王妃殿下のもとへ
「まあ! なんてことなの! エルーシアさんとの約束を破って、国王陛下の呼び出しに応えるなんて!」
コルヴィッツ侯爵夫人は頭を抱え、ヒステリックに叫ぶ。
クラウスは私と仕事、どちらが大事かと言われたら、迷うことなく仕事だと答えるようなタイプだろう。
だから、鉄騎隊の任務を命じられたと聞いても、「そうなんだ」としか思わなかった。
「エルーシアさんをひとりで社交界デビュー用のパーティーという名の魔窟に行かせるなんて酷いわ!!」
「あの、コルヴィッツ侯爵夫人、わたくしは大丈夫です」
「大丈夫なわけないでしょう!」
手を伸ばし、エメラルドのティアラと耳飾りに触れる。
「わたくしには、このティアラと耳飾りがありますので、ひとりではありません」
「エルーシアさん……!」
これまで重たく感じていたティアラや耳飾りが、どうしてか私を勇気づけてくれる。
頑張れと奮い立たせてくれるように思えてならないのだ。
「ラウ様がいらっしゃらなくても、わたくしは堂々と参加する所存です」
コルヴィッツ侯爵夫人はうるうるとした瞳で頷く。納得してくれたようで、ホッと胸をなで下ろした。
自信を大げさな態度で示してしまったので、何がなんでも今回のパーティーを乗り切らないといけない。
予知夢でみたウベルとジルケの婚約破棄が気がかりではあるが……。
付き添い人を務めてくれるコルヴィッツ侯爵夫人の侍女には、ハンカチを多めに持ち歩いてもらおう。
どれだけ血を吐くか、わからないから。
コルヴィッツ侯爵夫人に見送られながら、私は王宮を目指す。
ここ数ヶ月気がかりだった一大イベントの幕開けであった。
◇◇◇
王宮の周辺には、すでに着飾った男女が列を成して歩いていた。
馬車の行き来は制限され、ほとんどの貴族が敷地内に入る前に降りないといけないらしい。
コルヴィッツ侯爵の馬車は王宮の前まで行くことを許されているようだ。
途中で、ウベルとジルケの姿を発見し、ギョッとする。
すでにふたりの雰囲気は険悪で、何かぎゃあぎゃあと言い合いをしているようだった。
彼らを見ていると予知夢通りの未来が待っているのだと示唆されているようで、胸が苦しくなってしまう。窓にかかったカーテンを閉め、気付かなかったことにした。
馬車は出入り口で停まらず、王宮の裏に回る。貴族の中でも一部の貴賓は、人の少ない場所から入るよう案内されるようだ。
こちら側から名乗らずとも、衛兵の騎士は会釈し、中へ入るよう手で示してくれた。
途中、王妃殿下の侍女が迎えにきてくれる。なんでも、始まる前に私と話したいらしい。
「どうぞこちらへ」
緊張の面持ちで、侍女のあとに続く。
案内された貴賓室で、王妃殿下が私を待っていた。
すっと立ち上がった王妃殿下は、百合の花のように凜としていて、美しい御方だった。
「あなたがシルト大公の娘ですのね」
「お初にお目に掛かります。シルト大公の娘、エルーシア・フォン・リンデンベルクと申します」
「堅苦しい挨拶は不要です。どうぞこちらへ」
背中に太い棒でも差し込まれているのではないか、と思うくらい背筋をピンと張り、王妃殿下のもとへ向かう。
長椅子を進められ、そっと着席した。
私が緊張する様子が滑稽だったのか。王妃殿下は開いた扇を口元に当てて、くすくす笑い始めた。
「ああ、ごめんなさい。さっき、クラウスが初めて陛下に意見したのですが――あなたとパーティーに参加するつもりが、任務を命じられたから反故にしてしまったと、拗ねたような態度を見せるものですから、思い出してしまい……!」
「はあ、クラウス様が」
国王陛下の前で私情を口にするなんて、彼らしくない。
コルヴィッツ侯爵夫人から私と一緒に参加するようにと強く言われていたので、彼の中で心残りになってしまったのかもしれない。
「夜中に呼び出しても、学校の試験中でも、一度も物申すことがなかったものですから、エルーシア嬢を大切に思っているのだろうと、陛下とお話ししていたところでしたの」
その様子は、愛しい親戚の子を愛でるようなものであった。
「ああ、ごめんなさい。あなたには、別の用件で呼び出したというのに」
「いいえ、お気になさらず」
王妃殿下は月明かりのような静かな微笑みを浮かべ、侍女に合図を出す。
テーブルの上に置かれたのは、精緻な花模様が刻まれた木箱であった。
王妃殿下が蓋を開き、手に取る。それは星型の記章であった。通常、戦場などで武勲を上げた者に贈られる〝星章〟である。
「こちらは、あなたの勇気に対する、王家から褒美です」
「わたくしが、星章を?」
「ええ」
女性に授与されるのは、長い歴史の中でも初めてだという。
「あなたのおかげで、多くの命が救われました。心から感謝します」
王妃殿下から手招きされたので、傍に行って片膝をつく。王妃殿下が直々に、胸元へ星章を付けてくれた。
「この度は、ご苦労様でした」
「ありがたく存じます」
この星に恥じない生き方をしなければ、と心から思った。
パーティーがそろそろ始まるというので、王妃殿下の部屋から辞する。
それにしても驚いた。星章を賜るなんて。
当初はこんな大きな事件の渦中にいたのだと、気付いていなかったのだが。
廊下を歩いている中、心臓がバクバクと鼓動していた。
気持ちを入れかえないといけない。星章が贈られたからといって、フワフワしている場合ではなかった。
まっすぐ進んだ先が、大広間となっている。すでに多くの男女が集まり、会話に耽っていた。
出入り口に立っている侍従に、侍女が耳打ちをした。すると、名乗りあげてくれる。
「シルト大公のご令嬢、エルーシア・フォン・リンデンベルク様のおなり!」
そんな大々的に言わないでほしいと思ったものの、これは社交界デビューの通過儀礼だ。
どうかウベルとジルケが私に気づきませんように、と神に祈った。




