幕間6.王都へ
※リリア視点
多くの敵国の騎士を縛り上げて、デートリア家の騎士さん達が連れて行きます。その様子を見つめて、ようやく私は体に入った力を抜きました。助かったのだと、今になって実感したのです。
「大丈夫? リリー」
心配そうに私を覗き込んだのはエルダさんです。彼女とエリクさんとルドルフさんは三人だけでジルシエーラ様の背中を護っていました。二十は超える数がいたというのに、服に汚れがあるだけで大きな怪我の様子はありません。流石というべきでしょうか。
「にしても、テオドールの父親ねえ? つまりあのクソったれ国王の切り札はこっちの騎士だったってわけよね? そう考えるとカッコ悪いわね」
「クソったれ……」
「エルダ、その言葉のチョイス、どうにかならないのか? まったく。そもそも、イシトエ国は我が国と比べて国土は半分程度だし、その内半分近くが山な上に、日頃から日当たりが悪く瘴気が溜まりやすいという立地だったはずだ。更に魔法適性のある国民が少ない故に、兵や騎士の実力がつかない環境だったはずだ。それを考えると、先々代陛下の時代、我が国がイシトエ国と互角の戦力しかなかった方が異常なんだ」
「……それほど先々代は力のない人間だったんだろうな。オレも噂しか知らないが、血筋だけを妄信し、国民も臣下も自分の駒としか考えていなかった王だと聞いている」
エルダさんの自由過ぎる発言に苦言を呈したエリクさんに、更に説明を加えるルドルフさん。あまり人の会話に入ることがないので珍しいことです。直接の関わりがなくとも、騎士という立場もあって、きっとルドルフさんにも思うところがあるのでしょう。先々代……ジルシエーラ様にとっておじい様になるはずの人です。大切な人の血縁者をあまり悪くは言いたくはありませんが、ジルシエーラ様からもあまりお話を聞いたことがありません。つまり、それは、彼自身も同じ考えがあるのかもしれません。
「まあ、だからこそ、今のあたし達は幸せよね。支えるべき王族が、聡明な人達なのだから」
「そうだな」
「あの、この人、兜を外してあげてもいいでしょうか? これではどういう状態なのかも判断できませんし」
魔道具を壊したからと拘束もせずに横にしていますが、そもそも彼は操られていたはずで。今、どのような状態なのか誰もわかっていません。ジルシエーラ様は王都との連絡をしていますし、他の騎士さん達は敵の騎士さんを連れて行くのに大変で、ここには私達しか手があいていません。
「そうだな。兜と鎧を取るか。エリク、手伝え」
「わかりました」
体の出来上がった騎士さんを持ち上げるのは大変です。エリクさんとルドルフさん二人がかりでどうにか真っ黒な鎧と兜を取り払いました。その下から出てきたのはテオドール先輩と同じ黒髪をした男性でした。目は閉じているので瞳の色まではわかりません。見た感じではそれほどやつれているようにも見えないので、ホッとします。ですが、問題は精神面でしょう。
「どういう原理かは知らないけど、瘴気を利用した魔石を用いた魔道具、ってことよね?」
「そう言っていたな。魔道具は僕も専門外だ。単純な構造ならわかるが……鎧には魔道具に使われる文字はないように思う。ということは、魔石本体を魔道具として用いていたんだろう」
「王子が砕いて川底に落ちたから調べられないわね。まあ、仕方ないことだけど」
セドリックさん相手に勝つのはいくらジルシエーラ様でもきっと難しかったはずです。だからこそ、一度私の強がりな提案を呑もうと葛藤してらしたのですから。むしろあの状態でセドリックさんの正体を見破り、揺さぶりをかけ、洗脳を解いたのは流石としか言いようがありません。
「瘴気関連なら、私の浄化の力が効くかもしれません。回復を促すためにもかけておきます」
「そうね! それがいいわ!」
ヴィエジ大森林での浄化はかなり広範囲で、今までにないほどの疲労を感じてはいますが、一人を浄化するくらいならできるはずです。そう思って両手の指を組んで集中します。すぐにセドリックさんの体全体が光を帯びました。しばらくして力を止めるものの、流石に目を覚ます様子はありません。
ルドルフさんが脈や顔色を確認して、体調面では問題はなさそうだと判断してくれたので、あとは自然と目が覚めるのを待つだけです。
「皆、すまない」
「連絡は取れましたか?」
ジルシエーラ様が戻ってきましたが、その顔色は優れません。やはり王都で何かあったのでしょうか。
「まだ連絡がつかない。ということは、本当に王都で何か起きていると思う。ひとまず、間に合わなくても元より王都に戻る予定だったし、すぐに準備して向かおうと思う」
「そうですね。いくら信用できない相手の言葉とは言え、こちらが被害を被っているという話を無視するわけにはいきませんし。そうだ、我が家に丁度いい物があります。融通できるか兄に相談してきますのでお待ちください」
移動について何か考えがあるのか、騎士を指揮しているアルバートさんの元へとエリクさんは走り寄りました。何のことかとエルダさんに視線で問いかけますが、彼女には思い当たることはないらしく、首を傾げるだけです。
「治療魔法をかけたのか?」
ジルシエーラ様が顔が見えるセドリックさんに気付いて近づきました。顔色が悪くないところを確認して安堵しているのがわかります。
「いえ、浄化の方を。瘴気を使っていたようですし」
「なるほど。ありがとう。できれば、王都に彼も連れて帰りたいところだが……」
「そうですね。ですが、急ぐ旅路なら厳しいかもしれません」
馬車で行くとしても人一人増えるとその分遅くなってしまいます。馬の負担も増えますし、戦えない人を増やすのは危ないでしょう。だけど、セドリックさんの奥さんは王都にいますし、もしかしたらテオドール先輩も戻ってきているかもしれません。それなら、一刻でも早く会わせてあげたいと思うでしょう。
「なあ、一つ気になったんだが……」
「何よ、珍しいわね」
周囲を見渡していたルドルフさんが静かに会話に入り込みました。普段あまり人の会話に参加しない方なので、確かに珍しいことです。
「浄化は終えているのに、今回は大精霊が出ないんだな」
「そういえば……」
「確かに、私も少し気になっていました」
実は浄化している最中も気になっていたのです。大精霊様らしき声が聞こえたのが一度きり。しかも、水の大精霊様と比べて浄化中ほとんど抵抗もされていませんでした。最初はイシトエ国側の聖地が浄化されなてかったからだと自分を納得させていましたが、結局最後まで声は聞こえることもなく、浄化を終えても姿を見せてくれません。あまりにも静かな聖地に、不安にもなります。
「まあ、でも、大精霊に会うのは必須じゃないでしょう? 浄化は終えているんだし、ここはこのまま撤退すべきじゃない?」
「確かに、呼びかけて現れる相手とは思えないしな。リリーも疲れただろうし、今日は早く休ませたい」
「いえ、私は大丈夫です。それに早く王都に向かいませんと」
疲れたというなら、この場にいる全員が疲れているはずです。私だけ甘えるわけにはいきません。王都が危ないというのなら、孤児院の子供達やシスター達のことも心配ですし。
「まあ、とにかく、森を出ましょう。兄はあの使用許可を両親から得るために少し籍を外していますから、この場にはもう僕達しかいませんし」
アルバートさんのところに行っていたエリクさんは離れながらもきちんと私達の会話を把握していたようです。戻りながらも提案してきました。アレ、とは何のことか未だにわかりませんが、確かに準備を終えないことには出発もできません。エリクさんの言う通り騎士の方々はもういなくなっていましたので、私達もセドリックさんを連れて聖地から出ることにしました。
けれど、突然私達の行く手を阻むように木の根が地面から突き出て壁を作りました。
「きゃっ!」
「リリー!」
驚いてよろけてしまいそうになったところをジルシエーラ様に支えてもらいました。気を抜いていた証拠で、自分が恥ずかしくなります。お礼を言って体勢を戻せば、木の根の上にいつの間にか人が立っていました。いいえ、人ではありません。息を呑むようなほど美しいその姿は、水の大精霊様と同じです。
長い濃い葉の色をした髪を風に靡かせ、焦げ茶とも薄茶とも見える不思議な瞳をした彼は、ジッと私達を見つめていました。
「あ、あの、もしかして木の大精霊様でしょうか?」
『……』
問いかけても答えは返ってきません。もしや違うのでしょうか?
「あの……」
『…………もしかして、浄化されたのか?』
「え?」
「は?」
何か思うところがあるのかと緊張していましたが、彼はのんびりとした口調で、ゆっくりと周囲を見やり、そして私達に視線を戻しました。それまでの時間十秒以上はかかっているでしょうか。それでも何も言いません。
「えっと、はい、浄化、しました」
もしかして答えを求められているのかもしれないと答えましたが、やはり無反応。どうしようと眉を下げて私はジルシエーラ様に視線を送ります。だけど、彼も困惑顔で大精霊様を見るばかり。
『…………そうか、浄化してくれたのか』
「もしかして、一応会話できてるわけ?」
「そのように思うな。だけど、大分時間差がありそうだが」
「見えない壁でもあるんですかね?」
「確か……水の大精霊様は穏やか過ぎてじれったくなるとは言っていたが」
「穏やかとすっごいのんびりはもう別の問題でしょうよ!」
その会話をしていても大精霊様は次の句を紡ぎません。どうしましょうと私はオロオロするばかりで、解決策は見つかりませんでした。
『女神の愛し子よ、礼を言う』
「あ! はい! ご無事で何よりでした!」
ようやくきちんと声を掛けられたのでそう答えますが、彼はゆっくりと頷いて微笑むだけで次の言葉はありません。これは、このまま帰ってもいいのでしょうか? また悩んでしまいましたは、水の大精霊様は切り上げていいと言っていたので、大丈夫なはずです。
「悪いけど、こっちは急いでいるの。あたし達はもう行く――」
『久々に清々しい気分だ』
「ちょっと、話し出すタイミング少しは考えなさいよね!」
「え、エルダさん落ち着いてください」
少し気が短い彼女には木の大精霊様とは合わないようです。いくら温和な大精霊様であっても、喧嘩腰はいけないと思います。
「もう、いいから行きましょう!」
確かに、このまま大精霊様の会話に付き合っていれば日が暮れてしまいそうです。既に夕暮れ近い時刻ですし、私達は早々に引き上げなければいけません。
『…………急ぐのか?』
「ええ! そうよ! さっきから言ってるでしょ!」
エルダさんの剣幕に気を害した様子もなく、大精霊様はまたゆっくりと頷きました。そうしてゆぅっくりと手を上げて、何かを差し出すように手のひらを上に向けたまま止まります。無言なので何をしているのかはわかりません。
「ちょっと! 行っていいの? 悪いの?!」
そろそろエルダさんが限界そうです。ど、どうしましょう! こういう時は双子のエリクさんが頼りなのですが! 見ても遠い目をしているだけで何もしてくれそうにありません!
『礼を』
「は!?」
その一言を発した後、彼の手の上が光りました。眩い光が収まると、そこには綺麗な石がありました。
「これは、もしや水の大精霊様からもらったのと同じ?」
『私の力が込められている。…………木の属性魔力が強い者が、使うといい』
「あ、ありがとうございます!」
またしても貴重な物をいただきました。もしかしたら聖地を先に浄化するのは、こういった恩恵をいただけるからというのもあるのかもしれません。魔王の力は壮大です。聖女の浄化の力が有効とは言え、人の力では限界があります。特に私だけの力だったら浄化しきれるか不安ですし、歴代聖女様はこうして大精霊様の力を借りることで今まで魔王と立ち向かっていた可能性があります。聖地を先に巡る。その本当の理由を理解できた気がしました。
大精霊様の魔石をいただいた後は特に引き留められることもなく聖地を出ました。すると、既に戻ってきていたアルバートさんがその場に待機していて、その後ろには見たこともない大きな馬車が置かれています。いえ、馬車、なのでしょうか? その割に馬はいませんし、馬を引くための構造もしていません。一応御者台のような場所はありますが、それも少し違います。
「アルバート、これは?」
「はい、実はこのデートリアで密かに研究して作っていた物です」
「何それ、あたし知らないけど」
「お前魔道具に興味なくてそういう話し合いに一切参加してなかっただろ」
じゃあ、この大きな物が魔道具なんですね! すごいです。馬車の動力を馬ではなく魔石にしたということでしょうか?
「馬車よりかなりスピードが出せます。ただ、まだ試作品段階のため、台数もほとんどなく、殿下に乗せても大丈夫なものはこの一台のみなのです。けれど、今は一刻も争うのでしょう? 乗り方はお教えしますので、よろしければ使ってください」
「助かる! 今日はどちらにしても出発するには時間が遅すぎるし、全員で一通りの説明を受けよう」
「ええ、そうですね。まずは私が使って見せますので、皆さんは乗って実感してみてください。速さと動きを感じてみないと、なかなか使いにくいと思いますので」
そう言われて乗り込んだ私達は、その魔道具の乗り心地に驚きました。確かにとても早いです。早いです……が、その分とっても揺れるのです!!
「この揺れが試作段階で止まっている理由です!」
アルバートさんの言葉に全員が納得しました。
こうして、一晩休ませてもらった私達は、広くなった魔道具の馬車に翌朝乗り込みました。余裕があるので、セドリックさんも連れて行くことにします。瘴気関連ならば、起きた時に何かあっても聖女の私の傍が一番だろうということもありますが。
「では、こちらは借りていく。王都の状況が分かり次第、連絡をしよう」
「はい。お待ちしています。隣国に関しては、私共でどうにかしておきますね」
「ああ。父上達にも報告して、そちらも合わせてどうするか後程連絡をする。何から何まで世話になった」
「いえ、殿下を支えられることこそ、名誉であります故。ご武運をお祈り申し上げます」
綺麗な騎士の礼をしたアルバートさんの後ろで、ご両親や他の騎士さん達も礼をした。その姿にジルシエーラ様は手を上げて応えれば、ルドルフさんが魔道具の馬車を動かしました。グンと速度を上げていく感覚は未だに慣れませんが、どんどん遠ざかる景色を不思議な気持ちで見つめます。
「これでどのくらいで王都に着くかしらね? 普通の馬車なら半月はかかる距離なのだけど」
「早くても街道を通らないといけない大きさだからな。どれほど急いでも五日はかかるんじゃないか?」
「それまでに、父上か伯父上からの連絡がくればいいけど」
憂い顔を浮かべるジルシエーラ様に、私はそっと体を寄せます。何だかんだいろんなことを考えたりしなくてはいけなくて、ずっと伝えられなかったことをそっと呟きます。
「遅くなりましたが、助けてくださってありがとうございます」
「……! 僕は、君の心を、護れたか?」
不安そうに瞳を揺らす彼に、私は喉が詰まるような気持ちです。あの時、国を護ってと言ってジルシエーラ様を突き放した時、これでいいと思いながらも絶望していました。それは、ジルシエーラ様を傷つけたのもそうですが、何より、これで私がジルシエーラ様と一緒にいられなくなることが堪らなく嫌だったからです。
だから、突き放したのに、ジルシエーラ様が戻ってきてくれて、私を助けてくれて、とてつもなく安堵してしまったのです。
「はい。ジルシエーラ様は、私を、救ってくださいました」
彼の手に、自分の手を重ねます。私の、この言葉にならない歓喜の想いを伝えるために、少し強めに握れば、ジルシエーラ様は私と手を合わせてくれました。指を絡め合う自分の手に、胸がドキドキとうるさくなりますが、決して嫌ではありません。まだ、恥ずかしいけれど、どうすればいいのかもわからないけど、でも……こんな風に胸が苦しくなるほど嬉しいのは、きっとジルシエーラ様だからです。
いつか、その思いを口にできればいいなと思います。だけど、今は、こうして彼と隣にいられる幸せを噛み締めたいです。




