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垣根の魔女~あなたのやり残したこと~

 枯れた花弁のように、命がこぼれ落ちていく。


 ぼろぼろ、ぼろぼろ。


 剥がれ落ちる蒼白い鱗片が、朽ち果てる皮膜の翼が、洞穴の底で音を立てる。


 抗いようのない微睡(まどろ)みと、身を削られる痛みが、ぼんやりとした意識の中を輻輳(ふくそう)して。

 目が覚めたところで、先まで見ていた光景が、幻想(ゆめ)であったことに気付く。


 まだ夢を見ているのか。

 諦めたくせに、叶うことはないと投げ捨てたくせに、まだ甲斐甲斐しくしがみついているのか。


(龍神ともあろう私が、弱ったものだな)


 皮肉を交ぜた自嘲が、内心で漏れる。


 《蒼白の龍神》。誰が初めにそう呼び始めたのか、それは分からない。


 ただ、生まれて間もなく、人間の騎士団によって両親が殺されたあの日から。


 心の奥底に積もった憎しみと怒りを吐き出す中で、その呼び名がついた。


 村を焼いた。町を壊した。国を滅ぼした。

 幾人もの英雄を名乗る狩猟者や騎士の命を、この爪で切り裂いてきた。


 「仲間のため」「家族のため」と口々にする彼らを、その麻薬のように歪んだ正義感と、毒のように醜い快楽に溺れた中毒者を屠れることが、この上なく愉しくて──いつしか、私も歪んでいった。


 しばらくすると、英雄たちは姿を消した。


 一番の憂さ晴らしがなくなったことで私の熱も冷めはじめ、やがて自分の生まれた故郷に戻り、隠遁生活を始めることにした。

 

 

 それから百年余り。


 結局、彼らに生きる術も糧も奪われ続けた私は、彼らと同じように奪い続けてきた私には、何も残らず、何も残すことのないまま。

 いつかの両親と同じこの場所で、同じように朽ち果てようとしていた。


(そう云えば、今際の頃に現れる魔女の話があったな)


 ぼんやり漂う朝靄に思考を浮かばせたところで、ふと思い出す。


 『垣根の魔女』──死期の迫った者の前に現れるという、不滅の魔女の話を。


 曰く、彼女に心臓はなく、故に感情もない。

 曰く、彼女に感情はなく、故に感傷もない。


 そんな冷血の魔女は、願いを叶えることと引き換えに、その命を糧に不老不死の身を保っているという。


 生と死の狭間、垣根に立つモノ──故に『垣根の魔女』。


 まるで屍食鬼(グール)のような存在だなと思ったことを覚えている。


(くだらない。よくあるホラ話だ)


 どこかの放浪詩人が金銭に換えて面白おかしく吹き散らかしたに違いない。不気味で不可解なものに魅かれてしまうのは、古今東西変わらない生物の(さが)だ。


(だが、もしも、そんな魔女がいたのならば……)


 そこで再び、抗いがたい微睡みの波が押し寄せ、意識を呑み込む。


 ぶくぶく、ぶくぶく。


 幾つものあぶくが浮かび上がる、真っ暗な底に向かって。私は沈んでいく。


 浮かび上がるあぶくは、記憶の泡だ。

 ひとつひとつが、私のこれまでを映し出し、私の心を軽薄に暴いていく。


 そして、この記憶の底に続くのは、私の起源。

 《蒼白の龍神》と呼ばれる前の、まだ言葉も知らず、空の広さも知らなかった、幼い記憶。


『いいなぁ、ラニは。空が飛べて』


 ──そこに、少年がいた。


 あめ玉みたいに丸っこい瞳に、そよ風に弄ばれる蜜柑色のクセっ毛。

 私にとって太陽に等しい、光の少年。


 その少年は草原の中、仰向けに寝そべって、羨ましそうに口にする。


『デコボコの砂利道だってない。道をふさぐ山も崖もない。あのふわふわな白い雲とこのさわさわとした気持ちいい風を、独り占めできるんだもん』


 『僕も一度でいいから空を飛んでみたいよ』とぼやく彼に、私はそっと心の内でほくそ笑む。


 いまだから言えるが、優しく吹きつけるこの風も、高度が高くなれば嵐のように吹き荒れるし。あの白い雲だって、中身は水滴や氷粒ばかりでロクなもんじゃない。


『そうだ、いいこと思いついた!』


 そんな悠長にぼやく彼を微笑ましく思っているところで、少年がトレードマークの欠けた前歯を覗かせながら、ニッと笑って私のほうへ振り返る。


『ラニが大きくなったら、僕をあそこまで連れてってよ!』


 キラキラと光る胡桃色の瞳が、輝きを増して夢の続きを口にする。


『ラニは龍なんだから! きっと、もっとずっとおっきくなるよね! その時が来たら、僕とラニであの空を旅するんだよ!』


 そうだ、それがいい! と了承などなしに独りでに夢を語る彼は、最後にまたえくぼを刻んで。


『約束だからね、ラニ!』


「リアム……」


 瞼の裏に蘇る少年の姿に、その名がこぼれた。

 少年は、生まれて間もなく両親を失い、生き方の分からなかった自分に、優しさを教えてくれた。


 飢えと寒さに震えていた私に、あたたかいスープを飲ませてくれた。

 泥で汚れた身体を水で洗い流し、ふかふかの寝床で私を包んでくれた。

 知ることのなかった温もりを、私に与えてくれた。


『ん~……決めた! 君の名前はラニだ! この空みたいに綺麗だから、(ラニ)!』


 草原の中、蒼穹の彼方を見上げて、少年は言った。

 少年のくれたその名前が、少年の誉めてくれたこの蒼白い鱗が、そして少年のことが、私は好きだった。


 もう一度、彼に会いたい。

 もう一度、太陽のような彼のぬくもりに触れたい。

 もう一度、今度は、少年と交わしたあの約束を……。


 そこで――ズキッ、と。

 心地のよい夢の世界は、激痛とともに終わりを迎える。


 ぶくぶく、ぶくぶく。


 無意識の海を上った先は、絶望で塗り潰された現実。


 もうこの世界に、あの少年はいない。

 あの時、村を襲った盗賊たちにより、私たちは引き離され、その約束が果たされることはなかった。


 暗がりの洞穴に冷たい風が吹く。冷たい風が僅かな体温をさらっていく。

 霞んだ視界に、出入り口から射しこむ微かな光が見えて。


 私は遂に、諦めとともに自らを嘲笑った。


 夢という淡い光しか見れぬ哀れな龍神は、こうして無様に朽ち果てる。


 ──そう、思ったときだ。


『――うっひゃあ、こりゃまた険しいとこまで来ましたなぁ姐さん。いまからでもあっしの背中使いやすか? そうすれば姐さんも疲れず、あっしも姐さんのフトモモに挟まれてむふふグベェッ』

「──っ!?」


 下品な気配が近くで響いて、おぼろげだった私の意識が、驚きに目覚める。


(あり得ない。結界には全く反応がなかったはず)


 隠遁生活を始めるにあたり、山脈一帯に張っていた結界。

 それは感覚同期という至ってシンプルな結界術式であるが、マナ――人間の間では魔力とも呼ばれるようだが――を察知できる私が使うと、話は違う。


 マナは万物に宿る不変の理であり、余剰エネルギーだ。どんな生命にも例外なく、内在している。


 つまり──生物が、形ある存在が、私に気付かれずに近づくことなど、出来るはずがないのだ。


 あまりの異常性に自然、警戒が生まれる。

 のそりっと重石をぶら下げたように身体が重い。四肢に力が入らない。


 だから私は、最大限の魔力と威圧で、洞穴の出入口を睨む。

 ありったけの殺意は、それだけでいとも簡単に命を喰い殺してしまうだろう。

 

 しかし──ふらり、と。

 

 睨んでいた視界に現れたモノカゲを認めて、私は愕然とともに、得心する。


 ──生命反応が、ない。


 マナどころではない。心音も、足音も。

 生物として、存在として、そのモノカゲには一切の徴候がなかった。


 それは、そこにあってそこにはない、この世界とはかけ離れた《別の存在》。


「……ナニモノだ、ここが龍神の巣と知っての侵入か?」


 私は再び、威圧とともに問いを放つ。

 洞穴の底から、岩壁を這いずる私の殺気にも、モノカゲは微動だにせず、


「そう。あなたが、《蒼白の龍神》ラニね?」


 凛と、鈴を転がすような声を響かせて、容易に近づいてくる。


 人間の姿によく似たモノカゲ。洞穴に射しこむ僅かな白光に、その影のベールが徐々に剥がれていく。


 灰を被ったような銀の髪。小さな身体には足首まで覆う、夜色のローブ。

 手には身の丈ほどある細長いホウキが、ギシギシと音を立てる勢いで握られていて。


『ご、ごひゅっ……! 姐さんあかん、やばい、苦し……っ! 死ぬ、死んでまうって……!』


 喋った。ジタバタ穂先をバタつかせて、洞穴の埃を巻き上げながら、ホウキが喋った。


「あなたが悪いのですよ? 事あるごとにふざけたセクハラをしようとするんですから」

『そ、それはあっしなりの姐さんへの愛情表現と言うかなんというかグエェッ!』


 柄を持つ手に更に力が加わり、穂先のバタつきと埃の舞いようが比例して大きくなる。


 その光景をただ眺めていたところで、私は我に返る。


 なんだ、一体なにが起こっているのだ。


「貴様たちは、いったい……」


 頭の中で巡る言葉が、そのまま形となって、声になる。

 それに目の前の少女が振り返って、私の鋭利な有鱗目をまっすぐ見詰める。


 宝石のように美しく、機械のように透徹(とうてつ)された、その紫紺の瞳に──その灰色の姿に。


 私は脳裏を(よぎ)る、あの噂の魔女と、重ねずにはいられなかった。


「――わたしは、『垣根の魔女』。あなたの死を看取りに来ました」


 灰色のモノカゲはそう、平然と口にして。続けた。


「最期に、やり残したことはありませんか?」

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