コルヴィッツ侯爵邸にて
「え? あの、こちらはいったい?」
「祖母はかつて、王妃殿下の針子だった」
それだけ宣言すると、屋敷のほうへ歩いていく。
クラウスの訪問を、使用人達は恭しく歓迎した。
客間でしばし待っていると、扉が勢いよく開かれる。
「よく来てくれたわ!!」
白髪頭の上品なご夫人が、満面の笑みを浮かべてやってきた。
「いったい何の用事で――あら? こちらのお嬢様は?」
「彼女はエル」
なんともシンプルな紹介である。お互いに名乗っていないので、これ以上言いようがないのだろう。
「エル、彼女はコルヴィッツ侯爵夫人、ロスヴィータ・フォン・ポーヴェシェンだ」
「は、はあ」
コルヴィッツ侯爵夫人は私とクラウスを交互に見つつ、ワクワクした様子を見せていた。
孫の訪問が嬉しいのだろう。
「今日はお祖母様に頼みがあって、やってきました」
「まあ、まあ、まあ! 大事件だわ! あなたが私に頼み事だなんて。なんでも言ってちょうだいな」
クラウスは私が持っていたドレスを手に取ると、コルヴィッツ侯爵夫人の前に差し出した。
「このドレスを、社交界デビューのパーティーまでに着られるよう、仕立て直してほしい」
「え!?」
まさかの提案に、驚いてしまう。
このドレスは十日でどうこうできる物ではないのに。
「なっ、ラウ様、どうして?」
「言っただろう。借りができたと。それを返すだけだ」
まだ、お祖母様が受けるかわからないが、という言葉が続く。
「ラウ様? あなた、この娘に自分のこと、ラウ様って呼ばせているの!?」
そう指摘されるや否や、クラウスは耳の端っこを少しだけ赤くさせる。
彼にも恥ずかしいという感情があったのだな、とまじまじと観察してしまった。
コルヴィッツ侯爵夫人は微笑ましいと思っているのだろうな、という表情で私達を見つめていた。
なんだか彼との関係を、勘違いされているような気がする。
「ラウ様の頼みならば、お断りなんてできないわね。お預かりするわ」
「お祖母様、その呼び方はちょっと」
「いいじゃない。あなたの幼少期の愛称なんて、久しぶりに聞いたわ」
やはり、ラウというのはクラウスの愛称だったようだ。
偽名でも名乗ればよかったのに、素直に名前の一部を教えてくれるなんて、なんとも律儀な男性であった。
クラウスにとってコルヴィッツ侯爵夫人は口では勝てない相手なのだろう。それ以上抵抗せずに、深々と頭を下げる。
「では、彼女とそのドレスを、頼みます」
「ええ、任せてちょうだい」
クラウスは立ち上がり、私を残して去ろうとする。
「ラウ様、お待ちになって!」
追いかけようとしたら、コルヴィッツ侯爵夫人に捕まってしまった。
「あなたはこっちよ。いらっしゃい」
あっという間に侍女に囲まれ、別の部屋へと連行されてしまった。
コルヴィッツ侯爵夫人の指示で採寸され、爪や髪の状態まで確認される。
「たった十日間で、きれいになるかしら?」
「あ、あの――」
「安心なさって。ドレスの話ではなく、あなた自身の話ですから」
「わ、わたくし!?」
コルヴィッツ侯爵夫人はぐっと接近し、満面の笑みで教えてくれる。
「あなた、肌も髪も、爪も、何もかもボロボロよ。そんな状態でパーティーに行ったら、笑われてしまうわ」
そんなのわかっている。けれども、貴族の令嬢達が美しいのは、日々の努力の賜物だ。これから何かしても、きれいになれるわけがないのだ。
「これから十日間で、あなたをきれいにするわ」
「で、でも――」
「ご実家のほうには、連絡しておくから。よろしかったら、家名を教えていただける?」
「いえ、その……」
私がシルト大公家の娘だと知ったら、コルヴィッツ侯爵夫人は屋敷から追い出すかもしれない。
けれど、それでいい。ドレスを仕立て直してもらうだけでなく、私まできれいにするなんて、過ぎた話なのだ。
胸に手を当て、会釈しながら名乗った。
「わたくしはシルト大公の娘、エルーシア・フォン・リンデンベルクと申します」
「まあ! なんてこと!」
奥歯を噛みしめ、最悪の状況に備える。
しかしながら、コルヴィッツ侯爵夫人は想定外の反応を示した。
「シルト大公の娘と、シュヴェールト大公の甥がロマンスを奏でていたなんて、すてきだわ!!」
「は、はい?」
いったい、何を奏でていたとおっしゃった?
コルヴィッツ侯爵夫人は私の手を両手で握り、キラキラした瞳で話しかけてくる。
「ふたりの関係が上手くいくよう、精一杯お手伝いさせてくださいな」
「えっと、その……」
どうしてこうなったのかと、心の中で頭を抱え込んでしまった。
◇◇◇
それからというもの、コルヴィッツ侯爵夫人の仕事は早かった。
私がミミ医院で働いているというと、慈善活動を頑張っているのだと解釈し、イェンシュ先生に私をしばし預かるという内容の手紙を書いてくれた。
「イェンシュ先生の若い頃は、それはそれはかっこよくて……!」
なぜか私は侍女達にきれいに磨かれ、ドレスの修繕を手伝い、コルヴィッツ侯爵夫人とお茶を飲むという毎日を過ごしていた。
「それはそうと、侍女からあなたの背中に酷い傷跡があるって聞いていたの。いったいどうしたの?」
「そ、それは――」
我が家の事情について、打ち明けなければならない。
コルヴィッツ侯爵夫人が聞いたら、不快な気分にさせてしまうだろう。
「エルーシアさん、隠さずに、おっしゃって」
まっすぐな瞳に見つめられる。
私はこのお方に、隠し事なんてできない。
私はコルヴィッツ侯爵夫人にすべてを話した。
母が亡くなり、父が後妻を迎え、妹ができたこと。継母と継子は私をいじめ、すべてを奪ってしまったこと。さらに、淑女教育と称し、下働きを命じられたこと。
それから母の遺品を奪われ、継子のドレスを盗んだと糾弾され、鞭打ちにされたことなど、酷いとしか言いようがない仕打ちを話す。
悲劇もびっくりな仕打ちの数々なので、信じられないかもしれないと思っていたが――。
「エルーシアさん、あなた、なんて可哀想なの!」
そう言って、コルヴィッツ侯爵夫人は涙を流しながら私を抱きしめてくれる。
彼女につられて、私も泣いてしまった。




