渡す。このホストはこの店のナンバー1。紋女が育てたと言っても良い程に金を使っていた。


「あれ、不機嫌? 今日は不機嫌な感じ?」

「いや。気分はポキモンやダービスタだな、と思ってな」


 往年の人気ゲームタイトルを口にする。どちらも味方のモンスターを育てたり自分の馬をダービー馬に仕上げていくゲームである。

 紋女はホストを性的な意味で買う事はこれまで何度もあったが必ず自分が金の力でもって上位にあった。

 それは彼女にとっては当たり前のことでもあった。紋女は自分より優位に立とうとするホストを相手にしたことがない。根っからの女王であり、商売人である。ギブアンドテイク、それが彼女の心の礎である。


「紋女さん、ごめん! 悪いんだけど今日どの位使える?」

「ああ?」

「ほんとごめん……今月やばくって……このままじゃトップ落ちちゃうんだよぉ」


 接客もそこそこに肩を組んで耳元で囁いてくるホスト。


「ねぇ?」

「ぬ」


 耳朶を微かに舐められ思わず反応する。

 いつもなら「全く、仕方のない奴よ」と馬鹿にしつつも頼られるのは嫌いではないので応えてしまう紋女。


「何か面白いことしたら一本現金でくれてやる」


 ホストの目の前に、銀行の紙帯で封がされた束を投げた。


「ええ、マジっすか!?」

「紋女さん、俺らも良いっすよね!?」

「うむ。つまんなかったら一枚ずつ脱いでけよ」


 外でこんな事を言えば大問題に成りかねないがここが行きつけのホストクラブだからこその紋女の特権。そして紋女のように店に相当な金額を落とす客だからこそ許される。

 他の客も目を剥くがホスト達の肢体が見れるかもしれないと期待に目を輝かせる。


 そして次々披露される隠し芸。手品をする技巧派や高速腕立て等の肉体派、どさくさに紛れてドンペリ一気をして紋女にツケる者などが入り乱れどんちゃん騒ぎである。


「駄目だ、次」

「えぇ!? 紋女さ~ん、頼んますよぉ!」

「五月蠅い、次だ」

「ぶはは! 紋女さん超クール!」

「必死過ぎ笑える~!」


 店内が盛り上がれば盛り上がるほどに紋女の心は冷えていった。

 始めから心の隅で感じていた「我は何をしとるんだか」という気持ちがどんどん内側で膨張していった。


「お前等は女を喜ばすプロじゃろ?」

「そっす!」

「もちっすよ!?」

「女王様、何がご所望で?」


 自分の前にひざまづくトップスリーの男達を前に、紋女は今度は札束の封を切り、宙に投げる。


「うわぉ!」

「キターーーーー!」

「流石お大臣!」

「紋女社長ばんざーーーい!」


 この遊びは自分でも下品だと思っていたが度々行っていた。

 宙に舞う金を必死に拾おうとする哀れで情けなく若くて美しい半裸のホスト達を見るといつも心のどこかで溜飲が下がったのだ。


 だが、今の紋女が心動かす光景ではなかった。涙とともに溢れ出そうになる虚しさ。

 紋女は女王である。そして女王は孤独であった。


 部下である暦節子のように子を成せば良かったのか。寂しさは無かったのか。今からでも遅くはないと言えば遅くはないのかもしれない。だが、今の情けない己が親になって良いのかと思えばとても肯定的にはなれない自分が居た。


 詩季に対しての恋心は本物だと確信している。だが、自分との付き合いにおいて、詩季に何のメリットがあるのかと考えると暗い気持ちになる。


『節子とて稼いでいる。それに詩季君が頼めばいくらでも女どもから金を引っ張れるだろう。我に有るアドバンテージなんぞ何の意味もない』


 ラーメン代すら「友達にいつもいつも奢って貰う訳にいかないよぉ」と割り勘にする少年。彼が奢られるのはそれこそ先日の屋台のメロンパンなどの五百円にも満たない大衆品のみ。

 彼が金でなびくなど考えも付かないし、考えるだけ侮辱だと紋女は考える。


「むなしいなぁ」


 札を這って拾うホスト達を放置し会計を済ませて紋女はホストクラブを後にした。


「ぬ?」


 店を出た瞬間、スマホが鳴った。


「何!?」


 店は地下だからか電波が上手く入っていなかったらしい。何度もメールの着信音が鳴った。


「ぅ……うぅ……」


 紋女はスマホを抱えるように持って、読んでいく。


『紋女さん元気?』

『もう寝てた?』

『おーい』

『お酒飲み過ぎてない?』


 そして、留守番電話のお知らせのメールが来たので再生する。


『紋女さん、遅くに何度もごめんね? いつもならメール来る時間なのになぁって思ってたんだけど、来なかったから不安になっちゃって。気付いたら電話でもメールでも貰えたら嬉しいな。本当にごめんね?』


 紋女は迷わず詩季に電話した。夜の十一時を回っていたが、躊躇するほどの余裕はなかった。


『紋女さんっ』

「詩季君」

『ごめんね? しつこく連絡しちゃって』

「何言っておる。我は嬉しいぞ?」

『忙しかったんじゃない?』

「詩季君より優先順位が高いものなどこの世に無いぞ」


 ホストの耳朶への愛撫よりもスマホ越しの詩季の声の方が何倍も幸福と快感を紋女にもたらしていた。


『あはは、紋女さん酔ってるでしょ?』

「ああ、大分酔っておるな」


 君に。


『この音は外だよね? ちゃんと帰れる?』

「我の帰る場所はどこだったか」


 紋女はため息混じりにそう呟く。詩季の居ない場所が帰る家だと思うと辛かった。悪い酒が脳内を侵食していた。

 しばしの沈黙。


『今どこ?』

「ふむ。駅近くじゃな」

『待っててね』


 そう言われ、通話が切れた。


「え?」


 掛け直す。だが、出ない。何度も何度も電話をするも繋がらない。紋女は呆然と立ち尽くすのであった。






 翌朝。

 無事に駅前で見つけられた紋女は詩季に暦家に連れて来られ一夜を暦家で明かした。


「社長?」

「本当に、申し訳ない」

「正座」

「う、うむ」


 責めているのは詩季ではない。節子であった。


「お母さん、僕が勝手にやったことだから」

「詩季君……あのね、貴方は年頃の男の子だって自覚を持って頂戴。夜中に出歩いて良いわけないでしょ? 男の子が誘拐されること多いのよ?」

「でも、春姫お姉ちゃんについて来て貰ったし」

「詩季、出かけようとするのを私が見つけなかったら一人で行ってただろ?」

「う」

「詩季、正座だ」


 詩季も大人しく従った。

 あの電話の後、詩季が紋女を迎えに行こうとしたところを春姫に見咎められたのである。その後春姫は説得が聞かないことが解ると詩季と共に行くことを選んだのであった。


「詩季君。二度と勝手に夜中出て行かないで頂戴。居なくなってたら今後はすぐに警察に通報するからね?」

「は、はい。ごめんなさい」

「すまぬ。我が悪いのだ」

「そうですよ社長。次は許さないですよ?」

「うぐっ」


 節子は紋女の顎を鷲掴みにし立った節子の眼前まで持ち上げた。延びていないとはいえ爪が顔面に食い込んでおり痛々しい。紋女は痛みで身動きが取り難いものの何とか頷く。


「お母さん、やめて!」

「いでっ」


 節子は詩季に腕ごと抱き込まれ紋女を解放させられる。紋女は尻から落ちた。


「詩季、母の反応も当然だ。私が家長だったら顔面を陥没させるまで殴って病院送りにしていただろう」

「で、でもさぁ」

「そうよ! 夜中に女連れ帰ってきたと思ったら朝までずっと膝枕ってどういうことよ!」


 しばしの沈黙。かなり自己嫌悪に陥り酔って荒れていた紋女に、詩季は己の膝枕を提供したのである。そして酔っ払いは泣きじゃくりながらその膝に縋り、泣き疲れて朝まで寝たのである。


「母よ、そこではないっ」

「そこでしょ! 結果無事で今後はやらないって約束したなら後はそこでしょ!」

「あの、お母さん、どぞ?」

「あら良いのぉ? 悪いわねぇ~」

「母よ!」

「次春姫お姉ちゃんね?」

「うむっ」


 紋女はそんな漫才のようなやり取りに呆れつつも、羨ましそうに眺めていた。つい先ほどまで己が頭を乗せていた詩季の膝枕。だが、暦家のぬくもりに憧れを抱く。


「紋女さん、お昼食べて行ってね?」


 母の頭を撫でながら、詩季は紋女に笑いかけた。

 その後、お茶を挟みながら紋女は土曜日の暦家の団らんに混ざる。一番年が離れている筈の冬美と一番気が合ったのには本人達も驚いた。冬美も紋女もゲーマーで好きなジャンルも同じなのですぐに打ち解けたのである。


「味噌味の焼きうどん? 珍しいのぅ」

「十鬼って名字、三重の方でしょ?」

「そう、だが」

「歴史の十鬼水軍で有名だし。そっちら辺が紋女さんの出身地かなって思って」

「……名推理だの」

「初めて作ったけど美味しく出来たと思うよ。食べて食べて」


 出された昼食に戸惑いつつ、口に運ぶ。二日酔いに配慮されてか薄味だが、味噌のこくと甘辛さがウドンに絡んで、優しく口内に広がっていった。喉を通りすぎるウドンの柔らかさと温もりもまた荒れた胃腸に優しく、疲労した心に染み渡る。


「ああ……美味いな」


 紋女は、使用人に任せっきりで育児放棄と言って良かった母の手料理など食べたことがない。郷土料理、それもこんなB級グルメと呼ばれそうな料理を本家では出されたことがない。


「我の、ふるさとの味じゃ」


 紋女は生まれて初めて食べた味噌焼きうどんをゆっくりゆっくり味わう。ここまで心が安らかな食事はこれまでの人生で経験が無かった。彼女のふるさとが生まれた瞬間であった。


「夕飯も食べてってよ。お母さん、良いよね? お酌するからさ?」

「流石に迷惑じゃろ」


 あまりに魅力的な誘いにちらっと紋女は節子の顔色を伺うと、節子は諦めたような表情で応える。


「もう、本当に詩季君は社長に甘いわねぇ……社長? 息子に手を出したら喉から腕突っ込んで内蔵引きずり出しますからね? 私は本気ですよ?」


 部下の脅迫に紋女は「こんな息子が居ればそうなるわ」と納得する。こういった経緯を経て、紋女は月に何度か暦家に招かれるようになった。

 そして翌月には暦家の上の階にとある会社の社長が引っ越してくるのだが、誰が越して来たのかと敢えて記す必要もない。



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