灯火と共に
誰かの高笑いが聞こえた。
倒れたクラウスを前に、ひとり歓喜に震える者がいたのだ。
その声は、誰のものだったか。思い出せそうで、思い出せない。
許せない……絶対に、許せない。
クラウスのレーヴァテインを手に取り、持ち主以外の者が握った代償で全身を切り刻まれながら、私は剣を振り上げる。
だが――刃が届く前に、息絶えてしまった。
「はっ!!」
額に汗をびっしょり掻いた状態で目覚める。
酷い夢をみた。あれは、クラウスを殺した犯人と対峙する夢だったのか。
全身を切り刻まれるときの肉の裂け方や、鋭く走る痛みなど、ずいぶんと現実的な夢だった。
残念なのは、犯人の顔が見えなかったことだ。
「……ふう」
どうやら、ずいぶんと長い時間、気を失っていたらしい。すでに周囲は真っ暗だった。 すぐ近くに人の気配があるのに気付く。マッチで角灯の灯りを付け、顔を照らした。
「クラウス様……」
私の声に反応し、目覚めたようだ。
「エルーシア!」
クラウスは私の手を握り、苦しいところはないか確認する。
「わたくしは平気です」
「平気なものか! ハンカチ二枚を血で染めるほど、吐血したというのに」
医者に診断させたところ、今回も異常なしという診断だったという。
「これだけ血を吐いているのに、病気でないというのはおかしい気がするのだが」
「そういう体質なのでしょう」
手を握り返しながら、どうか心配しないでほしいと伝えておいた。
「わたくしよりも、クラウス様は平気だったのですか?」
ロングボウの矢で胸を狙われたのだ。なんでも六十ヤードほど離れた位置から射ってきたという。
「一射目は完全に不意打ちだった」
クラウスが鹿を追いかけ、並走状態となって剣を振り上げた瞬間、矢が迫ったという。
「エルーシアから貰った懐中時計が、矢を弾いてくれたから、無傷だった」
さっそく、懐中時計が役に立ったというわけだ。ケガもないというので、ホッと胸をなで下ろす。
クラウスはすぐに矢が飛んできたほうに馬を走らせ、逃走していた第三王女の婚約者を捕獲したという。
「そいつはすぐに、ウベルに唆されてやったと吐いた」
近くの狩猟小屋にいると聞きつけたクラウスは、ウベルを捕獲。激しく抵抗したので、殴って大人しくさせたらしい。
そして、犯人達の頭を掴み、引きずりながら戻ってきたというわけだ。
「まさか、王妃殿下だけでなく、エルーシアまで襲撃を受けていたとは……。いったい、何があったのだ?」
「わたくしは」
思い出すだけで、胸がバクバクと嫌な感じに脈打つ。思い出したくもないのだが、ここできちんと打ち明けておいたほうがいいだろう。
「実は……フラヴィ王女殿下に湖へ落とされたのです」
「なっ――!」
王妃殿下の襲撃で気が逸れているうちに鉄球を付けられ、そのまま湖へ沈んでしまったこと。なんとか這い上がったが、第三王女は素知らぬふりをしていたことなど、悪行の数々を打ち明ける。
「王妃殿下を襲撃するように仕向けたのも、フラヴィ王女殿下だと思います」
「それは間違いない」
クラウスの襲撃事件も、おそらく繋がっているのだろう。
「以前、フラヴィ王女殿下と起こした騒動の一件があったので、その場で糾弾しませんでした」
現場に証拠なんてないだろうから、下手に刺激しないほうがいいと思ったのだ。
「ひとまず、国王陛下と王妃殿下に報告しておく。王女のやった凶行についても」
「ええ」
第三王女はすでに、王城へ戻ったという。私達は夜が明けたら、ここを経つ予定らしい。
「そんなわけで、もうひと眠りするように」
「クラウス様もゆっくりお休みになって」
「私はここにいるが?」
それが何か、という目で見下ろす。
「あの、そこではお休みになれないでしょう」
「任務中はいつも、座ったままで眠っている」
殺意を抱く者が接近したら、すぐに目覚めるらしい。
「でしたら、せめてわたくしの隣で眠っていてくださいませ!」
「結婚前に一緒に眠るなんて、できるわけないだろうが」
「今日は特別です!」
ブランケットを捲り、私の隣をぽんぽん叩く。
「ジャケットを脱いで、楽な恰好で眠ってください」
「本気か?」
「本気ですわ!」
クラウスは深く長いため息をつき、私が言ったとおりジャケットを脱ぐ。そして、しぶしぶと布団の中に入ってきた。
こうして顔を向かい合わせて眠るというのは、なんだか照れる。
思っていた以上に、大胆な提案をしたものだと、内心反省してしまった。
「エルーシア、もう苦しいところはないのか?」
「ええ、元気です」
クラウスは私の頬に触れ、目を細める。思いがけず優しげな表情を見てしまい、余計にドキドキしてしまった。
「明日は、王城に戻らず、コルヴィッツ侯爵邸に帰ろう」
すでに王妃殿下に許可は得ているらしい。しばらくコルヴィッツ侯爵夫人のもとで療養するように、と言っていたという。
「わたくし、コンパニオンのお役目から放免されてしまった、というわけですのね」
「元気になったら、王妃殿下から呼び出しを受けるだろう。エルーシアのことを、お気に召しているみたいだからな」
ひとまずゆっくり休むといい、というクラウスの話を聞きつつ、私はまどろんでいったのだった。
翌日――私はコルヴィッツ侯爵邸に帰った。アルウィンとネーネは先に戻っていたようで、玄関で出迎えてくれた。
コルヴィッツ侯爵夫人も、私を見るなりぎゅっと抱きしめ、よく頑張ったと褒めてくれた。
それからというもの、大量の出血が体に大きな負荷を与えていたようで、しばし寝込んでしまった。
何日も熱に浮かされ、意識も曖昧だった。
イェンシュ先生が往診にやってきたようだが、その記憶すら残っていなかった。
自分の体のことなので、なんとなくわかる。私の寿命はそこまで長くない。
おそらく、クラウスが死ぬ未来を変えたあと、とてつもない量の血を吐くだろう。その瞬間に、命が尽きるに違いない。
そんな将来を考えると、このままクラウスと結婚していいのだろうか、と考えてしまう。私と結婚することにより、彼の人生を台無しにしてしまうのではないのか。
以前と違い、今はクラウスのよさに気付いている人々はたくさんいる。
もう、彼を悪魔大公だと陰で囁く者なんていない。
私以外の、可愛らしい女性が彼の隣に立つことを考えると、胸が苦しくなる。
けれども、ずっと一緒にいたいと望んでしまうのは、クラウスにとって呪いとなってしまうだろう。
これまではずっと、自分の幸せだけを考えていた。
命の灯火が消えそうになっているからか、考えが変わってしまう。
今は、クラウスの幸せだけを願いたい。それが、私にできる唯一のことだろう。
◇◇◇
第三王女が画策した事件について、証拠品として、湖に沈んでいた鉄球を回収した。
それが、隣国でのみ製造された物だとわかったらしい。
なんて品を持ち込んでいたのか。謎でしかなかったが、調べたところ侍女の折檻用だったという。
鉄騎隊の調査で同じ品が第三王女の部屋から発見されたということで、確かな証拠となったようだ。
事件に関わっていたウベルは、私と結婚するためにクラウスの命を狙っていたらしい。シルト大公家の財産が目的だったようだ。イヤコーベやジルケが使い尽くしたという話を、信じていなかったという。なんとも呆れた話であった。
ウベルの身柄は拘束され、禁固刑を命じられたという。
少なくとも、三十年は出られないようだ。
私有地での事件の真相を聞いた国王陛下は、珍しく怒りを露わにしたらしい。
隣国の王女だと思って事を荒げず、丁重に扱っていたようだが、堪忍袋の緒が切れたようだ。
国王陛下は王妃殿下との連名で、第三王女を国外追放の刑に処する。
身柄は隣国へ引き渡され、処分を託すという。
すぐに第三王女は拘束され、騎士達の手によって国境へ移送された。その間、第三王女は私や王妃殿下の名を口にし、陰謀だと叫んでいたようだ。
無事、身柄は隣国に引き渡された。彼女に下されたのは、生涯における塔での軟禁生活だという。
二度と、彼女が表舞台に上がることはなさそうだ。
嵐に襲われるような日々は、無事、終わりを告げたのだった。
次回より始まる九章が最終章となります。
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