-3 想い出のあの歌
「あ……あった……」
思わず声が漏れる。
埃とクモの巣にまみれてはいるが、そこは確実にユラが見たあの部屋だった。
熱にうかされたような足取りでピアノに近付くと鍵盤をひとつ押し込んだ。
長年使われていなかったピアノは調律が乱れているものの、しっかりとした音を奏でる。
部屋を見て回っているとピアノの調律に使う道具が見つかった。
酒場で調律の様子を見たことがあったユラは、見よう見まねでピアノの音を修正していく。
その間、アルフォンソは他の部屋を見てくると言って部屋を出てしまった。
どうにかそれらしき音が出るようになった頃、ふらりとアルフォンソが帰ってきた。
すごいな、と感嘆の声を漏らし、傍らの椅子に腰かける。
「どうだ、使えそうか?」
「うん。なんとかね」
鍵盤にひとつずつ触れて音を確かめていた手が、旋律を紡ぎ始める。
無意識のうちにユラの手は白昼夢で見た女性が弾いていた曲を奏でていた。
「悪い、その曲はやめてくれないか」
アルフォンソが心地よくピアノを弾いていたユラの手を掴んだ。
その顔面は蒼白だった。
「その曲はその……、ちょっと苦手なんだ」
彼がここまで言い淀むのは珍しい。
その様子にただならぬものを感じて、ユラは大人しく従った。
「何かあったのか?」
「……ユラ、本当にここのことを何も覚えてないんだよな?」
疑問に疑問を返される。
その意図が掴み切れず、ユラは首をかしげた。
「ここはオレの家だ。短い間だったけど、ユラも一緒に住んでたんだよ。思い出すのは辛そうだから触れないようにしてたけど……」
本当に覚えてないんだな? と念を押される。
その勢いに押されながらも、ユラはこくりと首を縦に振った。
――この屋敷に住んでいた? 自分が?
にわかには信じがたかったが、それならば白昼夢のように蘇った記憶にも説明が付く。
ユラはアルフォンソにこの屋敷に入って間もなくして浮かんできた映像のことを話した。
「なるほどな。その記憶の中で聞いた曲を弾いたってわけか」
「うん……」
「あれはな、お袋が好きだった曲なんだよ。あの曲を聞くとつい思い出して……」
言葉を詰まらせたアルフォンソは、目を伏せて顔を背けた。
「ってことは、あの人と女の子は――」
ユラの言葉の意図を汲んで、アルフォンソが静かにうなずく。
彼はこれまで故郷のことを多くは語らなかった。
それがユラへの気遣いと辛い過去を遠ざけるための行為だったとは気付きもしなかった。
アルフォンソはいつもユラを見つめ、気にかけてくれていたというのに。
その優しさにただ甘えるだけで、アルフォンソのことをよく見ようとしていなかったのだと痛感させられる。
「ここが魔族の襲撃にあったあの日、お袋と妹のエレノアはこの家にいた。でも、逃げるのがちょっと遅かったらしいんだ……。
家の前に瓦礫の山ができてただろ? あそこで見つかったんだよ」
「そんな……。で、でも、アルはその時どこにいたんだ?」
「オレか? オレとユラは親父の会社にくっついて行って遊んでたんだよ」
そこで自分の名前が出るとは思いもしなかったユラは、思わず言葉を失った。
自分の記憶には全く残っていないが、アルフォンソは冗談でそのようなことを言う人間でないこともよく知っている。
何ともいえない居心地の悪さでユラは顔を歪ませた。
「魔族の襲撃を知ったオレとユラは先に外へ逃げたんだ。親父はその時大事な仕事を抱えてたんだろうな。ちょっと倉庫に寄ってから来るって言って、それっきりだ。
……と、こんな話をしてる場合じゃなかったな。ピアノの練習するんだろ?」
アルフォンソが話題を変えてくれたことで、ぎこちないながらもユラの手が鍵盤に伸びる。
酒場での本番まではあと三時間ほどしか残されていない。
代役を任せてくれた酒場の主人の顔を立てるためにも、練習はしていかなければ。
「おい! 誰かいるのか!」
ユラの手を止めさせたのは、年配の男の声だった。
その声にユラとアルフォンソは顔を見合わせた。
行こう、とアルフォンソが小声で言うと、ユラもそれについて歩き出す。
階段のところまで出向くと、崩れた階段の下でこちらを見上げている男性がいた。
険しい表情のその男はみすぼらしい格好をしており、浮浪者らしいということが見て取れる。
「あ、昨日の……」
アルフォンソが声を上げると、階段下の男もハッと目を見開いた。
「あの時の兄ちゃんか! そんなところで何してる」
「えーと……」
アルフォンソは返答に詰まった。
それを見かねてか、浮浪者が「とりあえず降りてこい」と二人を呼ぶ。
「どうする?」
ユラが小声で問いかけると、アルフォンソは小さなため息をついた。
「練習してたところ悪いが、降りよう」
「……うん、わかった」
二人が迷いなく二階から飛び降りてきたことに浮浪者は驚いたようだった。
ユラも自分が飛び降りるのはともかくとして、アルフォンソまで一緒になって飛び降りるとは思わなかったので着地の衝撃で怪我などしていないかと慌てて安否を確認しに向かう。
アルフォンソはいつもの笑顔で「大丈夫だって」と言うが、あまり無茶な行動をするとアルフォンソまでそれに合わせかねないということを知ったユラの表情は硬いままだった。
「……兄ちゃんたち、どうやってあそこへ上がったんだ」
浮浪者に問いかけられるが、アルフォンソは答えない。
思いもかけない出来事に気が動転しているのだ。
向こう見ずに二階から飛び降りてしまったのもそのためで、笑顔で取り繕いはしたが心臓はバクバクと暴れまわっていた。
「あそこの柱に出っ張りがあるじゃないですか。あそこにロープを引っかけて……――
あっ! 二階にロープ忘れてきた!」
やってしまったとばかりにユラが声を上げる。
しかし、本当はロープなんて使っていない。
この場をしのぐため、機転を利かせてくれたのだ。
ユラの計らいに気付いたアルフォンソは心の中で礼を言った。
「ふーん……。で、二階で何をしてたんだ? 人様の家に忍び込んで悪さしようって魂胆か?
兄ちゃん。そのための下見にきてたんだな?」
ドスの利いた声で問い詰められたアルフォンソは引きつった顔で首を横へ振った。
「ぐ……偶然ですよ。こいつを探してたらたまたまここにいて。上に上がるのに成功したっていうから引き上げてもらったんです」
事実を述べているのに、あまりにもできすぎた内容にアルフォンソ自身でさえ現実味がないと思える。
ユラも「本当ですよ」と重ねて言ってくれるが、それが逆に嘘臭さを引き立てているようにも感じられた。
「ほう? じゃあ坊主は何しにここへ来たんだ」
アルフォンソの話はまるで信じていない素振りを見せつつ、次はユラへ水を向ける。
ユラは動じることなく「ここならピアノがあるかなと思ったんです」と返した。
「ピアノだぁ?」
「はい。今日、急遽酒場で演奏しなきゃいけない事になりまして。どこかで練習したいなぁと思ってこの辺を歩いてたらこの立派なお屋敷があったんですよ。
ここならピアノもあるんじゃないかと思って入ってみたらドンピシャでした」
ユラの返答にアルフォンソは顔を歪めた。
こちらも事実を話しているのに、どうしようもなく嘘臭い。
「ところで、おじさんは何の権限があって僕らに説教しようとしてるんですか?」
向こう見ずなユラの反撃にアルフォンソは軽いめまいを覚えた。
浮浪者の険しかった顔が怒りでみるみるうちに紅潮していく。
「おれはなァ、ここの主人の知り合いだ」





