幕間 節子とデート 前編
明日は待ちに待った日である。
「明日のために早く寝なきゃ」
そう言いつつ寝床に入るが明日のことですぐに頭が満たされ落ち着くことが出来ない。
「ああ」
節子は高校卒業とほぼ同時に春姫を身ごもった。節子の両親と姉はその年に交通事故で揃って他界していたが、現在は海外に住む妹と家政婦に助けられながら今の会社で活躍の場を得て一心不乱に働き続け、時に出産しながらもその類稀な才覚でもって出世の道を邁進した。
かつて数々の難解な商談や修羅場をくぐり抜け結果を残し齢三十八歳で誰しもが知る大会社の役員まで上り詰めた言わば叩き上げ営業の猛者が暦節子という女である。
「どうしよう」
そんな節子が布団の中で悶えながら明日への不安を口にする。
「人生初のデート……あああああもうっどうすれば!」
滝見物の際に一番乗り特典として「詩季が何でも一つ言うことを聞く権」を明日の休みで使うことにしたのである。仕事人間として生きてきた節子は親として保護者として基本的に自信があまり無い。
ここでこの世界における一般的、というよりもありがちな親子関係、特に母親と息子の関係と人格形成について簡単に触れる。
まずこの世界における男性出生率の低さから男子を産むというのは母親として名誉であり非常に幸運なこととされる。
そして生まれた男子は幼少の頃から蝶よ花よと蜂蜜漬けにされるが如く甘やかされる。それによって我が儘になりがちである。
詩季の前の世界にある中華人民共和国では一人っ子政策以後生まれた男子を小皇帝、女子を小皇后と呼ぶことがある。それはその呼び名の通り小さな皇帝の如く、皇后の如く大事にされる傾向が強かったためである。この世界の男子は愛情も経済的にも満たされ育てられる事が殆どのため、現代中国の小皇帝・皇后世代と通じる部分が有るといえるのだ。
要はこの世界の男子は物が満ち女子よりも我慢の経験が浅い。比較して感情や欲求のコントロールが不得手な傾向が強いのである。
さらに男子というだけで社会生活においても公私を問わず様々なメリットが当たり前のように提供されるため自然と『お貴族様気質』になってしまうのも奇異なことではなくなってしまうのである。
次に母親となる女性が息子に対して『女には気を付けなさい。女は皆狼だから』と教え込んでしまう。それもかなりのしつこさで。出来れば己以外の女に近付かないように、あわよくば息子の愛を独占したい、と歪んだ方向に過保護となってしまうのだ。
もちろんマザコンの男子も皆無ではないがこの世界の男子は特に思春期において本能的に女性を汚らわしく感じる傾向が有りかなりレアな存在だと言わざるを得ない。思春期の女子中学生が父親を避けようとするが如く、どころかその何倍も拒否感を覚えてしまうのがこの世界の男子の普遍的と言っていい生態である。
「詩季君に嫌われないように、がっかりさせないように、頑張らなきゃっ」
まずは寝て体調万全で臨まなければ! と考えるが節子はそのまま朝を迎えるのであった。
「お母さん、準備出来た?」
「任せて!」
お出かけの準備に何を任せるのかと詩季は節子の部屋に顔を出すと詩季はギョッとした。
「お母さん……あの、その格好は?」
見ると己の母が上半身はところどころ穴の空いた黒のセーターのような物体を羽織って中はピタっとしたTシャツ、、下は下着が見え隠れするような大きなダメージ加工されたクラッシュデニム。
「え?」
節子は今来ている服を今日のためにそれなりの高級セレクトショップで買っていた。
購入した日の店員とのやり取りはこうである。
「息子と今度デートなのっだから恥ずかしくない格好しなきゃ」
「それは良いですねぇ、羨ましいです」
こういう「子供や夫、恋人デートだから勝負服」という客は少なくない。大概が「そうだったら良いなぁ」という願望だったり「どうしても一緒に行動しなきゃいけないイベントごとをデートと拡大解釈」したりしているのであるが、会社役員の節子が買い物するようなそこそこのお店の店員は空気を読んで無粋な指摘はしない。
「あの子、自分は服とかには無頓着だけど……万が一あの子のお友達とバッタリ会ったりして、一緒に居る私が格好悪かったら恥掻かせちゃうものね」
「年頃の男の子はその辺り厳しいですからねぇ。御子息様はどのような服装をご自身では好まれますか?」
「あら、息子に手を出すなら潰すわよ?」
何を言い出すのだこの女は。今まで息子なんて連れて来店など無かったしそもそも一緒にお出かけするというレアキャラなその息子は想像上の生物ではないか? という言葉を飲み込みそんな思考を微塵も感じさせず笑って答える。
「いえいえ、御子息様と並んだとき例えば片やフォーマル、片やカジュアルではバランスが悪いでしょう? 相手に合わせるのも気遣いの一つですよ」
成る程一理ある。そうなると昼ご飯を取る場所も考え直さなければならないだろう。美味しい高級フレンチの店を予約しようと思っていたが詩季を萎縮させかねないと思い至る。
今回はお買い物が主たる目的というか口実だが自分があまりに詩季と釣り合いが取れないと問題だ。節子は見た目は年より若々しく、家ではポヤポヤしているが外では人生経験の豊富さがにじみ出ている「明らかにそこらの勤め人と格が違う、出来る大人」である。
「なるほどね。えーと、詩季君は……上の娘達のお下がりばかり着てるわ」
詩季が事件前から元々持っていた服は今の詩季の趣味に合わなかった。この世界の男性のファッションセンスとしては前世と変わらない面も有るがフリルを多様したりピンクやキャラ物を好む男性も居たりと、所謂可愛いものも男性のファッションの中に当たり前に有る。流石にスカートは履かないが。
「どのような感じでしょうか?」
「最近はそうねぇ……旅行の時には真っ白のシャツにジーンズだったけど我が息子ながら綺麗だったわ。綺麗過ぎて滝の神に浚われないかと心配した位」
「大丈夫ですか」
間違えたが「脳味噌」という単語を口にしなかったからか大丈夫であった。
「ええ、危ないところだったけど幸い大丈夫だったわ」
危ないのはお客様の頭です。という言葉は勿論客商売なので自重する。
「家なんかだと次女のジャージとか楽な格好かしら。元々持ってた可愛い服、最近全く着ないのよねぇ」
怪我の影響だとというのは誰から見ても明白であった。
「成長と共に趣味も変わりますからね。では最近はシンプルなものを好まれる、と」
「そうね、あまりファッションに興味無いのかもしれないわ」
「それはまた珍しいといえば珍しい男子高校生ですねぇ」
「まぁ何を着せても完璧だけどね」
「はぁ」
と話をしながら「普段はパンツスーツ姿かポロシャツとスラックスかパジャマしか見せてない」という節子に店員は「ドレスコードの有る場所でお食事する予定でなければ出来るだけラフに、でもスタイリッシュに合わせてみてはどうでしょう。普段の雰囲気とガラッと変えてみては」とコーディネートしていったのである。
「随分カジュアルな気がするわねぇ。大丈夫かしら?」
「最新のモードです。とてもお似合いですよ」
と褒められたものの詩季の反応は次の通りとなった。
「バイクでコケた直後みたいだね」
詩季は家族に対してとは言え前世から女性のファッションを褒めるという機会もセンスも無かった。しかしその一言で出鼻をくじかれた節子。その様子を見て詩季は慌てて人生初の女性ファッショに対するフォローをした。
「ぱ、パリコレみたいで格好良いね! お母さんスタイル良いしね!」
それも嘘ではないし実際に今の節子を世間一般のセンスで見れば「スタイリッシュな都会的お姉さん」である。詩季のようにあまりにも見る方にセンスが無かったための感想であり、その感想も結局は「美人はどんな格好してても美人」ということを確認したに過ぎない。
「ウホッ……い、いや、ごほんっ! もう、詩季君は煽てるの上手ねぇ。今日は何でも好きなの買ってあげるわ!」
「あはは、まぁ何か欲しいのあったら相談するよ」
「遠慮は無しよ? さぁ、行きましょう!」
そうやって母子デートがやっと始まるのである。




