キラキラな世界へ目を向けて
母が亡くなったあとの私は、悲しみに暮れていた。
心がヒリヒリと痛んで、涙が止まらなくて、体の一部がぽっかりと空いてしまったような不可解な感覚に陥る。
父は私に時間が経てば辛くなくなるよ、なんて励ましてくれたが、誰かを喪った悲しみは永遠に消えないのだろう。
今でも、母の死について思い出すとじんわり涙ぐんでしまうくらいだ。
大切な誰かを喪った悲しみとは、永遠に付き合っていくのだろう。
ただ、ずっと悲しむばかりではない。
この世界には、母が大好きだった花や木々、生き物、本などが残っている。
ひとつひとつ思い出が残っていて、それは記憶の中でいつまでも輝いている。
それらが、悲しみを暖かなもので包み込んでくれるのだ。
だから、私もクラウスに大好きなものをひとつでも多く遺しておきたい。
私がいなくなっても、彼の心が癒やされるように――。
◇◇◇
今日はクラウスと共に、シルト大公邸を改装して作った養育院を訪問する。
ここ最近、バタバタしていて行けていなかったので、久しぶりであった。
クラウスは初めてである。
「子ども受けはあまりよくないのだがな」
「大丈夫ですわ」
きっとクラウスのことも歓迎してくれるだろう。
養育院には現在、百名ほどの子ども達が暮らしている。彼らの生活を支えるのは修道院のシスターではなく、雇い入れた人達だ。
シスターカミラの運営費の横領が問題となっていたのだが、それは王都にある養育院だけではなかった。他の養育院でも同様の事件が起きていたようで、教会関係者が次々と摘発されたらしい。
事件を受け、国王陛下は養育院の運営を民間へ託すことに決めたようだ。
そんなわけで、シルト大公邸の養育院にはシスターが不在というわけなのだ。
出入り口の門には、騎士が配備されている。日々、子ども達を守っていた。
「ごくろうさま」
声をかけると、騎士は敬礼を返してくれた。
今は勉強の時間のようで、広場は静まり返っている。教師を招き、学校のように勉強を習っているのだ。
これまでの養育院では、特に学習指導などしていなかった。それが原因で、文字すら書けない子ばかりだったのだ。
里親が見つからない子は、十八歳になったら養育院を出て行かないといけない。
けれども、文字すら書けない子ができる仕事は多くなく、限られていたのだという。
彼らの将来について考えた結果、文字書きと計算、それから生きていくための知識を十八歳になるまで叩き込むことに決めたのだ。
座学の時間が終わるまで、庭を散歩する。
クラウスはすっかり様変わりしたシルト大公邸を見て、驚いていた。
「今はこのようになっているのだな」
「ええ」
枯れていた草木は刈り取り、新しい木々を植えた。花壇に咲いている水仙は、子ども達と一緒に球根を植えたものだ。
「クラウス様、ツグミが戻ってきています」
新しく植えた木に、ツグミがちょこんと止まっていた。
チチチチ、という鳴き声と、まるっとしたシルエット、目の上にある眉のような白いラインが愛らしい鳥だ。
「お父さまが再婚してから、寄りつかなくなっていたんです」
鳴き声がうるさいからと、イヤコーベとジルケがツグミに石を投げていたのだ。
本当に罰当たりな母娘である。
「母が鳥のために、木の実をたくさん植えていて――」
ただそれも、イヤコーベが「鳥が集まってうるさいから、伐ってくれ」と庭師に命じ、木の実がなる木のほとんどが伐採されてしまったのだ。
思い出しただけでも、腹立たしい。
「鳥が戻ってきて、本当によかった」
庭を巡っていると、さまざまな鳥と出会った。彼らを驚かせないよう小さな声で喋り、足音にも気を付ける。
「鳥だけでなく、生き物というのは癒やされます」
コルヴィッツ侯爵夫人の庭にはリスが住み着いているようだが、残念ながら一度も会っていない。
「この庭にはかつて、ハリネズミがおりました。とっても可愛かったですよ」
ハリネズミは植物の天敵であるナメクジを食べてくれるので、庭師の間では英雄のような存在だと話していた。
ただ、夜行性なので、しょっちゅう出会えるわけではなかったのだ。
と、ここでハッとなる。自分のことばかりペラペラと喋っていた。
反省しつつ、クラウスを振り返る。
「クラウス様は、何がお好きなのですか?」
「エルーシア」
「あ、ありがとうございます」
そういうことを聞きたかったわけではなかったのだが。顔が火照っているように感じて、指先で冷やしておく。
「わたくし以外で、何がお好きですの?」
「さあ、わからない。これまで、何かに執着することなく生きてきたから」
なんということなのか。好きなものがない、と。
「ただ、この前エルーシアと種を蒔いたダスティーミラーについては、とても気になっている。咲いた花を見るのが楽しみだ」
私の作戦が、功を奏しているようだ。
ならば、この調子で私が好きなものを次々と布教するしかない。
その後、座学を終えた子ども達が広場へやってくる。お菓子を差し入れたと聞くと、大喜びしていた。
クラウスにもすぐに心を開き、今は剣の使い方を習っている。
私は女の子達に囲まれ、髪の結び方を教えていた。今日は三つ編みの編み方について伝授する。
時間はあっという間に過ぎていった。子ども達と別れ、馬車に乗りこむ。
馬車が走り出すと、私はクラウスの髪を手櫛で整える。
「髪が乱れておりました」
「ああ、肩車をしていたとき、髪を掴まれていたからな」
「髪の毛が角のようになっておりましたね」
「まさしく悪魔のようだっただろう?」
クラウスの自称悪魔発言を聞き、笑ってしまう。本人曰く、以前までは悪魔と呼ばれることを気にしていたようだが、最近はどうでもいいらしい。
「エルーシアに出会ってから、周囲の声がどうでもよくなった」
「悪いことはどうでもいいのですが、いいことは聞き入れてくださいね」
でないと、私が死んだあと、再度孤立してしまうだろうから。
見聞を広めて、好きなものをどんどん増やして、人生にもっともっと彩りを添えてほしい。世界には輝いているものが、たくさんあるのだから。
「あの、クラウス様、養育院はいかがでしたか?」
クラウスは腕組みしつつ、本日の感想を口にした。
「今日、初めて任務以外で養育院にやってきたのだが、思いのほか楽しめた」
思いがけず、子ども達から元気をもらったという。
「今後は、エルーシアがいなくとも、ひとりで訪問できると思う」
「それはよかったです」
子ども達との交流も、心の支えのひとつにしてほしい。そう思ったのだった。




