怨嗟と殺戮の結末。
ネガティブノイズの召喚という前代未聞の危機に直面しているルーグラン王国。
敵味方入り混じる混沌とした戦場に第三陣営を召喚する無縫達の判断に驚愕して正気を疑ったものの、波菜が状況を鑑みて標的を変えることは無かった。
彼女の第一の標的は召喚を実行した異世界人――ルーグラン王国の民達である。
恩人である無縫に止められたこともあるが、ここ数ヶ月の間イリスフィアを見張るという名目で行動を共にしたことで情が湧いてしまったということもあっていたイリスフィアの命を奪う気はすっかり失せていたが、それ以外の王国関係者の命は容赦なく奪うつもりであった。
王城にいる執事、侍女、騎士、文官、料理人に至るまで見つけたものは手当たり次第に殺していく。
魔王と肩を並べるほどの強大な戦力が闇に堕ち、敵として牙を剥き、虐殺の嵐を巻き起こしていった。
共に仕事をしてきた同僚が殺され、上司が殺され、部下が命を落とし、職場で出会って結ばれた夫や妻が目の前で命を落とす。慟哭と怨嗟の声は、しかし、理不尽に振り下ろされた堕ちた勇者の黒き光を纏った聖剣によって容易く掻き消された。
殺戮の嵐の只中にあって、ただ一人、黒崎波菜だけはまるで凪のようであった。感情一つ動かすことなく淡々と命を奪っていく姿は死という概念が凝縮し、具現化した死神のようであった。
「――黒崎波菜ッ!!」
「……イリスフィアの姉のブリュンヒルダか。異世界召喚を黙認し、剰え僕達のことを見捨てて姿を眩ました臆病姫如きが今更姿を現して何のようかな? まさか、これ以上、殺人をするなとでも言いたいのかい? それとも、虐殺を繰り返す私を正義の王女として糾弾しに来たのかい? 僕はね、貴様みたいな奴がね、大っ嫌いなんだよ!! 結局、些細の標的の違いでしかないんだ。殺すのが人間か、それとも魔族か……それだけだ。人間も魔族も本質的には同じだ。見た目がほんの少し違うだけで中身はほとんど変わらない。結局、どれだけ取り繕ってもお前達がやろうとしていることは他国との領土争い――相手を殺し、支配し、領土を奪うくだらない陣取りゲームだ。そのために使い捨ての駒として召喚し、勇者として煽てる。他の世界の幸せに暮らしていた人々の人生を狂わせ、使い潰す。対価として領地や爵位を与えたから満足をしろ、姫や王子を当てがったから満足しろ? そもそも、お前達が異世界召喚なんてものを起こさなければ当たり前の幸せを享受できていたんだ! それを壊しておいて何様のつもりだよ!!」
闇に染まった光を聖剣に宿し、波菜がブリュンヒルダへと斬撃を放つ。
その剣はバチバチと音を立てる黒い稲妻を纏っていた。勇者の聖なる力だけに留まらず覇霊氣力までもが剣に込められているのだろう。
「――勇者殿の怒りはもっともだ。……異世界召喚を止められなかった責任は私にもある。だからといって、王国の民を殺すのは間違っている!! ――彼らは無関係だッ!!」
「無関係? この国に無関係な者などいないさ! 彼らは召喚勇者を歓迎し、魔族との戦いを皆期待していたじゃないか。そして、勇者に、あの獅子王のゴミ屑や、召喚勇者に期待したほどの力がないと分かると、神の使徒の名を汚したと非難した。自らが戦場に行く訳でもなく、陰口を叩く者ばかり。――そんな奴らに生きる価値があるとでも? ああ、君はそれよりも前に王城を去っていたから聞いていないのか」
「――くっ、わ、私達は勇者である貴方達の手を汚させないために聖武具を集めていて……」
「それじゃあ、話を変えよう。僕達の悲願である帰還の方法、それを君達は用意することができるのかな?」
「――ッ!? そ、それは……」
「今回はイレギュラーなケースであることを忘れないでもらいたいな。大日本皇国はたまたま帰還方法を確立していた。この異世界ジェッソよりも上位の世界だったからこそ勇者一行にとっての最悪の事態を避けることができた。だけど、基本的に異世界召喚に巻き込まれるのは帰還方法を持たない者達だ。手前勝手な理由で召喚され、帰ることも許されないままその世界で骨を埋めることを強要される。家族や恋人、大切な人との関係を断たれ、平和な日常を奪われ、殺伐とした殺しと、陰謀渦巻く腐り切った宮廷世界に放り込まれて弄ばれる。――異世界召喚は他人の人生を一方的に狂わせる最低の行為だ。だけど、世界には都合のいい話なんてない。君達が勇者を使い潰そうとするように、勇者が暴れて国民を殺し、国を滅ぼす危険性もある。そもそも、僕達勇者は、その世界では解決できない問題を解決するために呼ばれた存在だ。異世界人よりも強大な力を持っているんだ。力あるものが力ないものを従えるのが、本来の道理。異世界召喚に頼るしか能がない弱い奴に従う理由はないんだよ! 大人しく滅びの運命を受け入れろッ!! クソッタレなルーグラン王国ッ!! 【堕天光閃斬】!」
「――ッ!! 【渦焔斬剣】!」
波菜の放った斬撃を炎を纏わせた剣で受け止め、ブリュンヒルダは辛うじて命を繋いだ……が、その瞬間に剣の刃はバキリという音を立てて無数の破片と化した。
聖剣から繰り出される圧倒的な力を秘めた勇者の一撃を僅かな時間受け止めただけでも大金星だ。ブリュンヒルダの愛剣は十分過ぎる活躍をしたと言えるだろう。
しかし、それでもブリュンヒルダの命をほんの数秒繋いだだけに過ぎない。
波菜はブリュンヒルダを殺す気満々で、再び剣を構え直していた。
「――ッ! それでも、私は……」
波菜の言葉は正しい。
表面化していなかっただけで、理不尽に異世界に召喚された者達は大なり小なり怒りを抱えていた筈だ。
ルーグラン王国や白花神聖教会の行いに憤りを覚え、糾弾する権利はある。
その些細な権利すらも取り上げるのであれば、ルーグラン王国は本当に波菜の言う通り勇者の自由を奪い、奴隷として酷使していることになってしまう。……まあ、既に自由を奪って戦争を強要している時点で勇者という名の奴隷を酷使していることは否定できない訳だが。
波菜の場合は過去に一度異世界に召喚されて凄惨な目に遭っていた。
そんな彼女にとって異世界召喚は地雷そのものであり、これほどの虐殺を巻き起こす原動力となったのだろう。
だが、それでもルーグラン王国の王女として黒崎波菜の行いは見逃せない。例え刺し違えるとしても、ブリュンヒルダはルーグラン王国の国民を守らなければならない義務がある。
ルーグラン王家に王女として生まれた者として、民によって生かされてきた者として、ブリュンヒルダには王国民を守る義務があるのだから。
「……すまない、波菜殿。ルーグラン王国のために、貴女をここで止める。例え、刺し違えてもッ!!」
「勇者のために、手を汚させないようにと言いながら召喚も止めず、僕を殺そうとする……ね。いい加減気づきなよッ! 君のやろうとしていることは根本から矛盾している。結局、君も他のルーグラン王国の王族と同じ、勇者を都合のいい駒として使い、邪魔になれば処分しようとする――僕達にいい顔をしようとするだけ余計にタチが悪いんだよッ!!」
灼熱の業火で球体を生成し、ファイアボールを波菜へと放とうとするブリュンヒルダに、波菜が容赦なく【堕天光閃斬】を放とうとする。
だが、ブリュンヒルダも波菜も実際に攻撃を実行に移すことはできなかった。
二人の間に、イリスフィアが割って入ったからだ。
波菜を止めるために一生懸命走ってきたのだろう。
ぜいぜいと荒い息を吐きながらイリスフィアは覚悟の篭った瞳を波菜に向けた。
「はぁはぁ……波菜さんの怒りは、もっともです。異世界召喚をして、私達は波菜さんのトラウマを呼び覚ました。貴女を召喚したあの世界ほど私達は酷いことをしたつもりはないですが、結局、私達も波菜さん達の自由を奪い、平和を奪い、大切な人と引き離した……その事実は動かすことができません。……お怒りはもっともです、許して欲しいなんて言える筈がありません。その怒りはきっとどれだけルーグラン王国の民を殺しても決して消えないものだと思います。それでも、もし、私の命を捧げて気が晴れるのなら、どうぞ私を殺してください。ルーグラン王国の民のために、人間の平和のために、異世界召喚の魔術を使ったのは私です。全ての元凶は、私なのですから……」
「――ッ!? イリスフィアッ!!」
ブリュンヒルダを守るように手を広げ、己の命を差し出す覚悟を決めたイリスフィアは目を瞑った。
死を受け入れる妹の言葉にブリュンヒルダが叫び声を上げる……が、ブリュンヒルダの幻視した最悪の未来は訪れなかった。
「なんで……なんで、邪魔をするんだよ。イリスフィアさんを殺す、そんなこと、できる筈がないじゃないか……僕の過去を知って、涙してくれた貴女を……憎くて憎くて仕方なかったのに、それなのに、それなのに……」
波菜の手から落ちた聖剣が地面に落下し、カランと無機質な音を立てた。
「……終わった、のか?」
まるで幼子のように泣き崩れる波菜と、そんな波菜を優しく抱き止めるイリスフィアを、殺戮の嵐の呆気ない幕引きを、ブリュンヒルダは呆然と見つめることしかできなかった。




