第三王女の考え
こんな時間に何用だというのか。
王妃殿下ですら、直接会うことを拒否したという話だったのに、私に会いにくるなんて……。
嫌な予感しかしなかったが、一国の王女を追い返すわけにはいかないのだろう。
侍女に髪だけ整えてもらい、ガウン姿のままで第三王女が待つ部屋に移動した。
第三王女は寝椅子に横になり、優雅にワインを飲んでいる。
髪は結わずに垂らしており、肌が透けそうなくらい薄い生地のシュミーズドレスを纏っていた。
「ごきげんよう、エルーシア・フォン・リンデンベルク。いい夜ね」
侍女や護衛を連れずに、単独でやってきたようだ。少し酔っているのか、頬や首筋が赤い。とろんとした目付きで、私を見つめている。
「あの、こちらへはどうやっていらしたのですか?」
王族と王族に準ずる者しか入ることができない階なのに、どういう手段を使って忍び込んだというのか。
「カールハインツ殿下のお部屋に遊びに行っていたの。その帰りに立ち寄ったのよ」
第三王女の言うカールハインツ殿下というのは、国王陛下の弟君である。
既婚者であるカールハインツ殿下と、第三王女が部屋で何をしていたというのか。頭が痛くなるような話を聞いてしまった。
「このお部屋、私のために用意された部屋より豪華だわ。あなた、本当に生意気ね」
「こちらは国王陛下直々に賜った部屋ですの。わたくしが望んで得たものではございません」
「そういうところが生意気だって言っているのよ」
かなり酔っ払っているのか、いつになく喧嘩腰である。
ここで何かトラブルに巻き込まれたら面倒だ。侍女に目配せし、第三王女の護衛を呼んでくるよう命じた。
「ご用件はなんなのでしょうか?」
「ああ、そう! そうだったわ」
第三王女は起き上がり、満面の笑みで信じがたいことを口にした。
「私、シュヴェールト大公と結婚することに決めたの!」
一瞬、聞き違いかと思った。
呆然とする私に、第三王女は重ねて宣言する。
「クラウス・フォン・リューレ・ディングフェルダーは、私の夫になるのよ」
「フラヴィ王女殿下、いったい何をおっしゃっているのですか?」
「彼、王太子よりも魅力的な男性だったの。だから、私のモノにしたくて」
いったい何を言っているのか。欠片も理解できない。
眉間の皺を解しているうちに、そういえばと思い出す。
第三王女の歓迎パーティーのさいに、彼女はクラウスを目にしたのだ。そのとき、頬をほんのり染めていた。一瞬にして見初めたのだろう。
こういう事態を招くのであれば、クラウスは正装姿ではなく、いつもの黒衣でやってきてほしかった。今さら思っても遅いのだが……。
「クラウス様は、わたくしの婚約者です」
「知っているわ。だから、こうして話をしにきたじゃないの。今すぐ、婚約破棄しなさい」
せっかく手にした幸せを、なぜ手放さなければならないのか。彼女の発言から考えに至るまで、何もかもが筋道など何もなくめちゃくちゃだ。
「クラウス様との婚約を、解消するつもりなんてありません」
「あら、いいの?」
「何がいい、とおっしゃるのでしょうか?」
「あなたのお兄さまのこと。もしも婚約破棄したら、黙っておくけれど。もしも応じないのであれば、私、ピクニックでうっかり喋っちゃうかも」
どくん、と胸が大きく脈打つ。
兄が隣国で第一王女に手を出し、妊娠させてしまったという情報は、シルト大公家にとって、とんでもない醜聞である。
鼻つまみ者となるのは私だけであればいいのだが、婚約しているクラウスにも悪影響を及ぼすだろう。
なぜ、兄は迂闊な行動をしてしまったのか。心の中で頭を抱え込む。
「婚約者であるシュヴェールト大公の評判を地に落としてでも、あなたは結婚したいと望むくらい、強欲なのかしら?」
強欲――そうかもしれない。私は未来を変えるために、さまざまなことをしてきた。
本当に彼のことを想うのであれば、婚約を解消すべきだ。
けれども今の私は、何があろうとクラウスと結婚したいと思っている。
自分勝手でしかないので、強欲ほどふさわしい言葉はないのだろう。
「強欲でけっこうです」
「え?」
「わたくしはクラウス様との婚約を解消するつもりはございません」
「あなた、何を言っているの? あなたのお兄さまのせいで、シュヴェールト大公が爪弾き者にされる可能性があるのに」
「わかっております」
私を選ぶか、世間の評判を選ぶか、最終的に選択するのはクラウス自身だ。今、私が脅されるようにして決めることではないことは確かである。
「あなた、信じられないわ! 下品で、欲深くて、自分のことしか考えていない!」
第三王女はふらつきながらも立ち上がり、私のもとへやってこようとした。しかしながら、護衛が制する。
「ちょっと! じゃましないでちょうだい! 私は、この娘の頬を引っ叩かないと気が済まないの!」
ぎゃあぎゃあと騒いでいるうちに、第三王女の護衛がやってきた。
「フラヴィ王女殿下、落ち着かれてください!」
「お部屋へ案内いたします!」
護衛が左右前後に囲み、連行するように第三王女を導いてくれる。
最後に、護衛は会釈したあと扉を閉めた。
はーーーー、と深く長いため息が零れる。
なんというか、突然の嵐に遭ったような疲労感に襲われた。
「みなさん、お騒がせをしました」
「とんでもないことでございます」
ホットミルクでも飲みますか? と聞いてくれたが、アルウィンを抱きしめていたら眠れるだろう。侍女や護衛と別れ、再度眠りに就いたのだった。
◇◇◇
あっという間に一週間経った。
結局、クラウスは仕事が立て込んでいたのか、戻ってきていない。
第三王女との一件があったので、ふたりが会う機会がなくなったというわけだ。ホッとしたような、クラウスと会えなくて残念なような……。気分は複雑であった。
身なりを整えたあと、出発まで少しだけ時間が余った。暇つぶしにクラウスから受け取った手紙を読んでいたら、突然窓が開く。
「エルーシア、帰った」
「なっ!?」
黒衣に身を包んだクラウスが、窓からひょっこり現れたではないか。
心臓が口から飛び出たのではないのか、というくらい驚いてしまう。
「クラウス様!! ここが何階かご存じなのですか!?」
「二階? 三階?」
「六階です!!」
なんでも壁をよじ登ってきたらしい。呆れた話である。
ふと、顔に血が付着しているのに気付いてギョッとした。
「クラウス様、お顔に血が付いております」
「赤いのは返り血だ。なんともない」
ホッと胸をなで下ろす。予知夢で言っていた胸の負傷は、今回の任務のことではなかったようだ。
「どうして窓からいらっしゃったのですか?」
「ピクニックに参加しようと思って、急いでいたから」
「陛下へのご報告は?」
「部下に任せてきた」
返り血をたっぷり浴びたので、お風呂に入りたいと言っている。
第三王女について考えると、そのままでいいのでは、と思ってしまった私は非常に性格が悪いだろう。
「エルーシア、どうかしたのか?」
「いいえ。もうすぐ出発ですので、急いでくださいませ」
「ああ、わかっている」
そんなわけで、クラウスもピクニックに参加することとなった。




