12.遺跡
ちょっぴり恥ずかしい青い春のようなやりとりをした私とマリーは、落ち着くとお互いに顔を赤らめた。こんな風にお互いの気持ちを言い合うのは聞くのは嬉しいけど、言うのは恥ずかしい。でも、今までしてこなかったからこそ、私達は空回っていたんだろう。
本音を語るっていうのは、やっぱり必要なことに思える。もちろん、語らずとも傍にいられる相手もまた、大事だと思うけど。
「ねえ、聞いてもいい?」
未だに恥ずかしいのか、視線を合わせないままマリーが体だけを私に近付ける。
「ん?」
「どうして、ティーナちゃんはテオ先輩に思いを伝えないの? 臆病だからって言ってるけど、お互いに思ってるのは気付いているんでしょ? 何を怖がるの?」
改めて聞かれると、どう答えるべきか悩む。
私が怖がっていることは、きっと他人には理解しがたいことだ。だって、誰にも前世については話していない。記憶がないことは知っている人はいるけど、記憶が無くなる前と今では、きっと魂が違うだろう、なんて誰が理解できるだろう。
でも、ここにきて誤魔化したり、内緒にするのも難しくて、私は言葉を探す。
「本当はね、何も考えずにテオと一緒になりたいって思ってるの」
「……うん」
「すごく、説明が難しいんだけど……私の中に、もしかしたら違う人格がいるかもしれないって思うことがあるの。別に、その人を確認したわけじゃない。確信しているわけでもない。だけど、もしかしたらって思う要素が私にはあって、だから……もしテオと一緒になった後、そのもしかしたらってことが起きたらと思うと、怖くなる」
元々のティーナの体の持ち主である魂が、何らかのきっかけで目覚めたら。その結果、今ここにいる〝私〟はどうなるのか。そんなこと、私自身にもわからない。その元の魂と、私が今の体を共有するのか、それとも追い出されてしまうのか。
もし、追い出されてしまったら? テオはどうなるのだろうか。テオをどうするのだろうか。そのまま一緒になっても、突き放してしまっても、納得できない気がする。
だって、テオは、私のだ。それなのに、私じゃない誰かがテオを振るのも、私じゃない誰かと一緒になるのも、きっと許せない。そして何より、テオを、傷付けたくもない。
関係を進めてしまえば、その時恐れたことが起きれば、きっとお互いに傷付く。
それにもう一つ……。
『何故、それで生きているのか我には理解できない』
そもそも私は、一体何者なのか……。
「……よくわからないけど、その怖がってることはいつまで待てば解消するの?」
「……わからない」
「じゃあ、ティーナちゃんは、いつまでテオ先輩を待たせるの?」
そう、いつまでも尻込みしてるわけにはいかない。それに、もう心の準備はでき始めてる。
「この旅が終わる頃には、私も覚悟を決めようって思ってる」
「……そっか、それならいいんじゃない? 今はただの相棒としての時間を大切にしても」
「確かに。この曖昧な関係は、今だけしか味わえないもんね」
これがいいか悪いかは人それぞれだけど。テオにはずっと待たせているから申し訳ないし。
でも、今の関係も、私は嫌じゃない。そう思えるのは、テオがずっと私だけを見てくれているからだ。だから、私は自分を見つめ直して考えることができる。
「マリーはどうするの?」
「そう、だね。私も考えないと」
「よかったら教えてくれない? マリーは、ロイド先輩のことどう思ってる?」
落ち着いたからこそ、ようやく家も状況も忘れて考えることができるはず。そう思って問いかければ、彼女はそっと目を伏せる。
「正直に言うとね、わかんないままなの。ロイド先輩って、本当に何を考えているのかわかんなくて、人の顔色を見て行動してきた私にとってちょっと怖い存在なの。だって、何をどうすれば気に入ってもらえるのか、喜んでくれるのか、全くわからないんだもん」
逆にいえば、その人の地雷とも言える行動すらも、わからないのだ。だから、近付きにくい。そう素直に漏らすマリーに、私は苦笑した。その気持ちは痛いほどよくわかる。以前の私にも経験のあることだから。だけど、そのうちに、わからないなら関わらなければいい。関わらなければ悩まなくていい。関係が浅ければ、何かあってもそれだけ傷も浅くて済むことに気付いてしまった。
そうして、人との距離を測って、避けて、楽な方へと向かえば、いつしか完成するのは孤独な自分だ。家族と呼べる人も、友人も、恋人だってできるはずもない。相手が奇跡的に自分に惹かれても、そのことを自分自身が信じられないのだから。
「じゃあ、話してみよう?」
「え?」
「私だって、テオのこと最初から知ってたわけじゃない。何が好きで、何が嫌いで、何を大切にしているのか、何度も話をして聞いて、その声と表情と言葉で理解を深めてきた。幼馴染だからこそ、今の私達があるんだよ。マリーは? ロイド先輩に何か聞いてみた? 好きなこと、嫌いなこと、苦手なこと、得意なこと。マリーはさ、人のことを見るだけでどういう人なのかわかっちゃうくらい聡い子だけど、完璧じゃないでしょ? 完璧じゃないから、ロイド先輩って人がどんな人なのかわからない。それなら、もう聞くしかないし、聞かないと、マリー自身だって結論は出せないんじゃない?」
本来、聞かなくてもわかってくれる人なんていない。マリーは察する能力が人一倍強いけど、その人の過去や思考まで把握できるわけない。あくまでも直感に近いものだ。それなら、やるべきことは一つだけ。
「ロイド先輩がどうしてマリーに告白したのか。それもきちんと聞かないと。聞いて、話して、その上でまたマリーが考えればいいんだよ。これからロイド先輩とどういう関係でいたいのか」
判断材料がないから答えが出ないのだから。
「私と話したみたいに、話してみないとわからないことはきっといっぱいあるんだよ」
「……うん、そうだね。やって、みる」
不安そうに笑うマリーだけど、何かあっても私が味方になると口にすれば、嬉しそうに笑ってくれた。
そうして、長々待たせていたロイド先輩を呼んで、二人で話をさせた。もちろん、貴族的に密室に二人きりはできないので、会話が聞こえない距離のある部屋に、扉を開けたまま、という前提だけど。こういうのは仕方ないよね、貴族めんどくさい。
話を終えたマリーは、まだぎこちないけれど、それでも自然な顔で笑っていた。まだ、結果は聞いていないけど、多分悪い方向にはいっていないと思う。
「それでは、お世話になりましたロティ子爵にそのご家族様」
宣言した通り、私達は滞在中、彼等に会うことはしなかった。面談希望は何度かされていたけど、休息のために会うことはできないと言い切って閉じこもっていた。頼んでいた補給と休息含めて丸三日この邸にはお世話になったけど、顔を合わせたのは出発時である今だけだ。
「い、いえ……英気は養われたので?」
「ええ、、仲間のみでじっくりと休ませていただけましたので、とても調子がいいです」
「そ、そうですか。それで、あの、」
ちらちらとロティ子爵がロイド先輩を見ている。あの時、次女の縁談について積極的に動いていたのは夫人と次女だけだったけど、何も言わなかったのは子爵自身も賛成だったからなのだろう。だけど、私が反対の姿勢を見せて閉じこもったからどう切り出すべきか悩んでいると見た。
こんな問題に戸惑うくらい社交に慣れていないのに、どうして高位貴族の端くれである伯爵家に次女を送り込めるのかしら?
「……子爵」
「あ、はい!」
突然ロイド先輩から声をかけられて肩を跳ねさせた子爵は、汗を滲ませながら視線を合わせる。
「……成り行きとはいえ、突然ご息女に求婚をしてしまい、失礼しました」
「い、いえいえ。あの、私としては、マリエッタよりも、その」
「……安心してください。マリエッタ嬢に振られましたら、私はこの家とは距離を置きますので、気まずい思いをしなくて済みます」
「え!?」
「……今回、私が突然告白してしまったことで、マリエッタ嬢には混乱させてしまいましたので、どのような関係になるのか、時間をかけて二人で考えることに決めました。正式に……婚約する方針になりましたら、改めて子爵にも許可をお願いするつもりですが、それ以外で貴方に関わるつもりはないとお約束しましょう」
「い、いえいえ! 何故、そんな……!」
今の会話はつまり、折角の和やかな晩餐会を、ロイド先輩の告白で台無しにしてしまった。気まずい思いをさせてしまったお詫びに、今後は必要以上の接触は避けます。そういう意味がある。相手を気遣って距離を置く、と言ってるけど、まあ、マリー以外でロティ子爵家には関わりたくないという意味だ。顔を真っ青にしている子爵だけど、こうならないなんて本当に思っていたのかな?
セイリム様がロイド先輩の立場だったら、公爵家故にもっと一方的に関係を絶たれていただろうし、下手をしたら社交的に立場を追われていただろう。多分、次女さんは修道院に追いやられているだろうな。
とはいえ、実際、私達は明確な損失を受けたわけじゃない。子爵達が蔑ろにしたのは、同じ子爵家の娘、マリーなわけだし、聖女に対して失礼な態度を取ったとはいえ、別に危害を加えられたわけじゃない。だから、苦情を漏らしても、直接懲罰を与えるほどではないし、そもそも与えることもできない。だからこそ、王家にチクったり、ロイド先輩から距離を置く発言をしてもらって、嫌がらせする程度しかやることはないのだ。
「……私は、マリエッタ嬢個人を求めています。それに、彼女自身の地位も家族も関係ないのです。……だから、貴方方とマリエッタ嬢以外の理由でこれ以上関わる必要はありません」
よどみなく、キッパリと自分の気持ちを口にするロイド先輩は、きっと何を言われても意見を変えることはないだろう。その堂々とした姿に、マリーは密かに泣きそうな顔をしていた。
そんな彼女の背中にそっと触れて、気持ち程度だけど支えてあげる。
「ど、どうして! マリエッタなんて、一体どこがいいの!? 小柄で、瘦せっぽちで、子供っぽいじゃない!」
「……私と比べて、人の機微に聡く、思いやりがあり、そして聡明な女性です。環境のせいか、優しすぎるせいか、人に甘えるのが苦手な性格ですが、それがまた不器用で愛らしいと思っています」
「へぁ!?」
「……美醜については人それぞれですので、貴女が、マリエッタ嬢が、なんてことは私は言いません。……ですが、彼女には、彼女にしか持っていない魅力的な一面がたくさんあり、私はそれが好ましく思っているのです。それについて、別に他人に知ってもらおうなんて思いません。言葉通り、私の勝手ですから、それを貴方方に説明するつもりはありません」
すごい、こんな饒舌なロイド先輩は初めてだ。しかも、その内容がまた、情熱的で、こっちまで赤くなる。頬が熱くなるのを感じながらマリーを見れば、案の定茫然としながら顔を真っ赤にして硬直していた。
「別にいいじゃん。勝手だって言ってるんだから、オレはそちらの姉よりマリエッタ嬢が好みですってはっきり言えば」
「…………確かに」
「テオ! 口を挟まない!」
今まで静かにしていたのに、いきなりテオの陽気な声が響いて、その内容にギョッとする。慌てて止めるけど、頷いてしまうロイド先輩についにマリーは思考を放棄したらしい。フラフラと体が揺れ始めたので、その肩を慌てて掴む。
「んんっ、さて、実りのない会話はそろそろ切り上げましょうか。私達はまだまだ旅が続きますからね」
とっても無理やりに話を切り上げたのはセイリム様だ。まあ、気を遣う相手ではないと彼自身も思っているんだろう。この場を辞せるなら何でもいいとばかりにその場にいる全員が頷く。
「では、子爵様、ご協力ありがとうございました。どうか、今後も領内の平和維持にご尽力ください」
「あ、……はい」
呆けたように頷くしかできない子爵をその場に残して、私達はようやく気まずいその場から逃げるように立ち去ったのだった。
馬車で暫く走った頃、私はゆっくりと隣を見る。馭者を担当しているのはロイド先輩だ。今の内だろうと、小声でマリーに話しかけた。
「大丈夫? マリー」
「うううううー! 何なの、何なのあの人! い、いきなりすぎない!?」
「そ、そうね。まあ、あんな答えを返すなんて想像もつかなかったね」
「いきなりすぎて恥ずかしい! しかも私自身じゃなくて他の人に言ってるから止めることもできないし!」
確かに、問いかけに対して素直に答えていただけのロイド先輩を止めるのは難しいだろう。だから、マリーが羞恥心に溺れて悶え耐えるしかない。宥めるように背中を撫でてあげれば、ようやく落ち着いたようで彼女は顔を上げた。
「とりあえず、保留ってことになったの?」
「……うん、まあ、別に、ロイド先輩が嫌いってわけじゃないし。私自身、まだ、自分の気持ちを考えるっていうのが得意じゃないって気付いたから。だから、ゆっくり考える時間が欲しいって、お願いしたの」
それはつまり、ロイド先輩自身の気持ちを、マリーは信じることにしたのだろう。だから、今度はマリーがきちんと返事できるように、自分の心と向き合う約束をした。
ようやく、二人が対等な立場になった気がして、嬉しくて頬が緩んだ。できれば、二人共、幸せな結果になることを祈るばかりだ。
「次の目的地はまだ少し時間がかかりそうですね」
「もっと北に行くんだよな? そろそろ初夏なのにすっげー涼しいよなこの辺」
「そうだね、この辺は十一月にはもう雪が積もるほどの場所だから、夏もあんまり気温上がり切らないよ。避暑地としてたまに貴族の人とか遊びにもくるけど、田舎すぎてあんまり観光地もないから、人気はないね」
「あー、そりゃあ、森とか山ばっかりなら、貴族は退屈だろうな」
この辺りは木材が豊富に取れる土地で、だからこそ有名なのは木彫りや彫刻といった木材関連の技術ばかりだ。精巧な彫刻を施した建物や美術品はとても綺麗だけれど、貴族はそれだけでは暇を持て余してしまうだろう。豪華な宝石やドレスがあるわけでもなく、劇場なんてものもない。周囲にある領地もそれほど田舎具合は変わらないし、雪は降る季節が長い故に農作物も豊富とは言い難い。収入源はきちんとあるから現状維持はできるけど、ただそれだけだ。マリーも苦笑するのは仕方ないだろう。
「あ、でも、ちょっと気になる遺跡はあるよ」
「遺跡?」
それは歴史的大発見なものなのでは? 驚いて聞き返せば、だけどマリーはやっぱり苦笑する。
「遺跡と言っても、それほど古いわけじゃないの。だから、発見された当時も領内でちょっと話題になっただけ。しかも、どういった物なのか、結局調査してみても完全に理解した人がいなくて、国への報告もおざなりに終わったみたい」
「へえ、どういうのなんだそれ」
「うーん、大げさに言う人は、魔道具の建造物って聞いたけど、私も直接は見てないんだよね。でも、このまま向かえば、多分聖地に着く前に近くを通ると思う。この森の奥にあるって聞いてたから」
魔道具? しかも、建造物って。大袈裟とかいうけど、そう判断するってことは、建造物のどこかに魔道具要素を見かけたってことだよね。明かりや水道とかの設備ではなく、建造物って判断するってことは、設備とは無縁な内容が刻まれていたのかも。私も興味が湧いて、寄れるなら寄ってみようとセイリム様も同意してくれた。
そうして馬車で走ること数日。マリーの言っていた遺跡にたどり着いた。うっそうと生い茂る木々の中に、一つだけポツンと存在したのは、石でできた大きな舞台のような建物だった。神殿なのかもとは思ったけど、その割には装飾も彫刻もなく、ただむき出しの石の土台があり、円柱が何本も立っているだけ。柱があるんだから屋根があるのかと思えば、どんよりとした空が見えるだけだった。まるで作ってる途中で辞めたような中途半端さだ。
「うわ、何だココ。作った意味が全くわかんねー」
「そうなの、考古学者の人が何人も来たけど、結局きちんとした目的がわからなくて断念したところ」
「ちなみに、これを魔道具と判断した人は何に注目したんでしょうか?」
「柱に、魔道具に必要な古代文字が書かれてるみたいで、他に目立つものが何もないから魔道具じゃないかって言ってたみたいです」
マリーの説明に柱に視線を向ける。確かに、むき出しの石に、掠れるような古代文字が刻まれている。しかも、何行も。
劣化具合を見ると、マリーの言う通りそれほど古そうには見えない。遺跡ともなれば、千年単位昔のものだったりするけれど、これはおそらくこの国ができた後に造られた物だろう。それなのに、一時期話題になっただけというのが、問題だ。
領主も把握していない、造られた意図もわからない建造物。つまり、これは誰かが人目を盗んで作ったものということ。しかも、魔道具の可能性もある。少しきな臭いと思いつつも、刻まれた文字が読めないか目を凝らしてみる。
「劣化はあまりしてませんが、妙に文字が薄いですね」
「刻まれてはいるけど、彫り方が甘いんじゃねーの?」
「……何度か、書き直しているのか?」
「そうみたいです。調べてくれた人も、試作品で、もしかしたら危険なものだからこんな辺鄙な場所に造ったんじゃないかって」
それもあるだろうけど、大っぴらにできない理由もありそう。
魔道具は結構単純な作りだ。前世で言うプログラミングで動く道具。たとえば明かりの魔道具なら〝光を灯せ〟という命令を刻み、魔石をセットすれば動く。もちろん、本当に文字を刻んで魔石を付けるだけで完成するほど単純なわけじゃなく、ちゃんと魔力を通す導線や命令を受け取るための機関が必要にはなるけど、原理としてはそれだ。
この遺跡には確かにそのプログラミングとも言える命令文が柱に刻まれている。だけど、魔道具として尤も重要なのがこれにはない。
「魔道具って言うなら、魔石を設置する心臓部がないとおかしくない?」
「それが、ないんだよ。だから何人かここの調査をしてくれたけど、魔道具だって言い出したのはたった一人だけ」
「なるほど、結局謎で終わったのはそういうこと」
話しながらも掠れた文字をどうにか解読しようと注視する。そうして、もしかしてと思う文字をいくつか拾い上げた。
魔力、魔法、血、命、力、一つ一つ……。単語でしか拾えないから一体何なのかよくわからない。作動に関する動詞は何度も書き換えたのか、文字を彫ってたのかわからないくらいデコボコだ。そもそも専門家が調査してわからなかったのだから、今日初見の私達が結論を出せるはずもなく、結局首を傾げるだけで終わったのだった。




