新たな任務
それはシルト大公家で働くための条件が書かれていた。
給与は一日銅貨一枚、仕事内容は家事全般、事務作業。住み込み可で、休日は十日に一回。
「こ、これは……」
「酷い条件だろう? これまでひとりも応募がなかったらしい」
下働きのメイドでも、半銀貨ほどは出る。年収にして金貨十枚ほどだ。銅貨一枚なんて、奴隷扱いもいいところだ。
まあ、私は銅貨一枚すら受け取らずに、花嫁修業と称してひたすら働いていたのだが。
「シルト大公の殺害及び、財産の横領についての証拠は、屋敷の中に隠されているに違いない」
騎士隊が家宅調査をしたようだが、そのときは見つからなかったようだ。
「しかし、イヤコーベやジルケが、騎士隊の厳しい調査をかいくぐり、上手く立ち回れるほど器用ではない気がするのですが」
「十中八九、ずる賢い協力者がいるに違いない」
「ああ、なるほど」
「そこで、だ――」
クラウスはさらに二枚の書類を私の目の前に出す。
それはシルト大公家で働くための、ふたり分の採用通知書であった。
ひとりはマリー・ローゼ、十八歳。もうひとりはロビン・ローゼ、二十歳。
ふたりは夫婦で、住所は王都から遠く離れた辺境にある小さな村であった。
「彼らに、潜入調査を頼むのですか?」
「いいや、潜入するのは私達だ」
実在しない人物を作って申し込んだらしい。面談など特にないまま、採用通知が届いたようだ。
「変装し、シルト大公家に使用人として潜入する。その中で、証拠を探したい」
「クラウス様、わたくしも行きたいです!」
「そう言うだろうと思って、ふたり分用意していただろうが」
「最初から、わたくしを連れていってくださるおつもりだったのですか?」
「そうだ」
住み慣れた私だからこそ、気づける違和感もあるのだろうと判断してくれたらしい。家で大人しくしているように言われるものだと思っていたのだが。
私を鉄騎隊の一員として扱ってくれるのか。そうだとしたら、これ以上嬉しいことはないだろう。
「クラウス様、ありがとうございます」
「ただ、ひとつ約束してほしい」
「なんですの?」
「可能な限り、私の傍から離れないように」
「それはもちろんです」
ただ働くとなれば、ふたり一緒に、というわけにはいかないだろう。
その点は、クラウスも考えていたようだ。
「アルウィンも連れていく。そうすれば、エルーシアにべったりだろうから」
家にいるとき、アルウィンはいつも一緒だ。今はお昼寝の時間なのでいないが、起きている時間は私から離れない。
アルウィンは普通の猫よりも一回り以上大きいので、連れて歩くだけでも頼りになるだろう。
「猫はイヤコーベが嫌がると思うのですが」
「あの者は、猫が嫌いなのか?」
「ええ、まあ」
以前、屋敷に鼠が出たときに、ヘラが「猫でも連れてきましょうか?」なんて提案をした。そのさいに、イヤコーベは顔を引きつらせながら「冗談じゃない!」と激昂したのだ。
なんでも幼少期に猫に引っ掻かれて痛い目に遭ったことがあるようで、苦手意識があるらしい。
「猫の連れ込みを禁じるようであれば、今回の話はなかったことにと引き下がればいい。あの母娘はすでに後がないから」
「後がない、というのは?」
「職業斡旋所に求人登録金を払っていなかったらしい。最後までしらばっくれたものだから、出入り禁止になったようだ」
「でしたら、もう使用人の求人は出せない、というわけですのね」
「そうだ」
なるほど。イヤコーベとジルケ母娘にとっては、使用人としてやってくる私達は逃がしたくない相手だというわけなのだ。安心して、アルウィンを連れていけるというわけである。
「話はシルト大公家への潜入についてに戻るのだが――」
シルト大公家に紛れ込むさい、変装をするという。
特に私はバレないように、徹底的に姿を変える必要があるのだ。
「瞳の色を誤魔化すために色入りの眼鏡をかけて、髪は目立たない色で染めてもらう」
「でしたら、わたくしは黒にしますわ。クラウス様とお揃いです」
「いや、私も別の色に染めるつもりなのだが」
「お揃いで行きましょうよ」
クラウスは社交場に出入りしていないため、顔が割れていない。前回、社交界デビュー用の夜会に現れたときも、頭巾を深く被っていた上に顔は血まみれだった。
ジルケもはっきり記憶していないだろう。
「真っ黒い髪をした悪魔夫婦が、悪行を重ねる母娘を追い詰める――なんて、ぴったりだと思いません」
「言われてみればそうだな」
シュヴェールト大公となったクラウスが、一日銅貨一枚での労働を受け入れ、シルト大公家にやってくるなんて、夢にも思っていないだろう。
そんなわけで、さっそく準備に取りかかる。
私は侍女達に髪を染めてもらい、変装用の化粧を教えてもらう。
「そばかすを書くならばこちらの化粧品がよろしいかと」
「この白粉は顔色を悪く見せる効果がございまして」
なんだか楽しそうに、いろいろ教えてくれた。
そんな様子を、アルウィンは寝転がりながら見ていた。
私やクラウスだけでなく、アルウィンも黒だ。もしかしたらイヤコーベは、悪魔みたいな猫だと言うかもしれない。
私にとっては、天使のように愛らしい猫ちゃんなのだが。
二時間後――髪はきれいな黒に染まる。
「ああ、エルーシア様の美しい金の御髪が……」
「しかし、黒もお似合いです」
「ありがとう」
鏡で見た黒髪の自分は悪くなかった。これに加えていつもと違う化粧を施したら、別人のようになるだろう。
髪は野暮ったく三つ編みのおさげにし、使い込まれたシャツにワンピースを合わせ、その上からエプロンをかけた。
「どうでしょうか?」
侍女達を振り返ると、微妙な表情でいる。上手く変装できている証拠だろう。
アルウィンはベルベットのリボンを解く。こんなものを結んでいたら、お金持ちに飼われている猫のようだから。
リボンを外したアルウィンは、普段よりも野性味が強く見えた。
私達だけでなく、アルウィンも潜入のために変装するのだ。
住み込みで働くので荷物をまとめ、アルウィンと共に裏口に向かう。
そこには、変装したクラウスの姿があった。
「まあまあ、どなたかと思えば――!」
目元は前髪で隠し、髪はぼさぼさ。襟や裾がよれたくたびれたシャツに使い込んだズボン、汚れたブーツを合わせた姿でいるクラウスが佇んでいた。
「クラウス、別人のようですわ」
「エルーシアも」
差し出された手を握ろうとしたら、そちらではないと言われてしまう。
「鞄のほうを寄越せ」
「そういうことでしたのね」
「喋りもどうにかしないと、バレる」
「わかりま……わかった」
ジルケやヘラが使っていたような、無骨な喋りや振る舞いを心がけないといけないようだ。
コルヴィッツ侯爵夫人も、見送りにきてくれた。
「ふたりとも、気を付けてね」
任務について詳しく話せないのだが、追及することなく送り出してくれた。
おそらく、そんなに長くはいないだろう。そう伝えると、コルヴィッツ侯爵夫人は淡く微笑んでくれた。
「行くぞ」
「はい」
馬車乗り場まで歩き、乗り合いの馬車に乗ろうとしたのだが、アルウィンは乗れないと言われてしまった。
仕方がないので、徒歩で向かうこととなった。




