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死の運命を回避するために、未来の大公様、私と結婚してください!  作者: 江本マシメサ
第六章 父の死の謎を追って

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変わり果てたシルト大公家

 シルト大公家の門の前まで辿り着くと、なんとも言えない気持ちになる。

 ここは本当にシルト大公家なのか。

 屋敷が見えなくなるほど木々が伸び、鬱蒼うっそうとした雰囲気になっている。塀は汚れているというよりも、汚されたと言えばいいものか。泥や卵などが投げつけられているように見える。

 どこからともなく悪臭がするのは、周囲に捨てられた生ゴミのせいだろう。

 人よりも鼻が利くアルウィンは、不快そうな声で「にゃあ」と鳴く。

 

「あの、もしかしなくても、イヤコーベとジルケは嫌がらせを受けているの?」

「みたいだな」


 中に入ることができないよう、正門は鎖で縛られていた。これはイヤコーベがしたのか、それとも外側から誰かがしたのかは謎である。


「裏口から行きましょう」

「ああ」


 塀に沿ってくるりと回りこむと、今度は別の嫌がらせを発見した。

 木の扉には〝使用人に罪をなすりつけるな!!〟とペンキで書かれている。どうやらこの嫌がらせは、かつてここで働いていた使用人達の仕業に違いない。


 さらに、腸みたいな細長い物が落ちていて、ゾッとしてしまう。人の物でありませんように、と祈るばかりだ。

 いや、人の物でなくても大問題だが。


 中に入ると、雑草だらけの裏庭に言葉を失う。ここでこの有様なのだから、正面にある庭はさらに酷い状態なのだろう。


 他に使用人はいないと思われるので、正面玄関に回りこむ。

 予想通り、かつて美しかったシルト大公家の庭は雑草だらけになっていた。

 それだけでなく、ゴミが持ち込まれて酷い有様だ。悪臭どころの騒ぎではない。

 見ているだけで辛くなるので、なるべく視界に入れないように歩く。

 玄関にはペンキで〝悪女母娘〟と書かれてあった。使用人達はよほど恨みに思っているのだろう。

 その気持ち……よくわかる。

 クラウスが扉を叩くが、反応はない。もう一度、強く叩いたら、二階の窓が開く音が聞こえた。


 何事かと玄関を離れ、二階部分を覗き込むと、空から水が降ってきたではないか。それを被る前に、クラウスが私を抱き寄せてくれた。


 ばしゃりと音を立てて、水が地面に広がる。

 よくよく見たら水ではなく、水で薄めたペンキだった。こんなものを二階からぶちまけるなんて、どうかしている。

 

「金を借りた男は死んだよ!! さっさとお帰り!!」


 イヤコーベの威勢がいい声が庭に響き渡る。元気に暮らしているようだった。

 どうやら借金取りと勘違いされているようなので、誤解のないように弁解しておく。

 

「あの、私達は借金取りではないわ」


 今日からここで働く者だと訴えると、イヤコーベは「そこで待ってな!」と叫んだ。

 人違いしてしまった件に関しての謝罪は一言もなかった。


 待つこと十分――イヤコーベとジルケがやってきた。

 父が生きていた頃は大人しめの恰好だったが、今は赤や黄色といった派手な装いでいる。

 夫が亡くなった妻は、最低一年間は喪服で過ごすというのに。中には生涯、喪服しか着ない貞淑な妻もいるという。 

 それに比べてイヤコーベときたら……呆れて言葉も出ない。

 着ているドレスはどこか安っぽい。いいドレスを買うお金すらないのか。


「ふうん、あんたらがローゼ夫妻か」


 イヤコーベとジルケは不躾すぎる目で私達を見る。

 変装は完璧なのでバレないだろうが、こうしてジロジロ見られるのは居心地が悪い。


「パッとしない、あか抜けない夫婦だねえ」

「本当に。っていうか、なんか臭うんだけれど!」


 臭うのは庭に投げ捨てられたゴミのせいで、私達から臭っているものではない。

 けれどもぐっと我慢し、申し訳ないと頭を下げる。

 それにジルケが気分をよくしたのか、さらに見た目を非難し始めた。


「女のほうはやせっぽっちで、男のほうはガタイはいいが不細工だ」


 クラウスが不細工だって!?

 彼の端正な顔立ちを知らないので、そんなことが言えるのだろう。

 好みの問題もあるだろうが、私は社交界でクラウス以上の美形を知らない。

 ジルケとは趣味がこれっぽっちも合わないのだろう。


「いいや、ジルケ、男のほうは案外見所がある。磨いたらよくなりそうだ。男の――名前はなんだったか?」

「ロビン」

「そう、ロビン。こっちにきて、顔をよく見せるんだ」


 呆れた。他人の夫に色目を使うなんて。

 ぎゅっと拳を握った瞬間、玄関の前で大人しくしていたアルウィンが中へ入ってくる。


「にゃ~お」

「ぎゃあああ!! 猫!!」


 イヤコーベは素早く背後に跳び、ジルケの背後に隠れる。


「ちょ、ちょっと、あたしも猫は得意じゃないんだけれど!」

「いいから、そこに立ってな!」


 相変わらず、イヤコーベは猫が苦手なようだ。

 

「そ、その猫はなんなんだ!?」

「私達の家族よ。田舎から、連れてきたの」

「お、追い出しなさい! 今すぐに!」

「それは無理な話だわ。この猫は、家族なのよ」

「猫が家族なわけない!!」


 イヤコーベは否定するが、アルウィンは正真正銘、私とクラウスの家族だ。


「その猫を追い出さないと、あんたら夫婦も家に入れないよ!」

「だったら――」


 クラウスのほうを見ると、こくりと頷く。

 回れ右をして屋敷から出て行こうとしたら、イヤコーベは慌てた様子で引き留める。


「いや、待て! どこに行くんだ!」

「だって、猫は入れないと言うので、別の職場を探そうと思った次第で」


 別の職場、と聞いたイヤコーベはさらに焦った表情を浮かべる。


「いや、あんたら夫婦みたいな田舎者を雇う家なんて、ここ以外ないんだよ」

「そうよ!」


 母娘が強気になってきたこの辺で、引き下がろうか。


「だったら、猫を認めてちょうだい。お願いよ」

「そ、それは、認められない、けれど」

「給料は一日、半銅貨でいいから」


 その言葉に、イヤコーベの眉がピクリと動く。

 借金まみれで、資金繰りにも困っているはずだ。この値段交渉は彼女達にとってかなりおいしいだろう。


「そうだね。半銅貨ならば、その猫を入れていいよ」

「ありがとうござ――」

「ただし、二度と私の目の前に連れてくるんじゃないよ!」


 イヤコーベは吐き捨てるように言い、あとの世話をジルケに命じる。

 使用人の監督責任を任されたことが嬉しいからか、ジルケはにやついていた。


「じゃあ、あんた達の部屋に案内するよ」


 ジルケが連れてきた先は、階下にある使用人用の仮眠室だった。埃被っていて、長い間使っていないことがわかる。アルウィンは埃を吸ってしまったのか、くしゃみをしていた。


「ここで、夫婦仲良く暮らすんだよ」


 夫婦仲良く――と言われ、今さらながらハッとなる。夫婦設定なので、クラウスと共同生活をしなければならないようだ。

 よくよく見たら、寝台はひとつしかない。ふたり用みたいだが、ここにクラウスと眠らないといけないのか。

 まだ結婚していないのに、夫婦として暮らさないといけないなんて。とんでもない任務を引き受けてしまった。


「本格的な仕事は明日からでいいよ。今日のところは洗濯とあたし達の部屋の掃除、それから夕食を用意してくれ」


 十分、本格的な仕事だったが、私は笑顔で「ええ、わかったわ」と言葉を返した。


「わかったわってあんた、言葉遣いがなっていないね!」

「言葉遣いなんて習っていないもので。よかったら、正しい言葉遣いを教えてくれない?」


 ジルケは礼儀作法を習っていたはずだが、身についていないようだった。

 私が正しい言葉遣いを教えてくれと言っても、言葉に詰まっている。


「あんたみたいな使用人が、貴族の言葉を使いたいなんて生意気なんだよ!!」


 ジルケは吐き捨てるように言い、部屋から去って行った。 

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