新たな騒動
クラウスとの共同生活は、思いのほか穏やかであった。
彼は家のことを任されているようで、毎日大量の書類が運ばれてくる。
それをこなすクラウスの部屋で、私とアルウィンがのんびり過ごすというのがお決まりであった。
今日はコルヴィッツ侯爵夫人と一緒に、アルウィンの抜けた冬毛で羊毛フェルトならぬ、猫毛フェルトを作った。
アルウィン専属メイドが梳ったときに毛が抜けるのだが、その毛を集め、一度きれいに洗う。しっかり乾かしたものを素材として使うのだ。
小さく丸めてニードルをグサグサ刺していると繊維同士が絡まり合い、収縮して固まる。 核となる玉が完成すると、毛を重ねてニードルで刺しつつ、どんどん大きくしていくのだ。
最終的に完成した猫毛フェルト玉は、アルウィンの遊び道具となる。
玉を投げると、犬のように後を追い、回収してくるのだ。
そして、また投げてくれと瞳を輝かせるのである。
猫毛フェルト玉はアルウィンが豪快に遊ぶので、三日ほどで破壊されてしまう。
替えを用意するために、私とコルヴィッツ侯爵夫人はせっせと作っているのだ。
太陽が沈み、月が輝く夜――クラウスの部屋の灯りが灯っているのに気付く。
思わずアルウィンのほうを見ると、まだ働いているね、と言わんばかりに「にゃあ」と鳴いた。
厨房に行って蜂蜜入りのホットミルクを作ってもらう。
アルウィンも興味津々だったが、猫は牛乳を飲むとお腹を壊してしまうと聞いていたのでお預けだ。
従僕が運ぶと名乗りでてくれたものの、少し話したいと思って、私が運ぶことにした。
クラウスの部屋の前で、ハッと気付く。両手が塞がっているので、扉を叩けない。
どうしようかと考えていたところ、アルウィンが扉を爪でカリカリ掻いてくれた。
すぐに、扉が開かれる。
「アルウィンかと思ったら、違う猫だったか」
「わたくしは猫ではありませんわ」
本当に猫だったら、どれだけ自由気ままで幸せだったか。アルウィンの暮らしを見ていると、たまに羨ましくなるくらいだった。
アルウィンは私よりも先に部屋へ入り、クラウスが座っていた執務用の椅子を陣取る。
ここは仕事をするだけの部屋なので、他に椅子はない。
仕方がないので、クラウスと共に窓辺に腰かけてホットミルクを差し出した。
「なぜ、ホットミルクなんだ?」
「ラウ様を寝かせようと思いまして」
そろそろおねむの時間だと言うと、盛大なため息とともにカップを受け取ってくれた。
「ご実家のお仕事、大変ですの?」
「いや、これは鉄騎隊の報告書だ」
なんと、クラウスは鉄騎隊の隊長を三年前から務めていたのだという。
彼を含め、五名で構成されている少数精鋭らしい。
「頭が痛くなるような情報が届いたから、どうしたものかと考えていた」
「でしたら、ホットミルクは最適でしたね」
ホットミルクには心を落ち着かせる作用があると、昔乳母が話していたのだ。
クラウスはホットミルクを飲み、険しい表情で「甘ったるい」と呟く。
鉄騎隊の内部情報については聞かないようにしていたのだが、クラウスは私に報告書を手渡す。そこには、信じがたいことが書かれていた。
シュヴェールト大公家の秘宝レーヴァテインの複製品が、裏社交界の闇オークションに出品されるという。
まさか本物のレーヴァテインが盗まれているのではないか、本物を見せてくれと鉄騎隊の隊員が言ったところ、複製品など知らないと追い返されてしまったらしい。
「闇オークションは明日の晩開催される。裏の伝手で、招待状を入手しているのだが、同伴者が必要だ」
クラウスはじっと私を見つめる。
ここで、彼が鉄騎隊の内部情報について話した理由を察した。
「わたくしが同行すればよいのですか?」
「そうだ」
鉄騎隊に女性はいないようで、どうしようかと頭を悩ませていたらしい。
「他の隊員は、屈強な男ばかりだ」
そのため、クラウスが女装したほうがいいのではないか、という声が上がっていたらしい。
「しかし、ラウ様もなかなか屈強に思えるのですが」
「他の隊員に比べたら華奢に見えるだけで、女装したら目も当てられないような姿になっただろうな」
以前、賭博場に潜入したときの私の堂々としすぎていた振る舞いを思い出し、任務の相棒として抜擢してくれたようだ。
「レーヴァテインを落札するためだったら、いくらでも賭けていいらしい」
支払ったお金は、闇オークションを摘発するのですぐに取り返す予定だという。
「この世にひとつしかない、一族の宝を複製するのは禁じられている。本物であっても、シュヴェールト大公家から盗み出したことになるから、どちらにせよ罪になる」
知らぬ間にとんでもない事態になっていたものだ。ホットミルクを飲んで、心を落ち着かせる。
「明日は頼む」
「お任せください」
そんなわけで、明日の晩は裏社交界の闇オークションに参加することとなった。
◇◇◇
変装をするため、夕方から準備が始まる。
濃紺色の波打った長い鬘に、胸が大きく開いたサファイアブルーのドレスを合わせる。
化粧は濃い目にして、普段と異なる印象に仕上げてもらった。
一方で、クラウスは灰色の鬘に口髭を付け、エナメルブルーカラーの燕尾服姿で現れた。
とある富豪の名義を借りているようで、姿も本人に似せて装ったという。
私はその富豪の愛人役というわけだ。
「相変わらず、上手く変装できているな」
「侍女達の腕が素晴らしかったので」
化粧映えする顔だと言いたいのだろうが、侍女の手柄にしておいた。
「私達の周囲にいる参加者は、鉄騎隊の者達だ。だから何かあっても、心配いらない」
騎士隊の者達も会場周辺に配置されているようで、すでに摘発する準備はできているようだ。
「昼間、ゲレオンに会ってレーヴァテインを見せるように言ったのだが、拒否された。おそらく、盗まれたのを隠したいのだろうな」
「そうでしたのね。しかし、いったい誰が持ち出したのか」
「ゲレオンではないことは確かだ」
レーヴァテインが盗まれて、焦っているように見えたという。
闇オークションに出品されるレーヴァテインは本物だろう、とクラウスは確信しているようだ。
「さあ、行こうか」
クラウスが差し出した手に、そっと指先を重ねる。
レーヴァテイン奪還作戦が開始された。




