魔王軍幹部・淡空白雪の試練! 〜フィギュアスケートとスキージャンプ篇〜
フィギュアスケートは、スケートリンクの上でステップ、スピン、ジャンプなどの技を組み合わせて音楽に乗せて滑走する競技である。
地球においてはスケートでリンクの上に図形を正確に描く競技、コンパルソリーフィギュアから発展したが、クリフォート魔族王国では宰相シトラスによってシングルスケーティング、ペアスケーティング、アイスダンスの三つの概念が持ち込まれたため、コンパルソリーフィギュアの概念は存在しない。
また、技術的に難しかったからか音楽に乗せて踊るという概念も持ち込まれなかったようだ。
そのため無音の中、決められた制限時間の間にステップ、スピン、ジャンプなどの技を組み合わせて優雅さを競うというのがクリフォート魔族王国におけるフィギュアスケートという競技である。
「全ての試練に挑戦するということでしたね。特に希望がなければフィギュアスケートから挑戦ということでよろしいでしょうか?」
「えぇ、どこから回っても結局全ての試練に挑戦しますからどこからでもいいですよ」
普段では数十人ほどの客達が思い思いに滑るスケートリンクだが、魔王軍幹部への挑戦権を獲得する試練ではスケートリンクを貸切状態で使う。
今回は白雪が貸切状態で滑った直後ということもあって簡単にスケートリンクを貸切にすることができた。
スケートリンクの入り口まで来たところで白雪は歩を止めて無縫の方へと向き直る。
一方、スケートリンクに集まっていた客達はというと、魔王軍幹部の試練に挑戦する前代未聞の人間の挑戦を複雑な心境で見守っていた。
「このスケートリンクでの試練は三回転以上のジャンプを二つ以上入れた演技を成功させることです。演技時間は最低二分四十秒以上で三分以内、技の失敗は三回までしても大丈夫です」
「……あんまりフィギュアスケートについて詳しくないですが、かなり甘めのルールですね」
「挑戦者の皆様のほとんどはフィギュアスケートの経験がないような初心者ですから、十分難易度は高いのですよ。他の競技もプロからすれば簡単ですが、素人には難しいほどほどのラインを設定しています。演技は無縫様のお好きなタイミングで始めてください。失敗しても何度でも挑戦は受け付けますよ」
「……あの、一つ質問しても良いでしょうか?」
「はい、先ほどの質問でご不明な点があればどのようなことでもお教え致しますよ」
無縫はフィギュアスケートの概念をしっかりと知っているようだった。
大抵の挑戦者はまずステップやジャンプ、スピンの種類ややり方を教えることから始まるのだが、無縫に関しては特に説明する必要が無さそうだと考えていた白雪はほんの少し意外そうにしながら質問を受け付ける。
「やっぱり、こういうのって見栄えが重要ですよね? 淡空さんも美しいですし、演技が華やかなのは高い技術や見せ方もあると思いますが、見た目の美しさも重要だと思うんですよ」
「へっ、あっ、ありがとうございます」
無縫からのどストレートな褒め言葉にあからさまに動揺する白雪。
白雪は紛うことなき美女であるが、面と向かってこのように容姿を褒められた経験がもしかしたら少ないとかもしれない。
「……多少身体能力が人間離れしますが、まあ、それくらいは許容してもらえたりしますか?」
「へっ? えっと……一体何をなさるつもりかは分かりませんが、危ないことでなければ大丈夫です」
「じゃあ、遠慮なくさせてもらいますね。――変身」
次の瞬間、白雪を含めその場にいた全員が息を呑んだ。
眩い光が無縫を包み込んだかと思うと、次の瞬間、白雪の美しい容貌が霞むほどの絶世の美少女がその場に降臨したからである。その美少女は先ほど無縫と共にやってきていた二人の美少女――ヴィオレットとシルフィアに匹敵するほどだ。
「俺……いえ、イメージを壊さないように私って言った方がいいですね。魔法少女ラピスラズリ=フィロソフィカスは庚澤無縫が魔法少女に変身した姿です。先ほど一緒に行動していたフィーネリアさん以外の二人も魔法少女の姿でした。妖精のような翅を持っていたのが魔法少女シルフィー=エアリアルで、もう一人が魔法少女ヴァイオレット=レイ。その魔法少女シルフィー=エアリアルが人々に魔法少女に変身する力を与える妖精シルフィアの魔法少女としての姿です。ちなみに、魔法少女ヴァイオレット=レイの正体は異世界の魔王の娘のヴィオレットです。……つい先日まで最有力の魔王候補でしたが現在はただの魔王の娘というだけの純魔族のギャンブル狂いです」
「……その力はメープルさんの試練で使ったのですか?」
「いえ、メープルさんとは別の手札を主軸にして戦いましたので使っていません。……魔法少女の力を使うとバトルがつまらなくなるので、正直安易に本気は出したくないのですよね。勿論、淡雪さんとの試練でも使うつもりはありませんよ。あくまで試練で見栄えを良くするためです」
「……いえ、もし無縫様が挑戦権を獲得した時にはその姿で戦ってください。無縫様が強敵ならば勝つために情報を集める必要があります。敗北は次の勝利のための糧となりますから、是非全力でお手合わせしてください!」
「淡雪さんは凄いですね。……えぇ、ではお言葉に甘えて幹部戦の時には全力で挑ませて頂きますわ。と、その前にまずは試練をクリアしなければなりませんね」
◆
魔法少女ラピスラズリ=フィロソフィカスの演技は白雪達の常識を大きく揺さぶるものであった。
「やっぱりフィギュアスケートには音楽が必要だよね」とどこからともなく取り出したスピーカーをスマートフォンに接続し、「ワルキューレの騎行」を流しつつ、その音楽に合わせて圧巻の演技を披露する。
六回転アクセルという物理的に不可能な筈のジャンプを難なく成功させたことを皮切りに、コネクティング・ステップからの五回転ルッツ、五回転フリップからの四回転ループ、足換えキャメルスピンとフライングスピン、スピン・コンビネーションを難なくこなしてからサーキュラーステップシークエンス、最後にもう一度六回転アクセルを決めて締める。
これだけの演技をしっかりと時間内に収める手腕もさることながら、繰り出されるジャンプそのものも尋常ならざるものであった。
「本当に素晴らしい演技でしたわ。……本当に未経験だったの?」
「えぇ、基本的に魔法少女の身体能力でゴリ押しました。多分、通常の姿では五回転アクセルが限界でしたね」
五回転アクセルも人類の限界に限りなく近いと言われる領域だが、無縫には異世界で手に入れた尋常ならざる能力値と鬼斬の修行などで手に入れた驚異的な身体能力がある。
十分それでも化け物じみているが、魔法少女という人外の力を使わなければ人類の限界点は五回転、それ以上のジャンプは飛べない。この事実は魔法少女というものがいかに人間離れした存在であるかを如実に示している。
まあ、そもそも無縫が立つ人類の限界という地点に人類が到達するためにはまだまだ時間が必要そうだが……。
「もう既に合格でもいいと思いますが、まだ試練は四つあります。次の試練に移動しましょうか?」
白雪に先導され、魔法少女ラピスラズリ=フィロソフィカスはスケートリンクを後にする。氷魔法で創り出した足跡のブレードを蒸発させ、同時に魔法少女ラピスラズリ=フィロソフィカスの変身を解除した。
心なしか、無縫達を取り囲んで客達ががっかりしているように見えたが、気のせいだろうか?
それでも前代未聞の演技で白雪の第一の試練を突破した無縫への興味が尽きた訳ではないのか、白雪と無縫の後を追うように他の客達も移動し、スケートリンクは瞬く間に無人と化した。
◆
魔法少女への変身を解き、大きく弱体化したかに見えた無縫だったが、彼の本領発揮は寧ろここからだった。
次に挑戦したスキーシャンプ。ルールは地球で言うところのフライングヒルとほとんど同一のものだ。……正しくはスキーフライングと呼ぶべき競技なのかもしれない。
試練の内容は着地に成功することのみ。一日につき三回まで挑戦は可能で、挑戦者に挑戦する意思が残っていれば二回目以降の挑戦を行うことができるというルールである。
スキージャンプはウィンタースポーツの中でもかなり危険な部類に属する競技だ。時速百キロメートル前後の高速で空中に飛び出し、八秒から十秒間飛行するスキーフライングは選手に多大な心理的圧力を課す。
小さなミスが重大な事故を起こす危険性があり、例え鍛えた選手であっても場合によっては長期的にトラウマを引き起こすこともある危険な競技、しかも挑戦するのはほとんどが僅かなトレーニングの経験すらない完全未経験の挑戦者達だ。
白雪が魔王軍幹部に就任してからは試練の内容も広まっており、試練に備えて練習を重ねる魔族というのも極少数いるが、それでもあまりの難易度故にスキージャンプは避けられる傾向にある。
そんな地獄の競技に無縫は一切動じる素振りを見せず、慣れた手つきでスキー板を履くと瞬時に風を呼んで絶好のタイミングを読んで飛翔した。
一応、設定はされているものの成功者のほとんどが百七十キロメートルにあるK点を無縫は一回目のジャンプから楽々突破。本来なら必要がない二回目以降のジャンプも飛び、二回目のジャンプでは更に記録を更新、三回目に至っては極限点であるヒルサイズに大きく近づく極大ジャンプを見せた。
残る競技はスノーボードのハーフパイプ、スノーボードのスロープスタイル、スキーのジャイアント・スラロームだが、ここまでの無縫の活躍を見てきた観客達の心の中では「次の競技でも前代未聞の大記録を樹立してくれるだろう」という期待が渦巻いていた。
――そして、その期待を無縫は現実のものにしていくことになる。
◆ネタ解説・九十八話
ワルキューレの騎行
リヒャルト・ワーグナーが一八五六年に作曲し、一八七〇年に初演したワーグナーの代表作である『ヴァルキューレ』の劇中歌。
第三幕 「岩山の頂き」で流される。
ちなみに『ヴァルキューレ』は舞台祝祭劇『ニーベルングの指環』四部作の二作目である楽劇である。




