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望まれぬ英雄 ~虫も殺せない僕が魔王になった理由(わけ)~  作者: 牧田紗矢乃
〈Episode5〉

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-7 呑まれる

 クレハがナルザン上空へ通りかかった時、そこではちょうど戦闘が行われていた。

 草原に七つの亡骸が転がっており、そのどれもが古めかしい鎧を身に着けている。


 魔王を倒すために遣わされたはずが、いつからか同じ意志を持つ人間を襲うようになったという古の兵士の話はクレハにも聞き覚えがあった。

 しかし、実物を見たのはこれが初めてだ。


 彼らはきっと憎しみが魔を生むことを知らぬまま魔族に対する強い憎しみを抱いてきたのだろう。

 それが結果として彼らを「魔族」にしてしまった。

 哀れな兵士たちを葬ったのは、クレハが探し求めていた少年だ。


 ユラは敵の大将であるシュバルツを核とした複合体と対峙していた。

 シュバルツは六本の腕のうち三本をすでに切り落とされており、元より動きの悪い足はさらに動きが鈍っていた。


 辺りは二人の息遣いだけが聞こえ、行動を共にしていたはずのアルフォンソやマリアンヌの姿はない。

 魔王の魔力の影響は近くまで及んでいるようで、森はほんの数十メートル先のところまで侵食され腐り落ちていた。

 根が腐った木が倒れる音は戦闘に集中する二人の耳に入っていないらしい。


 己の体から流れ出した血液か敵を切りつけた時に浴びた返り血かもわからぬほど血まみれになったユラの表情を見たクレハは、自分がまだ空中にいることも忘れて蝶から人へと姿を移した。


「ユラっ!」


 クレハが鋭く声を上げるのとほぼ同時に、ユラの爪が掬い上げるようにシュバルツの顔面に突き立てられる。

 そのまま真上に引き上げられた腕は、敵の巨体を鎧ごと力任せに引き千切った。

 大きく引き裂かれた体から噴き出した血が雨のように降りかかる。


 その一撃が決め手となったのか、その場に巨体が崩れ落ちた。

 シュバルツが完全に沈黙したのを見届けたユラはゆっくりと振り返り、ようやくその視界にクレハの姿を認めた。


「……若造め、やりおるな。ふははははっ!」


 シュバルツの笑いが森にこだまする。

 その声は鎧の中の肉体が発したのではなく、どこからともなく沸き上がった空気の揺らぎのようなものだった。


 クレハが介入するよりも早く勝負は決着してしまった。

 その結果としてこれからもたらされるであろう事象に、眉根を寄せてため息をついた。


 シュバルツの豪快な笑い声の残滓が森に溶け、それに続くように魔力を孕んだ黒い霧が鎧から引きずり出される。

 黒い霧はユラに吸い寄せられるように向かってきた。


 緊張の糸が切れたのか、ユラの膝が折れた。

 すかさず駆け寄ったクレハが黒い霧からユラを守るように体を抱き止める。

 クレハは必死に霧を手で振り払おうとするが、魔力の黒い霧はユラの体に溶け込んでいく。


「……う、うっ……」


 霧を吸収して数秒後。

 低く呻いたユラは、クレハの腕の中でゆっくりと目を開いた。

 その瞳はどろりと澱んでいる。


 二人の視線がぶつかったその瞬間、強烈な殺気を放ってユラの爪が伸びた。

 クレハはその手を撥ね退けて後方へ跳ぶ。


「ユラっ!」


 クレハが呼びかけるも、ユラの瞳は焦点を失ったままで獲物を狙う獣のように低く唸っていた。

 その姿に、恐れていたことが現実になってしまったのだと悟った。


「……呑まれた、のね」


 おそらく。今ユラの体を動かしているのは、ユラ自身ではない。

 長くこの土地に留まっていたことで、シュバルツやその仲間の兵士たちの体には莫大な魔力が蓄積していたことだろう。

 それを一度に吸収してしまったことで自我が閉ざされ、体を支配されてしまっているのだ。


 これこそクレハが最も恐れていた事態だった。


 ユラの動きを制御しようと、リックから奪ってきた笛を手に取る。

 リックと同じように制止を意味する高音を吹き鳴らすも、ユラはわずかに動きを止めただけだった。

 そして、腹立たしげに顔を歪めたユラは地面を蹴ってクレハに肉薄した。


 クレハは蝶に姿を変えてユラの攻撃をかわすと、上空へ舞い上がってユラの攻撃の射程圏外へ逃げる。

 軽やかな動きにクレハの姿を見失い、ユラは視線を彷徨わせた。

 獣のような鋭い視線がこちらを向かないよう祈りながら、クレハは茂みの中に身を隠して人間の姿に戻る。

 物音を立てぬよう、慎重に笛を口元に宛がった。


 それは、一か八かの賭けだった。

 笛の音が効果しなかったり、途中で間違えたりすれば無闇に自分の居場所を知らせることとなる。

 緊張で乾いた唇を舐めて濡らすと、大きく息を吸い込んで笛を咥えた。


 笛はリックが手にしていた時と違い複雑な旋律を奏でていく。

 そのリズムはかつてクレハが酒場を回り弾き語っていた頃のピアノの旋律にも似ていた。


 音色の一つ一つは細かな命令だった。

 戦闘態勢の解除、戦意の放棄、ユラの意識支配の終了。

 数え切れないほどの命令を丁寧に何度も繰り返し、徐々に従わせていく。


 獰猛な獣のようだった目が次第に落ち着きを取り戻してきた。

 クレハを切り裂かんと研ぎ澄まされた爪も本来の人間らしい手に戻った。

 命令の一つ一つが効果を発揮していくのを実感し、次第にクレハの肩の力が抜けていく。


 魔力の暴走から解き放たれたことで、ユラの体は糸の切れた操り人形のようにその場へゆっくりと崩れ落ちた。

 その体を受け止めようと、クレハは草むらを出てユラへと駆け寄った。


 その時ばかりはクレハも油断をしていた。

 クレハを襲う鋭い痛み。

 それは身体を貫いた鋭い爪がもたらしたものだった。


 どくどくと温かな液体が溢れだしていく。

 クレハの力をもってしても、もうどうしようもないほど深い傷だった。


「……ユラ、愚かな子」


 それだけ言うのがやっとだった。

 クレハの手を滑り落ちた笛は、彼女から流れ出した血だまりへ沈む。

 妖艶な唇はもう何も語らず、力を失ったたおやかな肢体はユラを抱きしめているのか、ユラに縋りついているのかもわからない。


 クレハの体は砂のように崩壊し、これまでの魔族とは比べようもないほど大きく深い闇の靄があらわになる。

 それすらも呑み込んだユラの体は、急激な変化の波にもみくちゃにされた。

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