またしても奪われて……
家に帰った頃には、すっかり暗くなっていた。夕方には戻ると言っていたので、ヘラに怒られるかもしれない。
彼女に見つからないよう、こっそり移動していたら、私の部屋が開かれており、複数のメイドが行き来していた。
手には箱があり、何かを持ち出しているように見える。
まさか――と思って慌てて部屋を覗き込む。
そこにはイヤコーベとジルケ母娘がいて、メイドに指示を出しているようだった。
「エルーシアが戻ってくるまで、全部持ち出すんだよ」
「布小物は全部あたしの部屋に運んで」
「なっ――!?」
地下収納が開かれ、母の遺品を持ち出しているようだった。
「いったい何をしていますの!?」
イヤコーベは私の存在に気付くと、悪びれもしない様子で言い返してきた。
「あんたが隠していた物を、取り返しただけさ」
「隠してって、これはお母さまの遺品ですわ。ここにある品はすべて、わたくしが受け取る物だと、遺書にありました」
「遺書なんて知ったこっちゃない。前妻の私物は、ぜんぶあたしの物なんだ!」
「ひ、酷い……!」
苦しい思いをするのと引き換えに、未来を変えたと思っていたのに……。
結局、母の遺品はイヤコーベとジルケに奪われてしまった。
「どうして、気付きましたの?」
「ヘラがあんたの部屋にある絨毯が欲しいって、引っぺがしたら、発見したのさ」
絨毯を杭で打ち付けておけばよかった、と後悔が押し寄せる。まさか、古びた絨毯を奪おうとする者が出てくるとは想像もしていなかったのだ。
ジルケは嬉しそうに、足元に置いてあった木箱からドレスを手に取る。
「この社交界デビュー用のドレスも、あたしが貰ってやるから。あんたはあれをあげるからさ」
寝台の上に、無造作な様子でドレスが放り出されていた。それは以前、ジルケが奪っていった社交界デビュー用のドレスである。
手に取ってみるとスカートは裂け、縫い付けてあった真珠はすべてちぎられているという、なんとも無残な状態であった。
「ダンスの練習をしていたら、破けちゃったんだよ」
地下収納に入っていたのは、社交界デビュー用のドレスだけだ。あとのドレスは、古着屋に貸し出している。全部売り払わなくてよかったと、過去の自分に感謝した。
母の遺品や隠していた私物は根こそぎ奪われ、イヤコーベとジルケ、メイド達は去って行った。
私の手元に残ったのは、ボロボロのドレスばかりである。
もはや、ため息すらでてこない。この家にある私の物は、奪われる定めにあるのだろう。
こんなこともあろうかと個人的に貯めたお金は両替商にあるし、もっとも大事な遺品であるエメラルドの首飾りは質屋に預け売らないように頼んでいた。
残りの遺品もどうにかしなくては、と考えているところだったのに……。
上手くいかないことばかりである。
もしかしたら、予知夢でみた未来は変えられないものなのだろうか?
血を吐いて、目眩に襲われて、起き上がれないほどの体調不良に襲われていたというのに、あまりにも酷すぎる。
ウベルとの結婚も、回避できたと思っても、予知夢通りになってしまうかもしれない。
それだけは、絶対に避けたい。
今度こそ、クラウスに会って結婚を申し込まなければならないだろう。
その日の晩、夢をみた。それはクラウスと仲睦まじく腕を組み、薄暗い店に行くという内容だった。
そこではカードやルーレットを行い、金品をかけて楽しむ。
客の中で、顔見知りの女性を発見する。
菫色の髪に、芥子色の瞳を持つ、四十代前後の美しい女性だ。胸元が大きく開いたマーメイドラインのドレスをまとっていた。
クラウスが彼女の腕を掴むと、傍にいたディーラーが突然襲いかかってきて――クラウスの腹部にナイフが突き刺さる。
「――ッ!!」
悪夢をみたようで、飛び起きてしまった。
「……?」
内容は覚えていない。最近、夢をみても起きたら忘れているということが多かった。
どうせ、私がイヤコーベとジルケ母娘にいじめ倒される夢だろう。
回避しても、いつか巡り巡って予知夢通りになってしまう。
ならば、知らないほうが幸せなのではと最近は思うようになった。
ため息をひとつ零し、目を閉じる。すぐに眠りの海へ沈んでいった。
◇◇◇
クラウスからの手紙は案外早く届いた。
真っ赤なドレスに手紙が添えられていたので何かと思ったら、潜入調査に協力してほしい、とあった。
なんでもとある賭博場に、シスターカミラが出入りしているという情報を掴んだらしい。
賭博というのは古くから国で禁止されている。そういった場所に立ち入ることすら罪とされていた。
シスターカミラに関する情報が本当か確かめるために、同行してほしいという打診であった。
なんでも、ここ数回、鉄騎隊の者達が潜入調査しているようだが、シスターカミラと確認できなかったらしい。
普段は慎ましい修道服に身を包んでいるため、化粧をし、ドレスを着た女性の誰が彼女なのかわからなかったようだ。
そんな状況の中で、古くから付き合いのある私ならばわかるのではないか、と白羽の矢が立ったらしい。
クラウスに恩を売るまたとない機会である。私はふたつ返事で応じた。
ジルケの社交界デビュー用の準備で忙しいからか、私にいじわるしている暇はないらしい。
ヘラも私の部屋から奪った絨毯や家具で模様替えをするのに夢中のようで、あれこれ言いにこなくなっていた。
その隙に、屋敷を抜け出す。
本日は潜入するクラウスの愛人ということで、いつもより派手な化粧や装いで挑んだ。
極彩色の扇や帽子、踵の高い靴など、小物も入っていたので、それらしく仕上がったように思える。
リッツ通りにあるパン屋〝メロウ〟の裏口に馬車が用意されており、手紙に書かれていた車体の特徴を確認してから乗りこんだ。
中には腕組みしたクラウスが、どっかりと鎮座している。
焼き砂糖色に染めた髪は整髪剤でしっかり撫で上げており、目元は遮光眼鏡をかけて瞳の色がわからないようにしていた。燕尾服をまとう様子は、どこぞの犯罪組織の若頭、といった雰囲気であった。
完璧な変装である。
一方で、私の様子を見たクラウスは鼻先で笑うと、評価を口にした。
「上手く化けたな。品のない愛人という、オーダー通りだ」
イヤコーベの化粧や装いを真似しただけの簡単なお仕事であった。
クラウスが御者に合図を出すと、馬車が走り始める。
「報酬について、先に話しておこう」
「いいえ、必要ありませんわ」
今回はクラウスに恩を売りつけるのが目的である。お金で解決させるつもりはなかった。
この任務をきっかけに、役に立つ奴だという認識を植え付けるのもいいだろう。今日のために、体力作りをしておいたのだ。
報酬はいらないと言ったからか、クラウスは疑心たっぷりの目で見つめていた。
「わたくし、欲しい物はございませんの。今回は、あなたがふっかけてくれた不名誉を、晴らそうと思いまして」
「もう、お前が犯人とは思っていないのだが」
「そうだとしても、わたくしは自分の手で証明したいのです」
それで納得してくれたのか、クラウスは追及してこなかった。
「賭博場は検挙しませんの?」
「きちんと把握している上で、見逃しているらしい」
あえて取り締まらずに放置している理由は、そこに大きな事件の犯人が出入りする可能性があるからだという。
「なるほど。そういうわけでしたか」
普段から鉄騎隊の隊員達が潜入し、頻繁に出入りしているらしい。
何か危険な取り引きが交わされるようであれば、秘密裏に処理するのだという。
素行の悪い者達が突然行方不明になるのはよくあるようで、賭博場に来なくなったとしても誰も気にしないのだという。
なんというか、この世の闇を凝縮させたような場所なのだろうな、と思ってしまった。
クラウスと会話をしているうちに、賭博場へと辿り着いた。




