幕間3.聖地ヴィエジ大森林
一か月もスルーしてしまってすみません!
今日からまた週一更新して幕間くらいは終わらせたいと思います!
三話か四話くらいの予定です。頑張ります!
※リリア視点
油断はしていませんでした。何が起きてもおかしくない、そんな場所に来ているのだと、私達全員がわかっていたことです。ここは聖地。魔王の力が強く影響した大精霊がいる場所。更に、冷戦状態のイシトエ王国にも食い込んでいる場所です。国境は聖地の森の淵とかではなく、聖地内に流れる川で区切られているので仕方ないことです。
そう、相手がどのような行動を取るのか、それすらも最悪な予想を立てて慎重に事を進めていたはずなのです。それなのに……私達は罠にかかりました。
だから、こんな最悪な事態に陥っているのです。
「ははは! 無様だな! あのゼオンと血が繋がっているとはいえ、所詮はただの甥か。あいつが変な意地を張らずに、自分の子供を作り、きちんと教育していればこんな結果にはならなかったかもしれねーのにな!」
残虐な笑みを浮かべる彼は、力任せに持っている鎖を引きます。その先に繋がるのは私の首に嵌まった鉄製の首輪です。喉が圧迫された苦しみで顔を歪めれば、引き離されたジルシエーラ様が見たこともない顔で睨みを利かせました。
「やめろ!」
「はぁ? やめろだって? おい、成人もしてねー鼻垂れたガキが、オレ様に命令してんじゃねーよ! どうしてやめる必要がある? この女は聖女だ。そして、今この時をもってオレの手に堕ちた。つまり、オレ様の所有物だ。なら、オレ様がどういう扱いしたところでお前に指図される覚えはねーな?」
無茶苦茶な理屈を平然と口にする彼に、ジルシエーラ様だけじゃなく、皆さんの表情も嫌悪と憎悪に染まっていきます。皆さんに心配をかけている。そして、足を引っ張ってしまっている。その事実が辛くて、悲しくて、私はどうすべきなのか必死に悩みます。
(悩んだところで、もう、やれることは一つしかありません)
この場には、イシトエ王国の騎士団がいます。更には、ジルシエーラ様の前にはかなりの手練れが一人います。兜で顔が隠れてしまっていますが、ジルシエーラ様に負けず劣らない風魔法を扱い、更には剣も力強く早い。だから、あの場からジルシエーラ様がこちらに来ることもできない。絶望的な状況です。
私達は、油断していませんでした。だって、この場にはエルダさん達の家の騎士団も借りて足を運んだのですから。だけど、浄化前の聖地はとても危険で、騎士団の人達を森の中に連れてくることはできませんでした。だから、増援が着くのが遅れている。その隙に、まさかこれほどの人数で奇襲を受けるなんて……。
「リリー!」
必死なジルシエーラ様の声が遠くに聞こえます。私にかけられた首輪は魔道具のようで、魔力が上手く動きません。だから、浄化はおろか、普通の魔法すら使えない。そんな私が、ここから逃げ出すのは不可能。そして、ジルシエーラ様達が、この状況で逆転する方法も、きっとありません。
私は覚悟を決めました。
「お願い、国を……護ってください! 逃げて!」
私は、私の国を護るために、自分を斬り捨てる覚悟を決めました。
だけど、私のその言葉を聞いた彼が、絶望したその表情を見た瞬間、すぐに後悔してしまいます。悲しませたくなかった。苦しませたくもなかった。
(最初は、教会の皆を護るためにと聖女になりました。だけど、それと同じくらい……ううん、それ以上にジルシエーラ様を、幸せにしたいって、私はいつの間にか思っていたんですね)
でも、もう、それもできないのだと。私は悔しくて、涙を零します。大丈夫、私がいなくてもティーナさんがいます。だから、きっと、大丈夫。必死に自分に言い聞かせて、そして限界を迎えたようにその場で意識を失いました。
◇ … ◆ … ◇
「ここが、ヴィエジ大森林か。さすが大きいな」
「地元では樹海と呼ばれてもいるくらいの広さですからね。迷い込めば最後、生きて出ては来られない、なんて子供に言い聞かせているくらいです。まあ、それは言い過ぎですが、魔物が多く出る上に敵国にも近いですからね。嘘とも言い切れません」
広さに圧倒されるジルシエーラ様と同じく、私も言葉にできないほど目の前に広がる森に驚いています。ここに近づく数キロ前から見ても、森の終わりは見えませんでした。それほど大きな森は、流石聖地と呼ばれるだけあります。
けれど、瘴気が渦巻くほど集まっているので、とても不気味です。重苦しい空気を他の人達も感じ取っているのでしょう、皆さん表情を固くしていました。
「殿下、本当に我々はここに待機でよろしいのでしょうか?」
ここまで護衛してくれた騎士団の団長であるエルダさんとエリクさんのお兄さん……つまりデートリア辺境伯のご長男であるアルバートさんは不安げに眉を寄せて確認してきます。本来、私達の旅はあまり目立つのはよくありません。けれど、信頼できる貴族の家には立ち寄り、支援を受けられるように手配がされています。そして、ここヴィエジ大森林は辺境で、国境を含む聖地。こんな場所にいる人はほとんどいないし、浄化以外に懸念材料を多分に含む場所です。そのため、デートリア家に立ち寄った際、ここまでの護衛を含め、万が一に備えて騎士団を借りることになったのです。
けれども、聖地は今瘴気に溢れています。魔物も多く、これまでの道では皆さんの力を借りてとても楽に進むことができましたが、この先は浄化を終えるまでは人数が多くては逆に被害が増えるだけではないかとジルシエーラ様達との相談で結論を出しました。なので、浄化が完全に終えるまではヴィエジ大森林の外に待機してもらう形をお願いしているのです。
「アルバートの懸念も理解している。実際、貴殿達の力を借りたいところではあるが、今一番すべきことはこの地にいる大精霊を刺激しないことだと思っている。大森林は広大だ。隣国への浄化も含めて気を緩めることはできない。相手は自然。ここで貴殿達も聖地に入れば、どんな被害が及ぶか私達も予想がつかない。隣国の動きも心配だが、まずは浄化を優先したい。手前から徐々に浄化はする予定だが、明らかな異変を感じるか、私からの合図があるまではここで待機していてほしい」
「はっ! わかりました、殿下のご命令とあらば。エリク、エルダ、きちんとお護りするんだぞ」
「「了解」」
それでは、ご武運をと騎士らしい敬意の構えをしてアルバートさんと騎士の方々は私達を見送ってくださいました。出会ったときは家族らしく朗らかなやり取りをしていたエリクさん達も騎士の表情に戻っています。これから向かう先がそれほど大変な場所なのだと改めて気を引き締めました。
「大丈夫か? リリー」
「あ、はい! 大丈夫です!」
不安はありますが、いつまでもここにいるわけにはいきません。私はここを浄化しなければいけないのですから。大森林の入り口から気持ちを切り替えます。そっと息を吸って、そうして早速浄化の力を使いました。広いここを浄化しきるにはもしかしたら一日では足りないかもしれません。けれど、大精霊がいるということを知ってから、私達の考えは少し変わりました。全体を浄化できなくても、大精霊様を浄化できれば、きっと聖地は持ちこたえることができるのではないか、と。
もしできてもできなくても、大精霊様の浄化は必須。それならば、真っ先に優先すべきことも大精霊様の浄化のはず。そのため、今日は聖地全体の浄化よりも、大精霊様の浄化を優先することにしました。
(きっと、浄化を進めていけば、また大精霊様のお声が聞こえるはずです)
その声の方へ、私は進めばいいだけ。今回の対象は森。自分の足で進んで浄化することができます。これならば、私は浄化にのみ集中できます。
何が起きてもきっと大丈夫。ジルシエーラ様やエルダさん達が護ってくれます。護りたい、その思いだけが聖女の力ではない。人を信頼することでもこの力は振るえるのだと、私は知りました。だから、皆さんを信じて、この地を浄化したいと強く願えば、呼応するかのように私の体が光ります。
『――あぁ』
どこまで浄化が進んでいるのかは私にはわかりません。けれど、奥へ奥へと歩みを進めれば、微かに聞こえた声に顔を上げます。聞き慣れない声は、まるで頭に響くように近く感じます。きっと大精霊様の声です。
「木が騒ぎ出したな。ルド、抑えられるか?」
「無理だ。流石に大精霊相手に同じ属性の魔法で対抗なんてできん」
「そうよね、流石にそれは無茶だわ」
「殿下、僕も同感です」
「そうだな。僕も聞いてから無茶な要求だと気付いた。すまない」
真面目な会話だったはずなのに妙に気の抜けた内容に変わって、堪らず笑いが零れてしまいました。この数か月で旅のメンバーも慣れて、親しくなれたように思えます。特にジルシエーラ様は王子としての堅苦しさが今では一切ありません。真面目な時はもちろん凛とした態度をされていますが、他の人達と比べて私達には気さくな会話を楽しまれているように思えました。
「だが、そうなるとどう対抗すべきか」
「そうね、私の火魔法では火事だし、風魔法で防御壁を張って、土魔法で下からの攻撃を防ぐ、とか?」
「けれど、浄化の力の浸透を、風魔法は妨害する可能性があるのですよね? ただでさえ広大な樹海を浄化するのに、効率を悪くするのはどうかと思いますが」
「……実際身の危険を感じるまでは様子見が一番じゃないか? 前回と比べれば、木々の騒めきも大人しく思うが」
確かに、水の大精霊様の時ほど、身の危険を感じません。まあ、あの時も私はジルシエーラ様に、その、だ、抱き上げてもらって空中にいたのであまり危険ではなかったのですが……。
本当は、ここでも同じように空中で浄化する範囲を移動して浄化してしまった方が安全で早いのではと思ったのですが、ここの聖地は湖よりも広大で、空を飛んでいると風魔法で浄化の広がりを多少邪魔してしまう関係もあって、見送ることになったのです。確実で迅速な聖地の浄化よりも、私の消耗を心配しての意見に、申し訳ない気持ち以上にじんわりと胸が暖かくなりました。
「そうだ、リリー。王都でやった時みたいに歌いながら浄化するのは効果を上げられないの? それとも、あれもそれ相応に負担になる?」
「! いえ、そうですね、その方法がありました! あれなら、多分音が響く場所に効率よく浄化が広がると思います。やってみますね!」
そうだ、どうして忘れてしまっていたんだろう。原理はよくわからないけど、歌で浄化を遠くまで届ける方法は、風魔法を使っていると効果が半減するとティーナさんから聞いていました。だから、前回はできませんでしたが、今回は使えます。広大な聖地を浄化するのに打って付けとも言えます。
少し恥ずかしいですが、早く大精霊様を浄化するためにも、力の限り歌って浄化しましょう。
少し開けた空間に出たので、丁度いいとばかりにその中央に立って息を吸います。余計な雑念を追い払い、護りたい人や、この聖地を浄化したい気持ちだけを込めて聖歌を紡ぎました。
心を込めて歌いきれば、辺りには瘴気の欠片もないほど澄み渡った空気が広がっていました。こんなに簡単にできるのなら、もっと早くやればよかったです。思いつかなかった自分を恨めしく思います。
「浄化しきったのかしら?」
「少し見てみよう」
そう言ってジルシエーラ様が飛行魔法で飛び上がります。周囲をぐるりと見渡して戻ってきました。
「こちら側はほとんど浄化し終えたように思えるが、隣国側はまだ薄暗い気がする」
「さすがに広い範囲ですからね。一回では無理だったのでしょう」
「そう、思うが……だが、それにしても、きっちり隣国側だけ浄化できていないっていうのも、少し引っかかる」
「そうね。って言いたいけど、いくら隣国がきな臭いって言っても、そう都合よく浄化範囲を仕切れるようなことできるわけ? それに、浄化されないのは単純に向こうが困るんじゃないの?」
確かに。いくら私達の国を敵視していると言っても、瘴気に汚染されてしまったら単純に国力が下がります。嫌がらせだとしても、自国の地の浄化を妨害していいことなんてありません。
ですが、ジルシエーラ様は何か思うところがあるのか、エルダさんの問いには答えずに思案顔を浮かべました。
「せめて、国境ギリギリまで行ってもう一度同じ方法で浄化を試みてはどうですか? 殿下」
「……そうだな。それ以上の安全策は今のところないか」
「それで浄化できるなら隣国に足を踏み入れることもないし、浄化できないのなら、それこそ隣国が何かしているってわかるわね」
「どちらにしても、卑怯な手が得意な相手だ。用心は必要だな」
そう言って皆さんで頷き合い、一緒に奥へと足を踏み入れました。けれど、私は少し気になることがありました。
(大精霊様の声が、聞こえません)
さっき一度だけ微かに聞こえたはずなのに、半分は浄化を終えたこの地で、一切大精霊様の声が聞こえないのです。苦しんでいる声も、何も。一体どういうことなのか。これも、隣国が浄化できないことに繋がっているのか。わからないことに不安を覚えます。
けれど、今私達ができるのは浄化をすることだけです。浄化さえ済ませれば、きっとここの大精霊様も姿を現してくれるはず。そう自分を鼓舞して、足を進めました。
たどり着いた場所には大きく抉れたような崖と、その崖の下には流れの早い幅広い川が流れていました。国境は川で仕切られているとは聞いていましたが、まさか崖下にあるとは思いもしませんでした。けれども、確かにこれならよっぽどのことがない限り川の形は変わりません。自然にできた、不変な境界だからこそ、今まで決定的な侵略を受けなかったのでしょう。
「リリー、どうだい? 向こう側は」
「はい。この川を境にやはり向こう側は瘴気の濃度がとても濃いです。どうしてなのかは、わかりませんけど」
ジルシエーラ様の見立て通り、向こう側は瘴気によって視界が悪く、私では遠くまで見通せません。もちろん、川を挟んだ向こう側も広大な森なので、木々がある時点で視界が遮られているのですが。浄化したこちら側と比べるとほとんど先が見えない状態でした。川があるからなのか、やはり隣国による何かがあってなのか。私達にはわかりません。けれど、今やることは決まっているので、私はここでもう一度気持ちを落ち着けて歌を歌います。
向こう側まで、木々に阻まれないように、大きく、けれども気持ちを込めて。
私が集中できるように、ジルシエーラ様達は更に警戒して周囲を気にしてくださっています。だから、私は皆さんを信じて、ただ浄化することだけに集中しました。
それが、悪かったなんて思えません。
けれど、結果的にその後、私達は窮地に陥ってしまうのです。
あともう少しで歌い終わります。そう思った時でした。
「! おい、囲まれてるぞ!」
ルドルフさんが鋭い声音で叫びました。同時に、エルダさんやジルシエーラ様が身構えて、私は慌てて目を開けます。瞬間、川の向こう側から何かがキラリと光ったように思いました。何が、と思ったのも束の間、それは瞬く間にこちらに向かってきて、私にぶつかりました。
「――っ! きゃあ!」
ガチャンと、金属音が響いて、首に冷たい感触がしたと思ったら、グンと強い力で前に引っ張られます。けれど、ここは崖の端。目の前には深い崖と、飲み込まれたら生きられないような濁流の川があるだけ。落ちる恐怖にどうにか足に力を込めましたが、それ以上に強い力で首が引っ張られて、踏ん張りも効かずに体が宙へと投げ出されました。
「リリー!」
「きゃああああ!」
落ちる、と思っていたのに、私の体はそのまま前へ前へと引っ張られて、気付けば川の向こう側へと引きずられていました。一瞬の出来事ではありましたが、あのまま川に落とされるわけではなかったことに動悸を抑えながら安堵します。けれど、状況は未だ最悪のまま。
「へえ、平民って聞いてたからあんま期待してなかったけど、なかなか上玉じゃねーか。これならまあ、及第点か」
ねっとりとした、ガラついた声が私の頭上から聞こえました。けれども、起き上がることはできず、その顔は見えません。というのも、起き上がる間もなく、私の背中を誰かが踏みつけて押さえつけているからです。
「お前は……!」
「おい! ただの王太子如きが口に気を付けろよ! クソが」
たった一言ジルシエーラ様が言った言葉に火がついたように喚き散らす誰かは、顔を見ずとも――というより、元々顔は知りませんが――想像がつきます。どうにか僅かに視線をずらして、先程まで私がいた方向を見れば、崖の端にジルシエーラ様達が集まっていました。そして、そんな皆さんを囲うように見慣れない鎧を着た騎士が数十人も並んで剣を向けていました。彼等が持つ旗の紋章は、見慣れなくとも知っています。私が今、望まぬ形で足を踏み入れてしまっている国……イシトエ国の紋章です。
そして、私を踏みつけているこの人は、ジルシエーラ様を王太子如きと言えるということを考えれば思いつくのは、彼がこの国の王太子以上の地位にいるということ。
――つまり、イシトエ王国、現国王陛下である、ギヴェン陛下という証拠です。




