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15.愛しているなら



『そんな顔しないで』


 聞いたこともない、だけど懐かしい気がする穏やかな女性の声が聞こえる。


『貴女は神に愛されし子。きっと悪いようにはならないわ。マナリス様の加護があるもの』


『そうだ、ルナ。だから、不安に思うことはない』


 今度は違う、男の人の声。穏やかで、だけど強い口調の。聞いたことはないはずなのに、やっぱり懐かしい気がして、何故かすごく胸が苦しい。


『ほら、ルナ。泣くと不細工だぞ』


『もう、そんなのレディに言っては駄目よ、お兄様』


 どんどん、知らない人の声が増える。ルナって? もしかして私のこと? 記憶を失う、もう一人(本当)の私のこと?


『やだよ、かみさまなんて、しらない! ルナは、みんなといっしょにいたい!』


 小さい子の声がする。これは、どこかで聞いたことがある気がした。多分、幼い時の私の声だ。

 やっぱり、ルナって私なんだ。この体の、本当の持ち主。じゃあ、他の声は?


『ごめんなさい、わかって、ルナ』


『重いものを背負わせる私達を、許してほしい』


『ずっと、一緒にいられたらよかったんだけどな』


『でも、これだけは言えるわ。だから、よく聞いてね』


『やだやだ! ききたくない! わたし、いっしょにいる! ここにいる! みんなといる!』


 まるで子供が欲しいものを強請るような駄々をこねて、だけど、とても必死で、とても泣いていて、とても不安がっているのが見えなくてもわかる。何も聞きたくないと訴える子供()に、だけど誰もがそれに応えることはなくて話を続ける。


『会えなくなっても』


『傍にいなくても』


『それでも俺達はルナを見守っているから』


『みんな、みんな、ルナを愛しているわ』


 優しい声。優しい言葉。どれも嘘じゃないってわかる。愛しているって言葉に、慈愛と優しさが含まれている。でも、その中に不安も哀しみも混じっていないことが、辛くて、苦しい。


 どうして。




 どうして、消えてしまうのに平気そうなの?




『あいしてるなら、そばにいてよ! ちゃんと、ずっと、そばにいて!』


 泣いて、泣いて、苦しくて泣いて、寂しくて泣いて、哀しくて泣いて、訴えているのに意見が通らないもどかしさに絶望していく。

 それでも手放したくなくて、一緒にいてほしくて、駄々をこねて泣いて、首を振って泣いて、それでも頷いてはくれなかった。


 知らないはずなのに、覚えている。その――絶望を。


『ルナ、愛してるわ。愛してるの、だから……お願い』


『おかあさま……!』


『重荷を背負わせることでしか、君を生かせない私達を許してくれ』


『おとうさま!』


『傍にいてやれないけど、それでも俺達はずっと一緒だ』


『おにいさま……』


『そうよ、ずっと一緒よ。私達の魂は、ずっと貴女の中に……』


『おねえさまぁ!』


 ずっと一緒にいたかった。ずっと傍にいてほしかった。だから泣いて駄々をこねて、だけどどうにもならなくて、だからまた泣いて。やるせなくてもどかしくて苦しい感情が渦巻いている。


 私は、捨てられたわけじゃない。


 私は、攫われたわけじゃない。


 私は……なに?




『『『『愛してる』』』』




 わたしは、なんなの?






◇ … ◆ … ◇






 見えるのは灰色の世界だった。雲に覆われた空は僅かな濃淡の違いがあるだけで、とても味気ない景色だ。それを、ただ茫然と眺めていた。どうして、私はこんな場所で寝ているのだろうか。思考が働かなくて、ただただ無意味に空を見上げた。

 次に視界に入ったのは、黒い何か。瘴気に似ているようで、全く違うそれは、目的もなく漂っているように思えた。魔力を帯びているけれど、風に流されるように彷徨うそれに、不思議と目が引き寄せられる。

 そして、唐突に音を拾うようになった。


「テオ先輩! 正気に戻って!」


「テオドール君!」


「テオ! しっかりしろ! テオ!」


 複数の人の声が一気に耳に入って、知っている人の声が、知っている人の名前を叫んでいる。そう理解した瞬間、思考がクリアになった。慌てて飛び起きるけど、クラリと眩暈がした上に体に力が入らなくて膝をつく。


「ティーナさん! 意識が戻ったんですね!」


「よかった、本当によかった! 瀕死だったんだよ!」


 すぐ近くにいた三人が私に駆け寄って来る。マリーなんて涙目だ。相当ヤバかったんだろうとわかるけど、今はそれどころじゃない。


「テオが、どうしたの?」


「……わからない。ティーナが瀕死だって伝えた瞬間、体からあの黒い何かが吹き出して。……多分、暴走に近い状態だ」


 そう言ってロイド先輩が向く方へと視線を向けると、そこには黒い何かに囲まれたテオの姿が見えた。蹲って微動だにしない彼に心が冷える。

 漂っているこれは、魔力を帯びた何かなのは確かだ。瘴気に似ているけど、違う。禍々しさは感じない。でも、魔力そのものとも違う。危険なものなのか、そうじゃないのかも判断できない未知なるもの。それに包まれているテオが純粋に心配だけど、ロイド先輩が言うように確かにこれ自体がテオの体から吹き出ているのがわかる。

 けど、動かないテオが心配だ。今はテオの意識を取り戻すのが先決だと、私はどうにか立ち上がる。


「駄目です、ティーナさん。近付かないでください」


「どうして!」


「よく見てください。この黒い何かは私達には今のところ害はありませんが、襲撃してきたムク族の人達はこの黒いモノに触れた瞬間、昏睡状態に陥っています。色が濃い所へ行ったら、私達もどうなるかわかりません!」


 言われて周囲をよく見てみれば、十数人の異民族の格好をした人が倒れていた。中にはまだ意識がある人もいるようだけど、動けそうにはない。これを、この黒い何かがやったことなのだと、セイリム様は言う。

 確かに、未知なるものに警戒は必要だ。だけど、でも、だって、それじゃあテオはどうするの?


(いや、まず、自分の身を心配する必要なんてない)


 いつまでも動かずに、黒い何かを体から排出しているテオを見る。周囲を漂う黒い何かは、普通なら不気味に思うものだろう。だけど、恐れることなんてない。躊躇う必要もない。

 一歩、私は足を踏み出す。だけど、私の手をセイリム様が掴んだ。


「行ってはなりません!」


「放して!」


「なりません! 貴女は聖女です! ここで一番護られるべき存在の貴女を、一番危険な場所に向かわせられません!」


 確かに、私は聖女だ。この一行で一番護られるべき存在で、率先して危険な場所に行くべき存在じゃない。言っていることはわかるし、否定する気だってない。

 でも、そもそも前提が違う(・・・・・)


「危険? 違うわ」


 まっすぐにセイリム様を見返す。今私が行こうとしている場所は、危険なんかじゃない。目指すべきはテオのところ。私にとって(・・・・・)、この世界で一番安心できて、安全な場所。


「この黒いモノがなんなのか、私にだってわかりません! だけど、これは紛れもなくテオから出ている力。テオの力が……テオが!! 私を傷つけるなんてこと、そんなの絶対有り得ない! これは、私を傷つけない! 絶対に!」


 テオが何を思ってこの力を出して、結果暴走したのか。わからないし、実際私はあの力に傷つくかもしれない。テオの力なら大丈夫なんていうちゃんとした根拠なんてない。だけど、それでもわかる。

 あれはテオ自身の心に反応して出た力。つまり、テオの想いと同義。それが、私を傷つけることはない。だから、私は遠慮なくテオのところに向かう。


「だから行かせてください、セイリム様」


 じっと見つめていれば、彼は静かに息をつく。長い、長い……溜め息だ。


「まったく、どうしてそう自信が持てるのですか。だけど、言うだけ無駄ですね。それに、だからこそ貴女とテオドール君は聖女と勇者という関係なのかもしれません。わかりました。けれど、約束してください。少しでも異変があれば、引き返すと」


 ゆっくりと手を放される。渋々ではあるけれど、許してくれたセイリム様に頷いて、私はテオに向かって駆け出した。

 躊躇いなんて一瞬もなく渦巻く黒いモノに突っ込んだ。背後で悲鳴のようなものが聞こえたけど無視をして、蹲るテオを押し倒す勢いで抱き着く。


「テオ! しっかりして! テオ!」


 声をかけても動かない。私に気付かない。だけど、やっぱりこの黒いモノは私を傷つけない。それに感動する暇もなく、蹲るテオをよく見る。黒い何かはテオの全身から吹き出ていて、しかもそれはテオの体を僅かに傷つけていた。小さな傷をつける程度だ。本当に小さい、擦り傷のような細かい傷が、黒いモノに触れる度に増えていく。私は傷つけないのに、テオ自身を傷つけている。確かにこれは暴走と言えるだろう。それとも、テオは自分も許せない何かがあったのだろうか。


「お願い、テオ。もうやめて」


 たとえ、テオが何か間違いを犯したのだとしても。たとえ、自分を許せないのだとしても。こんな風に自分で自分を傷つけてほしくない。

 地面に叩きつけるようにして置かれているテオの拳を上から握った。爪が食い込むほど握り締められているそれにチクンと胸が痛む。

 さっきまで私は意識がなかった。瀕死だったって言ってた。それを知ったテオが、もしかしたら自分を責めたのかもしれない。だから、力が暴走したのかも。

 この力が何なのかはわからない。だけど、もしそうなら、やっぱりこの力は私を助けるためのもののはず。


「なら、もういいんだよ、テオ。私はテオのお蔭でこうして無事だから、もう傷付けないでいいの」


 私が無事だって気付いて。ここにいるってわかって。テオが傷付けば、私だって哀しいってわかって。


「テオはいつだって、私を護ってくれる……私だけの勇者なんだから、そんな風に自分を責めないで」


 ピクリとテオの手が動いた気がした。私の声に、言葉に、温もりに、反応してくれた気がして嬉しくなる。いつだってテオは私に優しかった。尊重してくれた。待っててくれた。


 私を……。


「大好きよ、テオ」


 私を、愛してくれたから。


 漏れ出る浄化の力がテオの傷を癒す。同時にテオの不思議な力も勢いを失っていく。徐々にテオの体から出なくなり、やがて止まる。傷がすっかり癒えた頃、周囲の薄暗さも無くなっていた。シンと静まり返る、何もない渓谷に戻っていた。


「テオ」


 声をかければ、今度こそ彼の体が動いた。ゆっくりと顔を上げて見えた綺麗な碧の瞳に、肩の力が抜ける。


「ティナ……」


「テオ、もう大丈夫。ありがとう、テオのお蔭で私無事だよ」


 安心してほしくて微笑んだのに、テオはくしゃりと顔を歪めて泣きそうな顔をした。ゆっくりと体を傾けて、強く私を抱き締める。


「ごめん、お前を、助けられなかった」


「ううん、助けてくれたよ。テオはいつだって、私のために動いてくれる。今回だって、テオのお蔭で無事なんだよ。テオは私を傷つけたりしない」


 大丈夫と教えるように優しくテオの背中を撫でる。こんな風に弱気になるのは珍しい。それほど、私が瀕死になったことを堪えているのかも。私のせいで落ち込んでいると思うと、不謹慎だけど少しだけ嬉しい。


「テオは、私を傷つけたりしない。私を護ってくれる、私の勇者だよ」


「……ティナ」


「うん」


「ティナ……好きだ」


 掠れて、消え入りそうな告白に一瞬息をするのを忘れる。ああ、タイムリミットがきてしまったのか。

 でも、仕方ない。ずっとずっとテオに甘えて引き延ばしてきた。私の勇気が出るまで、待っててもらった。これ以上、テオに甘えるのは卑怯だ。

 それに、もう充分私も限界に近かった。


(まだ、本当は怖いけど)


 むしろ、懸念材料が増えてしまった気がするけど。


(でも、テオを傷つけるくらいなら、私の不安なんて些細なものだ)


「好きだ、ティナ。だから、いなくならないでくれ」


「ここにいるよ、ちゃんと。テオが護ってくれた」


「ティナ、ティナ」


 震える背中を何度も撫でる。耳元で、小声で囁かれる告白に胸が苦しい。追い詰めたのは私だ。苦しめてしまったのも私。こんな風にテオが怖がるくらいなら、さっさと覚悟を決めるべきだった。


(取ってつけたようになってしまうだろうか?)


 そんなことない。だって、テオはずっと私が躊躇っていたことを知ってる。私の気持ちも気付いてる。それに、そんな風に思う人じゃないってこと、私が一番よく知ってるから。




「好きよ、テオ。私も、テオが好き」




 自分の過去について不安であっても、そんなことよりも、今貴方が苦しむ方が嫌だから。

 だから、少しでも安心できるならそれでいい。


「好き」


 震えていたはずの彼の体が止まった。暫く固まっていたかと思えば、急に肩を掴まれて体が離れる。泣いてはいないけど、目元を赤らめたテオは、目をまん丸くして私を見つめる。


「え、幻聴?」


「……幻聴にしたいならそれでも」


「いいや、しない! もう一回! もう一回だけ!」


「もう一回……だけ、でいいの?」


 子供がおやつを強請るような物言いにおかしくなって笑いながら聞けば、テオは顔を真っ赤にして首を振る。折角顔を上げたのに私の肩に額を押し付けて、弱々しい声で訂正した。


「何回でも聞きたいに決まってるだろ」


 声が震えていることに気付いて、また笑う。仕方ないなと答えながらもテオの望み通りに言葉を返せば、テオも私に気持ちを返す。子供ように、何度も何度も同じ言葉を返し合った。


「――――やっと、オレのもんだ」


「何言ってんの。ずぅっと、テオだけのものだったでしょ」


 最後には返事もなかったけど、抱き締める力が僅かに強くなったことで、喜んでくれたのがわかった。






愛してる






 聞いたこともない、懐かしい声のその言葉を思い出す。確かに過去の私はその人達を愛していた。だけど、記憶はない。記憶はないけど、その声を思い出すと哀しくなった。

 きっと、あの人達はルナ(過去の私)を愛していた。愛していたからこそ、私を護ってくれたんだろう。

 でも、やっぱり思う。




「テオ、私を愛してくれるなら、ちゃんと最期までずっと一緒にいてね」




 愛しているなら、私を思うなら、ずっと傍にいてほしかった。

 その哀しい願いだけが、記憶のない私の胸に燻り続けている。


「……わかった」


 目頭が熱くなりかけた私と目線を合わせて、テオは朗らかに笑ってくれた。嬉しそうに目を細めて、そっと私の頬を撫でる。


「ずっと傍にいるし、お前がいなくなったらちゃんと見つける。もうお前を待つなんてことしない。どんなことがあっても、たとえ嫌がっても追いかけて、見つけ出して、ずっと引っ付いててやるよ」


 いつものように快活に、子供のように無邪気に、だけど言葉の内容は執着に滲んだ不穏な言葉。

 でも、それがあまりにもテオらしくて、思わず笑う。

 悩む必要なんてなかったんだ。だって、たとえ私がルナ(別人)になっても、ちゃんとテオは私を見つけてくれるんだから。


「うん、約束」


「ああ、約束だ」


 私が好きになった人がテオでよかった。

 私を好きになってくれた人がテオでよかった。




 初めて愛した人が、この人でよかった。




 

ストックが切れました!

しかも仕事がかなり忙しい上に、身内が入院したりしてバタバタしてます。

申し訳ありませんが、今週から月曜更新とさせていただきます。それでも間に合わなかったらシレっと更新せずスルーすると思います。なるべくそうならないよう気を付けますが…!

何だかんだ、次かその次くらいにはリリア視点に切り替わると思います!

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