ヒンドルの盾
兄の血さえあれば、ここが開くと思っていたのに。
クラウスは魔法陣を凝視し、書かれていた古代文字を読み上げる。
「扉を開けるのは、今を生きる正統な継承者のみ――」
「ええ。ですから兄の血を用意していたのですが」
ハンカチの状態は、予知夢でみた物と変わらない。濡れた血でなければならないという決まりではなかったはずだ。それなのになぜ開かないのか。
「もしかしたら、バーゲンはシルト大公の継承権を失っていたのかもしれない」
「失う? それはどうして?」
「国内にいないことが最大の理由だろう」
「そういうわけでしたか。魔法陣には今を生きる継承者のみとあるので、すでに亡くなった父の血では開けることはできないのでしょうね」
「そうみたいだな」
ヒンドルの盾を奪ったのは、兄が亡くなってからだと思っていた。予知夢は時系列がめちゃくちゃなので、私もはっきり出来事の経過を把握していないのだ。
兄は隣国で終身刑を言い渡されている。このまま放置していたら、誰の手にも渡らないのでは? と思う一方で、兄がなんらかの手段で帰国したら、あっさり開けられてしまうだろう。
どうにかして、今日のうちに持ち出さないといけない。
「どうしましょう。ラウ様、この扉をこじ開けることはできて?」
「可能だろうが、無理矢理入った場合、ヒンドルの盾は侵入者を拒絶するだろう」
「拒絶、ですか」
「ああ。レーヴァテインにも、継承者以外が触れたら、斬りつけられてしまうという、恐ろしい謂われがある」
ウベルが侵入したときも、ヒンドルの盾に触れた瞬間、砕けてしまった。
それが、クラウスが言っていた拒絶というものなのだろう。
「エル、お前の血で開けられるのではないのか?」
「わ、わたくしの血ですって?」
たしかに、私は父――シルト大公の血を引いているが、継承権は持っていない。
シルト大公の爵位とヒンドルの盾を手にする権利は、直系男子にのみあるのだ。
「試してみろ。ほら」
そう言って、短剣を握らせる。
私の血で開くわけがないのに、クラウスは早くするようにと隣で急かす。
「わたくしの血で開くわけがないのに」
「いいからやってみろ」
他に手段など思い浮かばないので、イチかバチかで試してみることにした。
震える手で、ナイフを引き抜く。
手のひらに刃を当てようとしたら、クラウスが手首を掴んで阻む。
ぐっと接近し、耳元で囁いた。
「たくさん切る必要はない。刃の先で引っ掻くだけにしておけ」
「あ……はい」
クラウスの助言がなかったら、手のひらをサックリ切るところだった。
「やろうか?」
「いいえ、自分でできます」
意を決し、手のひらを少しだけナイフで引っ掻く。
チクッとした痛みと共に、小さな傷口から血が滲んだ。
それを、魔法陣へ押しつける。
開くわけがないと思っていたのに、魔法陣が突然発光したではないか。
同時に、ガチャンという、鍵が開くような音が聞こえた。
私は思わず、クラウスの顔を見る。彼がこくりと頷いたので、ドアノブを捻った。
すると、扉が開いたではないか。
「やはり、開いたか」
「ど、どうして、わたくしでも開けられるとわかっていたのですか?」
「もともと継承権は、男女ともに持っているという話を聞いたことがあったから」
女性は結婚し、男性は家に残ることが多かった。そのため、時代の移り変わりと共に継承権を持つのは男性のみだと思い込むようになっていったのかもしれない。
扉を開いた先は小部屋となっていた。中心には台座が置かれ、その上に金色の輝く盾が鎮座している。
「これが、ヒンドルの盾、ですの?」
「みたいだな」
予知夢では、ウベルが触れた瞬間に壊れてしまった。私もそうなるのではないかと、戦々恐々してしまう。
「何をしている。早く手に取れ」
「しかし、触れた瞬間、壊れてしまったらどうしようかと思いまして」
「その時はその時だ」
クラウスから背中を押され、ヒンドルの盾の前に行き着く。
洋凧みたいな形の、大型の盾だ。
私が持ち出さなければ、悪人達の手に渡ってしまう。
覚悟を決め、ヒンドルの盾に触れた。
その瞬間、ヒンドルの盾は眩く光り輝く。
「くっ――!」
「エル!」
倒れそうになったものの、クラウスが体を支えてくれた。
光が収まったのを確認し、瞼を開く。
「え!?」
「これは?」
信じがたいことに、先ほど台座に置かれていたヒンドルの盾がなくなっていた。
夢でみたときのように、崩壊したわけではない。
ならば、どこに行ったというのか。
「正統な継承者ではないわたくしが触れたから、なくなってしまいましたの?」
「そんなわけない」
クラウスはきっぱりと言い切ったが、私のせいでヒンドルの盾がなくなったのは明白だろう。
「別の場所に移動したのかもしれない」
「ど、どちらに?」
「そこまではわからない」
大変なことをしでかしてしまった。これでは、ヒンドルの盾を壊してしまったウベルと同罪だろう。
シルト大公家はヒンドルの盾を失ってしまった。やはり、運命は変えられないのか。
「気にするな」
「しかし」
「ヒンドルの盾はかならずどこかにある。エルの気が済むまで、一緒に探してやるから」
「……はい」
今日のところは戻ろう。そう言って、クラウスは私の肩を抱き、地下部屋から脱出する。
地下であれこれしている間に、使用人達はいなくなっていた。
帰りは裏口から抜け、馬に乗ってコルヴィッツ侯爵邸へと戻る。




