不安な朝
身なりを整える間、ずっと胸騒ぎがしていた。
なんだか嫌な予感がしたのでクラウスと話をしようと思ったのだが、すでに家を出て行ったらしい。なんでも、早朝より清めの儀式を行うのだとか。
手紙を送るか、と執事が聞いてきたものの、きっと読む暇なんてないだろう。
予知夢で何かみたわけではなく、根拠のないものだった。
儀式を前に緊張しているのかもしれない。
そう自分に言い聞かせた。
着替えたあと、以前、クラウスが贈ってくれた板金鎧について思い出す。
「――あ!」
「エルーシア様、いかがなさいましたか?」
「いいえ、なんでもありません」
今日のドレスは体にフィットした意匠だ。下に板金鎧なんて纏えるはずがない。
どうせ、私の命は尽きかけているのだ。命を守るような対策をしても、無駄でしかない。
出発前に、コルヴィッツ侯爵夫人をお茶に誘った。
正直、お茶なんか飲んでいる場合ではないのだが、どうしてか今、誘わないと後悔しそうだと思ってしまったのだ。
「やっぱりお茶を飲むと落ち着くわね」
「ええ」
コルヴィッツ侯爵夫人も朝から落ち着かない気持ちを持て余していたらしい。私だけではないと知って、内心安堵する。
私とこうしてお茶を囲むことにより、緊張が解れたようだ。
「それにしても、クラウスがシュヴェールト大公を継ぐなんて、改めて驚きだわ」
「ええ、本当に」
国王陛下の指命だったので、親族も抗議できなかったのだろう。
「でも、親族の中には不満の声もあるようだから、心配だわ」
「お祖母様、大丈夫ですわ。クラウス様のことは、わたくしが守りますので」
任せてくれと胸を叩くと、コルヴィッツ侯爵夫人の表情が和らいでいく。
「そうよね。エルーシアさんがいたら、クラウスはきっと平気よね」
大丈夫と口にしたあとで、罪悪感のようなものが胸を締めつける。
この言葉を、私は近いうちに裏切ることになるだろう。心の中で、ごめんなさいと謝罪した。
「そろそろ時間かしら?」
「行きましょうか」
「ええ」
馬車に乗りこみ、爵位継承の儀式が行われる大聖堂を目指す。
参加できるのは王族とクラウスが招待した者と親族のみ。
シュヴェールト大公家は地方にも分家があり、大聖堂にある座席はほとんど埋まっているようだった。
コルヴィッツ侯爵夫人は入り口に近い席らしい。
「ここでお別れかしら?」
「そうみたいです」
コルヴィッツ侯爵夫人と一緒の席でよかったのだが……。
「不安だったら、一緒に前に座ってあげましょうか?」
「クラウスに怒られてしまいますよ」
「いいのよ。クラウスが怒ったって、怖くなんかないわ」
コルヴィッツ侯爵夫人がいたら心強いが、親族から反感を買ってしまいそうだ。
嫌われるのは私だけでいい。せっかくの申し出だったが、断った。
「ではエルーシアさん、またあとで」
「ええ」
コルヴィッツ侯爵夫人と別れた途端、心細くなってしまう。
先ほどよりも、胸騒ぎが酷くなっているように思えた。
きっと極度の緊張から、そういうふうに思ってしまうのだろう。
こうなったら開き直って、クラウスの晴れ姿を最前列で見るしかない。
親族達の視線がぐさぐさ突き刺さっているものの、堂々たる足取りで席まで歩いて行った。
大聖堂は二十人ほどかけられる椅子が通路を挟んでふたつ置かれている。その椅子の列が五十ほどあるのだろうか。
私が座る左側は空席である。もしかしたら、クラウスのお父様がやってくるのかもしれない。
クラウスのお父様とはこれまで一度も会っていないのだが、今日、ご挨拶ができるのだろうか。
ドキドキしながら待っていたのだが、出入りするために解放されていた扉が閉ざされてしまった。
まさか、クラウスのお父様は欠席するつもりなのか。息子の晴れ舞台よりも、仕事を選ぶなんて。考えは人それぞれなので非難できないが、見守っていてほしかった。
枢機卿がやってきて祭壇の前に立ち、祝福の詩を読み始める。
シルト大公家も、代替わりをするときはこの儀式を行うのだ。父は十八歳のときに継いだので、私は初めて爵位継承の儀式を見る。
枢機卿が祝福の詩を読み終えると、大聖堂の入り口が開かれた。同時に、パイプオルガンの演奏が始まる。
聖なる緋色の正装を纏ったクラウスが現れる。腰にはレーヴァテインを佩いていた。
クラウスは堂々たる足取りで祭壇を目指す。
三ヤード以上ある長いマントは、神聖な古代文字が書かれているようだ。いったい何が書かれているのか。
私の隣を通り抜ける瞬間、クラウスはこちらを見て微笑んでくれた。
頑張れ、と心の中で応援する。
クラウスは祭壇の前で片膝をつき、枢機卿は片手を掲げながら宣誓の言葉を読み始めた。
厳かな雰囲気の中、儀式は順調に進んでいると思っていたが、想定外の事態に襲われる。
大聖堂のステンドグラスにヒビが入り、粉々に割れていった。
何事かと戸惑っていたら、祭壇から黒衣の男が飛び出してくる。手にはナイフを握っており、クラウスの心臓を目がけて突き刺そうとした。
「シュヴェールト大公、死ね!!」
クラウスは片膝をついた体勢のまま、レーヴァテインを引き抜き、迫り来るナイフを弾き飛ばした。
それで終わればよかったのだが――。
背後より、猛烈な速さで駆けてくる者がいた。手には、大ぶりの短剣が握られている。
クラウスのマントの上を走り、気付いたときにはすぐ近くまで迫っていた。
あのようにマントを踏んでいては、まともに反応できない。
とっさに、私はクラウスの前に飛び出して行った。
「――っ!!」
短剣はクラウスの背中に突き刺さらず、私の胸に深く刺さった。
ここで、私はすべてを思い出す。
「ああ、あなたでしたの」
私を短剣で刺した者――ヨアヒム・フォン・ディングフェルダーは驚いた表情を浮かべていた。




