17.説得
ムク族のリーダーらしき人は、突然のガーシュおじさんの登場に目を丸くして言葉を無くしていた。いや、その人だけじゃなくて皆も驚いてたけど。まあ、気配も何もなかったのに突然現れたらそうなるよね。だけど、彼が驚いているのは、きっとガーシュおじさんが言った通りだからなんだろう。
「お前、そんな、嘘だろ」
「久しぶりだなあ、ローランド」
「ガーシュバルト……なの、か?」
「はは、その名も懐かしいなあ」
苦笑気味だった笑みは、彼の呟きで優しいものへと変わる。昔を懐かしむようなその表情がとても穏やかだ。ガーシュおじさんはゆっくりと足を進めて彼の傍で膝をついた。未だに体を起こせない彼に視線を合わせるためだろう。
「オレのせいで、お前らがまさか道を踏み外してるなんて、思いもしなかったな」
「……」
「無駄かも知んねーけど、オレは攫われて捕らわれてたわけじゃねーよ。そんな姫みたいな存在じゃねーってのは、お前が一番よく知ってんだろ?」
「だが、お前はあの時瀕死で、身動きできないなか、この国の連中に連れてかれたんだ!」
「そうだな……だけど、それはオレを助けるためで、帰らずあの場に留まったのは、オレの意志だ」
迷いなく、強い口調で言い切ったガーシュおじさんに、一瞬彼は口を閉ざした。戸惑いか、それとも怒りか。僅かに体を震わせて、睨みつけるようにかつての同胞を見つめる。その視線は鋭く、熱い。けれど、その反対にガーシュおじさんの視線は柔らかく……冷静だった。
「ローランド、お前は仲間想いのいい奴だ。少し血の気が多いし、口は悪いし、生意気だし、その性格を助長するような腕っぷしの強さもある」
「……なあ、あれほぼ悪口じゃねえ?」
「シー、幼馴染っぽいから、あれでも褒めてるのかもしれないじゃん」
私も思ったけどどうにか堪えたのに、耳元でそんなこと聞いてこないで。思わず笑いそうになった。
「わかってたはずなんだけど、オレのことなんてそんな気にしねーだろって、勝手に思い込んでた。悪かったな」
「……ふざけるな、じゃあ、お前は……オレ達を裏切ってたのか!」
「そんなつもりねーよ」
「つもりがあろうがなかろうが! お前はここに戻って来なかった! オレ達を捨てて、一人で悠々自適な暮らしを願ったんだろう! オレ達が、日々生活するのを苦しんでいるのを、知っていながら!」
彼らは国の援助を受けられない。その代わり自由ではある。でも、自由と言われても、人数も住む場所も限定された種族が伸び伸びと暮らせるかと言われれば違う。誰の手も借りずに自分達だけで生き続けるのは難しく、どうしても外への繋がりが必要になる。そうわかりつつもほとんど閉じこもっている人達。仲間意識が強いのは確かだろうけど、その分裏切りを許さない。だから、これほどまでに彼は怒っている。攫われたと、仲間を失ったと思っていたのに、実際には仲間から離れてしまったのだと知って。
「……まあ、そう思われても仕方ねーわな」
諦めに似た弱い呟きは、かつての仲間の逆鱗に触れるには十分だった。今にも掴みかかりそうな勢いで体が力んでいるように思うけど、まだ体調が万全ではないらしい。それが幸いしたと思うべきか。
「ガーシュおじさんが、閣下に拾われたのはいつなの?」
口を出すつもりはなかったけど、いまいち話が進まない気がして質問する。もともと気になっていたことだ。
フィーネさんのとこに旅商人として立ち寄るようになったのは私があの家に行く前からだったはず。おそらく、閣下からフィーネさん探しを言い渡されてたんだろうなって。
「オレがあの人に拾われたのはもう三十年近く前だ。本当にまだガキの頃に魔物に襲われて瀕死になってるところを偶然あの人に拾われた」
ええ、そんなに前なの? パッと見三十歳前後だと思ってたんだけど、もしかしてガーシュおじさんって四十近い?
でも、子供の時に魔物に襲われて、しかもそこを助けられたってことは、自分の里をひっそりと抜け出したってことだ。今も里の場所が変わっていないのかはわからないけど、そうしなければいけない理由があったはずだ。だって、他国の人に見つかるような真似を子供でも簡単にするはずがない。特に仲間意識が強いムク族なら、子供を外に出すなんて有り得ないだろう。
「何かひっ迫した理由があった、ってことだよね?」
「さすが嬢ちゃん、よくわかるな。当時のムク族は流行り病で戦力になる男衆がほとんど倒れていた。そのせいで獲物を狩りに行くこともできず、食料が尽きかけていたんだ。どうしようもねーときは近くの田舎村に物々交換をする伝手くらいは持ってるんだが、そういう仕事も男共が担っていたんだが」
「その病自体、もしかして外から?」
「そうだ。だから、オレ達は滅亡の危機だった。オレはその伝手を寝込んだ男から聞き出して、どうにかできないかと貴重な布を担いで外を飛び出した。当時、六歳だったかな」
無謀すぎる。彼等は堂々と国の中を歩けない。故に、住んでいる場所は基本国と国の狭間の身を隠しやすい場所に限定されるはずだ。つまり、どこも田舎だろう。だからこそ、彼等のことを知らない人達から金ではあなく物での交換を求められても応じてくれるところはあるはずだ。でも、子供の身で辺鄙な場所を歩けば、魔物に襲ってくれと言っているようなものだ。
だけど、当時六歳の彼にそんな危機意識はなかったのかもしれない。もしくは、あってもそれすら気にしていられなかった状態か。
「んで、運が悪いことに魔物に遭遇し、オレは満身創痍。しかも、オレがいないことに気付いてローランドが追いかけてきちまった。オレだけならまだしも、コイツまで危険な目は遭わせられない。そう思ったけど、瀕死のオレには何もできず、襲われそうになる姿を見てるしかできなかった。そんな時に偶然居合わせたのがあの人だ」
「じゃあ、あの爺さん魔物倒してくれたのか?」
「ああ、それだけじゃない。病のことを聞いて、薬もローランドに持たせてくれたらしい。オレはその時もう意識はほとんどなかったけど、コイツがこんなにピンピンしてるってことは持ち直したのは確かだろうな」
「三十年前と言うと、宰相閣下は既に王位を現陛下へと譲渡した後、ですかね?」
「直後だったらしいぜ。それまで国を立て直すことに必死で現地を見れなかったからと言って、気になる領地を順に訪れていた最中だったって後から聞いた。オレの怪我はどう見ても瀕死だったし、オレはムク族。治療魔法も半減してしまう体質ということもあって、あの人は王都に連れて帰ってくれたんだ。そこで、彼の伝手で当時一番能力のある人に治療魔法を掛けてもらい、一命を取りとめた」
流石、荒れた国を十年で安定させ、弟に譲っただけはある。しかも国のためにわざわざ自らの足で遠出するなんて。
あれ、でも……、と僅かに引っかかる何かに思考を巡らせる。
ガーシュおじさんがそんな閣下に恩を感じて、閣下直属の密偵になったのは、まあ、理解できる。だけど、里のことを想い、幼い身で飛び出した彼がその後里に一度も帰らずに閣下に尽くすのは少し違和感がある。それに、閣下もそんな彼を自分のところに縛り付ける理由はないはずだ。ある程度大人になったら一度里帰りくらい許してもおかしくない。それをしなかった理由が何かあるはず。
「……何か、契約でもした?」
思い付きで問いかければ、ガーシュおじさんは驚いたように目を丸くする。それでいつものように楽しそうに目を細めて笑った。
「ほんと、すげーよ嬢ちゃん。よくわかるな」
「その契約の条件に里帰りが禁じられてるの?」
「ああ、いや、それはただのオレの意地だ。中途半端に帰省しても意味ねーと思ってよ。いつ、終わるかもわかってなかったし」
と、いうことは、いつかは里に帰るのがガーシュおじさんの希望ではあったはず。閣下に恩があったのも確かだけど、それ以上に閣下ならばしてもらえることがあった。そして、閣下も彼に頼みたいことがあった。
「それ、今も秘密なの? そういうこと、ちゃんと伝えないと意味がないんじゃない? 結局、こうして出会っちゃったんだし。それに、ガーシュおじさんがこのまま何も言わないなら、彼等は改めて罰しないといけなくなるけど」
いつまでも説明しそうにない彼に、私は釘を刺す。もう、彼等だけの問題ではないのだ。きっかけがどうあれ、元凶がどうあれ、私達は彼等に害された。しかも、事故のような理由でも私は死にかけたのだ。無罪放免というわけにはいかない。本来なら極刑に近い。
まだ、報告する前だから、こうしてガーシュおじさんを介して、処罰の軽減を測れないか考えているのだ。彼が諦めたら最高に重い処罰しかない。
私がガーシュおじさんを引っ張り出した理由をきちんと理解しているから、彼もそうだよなーと呑気な声を上げながらも悩む素振りを見せる。
「すぐに、とはいかねーかも知んねーけど、ムク族を、この国に引き入れる取引を交わしてる」
「……なっ」
「もう、ムク族に偏見を持つ人間は少ない。それに、この国はあの人のお蔭でかなり住みやすくなった。最初は、子供の安直な考えだったし、よそ者で最初に接したのがあの人だったのもあって、オレ自身は嫌悪感がなかったからこその思いで持ち掛けた。だけど、今は大人になって、多少智恵も持てたから、そう簡単じゃないこともよくわかってる。あの人は、今も幼稚なオレの希望を叶えることを考えてくれてるけど、お前らはきっとそれを受け入れねーだろうなって……そう思ったから、言わなかったし、会えなかったんだ」
溜め息をついてガーシュおじさんはその場に座り込んだ。疲れたように幼馴染へ視線を向けて、悲しそうに笑う。
「呆れて言葉が出ねーか?」
「……っ」
「でも、オレは本気だった。もうオレ達だけで生き続けるのは無理だって、それは大人になった今でも思う。だからこそ、どうにかしなきゃなんねーんだ。お前は……どう思ってんだ? これから、どう生きていくつもりだった?」
「――ふざけんな!! そんな簡単に、簡単に割り切れんなら、今オレ達はこんなことしてねーんだよ!!」
「そうだな、じゃあオレらの代で終わらせるのか?」
「……っ! おまえええええ!」
あんまりな言葉に、ガーシュおじさんに飛びつく。それでもまだ力は入っていないのだろう。襟元を掴まれているのに苦しむ様子もなく、ガーシュおじさんは相手を見据えていた。
「殺したくねーのに何もしねーんだ、そう聞くのは当たり前だろ?」
「オレ達が、どんな思いで生きてきたと思う! ギリギリで食いついで、耐えて、耐えて、耐えて生きてきた! 他の奴らに知られねーように、息を殺して、獣を狩って、服を作って! その間、お前は上手いメシ食って、自由な時間この国のヤツの要望通りに働いてきたんだろ! そんな生ぬるい湯に浸かってふやけたヤローなんかが、オレ達にそんなこと言う資格はねーんだよ!!」
「へえ、苦しければ偉いのかよ。いいねえ、単純な思考じゃねーか。…………ふざけんなよ!!!」
無抵抗で押し倒されていたはずのガーシュおじさんは、唐突に声を張り上げて相手を殴りつけた。あまりの勢いに二、三回転して地に伏した相手は、痛みに呻く。
「その苦しみを、お前はどうやって人と比較すんだよ! 自分達ばかり被害者ヅラして、苦しいのは自分達だけだと思い込んで、心を閉ざして、そうして最後に死ぬ運命になったら誰かのせいだと言い訳して、それで? ムク族は救われんのかよ! お前、その族長の証は飾りか? 何にも未来を考えずに生きてんのか? 食料がねえ、住む場所もねえ、頼る場所もねえ。そりゃあ辛いだろうよ。オレが味わったこともねえ屈辱と苦痛があっただろうさ。オレに怒るのは仕方ねえし、その恨みを否定なんてしねーよ。だけど、その恨みが何の役に立つんだよ! そのまま停滞して、ない物強請りして、ただ耐えるだけなんざ、子供がすることじゃねーのかよ!」
堰を切ったように怒鳴り散らす彼の声に、気を失っていた他のムク族の人達も意識を戻し始める。リーダーであるあの人より若い人が多いメンバーだからか、ガーシュおじさんを見ても怪訝な表情を浮かべるばかりだったけど、数人は驚くような顔をする人もいた。
そんな様子の周りに、二人は気付かないまま睨み合う。
「うるせぇ」
「ああ、そうかよ。じゃあこの話はとりあえず置いとくとして、で? お前らは今、何をしたんだ? 聖女なんて攫ってムク族は何をする気だ?」
「……ムク族に、聖女なんていらねーよ」
「じゃあ、何で捕えようとした。国にはつかねーんだろ?」
明らかに国に属したから、と思えるような動きではなかった。方法も目的も、強要してきた場所があり、気に入らないけど仕方なくという雰囲気があった。ガーシュおじさんもそれには気付いている。だけど、それ前提に聞いてあげるほど、甘くなれない。
「言うことを聞かねーと、ムク族は飢え死にする前に殺されると思ったから、仕方なくだ」
「ハッ、聞いたところでそんな脅しかける国が、お前らを見逃すはずねーだろ」
「じゃあ、どうすればいいんだよ! もうオレ達は、どうにもできねーんだぞ!」
「だから言ってるだろ、そんな腐った国じゃなく、こっちの国につけって!」
当たり前のように、シンプルに答えを放つ。本当ならどこの国につくつもりもなかった。だけど、この国を害せと、別の国に脅され、従っても従わなくても地獄な未来が待っているとされるなら、一番勝ち目のある方法はそれだ。
だけど、元々ムク族はこの国のトップと交渉できるような伝手がなかった。だから最初から諦めて従う方法を選んでしまった。でも、今はガーシュおじさんがいる。彼の上にいるのは、先代陛下であり、現宰相であるゼオン閣下だ。
今なら、伝手があるのだと、明らかに滅びの道を歩まなくていいのだと、もう一度訴える。
「……だが、もうオレ達は危害を加えた後だ。許されるはずがねえ」
「お前、本当人の話聞いてねーな。どうして嬢ちゃんがオレをこの場に呼んだと思ってんだ。お前らを、助けるためだろうが」
私とガーシュおじさんのやり取り覚えてないのかな?
そう思うくらい、事態を把握してくれてなくて、私も思わず苦笑する。それだけ彼も混乱していたんだろうし、追い詰められていたんだろう。ようやく、ガーシュおじさんの言葉の意味を飲み込み始めた彼は、茫然としたように私達を見つめてきた。
「どういう、ことだ?」
「罰は受けてもらうけど、条件によっては軽くすることが可能ってこと。その最低条件はもちろん、貴方達がこちらに降伏し、相手の情報を全て流してもらうこと。それ以外も条件によって、更に処罰は軽くできるかもしれない。それを、ガーシュおじさんを通して閣下に直接交渉してもらおうと思ったんだけど?」
「オレと交わした契約を持ち掛ければ、ムク族をこの国の所属にする願いから幾分か要望を下げればその分処罰を軽くにもできるだろ。あとは、お前達の意思次第だ」
どれだけこっちが譲歩するつもりでも、彼等がそれを望まない限りどうにもできない。だからこそ、仲間であるガーシュおじさんの力が必要だった。これで仲間じゃなかったらちょっと困ったけど。
ようやくちゃんと理解できたのか、彼はすっかり落ち着いて視線を落とした。彼等に残された時間は少ない。私達が閣下に連絡を入れるそれまでに決断してくれないと困る。
そう思っていた矢先、黙って事の成り行きを見守っていたセイリム様が突然懐を探り出した。
「通信です」
「え、向こうから?」
「ええ、珍しいですね」
基本、こちらから連絡をする以上のことはない。通信魔道具は遠方にいつでも連絡が取れる便利な魔道具ではあるけど、その分通信回数に限りがある。魔力をどれだけ込めたとしても、無制限での通信は今のところ叶わないようで、制限回数を超えれば魔石があってもただのガラクタと化する。だから緊急時と決めていたタイミングでの連絡以外はしないことになっている。
それなのに向こうからの連絡が来たということは、それだけ緊急の用事だ。
「はい、こちらセイリムです」
『ああ、ローバート君だね。緊急事態だ。今君達はどの辺にいる?』
「今、丁度聖地ニオン渓谷の浄化を終えたところです。いかがなさいましたか?」
連絡をしてきたのは閣下だ。いつもよりも固い声音にかなりひっ迫した状況なのかもしれない。皆が固唾を呑んで続きを待つ。
『王都は今、大量の魔物に囲まれている。可能であれば特急で戻ってきてほしい』
大量ってどのくらい? なんて、当然の疑問を述べる暇もなく告げられた要望は、あまりにも無茶ぶりだった。




