幕間 商店街でお買い物
「黙っていれば天使」がとある町に居た。
「春ちゃん、弟君、前と随分感じが変わったけど何かあったのかい?」
八百屋の女店主は春姫にネギと白菜が入った袋を手渡しながらそう問いかけた。
自宅で詩季が強盗に襲われたという事件は殆ど広まっていない。
ほんの近所しか知らない。というのも男性保護の観点から被害者の情報規制が徹底されているからである。
口さがない人々から「強盗にレイプされた」など噂されればこの世界の男子は下手をすると自殺に追い込まれかねないためだ。故に自宅から少し離れた商店街で詩季が被害に遭ったことは知られて居ない。公にも前の学校では病気療養および自宅近くに転校、というシナリオとなっていた。
「ああ、ちょっと病気で入院しまして、その時に思うところがあったみたいです。前は長めの反抗期だったんだと家族では話してます」
完全な嘘ではない。家族全員でそう口裏を合わせている半ば事実であった。
「そうかいそうかい。家族の有り難みが解ったってことなのかねぇ」
「そんなところかと。今は家事も手伝ってくれて助かってます」
「うんうん、うちにも買い物来てくれるようになってねぇ。あの子、こんなおばちゃんの事、おねぇさんって呼んでくれるのよ? 良い子ねぇ。おばちゃん年甲斐もなくときめいちゃうよぉ」
弟よ、やり過ぎだ。とデレデレした顔の八百屋店主を前に春姫は頭痛を感じた。
「んな豚と牛の合体事故みてぇな顔して何言ってんだぁおめぇは」
他の客の対応が一段落したらしい八百屋店主の夫がべらんめぇ口調で妻につっこみを入れる。一見いつも喧嘩ばかりしている夫婦なのだがその実おしどり夫婦として知られる八百屋夫妻のいつものやりとりである。
「カッカッカ! あんな綺麗な子、どうせ私なんざ相手になんかしないんだからあんたも若い子に妬かないのさ!」
豪快に笑い飛ばす女店主と不機嫌そうに商品の陳列を直す夫。
「チッ……おら、春。これ持ってけ。見た目悪いが甘ぇからよ」
「あ、すみません」
「おめぇも女ならせめて詩季坊みてぇに愛想笑いくらいしろや」
「あら、あんただって春ちゃん贔屓にしてんじゃないのさ」
「ふんっ違ぇよ。昔っからの常連は多少贔屓にしねぇとスーパーに持ってかれっからだよ」
「はいはい」
この世界では一夫一妻を維持出来ているというのも珍しいと言えば珍しい。しかしそれ以上に家業とは言え男が八百屋という華が有るとは中々言えない、生活に密着した仕事にここまで表に出て働く事も珍しい。それはこの八百屋の夫の方の顔の傷がきっかけであり原因なのだがそれはまた別な物語である。
「御馳走様です」
二つの意味で礼を述べる春姫。
「あ、春姫お姉ちゃん」
手に持つ袋から本屋に寄って下校してきたと思われる詩季に声をかけられる。
「詩季坊、相変わらずポヤポヤ歩いてんなぁ。浚われねぇように気をつけろや」
「あはは、大丈夫ですよ。僕結構しっかりしてますから」
「ねぇな」
「えー」
「詩季。イチゴをサービスして貰ったからお礼して」
「ええ? あ、凄い立派。いつも有り難う御座います」
いつも何かサービスされているんだろうな、と春姫も流石に察する。
「売れ残り押し付けただけだ」
「うちの家族、果物好きだから。特に妹がイチゴ大好きなんで嬉しいです」
ニコニコ笑顔でお礼を言う詩季にポッと顔を赤くする八百屋店主とその夫。
人たらしも程々にして欲しいと春姫は思うのだが子どもの居ない八百屋夫婦からすると詩季は子どものような位置づけで可愛がりたいのだろうと察しているし人前でそういう事を言う訳にはいかないので当然黙っている。
二人は八百屋に挨拶し、自然と二人で歩き出す。
「お姉ちゃん、買い物手伝うよ」
「そう? 時間は大丈夫?」
「うん。次は?」
「肉屋」
「ちなみに夕飯のメニューは?」
「母さんも早めに帰れるそうだからすき焼きだ」
「やった!」
詩季は鍋や焼き肉、すき焼きが大好物であった。何故なら前世ではとことんボッチで仕事ではともかくプライベートで誰かと食卓を囲んだことが殆ど無かったらその反動が今生で出てしまっているのである。
「ふんふんふふ~んにっくにっくにっくにっくにっく」
上機嫌なのは良いが華の男子高校生がそれはどうなんだ?と思いつつもつられて楽しい気分になる春姫。スキップ気味で周囲を行き交う人やお店の人の視線が生暖かいのはご愛敬である。
「詩季、牛のすき焼き用を1kgだから」
この調子なら詩季に買わせた方がおまけが貰えそうだと思った春姫はそう告げる。
「そんなに買うの? 野菜もご飯も有るんだから結構な量じゃない?」
「夏紀も秋子も食べるから大丈夫だ。有れば有るだけ食べるよ。残ったら違う日に食べれば良い」
「はーい」
精肉店に入る。そこは地場牛の取り扱いで有名な個人店でも有り、飲食店にも手広く卸している。店に入ると暇そうに店番をしている十代の少女が座っていた。
春姫から見るとバイトではなくこの精肉店で生まれ育ったとしか思えない恰幅の良さであり、事実その少女の生家であった。
「え、暦君!?」
「あれ? 肉山さん?」
春姫は一瞬で喉元までせり上がってきた笑いを堪えた。肉屋でまんまるな少女が肉山という名字。もはや狙い過ぎだと春姫は心の中で何かにツッコみを入れた。
「どどどどどうしたの!?」
「夕飯の買い出し。肉山さんはバイト? いっけないんだ~先生に言ってやろ~」
楽しげにからかう詩季。詩季の高校は一応はバイト禁止であるが見つかっても厳重注意で辞めさせられる程度で停学になったりはしない。詩季も勿論告げ口をするつもりも無く、そもそも肉山の実家なんだろうという事くらい察していた。
「ち、違うよ、家の手伝い! でも、まさか暦君が来てくれるなんてっあぁお姉ちゃーーーーん!」
春姫を存在ぶっちぎりスルーして詩季のクラスメートの肉丸、ではなく肉山は姉を呼ぶ。
「なーに? 今忙しいんだけど~」
出てきた肉山姉に春姫は堪えきれなかった。
「ブフォッ」
「え、お姉ちゃん大丈夫?」
「い、いや、ちょ、ちょっとむせただけだ」
肉丸が二つ。ではなく肉山姉妹が二人並ぶ。
「なーに、五月蠅いなぁ」
「お姉ちゃん、この人がいつも話してた王子! ほら、凄い綺麗でしょ!?」
「あの、肉山さん?」
「え、何あんたこんなとこにアイドルのポスターなんて貼って……ってリアルじゃん!」
「そうだよ! 3Dだよ! 王子が何でこんな肉臭い肉屋なんかに来たの!?」
「面白い」
「うん、肉山さんはクラスでも面白いんだよ」
思わず春姫が呟き、詩季も苦笑混じりに同意した。ちなみに肉山は友田や伊達と同じグループである。
「でも、なんで暦君が!?」
「うち、いつもここで買ってるよね? 何度も来てるよ」
「そうだな。いつもは店長さんかパートのおばさんだけど」
「あの婆隠してやがったな!」
「絶対独り占めしたかったんだよ!」
「馬鹿言ってないでさっさと注文貰って準備しな!」
突如現れ雷を落としたのは三つ目の肉丸、ではなく肉山母。そして急に機敏に動く肉丸、ではなく肉山姉妹。
「は、はい!」
「ごめんなさい! 暦君、ご注文は!?」
「あ、牛のすき焼き用を1キロお願い。ラードもちょっと欲しいです」
詩季は予定通り注文すると手際よく用意する二人。
「本当に娘たちがごめんねぇ、今さらだけどいらっしゃい、二人とも」
「こんにちは~」
「こんにちは」
「もう、馬鹿な娘達でね~。でもまさか詩季ちゃんと知り合いだなんて思わなかったわぁ」
詩季を前に猫撫で声になるのに春姫は「ああもうそういうもんだと思おう」と諦める。
「同じクラスなんですよ」
「あらあらまぁまぁ、こんな馬鹿でよければパシリにでも使ってあげて? どうせ男の子には一生縁無いんだから」
「いや、あの、クラスメートのパシリは冗談でもちょっと。二人ともしっかり者の看板娘で頼もしいですね」
「看板っていうより肉団子って感じなのがねぇ。もしくは肉の壁。我が娘ながら醜いったらありゃしない」
え、製造元がそれ言っちゃう? と春姫は固まるが詩季は口先営業トークで回避する。
「えぇ、可愛いじゃないですか」
詩季からすると肉山姉妹はぷっくり太めで可愛いと思えた。肉山姉妹はぷにぷに赤ちゃんがそのまま成長したような愛嬌が有って「アリ」と言えば十分「アリ」である。詩季の守備範囲は恐ろしく広かった。
「あらまぁ。もし良ければ提供してあげてね?」
「ちょっと」
春姫が咎めると肉山母が一瞬で青くなった。
「おおおお、お母さん!?」
「お母さん、そんな事言ったらまずいって!」
「え? 提供? 何を?」
「あ、ごめんなさい! おばさんが言ったこと忘れて? ね? 肉、もっと足して足して! ほら!」
「うん! 暦君、本当にごめんね!?」
「うちのお母さん悪気はないの!」
「え? え? え?」
「ああ、詩季。事故みたいなもんだから気にするな」
「本当にごめんね? おばさんちょっと舞い上がっちゃって」
詩季は首を傾げつつ春姫の会計を待って目の前に包まれた肉を持つと1キロどころではない重さに驚愕する。置かれた台が多少高かったこともあって一回では持ち上げられなかったが非常に重い。三倍は有る。
「え、こんなに? 流石にその値段でこんなに貰っちゃったらまずいですよっ」
いくら肉屋で仕入れが安いとしても三倍くらいの量を一キロの値段で売っていたら商売にならないと詩季は慌てる。
「良いの良いの、気にしないで食べて!」
「そうそう、訴えられたら桁が違うから!」
「詩季。いつもお世話になってるお店だし彼女は詩季のクラスメートなんだろ? お互い平和に暮らせるよう有り難く頂戴しよう」
不穏当過ぎる単語が出たので詩季は考えないことにした。
「そ、そう? なら……えっと、有り難うございます。肉山さん、また明日ね」
「う、うん! 有り難う御座いました!」
「あ、あの! しゃ、写真駄目ですか!?」
勇気を振り絞った肉山姉が詩季に叫ぶように聞く。
「良いですよ?」
詩季は自分がもてる容姿なのは流石に理解している。そして普通に立って笑顔で写真を撮られる程度で喜ばれるなら本望であった。
「詩季」
「春姫お姉ちゃんも写ろ?」
「いや、それは違う。そして私が言いたいことは大分違う」
「え? でもこんなにお肉貰ったし」
「…………解った」
家でゆっくり話し合おうと春姫は考えた。健全な写真であれば問題ないと言えば問題ないが、この弟は悪い女に騙されて際どいものやアウトなものを撮られないだろうかと心配になってしまうのも姉として仕方ないことと言えた。
「お、おばちゃんも良い?」
「勿論ですよ」
「わ、私も良いかな?」
「あれ? 肉山さん、撮りたかったの?」
「じ、実は。ちょっと言い出し難くって」
「遠慮しないでよ~友達じゃ~ん」
「と、友達? あ、有り難う! 神様! 神様有り難う!」
「流石友田さんの親友だねぇ」
あはは、と詩季は笑うのであった。
肉山家ではしばらくの間その時の話題で盛り上がるのであった。




