あーん 意味不明
旅行も無事終わり家の門扉を開く。まだ時間は午後の二時。
「やっぱり」
「家が」
「一番」
「だねぇ。あのさ、荷物おいたら早速お茶にしない?」
「賛成」
夏紀・秋子・冬美・詩季と定番の台詞をリレーする。
「春姫は本当に保護者枠よねぇ」
「酒が飲める年になった奴から順に引き込むよ」
明日から仕事の節子に自分へのお土産として買った日本酒を掲げる。
「わぁ、私も保護者枠に引き込まれちゃうわぁ」
酒好きの遺伝子供給者である節子の口元が緩む。
「いや保護者だから」
本当に自覚が無いのか? と一瞬不安になりつつも詩季達の待つ居間に向かうのであった。
「明日からまた学校だなぁ」
「ちょっとダルいさ」
ぐだーっとソファーにもたれる次女と三女。
「だねぇ。あ、冬ちゃんそれ美味しい?」
「美味。ん」
いつも通りに詩季に抱っこされながら買ってきたお茶と茶菓子を楽しむ冬美はお裾分けに詩季に自分がかじったお饅頭を口元に近づける。
「ありがと。あむ……美味しいねぇ。じゃこっちのお菓子でお返し」
「ん……美味」
指に一瞬触れた詩季の唇の感触に悶えそうになるのを堪えてお茶を飲む。冬美には至高の一時であった。
「詩季君、私にあーんすると良いさ」
「あ、俺も俺も」
「お母さんも~」
「む、なら仕方ない。私も」
何が仕方ないのだろうか、と苦笑しつつ次々と近付く口にお菓子を放り込む詩季。気分は雛に餌を与える親鳥である。
「そういえば詩季は部活入るのか?」
ふと思い出したように話を振る夏紀。
「あー、どうしようか迷ってるけどうちの高校の運動部は結構厳しいとこ多いんじゃない?」
詩季は家事も楽しんでは居るが折角二度目の人生なのだから高校生活を謳歌したいという想いもある。そうなると放課後は部活かバイトが思いつくもののバイトは仕事である以上中途半端な事は出来ないので部活で考えた。ただ今度は楽しく部活というよりも結果を残すために一生懸命活動するような部だと付いていけない可能性も有るし日常生活を変えてまでとなると家事に支障が出過ぎてしまいそうで躊躇する。
「男子バスケ部はそうでもないな」
「そうなの?」
「川原木に聞いてみたら良いさ。あいつは怪我の療養という名のサボりだけどそれでも許されてるのさ」
川原木と共に部活する、というのも悪くはない。
「いいかもね、それ。バスケ嫌いじゃないし」
「帰り、遅くなる?」
ふいに冬美が少し暗い声を出した。今までは冬美は寄り道せず詩季の帰りを待っていたがそれが長引くのも寂しいものがあった。
「あ、うーん」
寂しそうな妹の様子に気持ちが揺らぐがここで取りやめたらそれはそれで後々冬美が自分を責めるのではと思い悩む詩季。
「冬美。詩季が部活を始めるというのだからお前も何か習い事やってみたらどうだ?」
外で友達と遊ぶ事も多いようだが基本的にゲームばかりやっているように見える末妹に春姫は提案する。
「そうねぇ、来年から中学校だしやっぱり塾とか?」
「考える」
その夜に早速冬美はネットを駆使し出来るだけ詩季の高校近くの習い事を調べ上げた。出来るだけ通うのが辛くない距離と内容で出来れば楽しそうなものを何カ所かチョイスして翌日から見学に行くことに決め家族にも宣言する。
「なんか、冬君の行動力が凄まじいのさ。あれは凄いブラコンさ」
「ブラコンなんじゃね」
「ブラコンだな」
それ自分たちで言っちゃうのかぁ、とグラスを傾けつつ明日の仕事の活力を五臓六腑にそそぎ込む節子であった。
冬美は放課後ランドセルを背負ったまま行動に移す予定である。勿論家族には下校中に色々見て回ると宣言しているので問題はない。
裕福な家庭の子供である冬美は電車代や月謝など考慮する思考回路はない。近所にも習い事の類は有るのだが眼中に無かった。
「お兄ちゃんの学校の近く、だと流石に家から遠い。家との中間地点だと繁華街がベストチョイス。帰りも電車で帰れば良い」
そう一人呟きつつ、家でプリントアウトしておいた習い事候補を休み時間に自分の机の上に広げる。
「冬美、何見てんの?」
同じクラスの春日歩に声を掛けられた。
「習い事、選んでる」
冬美の学年での立ち位置は非常にニュートラルである。というのも目立つ集団にもそうでない者達にも自然と溶け込むという特技が有り友人と呼べる人間が幅広い。ゲームで遊ぶときは誰それ、外で遊ぶときは誰それ、と自然と分けて付き合っており、友人達も冬美はそういう存在だと自然と認識していたので問題は無い。
むしろ冬美と親しくすると自然と人が集まり普段親しくない間柄でも何やら楽しい感じになる希有な存在であった。
「冬美、お前これ以上何を目指すんだよ」
呆れている友人に首を傾げる冬美。
「何って、何?」
「解ってないなら良いよ」
冬美は暦家の人間らしくスペックが高かった。普段から物静かなため家族や集団に埋もれがちだが、実際には容姿に恵まれ学校のテストでも満点以外取った事が無くスポーツも小柄ながら得意な方である。
先日の温泉卓球などむしろ年上の詩季に自分がレベルを合わせて接戦になるよう手加減していたくらいだ。詩季の運動神経は並だが高校生に手加減をする小学生だと考えればそのスペックの高さは窺えることだろう。
「ここにしろよ」
急に声を掛けてきたのは同じクラスの男子、大蛇勝巳。線が細く小学生にしては長身だが軟弱な印象は無い男子でクラスにおけるクラスの中心人物の一人である。女子からの人気は学年でも一、二を争うことと本人もあまり女子と関わるのを好まないため女子が彼に話しかけられること自体がレアと言えた。
「え。何故?」
少し前の冬美であれば一言も言葉を発せられなかったであろう。冬美は倒れる前の詩季に散々苛められてきたが故に男子全般が苦手だった。その態度が滲み出ていたため一部の女子からはレズ疑惑を持たれ誤解を解くのに一時期頭を悩ませ、一部の腐男子からはヒソヒソと好意的な噂話をされていたくらいである。
「これ、俺の家でやってんだよ。知らなかったのか? 勧誘すると俺の小遣いが増える」
トントンとプリントアウトされた一つの習い事を指で叩く。
「空手?」
「ああ。おまえ、女のくせに弱そうだしな。丁度良いんじゃないか。入ったら多少は仲良くしてやるよ。多少な。あんま馴れ馴れしくすんなよ」
上から目線に鼻で笑われ馬鹿にされたのには冬美は憮然とし相手にする気が失せた。相手が男子だからと言って詩季の寵愛を受ける身である冬美にとっては何ほどのものではない。一人二人どころか例え千人の男に嫌われようとも兄の愛に勝るものはなく大蛇勝巳と仲良くなるキッカケなど駄菓子ほどの価値も見いだせなかった。
「やだ。こっち見に行く」
冬美は当てつけのように大蛇空手道場の斜向かいにある柔道場の案内書を指さした。
「はぁ? せっかく俺が誘ってやってんのに」
「意味不明」
「お、おいおい冬美落ち着けって。大蛇君、ちょっとこの子機嫌悪いだけだからさ、よく言っておくから」
「ちっそんなとこじゃ強くなんねぇよバーカ」
友人がストップを掛け、大蛇を諫めると大蛇は舌打ちと悪態をついて去っていった。
「おいおい、おまえどうしたんだよ」
冬美は友人の問いには答えずじっと柔道場のパンフレットを食い入るように眺めていた。
冬美の頭の中では先日、兄にナンパ女が迫っていた光景がよみがえっていた。打撃系も良いだろう、だが体格に恵まれていない自分はそれよりも柔よく業を制すを目指した方が良いのではないか? と悩んでいたのである。
「強くなる」
「急にどうしたんだよ、お前」
素人考えではあるが少なくとも格闘技経験が有るか無いかは大きな違いとなりえる。そこまで考えに至らなくとも変な柵や思惑を感じながら稽古するような環境など冬美は望んでいない。ましてや大蛇は魅力的と言えば魅力的な男子ではあるが冬美は兄にしか興味が持てない状態である。すなわち彼の家の道場は気が散りそうで論外と言えた。
その一連のやり取りを見ていた男子達で、大蛇のグループではない大人しい男子グループの間で密かに冬美の人気が高まるのであった。




