後日談 エルーシアが誕生日に望むもの
ある晴れやかな午後、クラウスと一緒にお茶を飲んでいたら、思いがけない質問が投げかけられた。
「二週間後は、エルーシアの誕生日だな。何が欲しい?」
クラウスの言葉で、もうすぐ誕生日だったことを思い出す。
母が亡くなってからは喪中でパーティーなんてしなかったし、その年以降はイヤコーベやジルケがやってきたので、誕生日など祝ってもらっていなかった。そのため、すっかり忘れていたのだ。
「結婚して、初めての誕生日だから、エルーシアが世界一喜ぶものを贈りたいと思っている」
何か欲しいものがあるだろう、と言われても、特に何も思いつかない。
「わたくしはクラウスとアルウィン、それからお義祖母さまがいたら、何もいりませんのに」
「そういうことでなくて、何か、手にしたい物があるだろうが」
「うーーーーーん」
ドレスも、帽子や靴も、宝飾品なども、クラウスがこれまでたくさん贈ってくれた。
これ以上、望む物なんてないのに。
「領地に城でも建てるか? エルーシア城とでも名付けて」
「恥ずかしいです。それにお城なんて必要ありません」
「だったら、船でも造ろうか?」
「わざわざ造る必要はないと思います」
贈り物の規模が大きすぎる。なぜ、そのようにとんでもない品物を贈りたいと考えるのか。
「ひとつくらい、無理だと思っても欲しい物があるだろう? たとえば、隣国あたりとか」
「まあ、なんて物騒なことをおっしゃるの」
私が望んだら、クラウスは国をも侵略し、贈ってくれるというのか。
呆れて言葉も出てこない。
ここで何か望んでおかないと、とんでもない物をサプライズで用意しそうだ。
かと言って、ドレスや宝飾品といったいつでも手に入るような品では納得しないだろう。
腕組みし、考えた結果、名案を思いついた。
「そうですわ! わたくし、お店が欲しいと思っていましたの!」
「どこの店を買い取るんだ?」
「そうではなくて、わたくし達のお店です」
「ん?」
以前、クラウスと話した、パンケーキのお店について話す。
「なるほど。王都にパンケーキ専門店をオープンさせ、経営したいというのか」
「違います。お店は王都ではなく、領地の村の片隅がいいです。小さなお店を開いて、営業は気まぐれで、クラウスがパンケーキを焼いて、わたくしが給仕係、アルウィンが看板猫をするのです」
「ああ、なるほど。思っていたよりも小規模なのだな」
「ええ。クラウス様はお忙しいので、ひっそりとした場所とお店がいいと思いまして」
「エルーシアのためならば、時間などいくらでも作るが」
ただでさえ忙しい人が作る時間なんて、睡眠時間を削る以外に思いつかない。
長生きしてほしいので、私のために時間なんて作らないでほしいと願う。
「お店の建設計画などは、わたくしにお任せください」
「金だけ出せ、ということなのか?」
「ええ!」
クラウスに任せていたら、宮殿のようなお店を作りかねない。
それだけは絶対に阻止したいので、お店造りは任せてもらうように願った。
「わかった。エルーシアが望むのならば、そうしてくれ」
「クラウス様、ありがとうございます。とても嬉しいです!」
そんなわけで、私はパンケーキ店の建設業を始めることにしたのだった。
半年後――私達は領地の片隅に、小さなパンケーキ店をオープンさせた。
店内の客席数は十に満たないという、小規模なお店である。
宣伝もしていないので、お客さんは通りすがりの村人がちらほら立ち寄るくらい。
不定期営業なので、おいしいと噂になっていたようだが、村人がやってきたときには閉まっていることが多い。
そのため、お客さんが押し寄せることはなかった。
メニューはシュガーバターパンケーキの一種類だけ。
それに、ジャムやクリームなどのトッピングを追加注文する。
素朴でおいしいと評判だった。
私達は領主夫婦ではなく、旅商人の夫婦と名乗っていた。そのため、長い間不在でも、誰も怪しまないのだ。
正体がバレないよう、村人に扮するのも楽しい。
クラウスはすてきな物を贈ってくれた。
私は世界一幸せだと言えるだろう。
◇◇◇
◇◇◇
◇◇◇
「おい、ロッジ、今日も店に行くのか?」
「ああ」
「お前も飽きないなあ」
「どうしても気になるからな」
村の片隅に、パンケーキなる食べ物を売る店がオープンしたらしい。村の女どもがおいしいと噂しているのを、何度か耳にした。
パンケーキのおいしさよりも、あることが気になっていたのだ。
なんでも、給仕係の女がたいそうな美人らしい。
たしかめなくては、と何度も通っているものの、不定期営業のようで、めったに開いていない。
美人と言っても、村での美人なので、たかが知れているだろう。
ただ、あまりにも皆が皆、口を揃えて美人だというので、どうしても気になるようになってしまった。
根気強く通った結果――ついにその美人を目にすることができた。
ある日、さほど期待もせずに店に立ち寄ってみたところ、店の前を掃除している女がいた。
ひとつに結んだ金色の髪をなびかせつつ、枯れ葉を箒で掃いている。
顔を上げた瞬間、ハッとなった。
その女は、とんでもない美人だったのだ。
こちらに気付くと、にっこりと微笑みかけてきた。
「おはようございます」
「あ、ああ」
こんな美人に微笑みかけられるなんて、生まれて初めてである。
もしかして、俺のことが好きなのだろうか?
「店内でお召し上がりですか?」
昼間から誘ってくるなんて、とんでもなく大胆な女だ。
まあ、嫌いではない。むしろ大歓迎だ。
「開店前ですが、どうぞ」
誰もいない隙に、楽しもうと言っているのだろう。
仕方がないから付き合ってやる。
そう思い、店内へと足を踏み入れた。
中はカーテンで閉ざされているようで、薄暗い。
適当な場所に腰かけようとした瞬間、テーブルの下から気配を感じた。
ゾッとした瞬間、妙な鳴き声が聞こえる。
「しゃああああああ~~~~」
デカい黒猫が顔を覗かせ、牙を剥いたのだ。
大きな瞳がぎらりと光る。
「ヒッ!!」
慌てて立ち上がり、厨房のほうへと駆け込む。
しかしながら、そこでも何かの気配があった。
「……誰だ?」
厨房に立っていたのは、血まみれの包丁を握った男である。
エプロンには返り血のようなものが大量に付着していた。
やられる。そう思った瞬間には、叫んでいた。
「ぎゃああああああ!!」
恐ろしくなって、そのまま裏口を通って逃げる。
美人は惜しいが、あの店は不気味過ぎる。
二度と近寄らないことを誓った。
◇◇◇
◇◇◇
◇◇◇
気持ちのいい朝――私はお店の前の枯れ葉を掃く。この地味な作業が楽しいのだ。
今日は朝一番からお客さんがやってきた。
お店のほうへ通したはずなのに、店内はもぬけの空である。
「ねえ、アルウィン。お客様は?」
「にゃあ?」
アルウィンも知らないようだ。
厨房を覗き込み、クラウスに質問する。
「ねえ、クラウス――きゃあ!」
クラウスは血まみれの状態で私を振り返る。
「どうして血まみれですの?」
「今朝方仕留めたイノシシをさばいていた。ナイフを入れる場所を間違って、このようになった」
「気を付けてくださいませ。それよりも、お客様を中へご案内したのに、姿がなくて。ご存じではない?」
「ああ、それらしき男がいたが、俺を見て逃げて行った」
「まあ!」
怖い思いをさせてしまったようだ。申し訳なくなる。
「血まみれパティシエの噂が広まったら、どうしましょう」
「別に、ここはエルーシアと俺の店だから、客が来なくとも問題はない」
「問題ばかりです!」
せっかく可愛い看板猫とおいしいパンケーキがあるのに、お客さんはあまり立ち寄らない。
まあ、それでもいいか、と思いつつ、静かに営業しているのだった。




