藍の賢者vsルチアーノ……と言いつつ、もう一方的過ぎて戦いにすらなっていないオークション。
ルチアーノ西潟――日系イタリア人で表の顔は大手貿易商社社長。
しかし、その影響力は裏の世界にも及んでいる。
薬物や武器などの非合法な品物の取引は行っていないが、それ以外の品物については盗品だろうと裏のマーケットで入手したものでもお構いなしに手に入れ、時に表のマーケットで時に裏のマーケットで販売を行う大商人である。
表世界の住人ながら、その名は裏の社会でも轟いている。
また、彼自身が熱心なコレクターでもあり、自身の欲しいと思ったものについては金に糸目を掛けずに購入するということでも有名である。
百戦錬磨の大商人――そんなルチアーノが唯一苦手意識を持っている相手がいた。
「お久しぶりです、ルチアーノさん」
「げっ、藍の賢者!?」
背後から唐突に声をかけてきた魔法少女ラピスラズリ=フィロソフィカスに、ルチアーノが露骨に嫌そうな顔になる。
「ラピス様のことですよね、その異名……やはり、聡明であらせられる故につけられた異名なのでしょうか?」
「いえ、恐らくですけど、賢者の石を示すlapis philosophorum、これにlapis lazuliを組み合わせて藍の賢者と呼んでいるだけだと思いますわ。瑠璃とも呼ばれるラピスラズリは美しい藍色をしていますから。……しかし、げっ、なんて酷いですわ。まるでエイリアンでも見たみたいに」
「貴方がいるのといないとでは色々と状況が変わるんですよ。お金の配分というかなんというか……。それで、今回の目的は?」
「恩人の名代として参りました。狙いはロングフェイス・ジュモーと丸平大木人形店の有職雛ですね」
「ああ、惣之助殿は有名な人形コレクターですからね……俺も狙っていたんだけどなぁ。そういうことなら尚更引き下がれませんね。賎ヶ岳君、大幅に予算を拡充することにしよう」
「……よろしいのですか?」
同行していた秘書の賎ヶ岳静香に、ルチアーノはにっこりと微笑む。
「男には負けられない戦いというものがあるのだよ。……特に藍の賢者だけには、絶対に負けたくない」
「まるで子供みたいな意地の張り方ですわね。……承知致しました。金庫番の方にその旨お伝えしておきます」
静香がスマートフォンを取り出していずこかに電話をする中、ルチアーノは「絶対に君には負けないからな!」と宣言して会場の中へと入っていった。
◆
「それでは、これよりオークションを開始させて頂きますわ」
今回のオークションの主催者である一橋潤美が自ら舞台に立ち、出品する品を紹介していく。
一つの出品物の説明が終われば、そのまま入札に入る。
今回は各品々に最低落札価格が設定されている。そこから、入札を行っていき、金額を釣り上げていくという形だ。
「本当に様々なものが出品されていますわね」
「一橋瀇蔵は名うてのコレクターだったからね。裏社会のパイプやブラックマネーを駆使して博物館級のコレクションを集めていた。……それをほぼ全て売り払うってのはなかなかの起死回生の一手だと思うよ」
スヴァーヴァの零した感想に、魔法少女ラピスラズリ=フィロソフィカスが小声で返す。
これまで偉大な一橋瀇蔵の背中に良くも悪くも守られていた自分と娘の身が脅かされる危険性がある。
そのような状況で自立するためにはお金が必要だ。とはいえ、売り払うのは亡き夫の宝物……それも、一度売り払えば二度と手元に戻らないような品々である。恐らく、葛藤もあっただろう。
「続いては、ピンクダイアモンドのブローチですわ。最低落札価格は二百万円です」
「三百万!」
「三百五十万!」
無縫達が狙う品々の一つ前の品が紹介され、入札が始まる。
「あの宝石、なかなかのものですわね」
「ああ、少なくとも五百万円はくだらない希少なピンクダイアモンドだ。……その価値を測れないような者はこの場にはいない。少なくとも五百万円よりは安く手に入れたいと入札者達は考えているんだろうが、競合すればするほど値は高まっていく」
「……もう五百万円を超えましたわね」
ぽつりぽつりと入札者は減っていく。至極当たり前のことだが、適正価格を超えてしまったのであれば損にしかならないからだ。
それでもなお、入札の声を止めない者もいる。
今回の場合はルチアーノと武良文の二人が決戦を繰り広げていた。
「六百万円!!」
「六百八十万円!!」
「七百万円!!」
「くっ……七百九十万円!!」
「八百万円!!」
「はっ、八百八十五万円!」
「ならば、九百万円で購入しよう!」
「九百万円! 九百万円ですわ! 他に提案はございませんわね! それでは、九百万円でハンマープライスとさせて頂きますわ!」
ルチアーノと武良文の戦いは九百万円を提案したルチアーノの勝利で幕を閉じた。
武良文もいくつかの品物を落札することに成功しているものの、どうやら本丸はあのピンクダイアモンドだったらしく悔しそうにルチアーノに視線を向けている。
だが、ルチアーノにとっての戦いはここからが本番だ。
「続いては丸平大木人形店の有職雛。最低落札価格は八十万円です」
「では、様子見の九百万円」
――会場が俄かに騒めく。
確かに、あの有職雛は由緒正しいものである。だが、それでも流石に初手からピンクダイアモンドの落札額と同額を入札されるとは想定していなかったのだろう。
この時点でほとんどの客達は有職雛の落札を諦めた。それほどのお金を出して買うほどの価値はないと判断したのである。
だが、ただ一人だけ諦めていない者がいた。
「――ッ!? 一千万円!!」
ルチアーノである。この男の意地と呼ぶべき愚かな一手に会場は再び騒然となる。
ただ、秘書の静香は死んだ魚の目になっているがさほど驚いていない。「この社長はまた……」と半ば諦めているのだろう。
先ほどまで競い合った武良文もこのルチアーノの闘志には天晴と感じたらしく、会場にやってきた部下と共にルチアーノを応援し始めた。
――だが、現実は残酷だ。
「では……二千万円はどうかしら?」
ここでダメ押しとばかりに倍の金額を提示する。
この後も落札を目標にしている品物は多い。これ以上の金額提示は明らかに悪手だ。
だが、それでも、とルチアーノは瞬時に算盤を弾き、出せるギリギリを提示する。
「さ……三千万円」
「十億円で落札しますわ」
だが、全ては無駄だった。理解不能な、愚かしいにも程がある金額が提示されてしまったのである。
会場は音を失い、誰一人として……主催者である一橋潤美すらも状況を処理できずに困惑していた。
最早、誰一人として入札しようとする者はいない。
「――ッ!? 正気なのか!?」
「えぇ、正気ですわ」
「……それは、貴方の主人の指示ということか? それほどの金額を貸し与えられて……」
「いえ、全て私のポケットマネーですわ。何故、恩人へのプレゼントを、その恩人からお借りしたお金で購入しなければならないんですの?」
大田原惣之助からお金を事前に借りていて、或いは支払った後に埋め合わせをしてもらえるという算段が付いている上で落札するならまだ分かる。
だが、これだけのものをプレゼントだからと平然とポケットマネーから出して落札しようとするのは最早狂気の所業だ。
どれほどの恩義があればそれほどのことができるのか、その忠誠心はどれほど篤いものなのか……その、悍ましいほどの忠義の心にルチアーノは震え上がった。
「しかし、まだ安く済んで良かったですわ。……片方二十億、両方で四十億くらいを予定して準備をしてきたのですが」
「……はっ? 正気なのか……いくら二品とはいえ、その金額は……色々とおかしいだろ!?」
ちなみに、その後ロングフェイス・ジュモーのオークションが行われた……が、ルチアーノを含めて魔法少女ラピスラズリ=フィロソフィカス以外の誰一人入札をしようとはしなかった。
結局、ロングフェイス・ジュモーはオークション開始から二分後に三十億円で落札されることになる。
勿論、この三十億円はオークションにおける落札の最高額である。
また、このオークションでは、落札者が決定するのみで支払いは後日行うという形になるのがほとんどだが、魔法少女ラピスラズリ=フィロソフィカスだけは壇上に上がって一橋潤美の目の前に直接四十億円の札束を並べて見せた。
俗に言う即金購入という奴である。
夢にまで見た自分と娘の生活を守れるだけのお金……だが、その時の一橋潤美はそれ以上のものを手にすることになるとは想定もしていなかった。
「故、一橋瀇蔵は立場上敵対する相手ではありましたが、同じ趣味を持ち、競い合う間柄でもありました。彼と幾度となく競い合った者として彼に対する強い想いもあると伺っております。そんなライバルの忘形見である潤美殿と曙美殿は一家の大黒柱を失い、これから辛い日々を送ることになることでしょう。もし、何か力になれることがありましたら遠慮なく仰ってください。私の主人の名代として私も微力ながらお手伝いさせて頂きますし、必要に応じて我が主人も後ろ盾になるとのことです」
この宣言は会場にいる者達に大きな衝撃を与えることとなる。
それは、魔法少女ラピスラズリ=フィロソフィカスとその主君である大田原惣之助内閣総理大臣が二人の庇護者になるという宣言に他ならないのだから。
最早、潤美達を毒牙に掛けることなどできる筈もない。その先に待ち受けているのは国との敵対なのだから。
こうして、潤美と曙美は大きな後ろ盾を獲得し、第二の人生を送ることとなった。
◆ネタ解説・二百四十六話(ep.247)
ロングフェイス・ジュモー
ビスクドールの中で特に人気のある人形の一つ。
ジュモー社で作られていたトリステと呼ばれている人形の別名。
ロングフェイスは英語の慣用表現の一つで、浮かない顔を示していると言われる。
ある有名鑑定番組では番組では400万円という高値がつけられたこともある。
丸平大木人形店の有職雛
江戸時代・明和年間より続く京都の名門人形店。
写実性に溢れ、有職故実おける時代考証に重きを置いた雛人形は将軍家や皇室、良家の子女に愛された。




