悪い夢
コルヴィッツ侯爵夫人が修繕してくれたドレスをまとい、社交界デビューのパーティーに参加していた。
華やかな大広間の雰囲気を楽しみ、着飾った姿は美しいと賞賛され、何人もの男性にダンスを申し込まれる。夢のようなひとときを過ごした。
永遠にこの時間が続けばいいのに……と思っているところに、ウベルとジルケを発見する。
何やらふたりは揉めているようだった。
「お前がそのように世間知らずで愚かだったとは思わなかった!!」
「それはこっちの台詞だよ!!」
皆、彼らを遠巻きにし、非難めいた視線を送っている。
ふたりの関係者とは思われたくないので、大広間から去ろうとした。
その瞬間に腕を掴まれる。
誰かと顔を上げたら、クラウスだった。
「逃げるな。現実から目を逸らすんじゃない」
あの恥ずかしいふたり組を家族と認め、仲裁しないといけないのか。
ある日突然やってきて、私から何もかも奪っていった人達のことを。
うんざりしていると、ウベルが想像もしなかったことを口にした。
「もうたくさんだ!! ジルケ、お前との婚約を破棄する!!」
国王夫妻もいる場で、ウベルは堂々と婚約破棄をしたではないか。
それに対し、ジルケも負けていなかった。
「ああ、ああ。いいよ、あんたなんか、こっちが捨ててやる。あたしはこれから、素敵な王子様を探すんだから!」
そう宣言し、ジルケは去って行った。
なんてことだ。せっかく、ふたりが婚約するように仕向けたというのに。
ここで、クラウスが私の背中を押す。
空足を踏むように、ウベルの目の前に行ってしまった。
しまった! と思ったときにはもう遅い。ウベルとばっちり目が合ってしまう。
「ああ、エルーシア!」
「な、なんですの?」
「やはり、君しかいない」
「なっ!?」
ウベルは私の手を握り、強引に引き寄せる。
それだけではなく、ありえないことを口にした。
「俺は、エルーシアと結婚します!!」
私の「なんですって!?」という言葉は、周囲の拍手にかき消されてしまった。
クラウスに助けを求めようと手を伸ばしても、すでに彼の姿はなかった。
ウベルを振り払って逃げたいのに、掴まれた手は鬱血するほど強く握られている。
「わたくしは、嫌! ウベルとなんか、結婚したくありませんの!」
誰ひとりとして、私の話なんて聞いていなかった。
どうして……どうして……私はいつもこうなの?
不幸ばかり、降りかかってくる。
「どうして――はっ!?」
慌てて起き上がり、周囲を確認する。
きらびやかなシャンデリアはないし、華美なドレス姿でもない。
どうやら、夢だったようだ。
はーーーー、とこの世の深淵に届くのではないか、と思うくらいの深く長いため息がでてしまう。
この嫌な感じは、確実に予知夢なのだろう。
ウベルとジルケが婚約破棄してしまうなんて。それだけだったらまだいい。ウベルは新たに私と結婚すると宣言していた。
それだけは絶対に、何があっても嫌なのに……。
社交界デビューのパーティーになんて行きたくない。
けれども、王妃殿下から呼び出されているし、コルヴィッツ侯爵夫人がドレスを修繕してくれている。
逃げられるような状況ではないのだ。
今回の予知夢だけは、どれだけ血を吐いても、具合を悪くしても、未来を変えないといけない。
そのために、これまで頑張ってきたのだから。
◇◇◇
それからというもの、私はコルヴィッツ侯爵夫人と共に大急ぎでドレスを直していった。
このボロボロになった挙げ句、血まみれになったドレスをどうするのか、疑問でしかなかった。
しかしながら、ドレスに染みついていた血や車輪の跡は抜かれ、裂かれたスカートは丁寧に縫い合わせており、装飾をちぎった痕跡はわからなくなっていた。
ただ、元通りになっても、これは古着屋で購入した数年前のドレスである。流行遅れもいいところだった。
それを、コルヴィッツ侯爵夫人は私の体の寸法に仕立て直し、新たな装飾を加えた。
ドレスには幾重にも繊細なレースが重ねられる。精緻な模様を眺めていると、ほうと熱いため息が零れた。
このレースだけでも、大変高価なものだろう。
「コルヴィッツ侯爵夫人、こちらは最高級のレースのように思えるのですが、その、大丈夫なのでしょうか?」
後日、レース代を請求されてしまったら、私が一生働いても返せないくらいの金額になるだろう。
職人がひとつひとつ丁寧に作るレースは、宝石よりも価値のある物だと言われている。
このレースは、まさに宝石に勝るものだとわかっていた。
「あら、エルーシアさん、お目が高いのね。ご名答よ」
コルヴィッツ侯爵夫人が木箱に大事に収めてあったレースの数々だけで、おそらくお屋敷が建ってしまうのだろう。それを次々とドレスに当てていくので、ゾッとしてしまった。
「安心なさって。このレースは私が手慰みに作った品ばかりだから」
「コルヴィッツ侯爵夫人が、こちらを!?」
「ええ」
手編みのものから、ニードル、ボビンを使った物と、種類は多岐にわたる。
コルヴィッツ侯爵夫人は六十歳まで王妃殿下の専属針子だったようだが、引退してからは暇を持て余していたらしい。
一時期、レースを作るのに熱中していた期間があったようで、用途が特にないレースが山のようにあるのだという。
「いつか、孫の嫁のドレスにでも使ってあげようかしら、って思っていたのよ」
「でも、わたくしは、ラウ様とそういった関係ではございません」
取り付く島もなく、ばっさりとお断りされてしまった。
食い下がってなんとかなる相手でないことは、よくよくわかっている。
コルヴィッツ侯爵夫人は私の手を握り、優しく諭すように言葉を返す。
「大丈夫。あの子、ぜんぜん結婚する気配がないから」
いくら歴史ある家門の生まれでも、長男でなければ財や爵位など継承されない。
そういった者達は自分で身を立てないといけないのだ。
生涯独身でいる人も少なくない。予知夢でみたクラウスも、結婚していなかった。
「あなたは、あの子がしていることはご存じ?」
「ええ、その、少しだけ」
「あんな若い子をこきつかうなんて、酷いでしょう? とてつもなく優秀だから、陛下に盗られてしまったのよ」
鉄騎隊の仕事は危険で、任務中に命を落とす者もいるという。コルヴィッツ侯爵夫人は王妃殿下に泣きつき、どうか役目から解放してくれないか懇願したらしい。
「でも、ダメだった。すでに、あの子の代わりがいないくらいの働きをしていたの」
会うたびに、クラウスの感情はそぎ落とされていったという。
無機質に、無感動に、人間らしさから遠ざかっていたようだ。
鉄騎隊には十歳のころから所属したらしい。
まだ、遊び回っても許されるような年頃である。
いったい彼はどんな任務を抱え、孤独に遂行してきたのか。想像もできない。
感情をなくさないと、乗り越えられないようなことだったのだろう。
「ここ数年の様子は、陛下の剣か何かみたいだった。どれだけ熱を持って触れても、絶対に曲がらないの。それだけじゃなく、酷く冷たくなってしまって……。だから、あなたとやってきた日のあの子を見て、とっても安心したの。年頃らしい、初心なところがあって――久しぶりに温もりを感じたわ」
コルヴィッツ侯爵夫人は私を抱きしめ、耳元で「ありがとう」と囁く。その声は震えていた。
お礼を言わなければいけないのは、私のほうなのに。
コルヴィッツ侯爵夫人の温もりに触れ、私までも泣きそうになってしまう。
「これからも、あの子のこと、よろしくね」
「ええ、もちろんです」
クラウス――唯一、私を救いに導いてくれる男性。
いつか、一度でいいから、私も彼に救いの手を差し伸べることができたらいいなと思ってしまった。




