買い出しへ
実家の現状は思っていた以上に酷いものだった。
何から手を付けていいものかわからないという私に、クラウスが指示を出す。
「ひとまずここの部屋をなんとかしなければならない。マリー、手伝ってくれ」
マリーと呼ばれ一瞬ポカンとしたものの、すぐに偽名を思い出す。
私の今の名は、マリー・ローゼだ。そして、クラウスはロビン・ローゼ。設定をしっかり頭に叩き込んでおいた。
「それにしても、酷い部屋ね」
「想像していた以上だな」
「ええ……。そういえばあなた、お掃除はできるの?」
「寄宿学校時代、週に一度自分の部屋を掃除する日があった。洗濯や炊事もできる」
「そうだったんだ」
箱入りのお坊ちゃんだと思っていたが、寄宿学校の指導のかいあって、身の回りのことは自分でできるらしい。
「心配はいらない」
「わかった」
ひとまず窓を広げ、空気の入れ換えをしつつ、掃除を開始した。
もともとここで働いていたので、掃除道具の場所や井戸の位置もしっかり把握していた。
クラウスと協力し、部屋を掃除する。
その間、アルウィンは廊下に避難していた。猫の手を借りたいような状況であるものの、アルウィンは箱入り猫である。掃除なんかできるわけがなかった。
床に水を流し、ブラシで磨くところから始めたのだが、一時間くらいかかった。
クラウスは案外きれい好きのようで、丁寧に掃除していた。私も見習いたいと思う。
部屋にあった布団や毛布はカビがきていて使えそうにない。新しい物を貰う必要があったが、この屋敷にまともな寝具があるとは思えなかった。
「これから街に買いに行くか」
イヤコーベとジルケの夕食もついでに買ってこようという話になり、鍋を借りるために厨房を覗き込む。
「こ、これは……!」
「ここも酷いな」
厨房は洗い物の山ができ、生ゴミを捨てていないのか酷い臭いだった。
床は油でベトベトで、見ているだけで気持ち悪くなる。
アルウィンは不快だとばかりに、「にゃ~~」と低い声で鳴いていた。
「鍋の発掘はできるかしら?」
「街で買ったほうが早い」
そんなわけで、物置に収納されていた荷車をクラウスが引き、街へと出かける。アルウィンは屋敷に置いていかれたくなかったのか、荷車に跳び乗る。
「マリーも乗っていい」
「私は平気よ。商店街まで歩くわ」
「乗ってくれたほうが早く到着するが」
乗れ、と目で訴えるので、荷車に乗る。
がた、と大きく揺れたので、「きゃっ!」と悲鳴をあげてしまった。
「馬車よりも乗り心地は悪いだろうが」
「いいえ、大丈夫。ありがとう。あの、私が乗っていても、重たくない?」
「ぜんぜん重たくない」
「そう、よかった」
巨大猫であるアルウィンは街中で目立たないよう、布を被せてあげた。それが心地よかったからか、すぐに眠ってしまう。
「眠るのだったら、屋敷にいてほしかったのだが」
「一緒にいたかったのよ」
そういうことにしておく。
クラウスの引く荷車に乗り、私達は商店街を目指したのだった。
夕方にさしかかるような時間だったからか、人の行き来が多かった。
まず、明日に使う食材を購入した。野菜に肉、パンにバター、それから私達が使う寝具なども買った。アルウィンが眠る隙間に詰め込んでも無反応だった。
だんだんと私が座るスペースがなくなったので、歩くことにした。
途中、金物店で鍋を購入する。これにイヤコーベとジルケのスープを買って、注いでもらうのだ。
「この鍋、きれいに洗わなくても平気かしら?」
「大丈夫だろう」
ちなみに、食材や鍋はシルト大公家へのまとめ払いにしようと思っていたのだが、受け付けてもらえなかった。
なんでも、イヤコーベとジルケは何度も代金を踏み倒しているらしい。そのため、多くのお店で出入り禁止となっているようだ。
青果店のおかみさんが果物を詰めつつ、謝罪してきた。
「あんた、新顔だろう? 悪いねえ」
「いいえ」
精肉店のご主人はイヤコーベが注文したパーティー用の肉、総額金貨三枚を支払ってもらえなかったらしい。腹いせに毎日ゴミを捨てに行っているようだ。屋敷の周辺にあった腸の謎が解明した。
人の腸でなくてよかった、と心から思う。
「あんた達も、あの屋敷に長居するんじゃないよ。酷い目に遭うから」
「ええ、そうします」
結局、代金はクラウスがすべて支払ってくれた。
日が落ちていくにつれて市場は次々と店じまいし、代わりに食べ物を売る屋台が軒を連ねる。辺りも暗くなっていき、ガス灯がポツポツと灯されていった。
すぐ近くにあった食堂で鶏肉のシチューを購入し、こぼれないよう布に包んでおく。
「次は、俺達の夕食だな」
「ええ。どうする?」
荷物はあるし、アルウィンがいる。食堂に入ってのんびり食事、というわけにはいかないだろう。
「屋台で何か買うか。立ち食いになるけれど、いいのか?」
私は下働きをしていた時は基本、立って食事を取っていた。のんびり座って食べる暇なんてなかったからだ。
そんな事情を打ち明けると、クラウスは険しい表情を浮かべつつ「あの母娘、生かしてはおけない」と物騒な言葉を呟く。
「私はいいとして、あなたは大丈夫なの?」
「俺も、任務中は立ち食いだった」
「なら平気ね」
いったい何を食べようか。大通りにはたくさんの屋台が並んでいた。
「私、こういうところに来るの、初めてなの」
「来たことがあったら、大問題だがな」
「それもそうね」
貴族のご令嬢は、屋台で立ち食いなんてしてはいけないのだ。
今回の潜入任務で、こういう世界があるのだと勉強になったわけである。
屋台には果物に飴を絡めたものに、串焼き肉、肉団子にスープと、さまざまな料理があるようだ。
「どれを食べたい?」
「うーん。正直に言うと、どれがおいしいのかわからないの。だから、あなたが選んでちょうだい」
「わかった」
クラウスが買ってきてくれたのは、ひき肉を包んだ揚げパンに、蒸したジャガイモにチーズソースをかけたもの、それからリンゴにチョコレートを絡めたものだった。
飲み物は葡萄ジュースに香辛料を混ぜたスパイシーなもの。
人が少ない場所まで移動し、温かいうちにいただく。
揚げパンは肉汁が溢れており、あつあつだったので口の中を火傷しそうだった。チーズソースがかかったジャガイモは濃厚な味わいで、あっという間に食べてしまう。
リンゴのチョコレート絡めは見た目ほど甘くなく、リンゴの酸味と相まって、とてもおいしかった。
「マリー、屋台料理はどうだった?」
「おいしかったわ!」
「そうか、よかった」
前髪をかき上げたクラウスは、穏やかな表情だった。普段はクールなので、ときおり見せる優しい声や仕草にきゅんとしてしまう。
今は任務中で、ドキドキしている場合ではないのだけれど。
最後に、香辛料入りの葡萄ジュースで喉を潤す。
ジュースが入っていたカップには代金が含まれており、持ち帰ってもいいらしい。お店に返すと、銅貨一枚半ほど戻ってくるようだ。私達の日給よりも高いカップであった。
「ねえ、このカップ、返してくる?」
犬の絵柄が描かれていて、なかなか可愛らしいカップである。クラウスとは色違いであった。
「いや、いい。どうせ屋敷には、俺達が使えそうなカップなんてないだろうから、そのまま使おう」
「いいわね」
初めて持つ、お揃いのひと品であった。これ以外にも生活に必要な物はありそうだが、そろそろ夕食を持っていかないと文句を言われそうだ。
「もう帰りましょうか」
「そうだな」
クラウスは荷物を整理し、空いた隙間に私を乗せる。そして、クラウスが引く荷車で帰ったのだった。
◇◇◇
帰宅後、食堂で待つイヤコーベとジルケに、街で買ったスープとパン、果物を運んで行く。もちろん、クラウスも一緒だ。
メニューを見た瞬間、ジルケが抗議する。
「なんだ、これだけ?」
言うと思っていた。
食堂にはすでに食材がなく、窯に入れる薪すらなかったのに、どうやって料理を作れというのか。
「ごめんなさい。夕食の材料がなくて、私達が持ってきたもので作ったの」
街に買いに行ったと言ったら文句を言いそうだったので、精一杯用意したことをアピールする。
イヤコーベはスープを一口ズズズ、と音を立てながら飲むと、くすくす笑い始める。
「嫌だねえ。王都で買った食材じゃないからか、あか抜けない味だねえ!」
「本当に! なんなの、この野暮ったさは!」
このあか抜けなくて野暮ったい味のスープは、王都で人気の食堂で買ったものだ。
貴族も訪れるほどの有名店なのだが……。
なんて言ったら、陰険な仕返しをされるに違いない。深々と頭を下げつつ謝罪した。
「あか抜けなく、野暮ったいスープを用意してしまい、申し訳ありませんでした」
私の謝罪を耳にしたクラウスが、イヤコーベとジルケの母娘に背を向け、ぶるぶると震えていた。きっと、笑うのを我慢しているのだろう。
彼女達は文句を言いつつも、パンの欠片ひとつ残すことなく、すべて平らげた。
食器を下げ、階下まで下がった私達は、とんでもない親子だと笑ってしまった。
どうしてだろうか。
イヤコーベとジルケの態度は相変わらずなのに、クラウスと一緒ならばぜんぜん気にならなかった。
不思議なものである。




