クラウスとの再会
春の風物詩とも言えるホワイトアスパラは、コルヴィッツ侯爵夫人の大好物らしい。
毎年、初採れのホワイトアスパラを食べる晩餐会を開いているようだ。
「いつもは夫と愛人達をご招待しているんだけれど、今回はエルーシアさんとクラウスだけにしておいたわ」
「あ、ありがとうございます」
コルヴィッツ侯爵だけならばまだしも、愛人達までも招いているなんて。なんて懐が深い御方なのか。改めて尊敬してしまう。
「エルーシアさん、あまり大きな声では言えないのだけれど、愛人の管理も貴族に嫁いだ妻の務めなのよ」
愛人がみすぼらしい恰好をしていたら、家の評判にも繋がるらしい。
「あちらの家のご当主は、愛人にお金をかける余裕もないのかと、嫌みったらしく陰口を叩かれるの」
愛人にきちんとした身なりをさせ、苦労のない暮らしをさせるよう、妻がきちんと監督するのだという。
「妻公認の愛人、というのがもっとも大事なポイントかしら」
「なるほど。存在を認めることで、妻と愛人の力関係が明らかになる、というわけなのですね」
「ええ、そうなの。さすがエルーシアさん。よく気付いたわね」
愛人の下克上というのも、貴族社会では珍しくないらしい。
妻よりも愛された愛人は、態度を増長させ、ゆくゆくは妻の座を乗っ取ろうと画策する。
ただ、貴族の離婚は基本的に許されていない。そのため、暗殺を計画する狡猾な者もいるという。
「妻の監督のおかげで自分達の待遇がよくなったら、文句なんて出ないわ。だから、こうやって定期的に彼女達に会うのは大事なことなのよ」
「勉強になります」
鉄騎隊に所属し、忙しい毎日を過ごすクラウスが愛人を迎えるという将来は想像できない。けれども、万が一のことがあるので、コルヴィッツ侯爵夫人の教えは頭に叩き込んでおいた。
「今年は久しぶりに、ホワイトアスパラの晩餐会が楽しめそうだわ」
「私もです」
何を隠そう、この国の人達は春の訪れと共に旬を迎えるホワイトアスパラが大好き。最盛期を迎えると、市場は早朝に収穫されたばかりのホワイトアスパラの白で埋まる。それが、お昼前には売り切れてしまうのだ。
母が闘病生活に入ってからというもの、ホワイトアスパラは食卓に上がらなかった。そのため、食べるのは久しぶりだ。心から楽しみにしている。
コルヴィッツ侯爵夫人と別れ、身なりを整えていると、クラウスがやってきたと告げられる。
大急ぎで仕上げてもらい、晩餐会の前に話す時間を作ってもらった。
久しぶりに会ったクラウスは、私に会うなりため息を吐く。婚約者に見せていい表情ではなかった。
「ラウ様、お久しぶりですわね」
「ああ」
ため息の仕返しだとばかりに隣に腰かけた。クラウスの右眉がピクリと反応しただけで、嫌がる素振りは見せない。ギョッとするくらいの反応が欲しかったのだが。
「晩餐会、いらっしゃるとは思っていなかったので、驚きました」
「来るつもりはなかったのだが、文句を言おうと思って」
「文句?」
クラウスが懐から折りたたまれた新聞が出される。
「あら、そちらは……なんでしょうか?」
「でっちあげ記事が掲載された新聞だ」
寄宿学校にいるクラウスには伝わらないだろう、とコルヴィッツ侯爵夫人が言っていたのだが、しっかり本人にまで伝わったようだ。
「どうせ、お祖母様と結託して考えたものなんだろう?」
すべてお見通しというわけだ。さすが、若年ながらも鉄騎隊の一員に選ばれるだけある。
ただこの記事は、クラウスの評判をよいものへと移行するものでもあった。コルヴィッツ侯爵夫人はクラウスが悪魔公子と呼ばれていることに関して、よく思っていないのだ。
ロマンス記事のおかげで、クラウスは残酷極まりない血も涙もない男という印象が、見た目はクールだが、愛情深く心が熱い男、というイメージに変わりつつあるらしい。
「わたくし、ロマンス小説が大好きで、ついつい脚色を加えてしまいましたの」
そう口にした瞬間、クラウスは私の顎を掴み、上を向かせる。
親指で唇に触れて――キスをする。これは、記事に書かれていた内容である。
「書かれてあったことを、本当にしてやろうか?」
「も、申し訳ありません」
別に自分の願望を打ち明けたわけではないと、必死になって弁解する。
クラウスは私の唇に親指を押し付けたまま、真っ赤な瞳で見下ろしていた。
彼は革手袋を嵌めているので、直接触れているわけではない。けれども、心臓は早鐘を打っていた。
「この記事のせいで、ウベル・フォン・ヒンターマイヤーや、お前の兄にしつこく絡まれた」
「まあ! ウベルとお兄さまが!?」
いったい何を物申したというのか。頭が痛くなるような話である。
なんでもウベルは私との婚約を解消してくれないか、と訴えたらしい。
私との結婚にこだわる理由は、シルト大公家の財産が欲しいからだろう。その計画を遂行するために、父と兄を亡き者にまでしたのだ。
「お前の兄、バーゲン・フォン・リンデンベルクは、婚約の話なんて聞いていないとうるさく言ってきた」
それに関しては、私が悪かったとしか言いようがない。
「ラウ様への配慮が足りていなかった、と反省しております」
「言い訳はそれだけか?」
「ええ」
クラウスは私から離れ、はーーと盛大にため息を吐く。
「家族に婚約の報告をするのは父親の仕事だろうが。記事についても、お祖母様の主導で書かせたものだろう? なぜ、それを言わない」
「わたくしもこういう記事があったほうがよい、と思ったからです」
「それは、私の社交界での評判が悪いからか?」
顔をゆっくりゆっくり逸らしていったのに、頬を潰すように掴まれてしまった。
こういった酷い場面は、記事になかったはずなのだが。
「お前は何を考えている。私をどうしたい?」
クラウスの手を払い除け、彼をまっすぐ見つめる。問いかけに対する本心を、そのまま伝えた。
「わたくしは、ラウ様をお助けできるような存在でありたいと思っています」
「余計なことはしなくてもいい」
「余計かどうかは、わたくしが決めることですので」
「あくまでも、こちらの意思は無視するというわけか」
「それをすることによって、ラウ様が喜んでくれるとか、頼りにしてくれるとか、そういった好意的な反応は求めておりませんので」
クラウスは呆れた、と言わんばかりのため息を返す。
会話が途切れたので、ここぞとばかりに本題へと移る。
「シュヴェールト大公が、代替わりされたのですね」
「それがどうした」
「新しいシュヴェールト大公はどのような御方なのかと思いまして」
クラウスは腕を組み、眉間にぎゅっと皺を寄せている。
「正直なところ、大公の器ではない、と考えている。レーヴァテインも抜けなかったようだし」
剣の一族であるシュヴェールト大公家に伝わる、伝説の武器レーヴァテイン。
それは、ふさわしい者にしか使えないという噂があった。
「本当に、認められた者にしか使えませんのね」
「ああ」
爵位の継承式典というのは、深夜にこっそりと執り行われるのだという。
そのさいに、レーヴァテインを引き抜く儀式を行うのだとか。
「従兄殿は、先代が生きているから抜けなかったのだ、と言い訳をしていたのだがな」
儀式は形式的なもので、レーヴァテインが抜けないからといって新たな当主と認められなかった、というわけではなかったようだ。
「儀式に参加されていた陛下は、私が当主をしたほうがマシなのではないか、と言っていた。そう思ってしまうのも、無理はないだろう」
国王陛下の言葉に関して、クラウスは否定していたようには思えない。しかるべき状況が訪れたら、爵位を継承するつもりだ、という意味合いに思える。
ならば、私が介入し、未来を変える必要はないというわけだ。
ずっと気になっていたことがわかったので、すっきりした。




