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死の運命を回避するために、未来の大公様、私と結婚してください!  作者: 江本マシメサ
第四章 婚約期間の始まり

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侯爵邸での平穏な日々

 イェンシュ先生が往診にやってきて、しばし安静にしていたほうがいいという診断を出した。

 もう平気だから、ミミ医院で働きたいと訴えても、ダメだと言われた。


「自分が元気だと思い込んでいる点が、もっともよくない部分です。あなたはしばし、コルヴィッツ侯爵夫人と共にのんびりお茶を飲みながら、楽しく過ごしてください」


 イェンシュ先生曰く、私がもっとも患っているのは心だという。

 それはどんな薬も効かないようで、時間だけが解決してくれるだろう、と言っていた。

 十日ぶりに会ったユーリアは私を抱きしめ、遊びにやってくる約束をしてくれた。


「エルーシア、元気になったら、また一緒にイェンシュ先生をお助けしましょうね」

「ええ」


 というわけで、しばらくコルヴィッツ侯爵邸で大人しくしているしかないようだった。

 それからというもの、私は信じられないくらい平穏な毎日を過ごす。

 今日はコルヴィッツ侯爵夫人と共に庭を少しだけ散歩し、サンルームでのお茶会に誘われた。

 暖かな太陽の光が差し込む温室には、冬薔薇ふゆそうびが咲いている。ため息がこぼれるほど美しい空間であった。

 そこで、コルヴィッツ侯爵夫人が淹れてくれた紅茶を飲む。

 侯爵夫人にお茶を淹れてもらうなんてとんでもないと思ったが、なんでも彼女の趣味らしい。これがまた、おいしいのだ。

 さくらんぼのケーキは料理長自慢のひと品だという。

 しっとりしたチョコレートのスポンジに、バタークリームがたっぷり使われ、上にさくらんぼの砂糖煮が飾られている。

 大きく切り分けられたものがお皿に置かれたが、見た目ほど甘くなくて、ぺろりと食べてしまった。


「それにしても、クラウスがあなたを抱いて帰ってきた日は、本当に驚いたわ」

「ご心配をおかけしました」


 ドレスが血で汚れないよう脱がしてくれと言っていたのに、クラウスは着の身着のままで私を連れ帰ったという。


「まさか、体全体にシーツを巻き付けていたなんて……」

「シーツの顔部分が血だらけだったから、あの子がついに死体を持ち帰ったのでは、と思ったわ」


 クラウスの気遣いのおかげで、私はドレスを汚さずに済んだ、というわけである。


「ドレスよりも、エルーシアさんが苦しくないように連れ帰るほうが大事だというのに」


 一応、呼吸できるよう鼻部分は出していたようだが、シーツに包まれていた私の呼吸は荒かったという。

 

「慌ててイェンシュ先生を呼んだのよ」

「その節は、大変なご迷惑をおかけしました」

「いいのよ。あなたは私の孫娘みたいな存在なんだから」


 コルヴィッツ侯爵夫人の温かい言葉に、胸がじんと震える。

 こういうふうに、誰かから大事に思われるのなんて、久しぶりだった。


「改めて、あの子に文句を言いたいのだけれど、忙しいみたいね」

「ええ」


 あのあと、クラウスは私の父と会い、結婚の約束を取り付けてくれたらしい。

 父は私が家に戻らない件に関して抗議したようだが、ミミ医院に運び込まれた経緯を訴えると、何も言えなくなったようだ。

 さすがの父も、傷跡が残るほど強く叩いていたとは思ってもいなかったという。

 騒動のきっかけはイヤコーベとジルケの母娘にあったが、鞭打ちした罪のすべてはヘラに押しつけられたらしい。彼女は解雇されたようだ。


「エルーシアさんは何も心配せず、ここで安心して暮らしてね」

「はい、ありがとうございます」


 実家に必要な品を取りにいったほうがいいのでは? と聞かれたものの、私物はほとんど奪われている。

 一ヶ月ほど前に、なんとなく嫌な予感がして、予知夢について書いた日記帳はすべて焼却処分しておいたのだ。

 あの家に、必要な品なんてひとつもなかった。

 それでいろいろ察してくれたのか、コルヴィッツ侯爵夫人は私にドレスや帽子、靴などを大量に贈ってくれた。

 ドレスは既製品に手を加えてくれたようで、洗練された美しいものばかりだった。


「最近は弟子のフィルバッハが人気だけれど、私もまだまだでしょう?」

「ええ、本当にすばらしい品ばかりで――あら、フィルバッハはコルヴィッツ侯爵夫人の弟子だったのですか?」

「実はそうなの」


 コルヴィッツ侯爵夫人は弟子を長年取っていなかったようだが、フィルバッハの熱心な様子に心を打たれ、師匠となったのだという。


「彼と知り合いなのね」

「母の友人だったんです」

「そう。あなたとは、不思議なご縁があるようだわ」


 婚礼用のドレスも作ってくれるという。いちから手作りするのは、十年ぶりだと言っていた。


「エルーシアさん、嬉しい?」

「はい、とても」


 他人からの贈り物は、もれなく好意なので受け取りなさい、というのが母の教えであった。自分になんてともったいないと遠慮するほうが、逆に失礼なのだという。


「無理はなさらないでくださいね」

「そうなのよね。昔みたいに、徹夜で仕上げるのは難しいわ」


 しかしながら、社交界デビュー用のドレスは一晩かけて仕上げてくれた。コルヴィッツ侯爵夫人は隠れて努力する人なのだろう。


「あの、ご迷惑でなければ、ドレス作りをお手伝いしたいのですが」

「まあ! 私と一緒に、ドレスを作ってくれるの?」


 コルヴィッツ侯爵夫人は私を抱きしめ、本当の孫娘みたい、と喜んでいた。 


 その日の晩、イヤコーベから手紙が届く。なぜ、コルヴィッツ侯爵邸にいると知っているのか。

 謎でしかない。手紙もろくでもない内容だろう。

 このまま処分したかったが、念のため内容を確かめる。

 ミミズが這ったような文字で書かれていたのは、婚約破棄されたジルケが落ち込んでいる。励ますために帰ってきてほしい、という自分勝手なものだった。

 絶対に、私に八つ当たりしたいから呼び出したのだろう。父も寂しがっているとあるが、本当なのか。

 婚約のお祝いをしたいとも書かれてあったが、白々しいものだ。

 結婚式の準備で忙しいから、というお断りの手紙を出しておいた。

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