女男 男女
この世界の男女観と歴史に簡単に触れる。
日本においては第二次世界大戦終戦まで男性は女性に軽視されがちで時に性奴隷そのものの扱いを受け、労働の場面でも酷使された。選挙権も当然無く現代で言うところの人権についても曖昧な部分が多かった。
しかし終戦後、欧米列強の男尊女卑の価値観が本格的に流入した結果、それまで虐げられてきた日本男児の多くが外国人との国際結婚や愛人の座を望む事となり男性の国外流出が深刻化し大きな社会問題となったのが一つの契機であった。
西洋の男尊女卑、というよりもメンズファースト(男性優遇)にもまた発生起源がある。
開戦までの数十年、ヨーロッパでは疫病であるコレラが蔓延した。
特に下働きや炊事洗濯などで下水設備の整っていない不衛生な環境での労働が特に病原体の温床であった。
さらに酷使されることによる体力・抵抗力の低下によって男性の罹患率が高く男性比率が減少した。そうなると男性自体の存在がより希少となり、まだ精子の冷凍保存技術も無いことから人口維持と出生率向上に向けて社会全体の問題として当時の西洋列強は男性保護に乗り出したのである。
そして産業革命を経て国外の植民地化が進んだ。勿論植民地から男性を浚う等の問題も有るには有ったが現代では一部の地域を除いて男性の人権は守られるべきものとされるようになった。
そう言った歴史も有り既に根付いた男性優遇の文化を日本に敗戦の副産物として落とし込む結果となったのである。
勿論外国人との結婚で幸せになる場合もあればそうでない場合もあったが当時日本で家政婦および性処理係り扱いをされる位ならばまだ労働から解放されたい、という水が高きから低きに流れるが如く自然の事であった。
「えー、ことほど左様に現代社会においては男性人権の保護や助成というのは種の保存だけでなく社会道徳、人間倫理という観点からも重要視されるに至った訳であります」
春姫と詩季はとある講義を受講してた。春姫は法学部であるだけに必須ではあるが一般教養の枠に有る「ジェンダー論」であった。
「さて今日の内容はここまでなのですが時間も余ってますしちょっと雑談で潰しましょう。早く終え過ぎると怒られるんですよ」
おどけたようにぼやく女教授は肩をすくめると室内に少し笑いが漏れる。
「幸い男性も何名かいらっしゃるので主観でも構いませんので私が指名した生徒は答えてみて下さい」
五十歳を越えたであろう女教授は教鞭でまずは手前に座った女生徒を指す。
「男性権利を守るための施策の具体例をあげてください」
「女男雇用機会均等法です」
「そうですね。では次は……貴方。女男平等社会実現のために女性が男性に対して何に気を配るべきだと思いますか? またはどういった施策が必要だと思いますか?」
「え……あ……メンズファーストです」
「具体的には?」
「えと……すみません……」
「そうですね、女性の視点からすると特に若い世代は理解が難しい面もあるやもしれません。折角男性もいらっしゃるのだから聞いてみましょう。では貴方。貴方が男性や社会に求めること、何でも良いので教えて下さい」
「女ならデートはしっかり主導権握って欲しいなぁ」
「あと歩くとき車道側歩かせる女とか最低だよねぇ」
「カバンは女が持つべき」
「食事代スマートに払えない奴は勘弁だな」
「男性専用車両少なくない?」
女教授はにこにこしながら次々男生徒を指していった。女生徒は聞き逃すまい書き漏らすまいと必死で講義本編よりも真剣そのものである。
詩季は詩季で予想はしていたものの「はぁ……やっぱ違う世界なんだなぁ」と唖然とするばかりで口をあんぐり開けていた。
「ふふ、ちょっと身近過ぎますが女性の皆さんにはとても興味深いようですね。有り難う。では、貴方」
指されたのは背の高い切れ長の目をした男生徒であった。
「男性の産休制度の徹底や体調管理のための特別有給休暇制度も雇用の場では不可欠な要素だと考えます」
詩季にしてみると「男が産休? 何だそりゃ? 育児休暇の間違いか?」であった。
実際には産休制度は男性権利拡張論者が主張し推進している最近では割とメジャーな制度であった。
そして体調管理のための特別休暇制度については詩季がそこに思い至らないだけで世の男性の中でも性に開放的な性質を持っている場合においては大きな意味を持つ。社会的には「少子化対策」の一環として普及しつつ有り、要は「やりまくると疲れるので休ませよう」である。
男性人口の方が少ないことを考慮すれば妥当ともいえる。が実際には個人はともかく社会全体で見れば性交渉に積極的な男性は多いとは言えず、この制度も実際は「合法的に休めるから」という男性視点から発足したものでしかない。
「有り難う。非常に的を得た意見だと思います。さて特別ゲストの君。男子の立場として、どうやったら世の中女男平等になると思うかしら?」
「え……」
「詩季、解らないなら解らないで大丈夫だよ?」
講義前に春姫は詩季の聴講許可を教授に取っていたのだが、逆にそれが弟を不用意に目立たせたくなかった春姫にとっては仇となった。
「ん、大丈夫」
自分が指されるとは思っていなかったため驚いた詩季は言葉が詰まるが隣の春姫の存在に安心し、じっと考えた。
『現代社会が本当の女男平等になるには何が重要と考えるか』
教授の質問は複雑な知識を要するものでもなく個人的な考えを述べれば良い内容なので詩季は素直に考える。
女教授が予測していた答えとしては「これこれこういうので不便だから差別だ」位の男性視点の安易な意見であった。
それによって「世の男とはことほど左様に女とは考えが根本的に異なる場合が有るので我々女性は特によく考えていく必要が有りますね」で授業を締めようと考えていたのである。
「あの、本当に平等を目指すという話しなら、男性優遇の状況がそもそもおかしい気がします」
詩季の言葉に静寂が訪れた。そして一番に口を開いたのは勿論教授。春姫はこめかみを押さえていた。恐らくはそう言った女も男も対等の立場だと考えているであろう、と春姫はもとより家族全員が詩季に対して思っていたことを本人が吐露した訳である。
「……ほほう。男性優遇と捉えるのは面白いですね。しかしそれはどうしてそう思うのでしょう。現に社会では様々な保障が男性に対して有りますよ?」
「そもそもなんで男ばかりがそこまで優遇されるんでしょうか」
「女男比が大きく女性に傾くからですね。種の反映のためには希少な方を保護するのは理に適っています。ただそれは歴史を見たとき必要に駆られての社会的対応だったと考えるのが一般的な見解と言えます」
「でも今は精子バンクが有りますよね」
男子の口から精子バンクという言葉がでるのは誰にとっても衝撃であった。
詩季は高校の健康診断の際に尿検査のような形式で学校に提出したのを思い出す。その提出は高校に通わない場合などは自治体の指定する保健所などで受け付けられていた。そして半年に一回の搾精は体調不良以外では回避出来ない義務でもある。
さらに営利団体としての精子バンクも存在する。男性と関係を直接持たないことを選ぶ女性が営利団体・自治体施設のどちらかに赴いて受精を試みるのである。
「バンク制度自体は合理的ではありますが生物としての欲求を満たすシステムとは言い難い面が有ります。
男性の性奴隷化がどこの国でもあったと言ってよい程に繰り返されたという歴史的背景も有るでしょう。男性の意志によらず生殖行為を行う、というのは悪しき行為ではあるものの生物学的には理に適ってしまうのです。勿論人間社会においては許されるべき事ではありません。
故に男性という社会的に弱者となりやすい立場を保護するために必要な施策が有るとされています」
思わぬ問題提起に教授は講義モードに入ってしまうが詩季はほどほどのところで口を挟む。
「えっと、僕が言いたいのは、あの、奴隷にされない、とか無理矢理な行為を許さないとか、そういうのって男女関係なくもっと基本的な人権の話しであるべきであって、男女平等云々とは違うんじゃないかと思うんです」
「ふむふむ。確かにそういう面もあるかと思います。ただ内容が重複して悪いという訳でも無いと私は思いますね。あくまで私の主観ですが。どうして貴方はそう思うのでしょう?」
「僕、よく思うんですけど男だからの優遇って、それはそれで女性に対する差別になりませんか?」
ざわつく講堂。
「男性の君がそう思うのですか?」
「あくまで僕の主観ですけど本当に平等を目指すなら、男だから女だからと性別が違うだけで周囲や社会が差を付けちゃうのは、どうなんだろうって」
詩季の漠然とした感覚では前世で言うところの「レディーファースト」が「メンズファースト」に変わっている上に「平等」のスタート地点が大きく違ったのである。前世よりも行き過ぎた優遇に見える。そしてこの世界の女性は男性に対して卑屈に見える場面が多いのである。
「持って生まれた性差による不遇を少しでも埋めるために男性は優遇される、という解釈はどうでしょう?」
教授は諭す訳ではなく、一つの考えを好奇心から投げかけてみた。
「えっと、具体的にどうこうとか、歴史や法律がどうこうとか僕、勉強不足で言えないんですけど」
「構いませんよ。あくまで感覚の問題です。時間はまだ有りますからどうぞ」
「えっと……性別によって不当な扱いは駄目、っていうのはそうだと思うんです。でもそれって、要はレイプの事を言ってるんですよね?」
「……そうですね」
男子の口からレイプという言葉が出るのもまた、春姫にとっても他の学生にとっても衝撃であった。
「レイプって男女関係なく起こりえる事であって、基本的人権の話しな気がするんです」
「まぁ…………かなり確率は低いと思いますが物理的な問題として言えば可能性はゼロではないのでその通りですね」
「でも、例えばなんですけど、メンズファーストってどうかと思うんです」
詩季は、辿々しく、だがしっかりとした口調で続けた。
「買い物の時、お店に男が多く来れば女性も来るから、とかそういう理屈も解るんですけど、それは女性がその時点では男と比べて利益を享受出来ないと成立しない訳で、それって女性から見れば差別になりませんか?」
「お店の裁量や経営方針次第ではありますが、確かに女性客に同等のメリットが有るとは言えませんね」
「仮にレディースデーを設けたら、どうなります?」
「ふむ……その場合は男性差別だとして社会が看過しないでしょう」
「そこです。でも、男性に安くした分が店の余力だとすると、女性が手に入ったかもしれない利益ですよね?」
「その局面だけ単純化すればその通りですね」
「長期的に見れば確かに男性優遇の方がお店は繁盛して結果的に女性にもメリットが生まれるお店になるかもしれません。でもそれって店が得するのが前提ですし男性を餌にした上で女性が犠牲になって成り立っている状況だとしたら、それは差別じゃないですか?」
「理屈としてはそうでしょう。ただ、男性はあらゆる局面で不遇を受けやすいため、メンズデーなども許容されているとも考えられませんか?」
「こっちで損してるからあっちで得しよ、って問題のすり替えじゃないですか? 得する場面は損してる場面での補填というか帳尻合わせではなくて、性別によってどちらかが得したり損したりするのを是正しなくちゃ男女平等とは言えないんじゃないでしょうか。なので本当の男女平等の定義から僕は話し合う必要が有るんじゃないかと思うんです」
詩季の言葉に感じ入る者は教授と春姫以外は殆ど居なかった。
女からすると耳心地の良い内容と新鮮な姿勢であり好意的に受け止められたが、男子学生からすると男でありながら女の立場に立っての物言いに聞こえてしまう場合が殆どで「女に媚び売っている」ように見えたのである。
「なるほど、ありがとう。君は随分柔軟な思想を持っていますね。非常に興味深い。まだじっくりお話したいのですがそろそろ時間のようです」
実に残念そうに教授は教壇でそう宣言し、最後の締めに入る。
「実に興味深い内容でした。最後の彼の意見については前置きにあったように彼も私も何の準備も無い状態での主観的な話でした。
ただ彼はスタート地点から見直すべきではないかという学問に携わる我々にとってはとても示唆に富んだ意見だったのでは、と思います。
一方で男性である彼が言うからこそ際だつ言葉になってしまうのではないでしょうか。女性の立場からすると思うところも無きにしもあらずですが教鞭を持つ身としては公平性を保たなければなりません。
しかし彼と同じ言葉を私が語ったとしたらいくら理に適っていたとしても私は次からこの教壇に立つこともなくなってしまうでしょう。
それを鑑みるに言論の自由が性別や立場によって封殺される可能性が有って良いのかどうか、女男平等という尊守すべき社会道徳と言論の自由という基本的人権、どちらが優先されるべきという問題ではありませんが何かの権利や主張が他方を害する場合も有る、というのは熟慮すべき点であるとして、今日は終わりたいと思います。
皆さん、ご協力有り難うございました。では、ごきげんよう」
無事とは言えないものの、講義はそうして終わったのであった。
当然詩季はその場にいた女生徒達から好意を抱かれ話しかけられそうになったが春姫の人を殺しそうな眼力によって弾かれるのであった。
「お姉ちゃん、なんかごめんね?」
悪目立ちした自覚はあるので姉に謝罪した。
「いや……詩季は色々考えてるんだな」
「おいーーっす! どうだった~?楽しかった~?」
丁度他の講義に出ていた伊達が合流した。
「ええ、凄くためになりました」
「おー。真面目だねぇ」
「さっさと案内して消えろ」
「あだっ」
最後にクッキーをお土産に買って帰りたいとの詩季のリクエストに答えるべく春姫は真希の尻を蹴った。詩季も友達同士のじゃれ合いだろうと気にする様子はない。
「ほれあっちあっち」
校内を案内し生協の一角を示した。
「ご苦労。詩季、買ってくるからちょっと待ってな。真希、ちょっと護衛してろ。手を出したら殺す」
「だいじょぶだいじょぶ~」
レジが多少混んでいることもあり二人で並ぶのは通行の邪魔になる状況だったので詩季を不本意ながら真希に託す春姫。
「お姉ちゃん、友達の前だとあんな感じなんですねぇ。ちょっとビックリ」
「ハッピーは乱暴だけど根が良い奴だからみんな気にしてないよ」
「僕や妹には凄く優しいんですけどね、上の姉たちにはさっきみたいなとこあるかも」
「年近い姉妹だと喧嘩しながら育つ部分あるからねぇ」
「春姫お姉ちゃんが大抵圧勝してるかスルーしてますね」
「あー、なんか凄い想像出きる。あはは」
春姫を待っている間雑談に興ずる詩季と真希。
その会話の切れ間に真希はふと思い出したように切り出した。
「詩季君、妹のこと有り難うね?」
「……いえ? 僕もお世話になってますよ」
「そうじゃなくてさ。鬱ぎがちだった妹がある日突然明るくなって誰かさんの写メをお守りにしてんだよ? 何があったか聞いてはいないけどさ、そりゃあ写メの人に感謝もしたくなるよ」
「絵馬さんが頑張っただけですよ」
詩季が笑顔で答えると真希は一瞬息を飲み、次の瞬間戻ってきた春姫の背中を顔を赤くしてバシバシ叩いた。
「痛っ何をするっ」
「くぁああああああっこの子、とんでもないプレイボーイだわ! 何かあったらいつでも連絡頂戴ね、これアドレス!」
「あ、こらっ 詩季も不用意に交換してはっ」
「あはは、お姉ちゃんの友達だし僕の友達のお姉さんなんだから良いじゃーん。お姉ちゃんの学校での様子もチェックしなきゃだし~」
「そんなこと必要ないだろっ」
「お姉ちゃんのこと知りたいもーん」
「ハッピーずるいなぁ愛されてるなぁ」
春姫は、全くこの人たらしは……連れて来るべきでなかったか、と目頭を押さえたものの、
「お兄ちゃん、良いことあった?」
「え?」
「嬉しそ」
帰宅後すぐの冬美の指摘で詩季の変化に気付き、考えを改めたのであった。




