幕間 引越し 前編
引っ越しの日。
その日、一軒家からタワーマンションに暦家は移る事になる。
「ちょっと寂しい感じもするよなぁ」
「生まれ育った家だから当然さ」
「私はここが建つ前は平屋に住んでた記憶が有るな」
「春姫ちゃんは赤ん坊の頃の記憶よく有るわよねぇ。それって一歳の頃よ?」
詩季にとってはまだ一年にも満たない我が家。そして今回転居する原因が己が詩季として生きる切っ掛けとなった強盗傷害事件を経ての防犯のため、己の責任ではないにしてもどこか申し訳なさを感じていた。
ふと、服の袖に感触が有って見ると、冬美が詩季の注意を引こうとついついと引っ張っていた。
「お兄ちゃん」
「ん? どうしたの、冬ちゃん」
「悩み?」
「え?」
「困った顔」
引越会社の人員によって運び出されていく家具を前に詩季は表に感情が出ないよう注意していたつもりだが冬美に察知されていた。
しまった、という想いと冬美が心配してくれた事に対する喜びが綯い交ぜとなる。つい数ヶ月前は食事時以外徹底的に避けられていただけに感慨深いものがあった。
「あー、うん、大したことじゃないよ。荷解きが膨大だなぁって途方に暮れてただけ」
「だいじょぶ。手伝う」
詩季に向かって力こぶを作るかのようにポーズを取る冬美。心なしか上腕二頭筋が動いた気がする。
「おお。頼もしい」
と言いつつ冬美の二の腕をぷにぷにと揉む詩季。二の腕の柔らかさは胸のそれと等価であるという信仰を持っている変態ならではである。
仮にも妹に対してそういう思考に至るあたり、詩季の業は斜め下に深い。
「む」
「ぷにぷに~」
「ふ、太ってない」
「うん、もうちょっとお肉ついても良いんじゃない? 成長期なんだし」
「むぅ。筋肉不足」
「筋肉は要らないと思う」
「要る」
「え~女の子なんだしさ」
「要る」
「じゃあ僕も鍛える。ボディビルダー目指すよ」
むんっと力こぶを作るが冬美より動かなかった事に若干ショックを受ける兄。
「お兄ちゃん何言ってるの」
「向き不向きが有るんじゃねぇかなぁ」
「ショートケーキに肉団子を載せるような暴挙さ」
「ハハハ、面白い事を言う。どうしたんだ、急に」
「えー? なんか僕ってパッとしないからさぁ。ここは一つ男らしくなってモテモテ街道に乗ろうかと」
何を言っているんだこの弟(兄)は。
姉達と妹に心の中でツッコミを入れられるのに気付かないまま己の二の腕をぷにぷにと摘む。
立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花、とは詩季の為の言葉だと家族である姉妹達さえ考えてしまう程に詩季は美しい。派手さ、華麗さとはほど遠いが詩季は元々この世界で言うところの美形である。その顔立ちは無表情を基準とすれば見た目は険しくもなく柔和でもないと言えた。
良くも悪くもその内面が反映している、という事実に家族が気付くのに時間は殆ど掛からなかった。家族でそれなだから他人なら言わずもがな。道ですれ違った元同級生などは元々仲が良いとは言えない相手というのもあったが結果的には別人だろう、と思ってしまう程に印象が違う。
現に以前は常に不機嫌で気性も激しかったのが全面に出てきつい印象であったが、今は日向ぼっこしながらウトウトしているような犬猫を彷彿とさせる程に柔和な印象を与えている。
以前はそれこそ街を歩けばナンパされスカウトもよくされていたが今はナンパされこそすれど悪いスカウトなどからは「あの男の子あんなぽやぽや歩いて大丈夫か……悪い奴に捕まらないと良いが」と逆に心配される程に牧歌的な雰囲気を醸し出している。
「詩季、君はもうちょっと自分という人間を客観的に見た方が良いね」
苦笑いの春姫。
「まぁ俺たちが守ってやるけど一人の時は気をつけろよ? ぽやぽや歩いたりしちゃ駄目だぞ?」
心配そうにポリポリと頭を掻く夏紀。
「守るさ、ワンコールで馳せ参じるさ。むしろノーコールでも参じるさ」
いつも通りずれている秋子。
「お兄ちゃん新しい家、大きな鏡有る」
「ええ!?」
姉妹の真意が解らずショックだけを受けるている詩季に「あ、この子理解してないわ」と思いつつも節子は口には出さず手を叩いて子供達全員に指示を出す。
「ほらほら、鍵閉めたら新しい家に行くんだからあなた達は忘れ物ないか確認して来なさい」
「あれ、掃除しなくて良いの?」
「それは後日業者に頼むわ。売るわけじゃないしね」
詩季の中では引越イコール掃除であったので若干肩すかしを食らった気分である。
新しい家となるタワーマンションに移動した暦家。
家具が予定通り配置されているのを確認しリビングや廊下に仮置きされた荷物を各自自室に持ち込む。
「服の整理が少ないと楽だなぁ」
今回の引越を機に以前の詩季が好んで着ていたヒラヒラだったりピンクだったり、今の詩季の感覚で言うと「女の子っぽい服」は近所の古本古着屋に持ち込んでいた。春夏、秋冬と分けてクローゼットと収納ケースに突っ込んだだけで終わった。ちなみに古着を売った時の買い取り金額は十万円を超え、詩季を驚かせた。
流石に大金なので母に渡そうとするが節子は節子で考えるのも面倒だし確かに子どもに大金も問題なのかもと考え「じゃあ春姫ちゃん預かっておいて」と丸投げ。春姫はため息を付きつつも事件前とは違いお金に執着が無い今の詩季に安堵していた。
「あとは謎荷物の開封か」
自室に有るものは退院後チェックしたと思っていたがベッドの下にまさに隠すように鍵付きの旅行用キャリーケースが出てきたのである。
「怖い。ある意味自分が怖い。絶対ロクなもん入ってない」
詩季は以前の詩季に対して複雑な感情を抱いている。体を、家族を奪ったのではないかとどうしようもないこととは思いつつも罪悪感があった。ただ、素行の悪さは冬美との関係からも察することが出来ただけに前の人格がどうなったかどうかは解らないがどこかで「因果応報」とも思ってしまう自分も居た。どちらの感情が正しいのかも解らないが故に、過去の詩季の情報にはどうしても心奪われてしまうのは仕方ないことと言えた。
「開かないなぁ」
鍵を見つけられなかったのでドライバーでガチャガチャいじるも開く気配がなく、三十分程で疲れて一旦諦めキッチンの整理に赴くことにした。
「お兄ちゃん? ん?」
詩季と絶妙なタイミングで入れ違いで詩季の部屋に入った冬美は中央に有ったキャリーケースを見つけた。
「何で?」
暦家では旅行らしい旅行は先日の温泉旅行くらいでその旅行でも詩季はそれこそ小さめのリュック一個に下着と靴下を入れてきただけである。兄は中学でも修学旅行に気分が乗らないからと行かなかった記憶も有ることから何でキャリーケースが詩季の部屋に有るのかと違和感を感じたのである。
そしてよく見るとその横にはドライバーセットが放置され、鍵穴や留め具部分に真新しい傷が散見し詩季が開けようとしていたのだろうと見て取れた。
「……ひぁうぃーごぅぉお」
開けようとしていたのなら開けたら兄が喜ぶのではないかと思い、座り込んで挑戦してみる事にした。
「ん? ん? お?」
詩季は金具を破壊する勢いで鍵穴に突っ込んだりしていた。が、「リトル春姫」と次女三女に目され春姫からは「母Ver.2.01」と評される程に潜在能力の高い末妹は一味違う。
「あいがぁでぃっと」
精密ドライバーとクリップを解した簡易ピッキングツールでものの数秒で開錠した。
何が入っているのだろう、とドキドキしながら開けるが
「Oh,,,とぅでいの夕飯はほわっとだろ……うん、ここは自主的に動くべきだ言われるがままな人生などノーサンキューで僕は皆に提案すべく考えるべきだということでひぁうぃーごぉ」
秋子並に怪しいルー語を呟きすぐに見なかった事にした。
「さぁ再挑戦! あれ? 開いてる」
そして戻った詩季は中身を覗きこむと某酔拳で有名なカンフー俳優のようなリアクションで飛びずさった。
「えぇ?」
思わず一回閉じてまた開けて二度見するが当然中身は変わらない。
「えぇ?」
三度見するも当然変わらない。キャリーケースに詰まっていたのは所謂マンガや雑誌であった。
「闇が……ディープ過ぎる」
それも一目で加虐被虐系と見て取れるものばかりでさらには鼻フックらしき物や赤いロープ、赤い蝋燭等が隅の方で異様な存在感を放っていた。何やら歪な形をした棒状の何かも発見した詩季は思わず防衛本能からキュッととある場所に力を入れる。出口専用にしとけと前の詩季に抗議したい所存。
「……魔封波!」
そんなある意味での危険物の捨て方すら解らないため封印する事にした。念のためクラフトテープでぐるぐる巻きにしておき、この家でも同じようにベッドの下に隠す。
もう少し底まで見ていたら、詩季はまた違う過去の詩季を見つけられただろう。とある男性と幼少時代の詩季が写った写真が一枚だけ入っていたのだが、それを詩季が見つけるのは大分先の話となる。
「お兄ちゃん」
「冬ちゃんもう終わった?」
「ん」
「じゃ、お茶入れようか」
「ん」
苛めるのと苛められるの、どちらが好みなのだろうか。前の兄ならば前者としか思えないが現在の兄を基準に考えると後者に軍配が上がる、果たしてそういう性癖の男性はどこがどうなってどう喜ぶものなのだろうか、とまだそういった方面に知識の浅い冬美はキッチンに立つ詩季の臀部を眺めつつ熟考するのであった。
「妹が真剣な目で詩季の尻をガン見してるんだが」
「グッドなヒップしてるから仕方ないさ」
「尻フェチか……業が深いな」
次女と三女は長女が重そうに抱えて部屋に運ぼうとしているコレクションボックスから目をそらすようにして心の中でツッコミを入れるのであった。
業の深さじゃあんたが一番だ、とは言わない。なんだかんだで暦家の最高権力者なのだから。




