「Yesterday Once More」のYesterdayがバブル時代を示しているとすれば……失踪した時風燈里の目的は――。
会議室を出た無縫は事前にオルトリンデに手渡しておいた通信機で連絡を取り、薗咲晴香が待機する部屋へと向かった。
無縫の希望に沿って美雪と花凛に場所を悟られないように立ち回ったらしく、部屋の周囲にクラスメイトの気配はない。
美雪や花凛だけに留まらず、基本的にクラスメイトに良い印象はなく最低限の関わりだけに留めたいと思っているため、この状況は好都合だ。
本音を言えば、照や晴香とも関わり合いになりたくはないのだが、前者は新澄社ビル爆破事件の一件を口実に心を折って戦線から離脱させた都合上説明せざるを得ず、後者も時風燈里の件について直接話を聞いておきたいため避けられない。
……まあ、照については地球に帰還してから内務省を通じで場を設けるつもりなのだが。
その旨はオルトリンデを通じて照に伝える手筈になっており、今頃オルトリンデから話を聞いている頃だろう。
「わざわざ時間を取ってもらって申し訳ないね……ええっと、薗咲晴香だっけ?」
「……クラスメイトだったし、迷宮で助けてもらったのだけど、やっぱり覚えていなかったのね。当然よね、私達が貴方にしてきた仕打ちを考えれば」
「俺の記憶だと積極的にって感じじゃなかったが、黙認していた時点でなぁ……。迷宮の件は……なんで助けたんだっけ? ああ、一応内務省の人間として国民を助けないとって思ったんだったか。バイトとはいえ政府の人間だから国民を守る義務はあるからね」
「……まあ、そういう理由がなければ助ける筈がないわよね」
「……俺も頭の上がらない大田原さんの頼みということで高校に通っていたし、面倒な騒ぎも起こしたくはなかった。放置した俺にも多少なり責任はあるだろうし、ああいう同調圧力ってのはどうしようもないものだ。流れに任せた方が楽だろうし、誰もがその力に逆らえるものでもない。不真面目な俺に美雪と花凛が関わろうとする……そういう状況をよく思わない者達が多かったってことだ。君も含めてな。……まあ俺からすれば、それこそ美雪や花凛の方が迷惑だよ。あいつらは自分の影響力ってものを理解していない。まあ、二度とお関わりになることはないさ。俺は高校生をやめるからね。高卒認定でも取るよ。……大田原さんや内藤さんも理解してくれると思うよ」
「そうなのね。……でもいいの? 美雪さんは貴方のことを」
「雷峰市は安全な場所になった。波菜さんの父親が組長している黒鞘組の力で非合法組織は一掃され、彼女は普通の高校生として幸せに暮らしている。それを確認した時点で十分義理は果たしたからな。……ご存知の通り、俺は内務省の存在しない筈の組織の所属。裏の人間だよ。こういう異常事態でもなければ関わらない方がいい。多少不自由はあるだろうけど、政府がしっかりと対処はするし、平穏な日常に戻れる筈だ。……ただ、平穏な日常に戻る前に聞いておきたいことがあってね。ルーグラン王国の異世界召喚で召喚された召喚勇者の中で一名行方不明者がいる」
「……えぇ、私も現場で見たもの。今でも鮮明に思い出せるわ……燈里ちゃんが……」
「状況から鑑みて、豊穣の女神として発言力を高めている時風燈里を恐れたエーデルワイス陣営か、魔族か……そのどちらかが行ったと思っていたってところか?」
「……その通りよ。でも、あの放送の感じだと魔族が関わっている可能性はないのよね」
「クリフォート魔族王国は長らく干渉していないからな。……ってなると国に属さない魔族? みたいな話になるが、そもそもそういう存在は確認されていない。続いてエーデルワイス陣営だけど、少なくとも『真の神の使徒』は誘拐に関わっていないとオルトリンデさんが証言している。より正確に言えば、エーデルワイスは時風燈里を警戒しており、彼女を誘拐して盤上から排除しようと準備を進めていたけど、それよりも先に誘拐事件が起きたってことだ。教会や国も恐らく関与していない。……一応、ラーシュガルド帝国の皇帝に聞いたものの把握している範囲では関与はしないということだし、残るマールファス連邦も関わるのは難しいだろうね」
「未だに行方不明……どこに行ってしまったのかしら?」
「晴香さんを混乱させるようで申し訳ないけど、俺はあれが時風燈里の自作自演じゃないかと睨んでいる」
「…………えっ? な、何を言っているのか……理解できないんだけど……」
「まず第一に俺はあの人のことを胡散臭いと思っていたんだよね。実はそれで波菜さんに時風燈里の監視をするように依頼していたんだ。ただ、あくまで俺の感覚的に怪しいというだけで確たる証拠は無かったから、間違いである可能性も十分にあったんだけど」
「……流石に人間不信が過ぎるよ。燈里ちゃんは優しい先生だって、生徒思いの先生だってみんな知って……そんな先生を疑っていたの?」
「そんなに優しい先生なら俺がいじめを受けている状況を黙認する筈がないんじゃないかな? あの人は常に一線を引いているように見えた。……まあ、当事者同士で解決すべきとか、学校は社会の縮図だから大人・先生という機械仕掛けの神が安易に力を振るってはいけないとか、そういう意図があったんじゃないかと睨んでいる。小動物っぽい可愛らしい先生に見せかけて割とあの人はスパルタ寄りだよ。そして、そういう考えそのものには好感を持っている。……まあ、だからあの人の立ち居振る舞いや言動はどこかふわふわしていて本心がほとんど感じられなかったんだけど、まあ、生徒思いの先生であったことには違いがないんじゃないかな? でも、たった一つだけ彼女の言葉に深い重みを感じた瞬間がある」
それは、珈琲畑にて燈里が無縫に語った言葉だ。
『……私ってこんな見た目だから勘違いされることが多いですけど……自分で言うのもなんですが、かなり遅咲きなんですよ。大学進学も大変で、それでも頑張って……結局三年生の途中で学費が無くなって中退してしまいました。そのまま社会に放り出されてしまった訳ですが、その先に待っていたのは冬の時代でした。ロクな仕事にもつけず、その日暮らしを長いこと続けて……景気も一向に良くなる気配はなく、そんな一寸先は闇の生活を続けて……ようやく、大学に通えるだけのお金が貯まったのもつい最近のことなんです。現役の大学生に混じっても問題ない容姿が、子供だと馬鹿にされることが多くてコンプレックスだった容姿がこの時だけはとても頼りになりました。……未来は明るくなくてはならない。目一杯学生を謳歌して、安心して就職ができる。老後になんて悩まなくてもいい……そんな世界が本来あるべき形だと私は思っています。まあ、先生も夢見る子供じゃないですから、なかなか現実的に厳しいことは理解していますけどね。……安心して暮らせていた日常が、青春の時代が関係のない者達によって容易く奪われてしまうのは本当に許せません。況してや、殺し合いの道具に使うなんて……』
彼女の根底には間違いなく就職氷河期があり、「目一杯学生を謳歌して、安心して就職ができる。老後になんて悩まなくてもいい明るい未来」という理想が根底にある。
しかし、現実はそんな理想からかけ離れたものだ。
「……それで、襲撃者はなんと名乗っていた?」
「確か『Yesterday Once More』と名乗っていたわ」
「『Yesterday Once More』……時風燈里は不景気が原因で大学を中退し、その後就職氷河期の煽りを受けている。時代を考えるとその前にあったのはバブル時代。プラザ合意とルーブル合意による円高不況のショックを和らげるために内需主導型の経済成長を促すため公共投資拡大などの積極財政を取った大日本皇国政府の政策や、段階的に公定歩合を引き下げた日銀の行動が長期景気拡大をもたらした一方で、株式・土地などへの投機を許しバブル発生を引き起こした。日銀は積極的にバブル潰しを行った結果、失われた三十年と呼ばれる時代が到来する。……その時代を時風燈里は経験しているが、その前のバブル時代も肌で感じているということになる。『Yesterday Once More』のYesterdayがバブル時代を指しているとすれば、色々と見えてくるものがあるけど……じゃあ、具体的にどういうことをしてその願いを果たすのかってことが問題になるよな。帰還できたってことは空間転移は使えるんだろうけど、時間干渉は俺も知らなかった技術だし、仮に時空魔法が使えてもバブル期を再現することなんてできない。……そもそも、なんでそのタイミングで姿を消したのかも理解できないしなぁ。分からないことが流石に多過ぎる」
「……話が飛躍してよく分からないけど、流石に考え過ぎじゃないかな? でも、燈里ちゃんが姿を消して、燈里ちゃんを誘拐した存在が未だに出てきていない以上、自作自演の可能性も……確かに捨てきれないわね。信じたくないけど……燈里ちゃんが……」
「まあ、落ち込む必要はないってことだ。晴香さんが力不足だから守れなかったって訳じゃない。……本人が率先して誘拐されたフリして姿を眩まそうとしている状況で対処なんて余程実力差がなければ不可能だからな。――情報提供感謝する。それじゃあ、俺はそろそろ地球に戻らせてもらうよ。内藤さん達内務省の面々が地球に帰還させてくれると思うから、内務省の職員の指示に従うこと。他のクラスメイト達にもそのように伝えておいてくれ。よろしく頼むよ」
「……分かったわ。さようなら、私達を救ってくれた英雄さん」
無縫は何も言わずに右手の拳を突き上げると、展開した時空の門穴の中へと消えていった。
◆キャラクタープロフィール
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・薗咲晴香
性別、女。
年齢、十七歳。
誕生日、七月二日。
血液型、A型RH+。
出生地、雷鋒市。
一人称、私。
好きなもの、特に無し。
嫌いなもの、特に無し→不甲斐ない自分。
座右の銘、特に無し。
尊敬する人、時風燈里。
嫌いな人、特に無し。
職業、高校生。
主格因子、無し。
「召喚勇者の一人で、燈里親衛隊のリーダー。ルインズ大迷宮では、命の危機を無縫に助けられた。リック率いる燈里専属護衛隊や燈里親衛隊の仲間達と共に燈里を守っていたが、『Yesterday Once More』と名乗る謎の者達の手によって燈里を目の前で攫われてしまった」
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