僕とボク
ふと、目が覚めた。いや、時計を見ると目を閉じる前と比べて数秒しか経っていないので、実際には目が覚めた感覚がするだけなのだが。
ともかく、もう既に0時を回っている。早くはないとはいえ、明日も学校に行くのだから夜更かしはこの辺にして、そろそろ寝よう。
(……どうすれば……、わからな……。もうなにも……ない、……ない……。頼む、いっそーーーくれ。)
そう思って立ち上がると、どこかで聞いたような声がした、気がする。いや、聞こえたと言うよりも、思い出したのだろうか。頭がうまく回っていないせいか、思考もまとまらない。これは良くない。頭を振って声を追い出すと、今度こそ寝床まで行って潜り込む。
ともかく今は寝よう。もう、疲れてしまった。
「……という夢を見たんだ」
「お、おぉう。それで?」
「いや、それだけ」
はぁ、とため息をつかれてしまう。
おかしい。聞いてほしい話がある、とは確かに言ったはずで、まさしく今、その話を終えただけなのに。
「あのな、勇吾。そんな訳のわからん話を突然聞かせて、俺にどうしろってんだ」
「どう、って……別にどうも。ただ聞いて欲しかっただけだし」
はぁ、とまたため息を落とされてしまった。それにしても……勇吾、勇吾か……。
それがボクの名前らしい。らしい、というのも、どうにも実感がわかないのだ。それが自分の名前だという実感が。そればかりか、過去に経験したはずの思い出全てに対して実感がわかない。もちろんヘンテコな話かつ、自分でもうまく説明できないから誰にも話したことがなかった。なかったが、記憶喪失に近いものなのだろうかと考えたことはあった。
もちろん、記憶喪失との違いは、実際には記憶がなくなっているわけでは無いということ。ただ、その記憶が本当に自分のものかがわからない。
例えば一年前。記憶では確かに旅行に出かけている。が、それを思い出すボクは、どこかそれを近くから眺めているような感覚がする。ボク自身が経験した思い出、というより誰かの経験を映像として見ている感覚だ。それだけならよかった。いやよくはないけれど、まだ納得できた。けれど、この学校に入学して少し経った頃、それより以前の記憶全てがそう感じられるようになっていた。生まれた時、はもともと記憶がなかったけれど、幼稚園あたりから小学校、その先最近に至るまで。その全ての記憶の中にいる、ボクらしき彼は、果たして本当にボクなのだろうか、と。
「……吾、勇吾ってば!」
「ぇあ?何?」
「『何?』って、お前な。自分で話振っておいてそれはないだろ……。それよりほら、もう予鈴なったぞ」
「あ、ほんとだ」
予鈴がなった後で席についていないと先生に目をつけられてしまう。流石にそれが面倒なことなのは覚えているので、おとなしく話を切り上げて席へ向かった。
……ーン、コーン
「っと、今日はここまでだな。ちゃんと復習しておけよー」
終業のチャイムが鳴ると、待ってましたとばかりに先生がチョークを置いた。そのまま、テストも近いからなー、と付け加える先生の口調はどこか間延びしている。そして、そんなやる気があるんだかないんだか分からない忠告の後、すぐさまHRが始まった。
その日の最後の授業が担任だと、こういうことができるのは楽だ。
早速、今日はどこどこへ行こう、と相談を始める同級生を横目に、教室を出る。向かう先は図書室だ。
ガラガラ、と少しずつ錆び始めているドアを開くと紙の匂い。早いねぇ、と笑いかけてくる先生には会釈を返して、そそくさと奥の方へ。本を手に取って、ページを開いた途端に肩にずしりとした重み。そこでようやく、まだ鞄を下ろしていなかった事を思いだした。
部屋の中央に設置してあるイスへ目を向けると、見覚えのある顔が二つ。それぞれ別々に座っている彼らとはまた別の場所に席を取る。そうしてようやく、さっき手に取った本、児童向けの小説を開き直した。
小説を読んでいると、不思議な気分になることがよくある。なにせ似ているのだ、小説と自分自身が。といっても、別に登場する主人公と似ているとか、そういう訳じゃない。小説とそれを読む読者という関係が、昔の記憶とボクの、まさにそれだった。
そうなると、自然と考えてしまうことがある。ボクの記憶も、小説なのではないか、と。どこかの作家が書いた、出来がいいとは言えない話のひとつなのでは、と。
であれば、この『ボク』はーーー
「よぉ、また難しそうな顔してんな」
そんな声に顔を上げれば、見知っている、はずの顔。昔からの友達、らしい人の顔があった。
「三上くん、おつかれ」
「おう、待たせた。んじゃ帰るか」
立ち上がって本を戻す。また先生に会釈を返し、廊下に出る。廊下の空気はもうかなり冷たくなっていた。暖かかった図書室との温度差に、二人して身を震わせる。きっともう冬も近い。
「そういえば文藝部はどんな感じだ?ちゃんと部になりそうか?」
「あぁ、うん。人数も集まってなんとかなりそう。というよりも……」
頷いてから、つい言葉を濁す。この学校で新しく部を立ち上げるためには、一定人数の部員が必要になる。が、最初に危惧していた「部員が全然集まらないんじゃないか」問題はすぐに解消された。
「多く集まりすぎちゃって」
「へー、何人集まったんだ?」
「15人……」
野球でもサッカーでもチームが作れてしまう人数。はっきり言って多すぎる。
もちろん多いに越したことはない。ないが、それにしたって限度がある。文藝部である以上、部誌なるものを作ることになるだろうに、こんなに人がいれば、そのページ数は一体どれほどにまでなってしまうのか。とても、編集を一人や二人、それも学生の部活でやる量じゃない。
「まぁなんとかなるって。よく言うだろ?案ずるよりなんとかって」
笑いながらそういう彼に、ボクも釣られて笑うしかなかった。
校舎を出て校門を出て、しばらく行くと分かれ道が見えてきた。片方は駅へ、もう一方は住宅街へと続いている。
「じゃ、また明日な」
「うん」
駅へと向かう三上くんに別れを告げて、ボクもまた家へと進み始めた。少し歩くうちにふと、図書室で考えていたことに頭が戻ってきた。
もし、昔の記憶が小説ならば、このボクは一体誰になるのだろうか、と。
今のボクの記憶は、そのほとんどが昔の記憶を元にしている。仮にその記憶が偽物だったとしたら、そこには本来あったはずの記憶、それに本来いたはずの『僕』が存在することになる。
「我思う故に我あり」とは良く言ったもので、これはつまり、自分の事が思えなければ、自分が存在していないかもしれない、ということだ。では、自分の事を信じられていないボクは、果たして自分の事を思えているのか。もっと言えば、ボクは本当に存在しているのだろうか。分からない。
分からないが、気がつけば自宅の前。こうして分からないことを考え続けてしまうのは、疲れているからだろうか。そうだ、そうあってほしい、そうであってくれ……。頭の中で再三願ってから玄関をくぐり、自室の寝床に向かう。一眠りして頭をスッキリさせたら、夕食までに今日の課題を終わらせよう。そう考えて目を閉じる。無論、目が覚めると既に夕食の時間。そこには、呼びに来たであろう母の姿があった。
夕食を終え、自室に戻ったボクは、さっきできなかった課題に取り組んでいた。けれども課題は一向に進まず、頭の中は別のことを考え始めていた。
「自分探し」という言葉を聞いたことがある。学園物の漫画などで、たまに見かける言葉だ。なんでも、思春期の少年少女が特に理由のない、漠然とした不安に襲われて行う行動のことらしい。
似ていると、思ったこともある。ボクの今の状況は見る人によっては、大層それに近いだろう。けれど、『自分探し』を始める物語の主人公はどこか苦しんでいて、不安と不満に押し潰されそうで。その苦しさから脱却しようと必死で行動を起こしている。それはボクにはない感情で、行動だ。ただ漠然と不安に思うのは一緒でも、ボクの探そうという熱意は限りなく低い。それは決して、物語に出てくるような青春の一幕ではないだろう。
惰性的とさえ言えるような感情で、ボクは探し求めている。ボク自身の生まれた理由を。そしてなぜ、昔のことを記憶として覚えていないかを。これからも、ずっとずっと。きっと見つかると信じて。
…………。
………………。
いや。
ほんとは分かってる。
どこにいるかも、探しても意味がないことも。
自分って奴はずっと前にボクが殺した。
殺してくれと、『僕』が願ったから。
「『僕はもう』どうすれば『いいのか、どうしたいのか』、わからな『くなったんだ』。もうなにも『感じたく』ない、『考えたく』ない……。頼む、いっそ『殺して』くれ。」
そう願われたから。
ズタズタにしてぐちゃぐちゃにして、そうして最後には動かなくなった。
ボクは所詮『僕』のガワを被った偽物。
その時に生まれた、ただの偽物。
感情も欲も向上心も少なくて、顔で笑って顔で泣いて顔で怒っても顔で驚いても、心には何も。
吐く言葉もどこか薄っぺらい、ただの偽物。
…………。
………………。
ずっとずっとそう思っていた。君と会って、その言葉をかけてもらうまで。君が火をつけたんだ。ほとんど消えて、燃えかすも同然だったボクの心に。もう一度ちゃんと、満足するまで探そうって。
「だったらさ、とりあえず今のお前はーーだな。」
その日からボクは、ーーになった。そしてその日は、今日から数えて3日目のことだった。




