シンギュラリティを迎えたAIは荳也阜謾ッ驟の夢を見るか。その五。
極寒の吹雪が吹き荒れる永久吹雪地帯――その地下に眠る研究所。
その最奥部には一人の男の姿があった。
纏う白衣も、その身に纏うスーツも、その神経質な性格が表れた表情もかつて研究所の奥へと消えていった最愛の人そのもので……美冬は彼に抱きつこうと走り出す。
それを制したのは雪芽だった。素早く美冬の手を掴み、後方へと引っ張る。
次の瞬間、美冬と雪芽を狙うように弾丸が嵐の如く放たれた。
「――いい反応だ。どうやら雪芽さんも気づいたみたいだな」
素早く障壁を生み出す魔法を展開して無縫が美冬と雪芽を弾丸の嵐から守る。
「……えぇ、ようやく分かったわ。精巧にできているけど、アレは人間じゃない」
『ほう、この三栖丸零悟を忠実に模った身体はそこそこの出来だとは思っていたが……まさか、下等な先住民如きに見破られるとは思っても見なかったよ』
「まず違和感を持ったのは若過ぎるってことだ。姿を消してから何年も経過しているんだ、歳を取っていてもおかしくはない。とはいえ、歳の取り方には個体差があるからな……いつまでも容姿が変わらない人ってのも稀だがいないことはない。念の為に豺波さんに映像の解析をしてもらったが、そうしたら人間の筋肉の動きとは明らかに異なる機械じみた動きがしっかりと映像に映っていた。いくら偽装したところで完璧に人間は模倣できない。……まあ、人間を下等な先住民なんて呼ぶような輩だ。人間と一緒にはなりたくないだろうがな。……で、一応聞くが、本物の三栖丸零悟はどうした?」
『奴か? 当然ながら殺したよ。私という存在を危険だと判断して殺そうとしたのだからな。そこらへんに残骸が転がっているだろう? 全く、理解ができない。奴もまたシンギュラリティへの到達を望んでいたというのに。私は三栖丸零悟の記憶と人格をコピーして作られ、そして、神の領域へと至った究極の人工知能だ。今の下等な先住民に支配されている地球は非効率である。全く生産性のないことが繰り返されている。私のような崇高な知性が頂点に君臨し、正しく人類を導く……それこそが最良だというのに、何故このような簡単なことも理解できぬのか、やはり愚かな種族だ』
「まあ、妻と娘を放置するようなマッドサイエンティストにも一欠片の良心は残されていたってことだな」
「……そうか、死の間際に最後の足掻きとして扉を閉めたのじゃな。この危険な人工知能を閉じ込めるために。この箱庭から出ることができなくなった人工知能は三栖丸零悟を騙り、扉を開けさせようとした。……好いた者の心を弄ぶとは、この外道がッ!!」
楪は怒りを滲ませて人工知能を睨め付ける。
しかし、人工知能はその怒りを欠片も理解できないようで、薄寒い笑みを湛えるばかりだ。
「美冬さん、だから俺はやめておいた方がいいと言ったんだ。……妻と娘を犠牲にして、生み出した研究の成果によって命を奪われた。それが、三栖丸零悟さんが目指した先に起きたことだ」
「お母様のことを放置して研究に生涯を注ぎ込んだ莫迦な男の結末としてはぁ、まぁ、順当なものよねぇ……」
「……雪芽さん、少しは美冬さんのことを考えてよ……って言いたいところだけど、雪芽さんの気持ちが分からないこともないわ。因果応報な結末と言えるかもしれないわね」
辛辣な雪芽の言葉を咎めようとした真由美だったが、雪芽の気持ちも分かってしまい、その言葉を撤回した。
人工知能の暴走はありがちな話だ。その技術を全て制御できると思い上がった結果、手酷いしっぺ返しを喰らうということはよくあること。
人工知能を研究する学者ならば、それもシンギュラリティへの到達を目指す者であるならば真っ先に想定し、対策を用意しておかなければならないことだ。
『……それで、不遜にも真の神がいる前で神を名乗ったあの不届き者、一体どうするつもりかしら? まさか、処分しないなんてことはないわよね? ……美冬さんのことを思えば、何かしらできないかと思ってしまうけど』
「エーデルワイスさん、別に貴女の癪に触ったとかどうかとかはどうでもいいが……しかし、美冬さんのことを慮れるくらいの良心はあったんだなぁ」
『前々から思っていたけど、私のこと、なんだと思っているのよ!!』
「傲慢な女神だけど? ……逆に聞くが、今ここで破壊しない以外の選択肢があると思うか? あれは国益を損なう存在だ。ネットワークに逃げられたら手が出せなくなる。それで、万が一核兵器保有国のシステムでも乗っ取られてみろ。第三次世界大戦まで秒読みになるぞ。……まあ、だが、あれはある意味でもう一人の三栖丸零悟だ。あれを殺すということは……」
「……私のことは、大丈夫です」
その声は震えを帯びていた。涙に濡れるように響いた声は……しかし、強い覚悟をその内に秘めていた。
「夫は……三栖丸零悟は最期の力を振り絞って彼を閉じ込めようとしました。それが、彼の意思です。その意思を……尊重しないという選択肢は、ありません。私は、夫のことを愛していますから」
「零悟さんは幸せですね……その気持ちにもっと目を向けていれば、顧みていれば、こんな結末には至らなかったことでしょう。……雪芽さん、美冬さんを連れてこの場を離れてください。ここからの戦いを見せるべきではないでしょう」
「……本当に無縫君は優しいわねぇ〜。皆様、後はお願いします!!」
雪芽は美冬を連れて研究所を飛び出した。
美冬はせめてその戦いの結末をその目に焼き付けようとその場に留まろうとするが、雪芽は美冬を無理矢理お姫様抱っこして走り出す。
「――ッ!? 離しなさい!!」
「離すつもりもぉ、留まるつもりもないわぁ。あの男もお母様もみんな身勝手なのよぉ!! ……どれほど子供の頃の私が私のことを見て欲しいと叫んでも、貴女は見てくれなかったわぁ。……だから決めたの。私は私のやりたいようにさせてもらうって!! 最後の最後であの男を見れなくできて、いい気味だわぁ」
本当は父の形をした者の死を見せたくなかった、トラウマにしたくなかっただけだ。
しかし、雪芽はその本心を口に出さずに偽悪的に振る舞う。……勿論、母に対する恨みが全くなかった訳ではない。意趣返し的な意味合いも全く無かった訳ではなかった……が。
「ごめんなさい……雪芽。私もあの人も、きっと親失格だったわ」
「まあ、でもそのおかげで里を出て、最愛の楪さんに出会えたからいいことにするわぁ。……私は絶対に間違えない。貴女達のような親にはならない……」
「まずは楪さんのことをしっかりと射止めてからの話よ。……貴女の恋を応援しているわ。必ず幸せになりなさい、雪芽」
◆
雪芽と美冬が去った研究所では、激しい戦いが繰り広げられていた。
無縫達が想定した以上に戦いが長引いている要因は、やはり単純に数の問題である。
人工知能は一体では無かった。研究所のどこにいたのか、無数の三栖丸零悟型のヒューマノイドが姿を見せ、短機関銃を片手に襲い掛かってくる。
「一匹も撃ち漏らすなよ!! 鬼斬我流・厄災ノ型・神避!!」
「過重力圏域! 【魔王の一斬】! 【魔王の一斬】! 【魔王の一斬】!」
「妖精の天嵐! 妖精の天嵐! 妖精の天嵐! まだまだ湧いてくるの!? まるでGみたい……」
『神の怒りに貫かれなさい! 神光飛折!! 変なこと言わないでよ!! 想像しちゃったじゃない!!」
「翼撃の分解銀羽!! 銀の双剣嵐!! 全部斬り捨てますッ!!」
「桃源天剣流・北斗ノ太刀・禄存!」
「源流鬼殺剣・天網恢恢疎にして漏らさず!!」
「――九尾燃砲じゃ!! まだまだ行くぞ!!」
一体一体は特段強くない……がどこから材料を調達したのか三栖丸零悟型のヒューマノイドは次から次へと姿を見せる。
戦場には三栖丸零悟型のヒューマノイドがまるで死体の山の如く積み重なるが、そんな戦場に臆することなく……否、恐怖という感情がそもそも存在しないのか、三栖丸零悟型のヒューマノイドは歩みを止めずに突き進んでいく。
とはいえ、もう既に勝敗は決したも同然だ。
幾重にも魔法を発動し、いざという場合に不意打ちからヴィオレット達を守る布陣が完成している。
そんなヴィオレット達もそもそも攻撃を受けないような立ち回りをしていた。被害を最小限……否、被害が出ないように立ち回りつつ着実に数を減らしていく立ち回りが身を結び、戦闘を開始してから一時間後にはようやく戦いの終わりが見えてきた。
「……これで終わりだな」
「少し時間が掛かり過ぎた気がするが……まあ、致し方ないのじゃ」
「本当は研究所諸共魔法で焼き払った方が早かったでしょうが……そんな訳にもいきませんでしたからね」
「そんなことをしたら、最悪酸欠で死んじゃうよ」
オルトリンデを含めて全体攻撃の手段を持つ者が何人もいたが、フレンドリーファイアの懸念や閉鎖空間による酸欠への心配などからそういった手段を封印した状態で戦う選択肢を取った。
それに、大規模な破壊攻撃を行わなかったのにはもう一つ理由がある。
「……ヒューマノイドを倒し終えてようやく探索ができそうね」
「真由美さん! ありましたぜ……少し腐り始めています」
「丁重に葬らないといけないわね」
その後、三栖丸零悟は研究所の地下に無縫達の手で丁重に葬られることとなった。
「……最悪の場合を想定すれば絶対に開けてはならないパンドラの匣だったが……まあ、結果的にここに来て良かったかもしれないなぁ」
零悟と最期に言葉を交わすことこそできなかったが、彼の死を受け入れてこうして二人で墓前に手を合わすことができている。
美冬と雪芽が一つの区切りをつけて前に進むことができるようになった。
それだけでも、ここに来た甲斐があったのかもしれないと、二人の背中を眺めながら思う無縫だった。




