冬美 天才
冬美は何とか周囲を囲む者達には聞こえないよう溜息をついた。
「舐めてんのか?」
「ビビってんじゃねーよ」
放課後。その日は早めに道場に行きメニュー外で柔軟と筋トレに励もうと考えていた冬美は通り道の公園に無理矢理連れ込まれたのである。
「意味不明」といつもの冬美なら一刀両断するのだが、ランドセルを背負った女子五人に囲まれるという状況があまりに非日常過ぎて警戒心が高まっており努めて表に出さないよう努力している。
「おいチビ。お前、空手馬鹿にしてるんだって?」
そのメンバーは見たことがない面子だが、空手云々で思い当たる。クラスメイトの大蛇克美の差し金と思って間違いないだろう、とあたりを付けた。見たことがないのは恐らく近くの他の小学校の生徒だからだろう、とも。恐らく大蛇が自分の家の道場に通う練習生をけしかけてきたのだろうと冬美は考えた。
こうなったのは冬美のクラスメイトの男子が大蛇一派にいじめられているのを冬美が助けたことが主な原因と考えられた。
それは三日前の事である。
「うわ、何この筆箱、ダッサ!」
「汚ねぇなぁ」
「なんか臭くねぇか?」
「こいつが臭いんじゃねぇ?」
休み時間、冬美の隣の席の男子、関宏が大蛇一派にいじられていた。となりの関は曇った笑顔を貼り付けじっと耐えていた。
「関、漏らしてねぇ? なぁ?」
「マジ?」
「うわぁ、無いわぁ」
「引く、マジあり得ない」
冬美は木村雅子という柔道の達人の自伝を自分の席で読んでいたのだが、隣でそんな会話をされては耳障りで仕方なく、溜息をついた。
読書をしている時の冬美には声を掛けない、という不文律がこのクラスには有る。普段は付き合いの良い冬美が露骨に不機嫌な空気を出すためである。故にその時、丁度冬美を窘めるような友人も近くに居なかった。
冬美は苛めに興味がない。女が男を苛めていたら流石に止めるが、男同士のやり取りに関わるのはとことん面倒であった。本人も知らないことであるが冬美は密かに男子に人気があるため一方的に悪者になるかと言えば微妙であるが女が男を諫めて特になることなど殆ど無いと思うのが普通の女の思考と言えよう。
仕切り直して冬美は読書に集中すべく一個離れた空いている席に移った。
「あ、暦さん離れたぞ? やっぱお前臭いんだよ!」
「マジ? うっわうっわ、俺だったら死ぬわっ」
「なぁ、なんで風呂入らないんだ?」
「え……は、入ってる、けど」
「嘘付くなよ!」
「痛っ」
関が小突かれると冬美は大きな溜息を吐き、独り言を呟いた。
「臭いのにわざわざ集る? ……銀蠅?」
その一言に、男子の特権で一斉放火で冬美を火炙りにする、という選択肢も大蛇克美に有るには有ったが堪えた。
冬美の人気と言葉を詩季の前世で当てはめると「人気の有るクール系男子がイジメを見かねて毒舌を吐いた」に等しく、それに真っ向から突撃するのは大蛇にとっては分が悪い状況だったのである。
そして、男子と言えど必ずしも一枚岩ではない。目立つグループと平凡なグループ、そして地味なグループとに分かれている。人数はそれぞれ同数程度で、平凡グループが目立つグループと地味なグループとにそれぞれ交友関係を持つくらいの行き来しかない。
そんな冬美は目立つグループの上位に位置する大蛇克美に臆すること無く言葉を放つことの出来る存在であることが先日の道場選びの際のやり取りでも証明されていた。
下手な攻撃では強烈なカウンターが飛んでくると疑いようがない。
結果、ひそひそと何かを話しながら男子達は離れていくしかなかった。それは大蛇克美のプライドをまたもや大きく傷つけたのである。
「あ、の、暦君、ごめん、ね?」
自分を助けてくれた冬美に関はお礼を言おうとしたが、卑屈になっていた関の心が謝罪を口に乗せてしまった。
冬美は己の席に座り直し、本に視線を落とした。
「良い匂い。気にしない」
冬美は匂いについての謝罪だと勘違いしそう答え、一人の少年の心が救われた。
関の趣味は御菓子作りで、冬美にとっては兄である詩季がクッキーを焼いた時などに纏う香りを彷彿とさせていたのも幸運であった。
他のクラスメイトからは、いじめっ子を冷たく追い払っていじめられっ子にはクールにフォローしたようにしか見えず、冬美はまた平凡地味グループの人気を得て、目立つグループからの幾人かからも密かに憧れられるのであった。
そんなやり取りが有ったのを思い出した冬美は溜息が漏れそうになるのをまた堪えた。
「おら、得意の柔道やってみるか?」
一番大柄な、冬美より頭一つ大きく筋肉四割脂肪六割といった風体の女子に肩を正拳で当て押しされ、二歩程後ろに飛ばされ、今度はすぐに後ろから尻を蹴られまた同じ位置に戻された。
「柔道は、喧嘩のための道具じゃない。空手も同じ」
冬美はそう告げた。それは冬美の師である友田千代の教えの一つである。
「弱虫の言い訳だな」
「勝てないからそう言って逃げるんだろ?」
「おら、ママーって泣いたら許してやる」
「いや土下座だろ? ネットにアップしてやろうぜ?」
痛い目を見るのも嫌だが土下座シーンや泣き顔をネットにアップされる等、小学生のこれからの長い人生には重過ぎる。
何故、そこまでされなければならないのだ、と理不尽を感じた。が、理不尽なことなら以前の詩季に散々強いられてきた冬美は忍耐力を持ち合わせている。
「格闘技は喧嘩の道具じゃない」
「あ? まだそれ言ってんの?」
そして冬美を囲む彼女達にとって不幸であったことは、冬美が天才と呼ばれる類の人間だったことである。
「僕はここでボコボコにされても絶対に泣き寝入りしない」
「ああ?」
「何言っちゃってんのこいつ?」
「ママに言いつけちゃうぞーってか? ははっ」
冬美の淡々とした口調に真実味を感じなかった女子達は笑い飛ばす。顔や目立つ所に傷をつけないよう痛めつけ、精神的にも対象を苛めることに慣れていた彼女達は最終的に「一緒に遊んでいただけ。暴力なんてない。証拠は?」と開き直るつもりであった。それで何度も大人達の追求から逃れてきたという自信も有る。幸い人目も無かった。
「何度でも追いかける。全員に復讐するまでやり続ける」
「あ? お前喧嘩売ってんの?」
「そんな気起きない位にやっちゃおうか」
喧嘩売ってんのはどっちだ、と冬美は思うも続けた。
何度も記すが彼女は天才である。そして天才と異端者は時に同じ意味を持つ。
冬美は右手を相手リーダーの顔前に掲げ、指を人差し指から一本ずつ立て、告げた。
車道に突き飛ばして事故死する
後ろから金槌で殴られる
家を突き止められて燃やされる
「どれが良い? 選んで」
冬美は家族にも見せたことのない満面の笑みを浮かべた。
そしてその時点で囲んでいた少女達はすでに気付いていた。冬美が彼女達には理解できない思考をしていることに。彼女達からすると頭がおかしい、ということに思い至っていた。
ただ、今の時点で数が勝っている以上、リーダー格が動かない限りはこの状況から抜けられないのも事実。そしてそれはリーダー格の女子にすると引けない状況とも言える。
「お前、何を」
ハッタリだけでこの状況から逃れられるとは冬美も思っていなかった。なので、相手が言い終わる前に予定通り動いた。
冬美は姉である秋子より知恵が回り夏紀よりも行動に迷いが無い。
「え」
冬美は自分より背の高い相手リーダーの側頭部の髪を、掲げていた右手で掴み、即座に左手で反対側を掴んだ。
「う」
そして顎を引いて全身のバネを使って己の前頭部を相手リーダーの鼻っぱしらに打ち込んだのである。冬美が引き寄せる力と叩きつける力が合わさった結果、何かが破壊された音がその場にいた誰の耳にも届いた。
冬美によって鼻の骨を折られ声も無くうずくまり倒れたリーダー格の少女の横腹に、さらに冬美は容赦なく蹴りを二度入れる。
すると、驚き立ちすくむ少女達にまた笑顔を向けた。
「次、お前」
二番目に偉そうだった少女に冬美はそうニコっと歯を見せ笑いかけた結果、リーダー格の少女を置いて、全員が逃げ出したのであった。
冬美に加虐趣味は今のところない。あくまで後顧の憂いを無くす事を目的に徹底的に対処しただけである。
ただ冬美は姉である秋子より知恵が回り夏紀よりも行動に迷いが無く、春姫よりも完璧主義であった。
「僕の師匠が言っていた。格闘技は喧嘩の道具じゃない。自分が倒されないよう一方的に相手を倒すための手段だって。そっちの道場ではどうなの? ねぇ?」
冬美は道場に遅刻しないギリギリの時間まで相手リーダーを蹴り続けるのであった。
後日、職員室に呼び出されるも冬美は「意味不明」と答え続け、見事逃げ切ることとなる。
冬美は天才である。ただ、冬美のような天才は単純に能力が優れているだけではない。
彼女はどんな極端な手段、過程、結果をも異常とは感じない人格を有しているが故に、天才たりえる存在なのである。




