11.友達
専用の談話室に戻ってきた私達は、まずは全員でソファに腰を落ち着ける。テオと私は食事がほとんど終わっていたからいいけど、他の三人は半分も食べていなかったはず。お腹は大丈夫かと聞いたけど、今日はそれほど動いていないからと全員にお茶を淹れて一息つくことにした。
「あ、あの、本当に、家族が失礼なことしてすみません」
「いえいえ、私は気にしてませんよ。それに、前もってマリエッタさんは注意してくれましたし」
「……俺も気にしていない。それよりも、さっきの話だが」
「おい、ロイド。少し落ち着けよ。マリエッタはまだ混乱してるからさ」
「……わかった」
何かグイグイ来てるなって思ったけど、もしかしてロイド先輩、緊張してるのかも。表情変わらないからわかんないけど。いつもならもう少し視野が広いし、口数が少ない分、他の人より冷静な人のはずだし。
マリーを盗み見るとキョロキョロと視線を動かしていて落ち着きがない。家族の恥ずかしい行為を見た上に、何故か告白されて、どうしていいのかわからないんだろう。後ろめたさと恥ずかしさで混乱しているに違いない。
「マリー、ちょっと一緒に部屋に来てくれる?」
「え、あ、うん」
マリーの手を取って私の部屋へと促すと、茫然としつつもついてきてくれる。個室にもソファとテーブルがあるし、いつでもお茶が飲めるように道具も揃っている。私が持っている茶葉を使って、気分が落ち着けるような薬草茶を淹れる。それをマリーの前に置いて、私もソファに座った。
「飲んだら? 落ち着くよ」
「あ、ありがとう」
静かに飲んで、そっと息を吐き出す彼女に、私もお茶を飲む。暫く無言でいれば、ようやく落ち着いたらしくマリーはカップをソーサーに置いた。
「もう、何が何だか」
「何が起きたか私がまとめる?」
「必要ない気がするけど、お願い」
「まずはマリーの二番目のお姉さんはセイリム様に華麗に振られて、ロイド先輩にすぐさま切り替え」
「うん、恥ずかしかった」
「それにロイド先輩は全く気が付かずに返事をして、何故かマリーに告白」
「うん、訳がわからない」
「それにテオが笑ったら侮辱だと子爵夫妻が騒いで、ご好意で別室に行くことを薦められた感じ」
「うぅ、本当、もうやだ」
俯いていたマリーはとうとう両手で顔を隠してしまった。折角落ち着いたのに再度混乱したようだ。家族の醜態、告白の羞恥、そしてまた醜態。こんなにも短時間にマリーに集中砲火したんだから仕方ない。
「私に告白とか、何ていう冗談なのぉ」
「ロイド先輩は、そんなことでは冗談言わないと思う。だって、ロイド先輩の気持ちは、もうあの人のご両親も承知してたみたいだし」
「え、タッサ伯爵夫妻が?」
「うん、実は、夫人から話をされてたんだよね」
はっきりとマリーとは聞いてなかったみたいだけど、もう確信してた言い方だったし、多分伯爵自身も夫人から聞いてるだろうな。
それを知ったマリーはフラリとよろけてひじ掛けにもたれかかった。
「おかしいよぉ、私なんて、好きになる要素ないじゃん」
泣きそうな声でそう漏らすマリーが少し不憫になる。でも、ロイド先輩の気持ちを勝手に否定することもできないから、とにかくきちんとマリーに受け止められるように言葉をかけてみる。
「そんなことないよ。マリーを好きになるのは何もおかしいことじゃないと思う。だって、マリーは人の気持ちを慮るの得意じゃない。空気を読むのが上手いし、皆のことをよくわかってる。だから、一緒にいて落ち着けるし、ロイド先輩もきっとそういうマリーが」
「やめてよ! 他人事だと思って適当なこと言わないで!」
聞いたこともないほどの大声で怒鳴られて堪らず閉口する。混乱を極めているのか、涙が滲んだ瞳が私を睨んだ。
「どうせ面白がってるんでしょ! だからそんなこと言えるんでしょ! ティーナちゃんだって、ずっと、ずっとテオ先輩のことを適当にはぐらかしてるくせに!」
あまりの勢いに何も言い返せない。マリーがこんな風に感情的になるのは初めてだ。いつだって、誰かのことを考えて、合わせてきた彼女が。
「あんな恥ずかしい家族がいて、同情でもしてるの? その上ロイド先輩にあんな風に言われて、混乱している私のことを見て、楽しんでる? こっちは恥ずかしくて申し訳なくて、できることなら隠しておきたくて必死だったのに! ティーナちゃんはいいよね、あんな家族がいなくて!」
「……」
「もし、本当にロイド先輩が本気だったとして、どうせ私に選択肢なんてないよ! 家族が許さないもの! それに、あの人達のこと、王家に報告すんでしょ! 結果的に私だって罰を受けるかもしれないんだよ! そんな私が、ロイド先輩の告白を受け入れられるわけないじゃん!」
マリーと私は、最初お互いに利があって一緒にいた。クラスで一人なのは心許なくて、都合がいい時に一緒にいられる……そんな存在が心地よくて。
マリーは人のことを理解するのが得意。だからこそ、マリー自身が都合のいい相手をすぐに見つけることができる。貴族じゃなく、だけど貴族に簡単に負けることもない、身を寄せるのに楽な存在。それが、きっと、私だった。
そして私もそんなマリーの心情を察しながらも、付き合った。私にとっても、そんな関わりの方が楽だったから。
だから、彼女のその言葉に、傷付く資格はないんだと思う。
でも……。
(でも、今、確かにちょっと傷付いてる。だって、マリーは、私のこと、そういう人間だって思ってるらしいから)
八つ当たりに近い言葉だっていうのはわかる。それでも、少しでもそういう気持ちがなければ言葉にならないはず。
私が、マリーを揶揄う人間だって。私が、マリーの不利になることをする人間だって。私が、薄情な人間だって。
「そうだね、私にはそういう家族はいない。というか、血の繋がった家族自体いない。気付けば一人で山にいて、育ての親であるフィーネさんに拾われてたから」
恥ずかしい家族はいなかった。家族なんて、記憶にもない。結局私一人でいた理由はわからないままだけど、私自身は、捨てられたのだと思っている。
「私ね、その時の格好からしてきっと裕福な家の子供だっただろうってフィーネさんに言われてた。だからね、多分捨てられたんだと思うの。そういう人が、きっと私の血の繋がった家族」
「……え?」
「育ての親であるフィーネさんには感謝してる。今となっては唯一の家族だとも思ってる。だけど、今でも私は、愛っていう感情がわからない。誰かを大切に思う感情が、きっと未だに人より薄いの。そんな中で、テオの想いだけは、特別だっていうのだけはわかってる」
ずっと空っぽだと思っていた私の中に、唯一あるテオへの想い。それだけは、自信を持てる。だけど、だからこそ。
「マリーの言う通り、私はテオへの想いに未だに応えられていない。この気持ちだけは把握しているのに、それを返すことができない。それは、私が臆病者だから」
だって、勇気があったらもうとっくに言っている。自分が何者なのかなんて考えずに、今後のことなんて不安にならずに、素直に自分の気持ちを伝えて、テオと一緒にいることを純粋に求めている。
だけど、どうしてもそんな風にできないから、臆病者だと、卑怯者だと言われても仕方ない。
そう、本当はわかってる。私はやっぱり聖女なんて器じゃない。
「そんな私から、何を言われても嫌味や皮肉に聞こえても仕方ないのはわかってる」
「……ッ、ちが」
「傷つけちゃったなら、ごめんね。別に揶揄うつもりも、面白がってるつもりもないんだけど、でも、それは受け取る人にも寄るから」
信用されていない人に何を言われても心に響きはしない。いくらマリーに余裕がなくて、八つ当たりが入っていたとしても、多少なりとも本音がなければあんな言葉は出てこないはずだ。
でも、自分の感情を抜いた、事実だけはマリーに伝えておかないといけない。
「マリーのご家族のことは、王家に報告はもちろんするよ。でも、マリー自身に咎は受けさせない。そもそも、不敬罪を一族単位にかぶせるなんてこと、今の時代ではそうそうないし、もしそんな過激な判断になったとしても、実際被害を受けた私に相談なく動くことはないと思う。あと、ロイド先輩の告白を受けるも受けないもマリー次第。ご家族が反対しても、マリーにその気があるなら、それはロイド先輩がどうにかするべき問題だし、二人に相談されたなら私はもちろん、きっとセイリム様も力になってくれる。それに、バディの姉という立場よりも、バディ自身と縁を結ぶことの方がよっぽど自然だし、あのお姉さんが無理して割り込んで来るようなら、それすらも王家に報告して対処できる。だからね、マリーは自分の気持ちだけに向き合っていいの。人のことを、家族のことを、考えなくていいの」
貴族としていろいろな柵があるのは仕方ない。だけど、ロイド先輩とマリーはそういうことを気にしなくていい立場にいる。ロイド先輩は伯爵家嫡男で、マリーは子爵家の三女。身分も離れすぎていないし、嫁に行ける。更に言えば二人共魔力がある上にバディだ。これほど好条件な者はない。だから、あと重要なのは本当にマリーの想いだけだ。
その気持ちを込めてまっすぐに彼女を見れば、いつの間にか落ち着いたのか彼女は小さく息をついてソファにもたれかかった。
「違うの、ごめん、ティーナちゃん。さっきの言葉、ほとんどが八つ当たり」
「……うん」
「というか、むしろ僻んでたのは私の方なの。私、ずっと、自分に自信がなかったから。唯一自分が自慢できることが、人の顔色を見て生きていくことだったから……」
ぽつり、ぽつりとマリーは自分の境遇を話し出した。
虐待をされていた……それほどの内容ではない。暴力があったわけじゃない。食事を抜かれたり、虐めを受けたりしたわけでもない。けれども、明らかに姉妹の中でマリーの扱いがおざなりで、後回しにされてきたそうだ。これは、別段貴賤関係なくよくあることだ。特に嫡子と嫡子の代わりを務める二人目を優先するのは貴族としては尤もなことでもある。
けれど、マリーは幼心からその状態に寂しさを覚えていた。少しでもいいから自分を見てほしい。一年に一日でもいいから自分を優先してくれる日がほしい。そんな願いを常に抱きながら、自分にできることを探して励むようになった。
お姉さんを落とすようなことをすれば、逆に嫌われてしまう。
我がままを言えば、今以上に距離を置かれてしまう。
周囲の顔色を見ながら、それがわかっていたマリーは、どんどん〝いい子〟になるのが上手くなった。相手がどうしてほしいのか、見ればわかるようになり、目立たず、姉を立てて、家のためにできることをし、家名に恥じない生き方をする。ただ、それだけをして今まで生きてきた。
だから、学校でも同じことをした。下手に貴族と関われば、それだけその相手に自分の家も影響を受けることになる。それが嫌で、だけど一人なのは寂しくて、だから友人として私を選んだそうだ。
平民でも貴族に対抗できる強みがある私は、マリーが身を寄せるのに好都合な存在だった。そして、私自身もそういう関係を望んでいるようにマリーには見えた。だから、私達は友人になった。
「予想していた通り、ティーナちゃんは私に無茶なことは言わないし、変な期待もしない。学校の中だけの、適度な距離を保ってくれる、すごく居心地のいい人だった」
「うん」
「でも、でもね、そういう人なら誰だってよかったわけじゃないんだよ。私、ちゃんと知ってるの。人と関わりたいと思っていなくても、人を積極的に助けようと思っていなくても、ティーナちゃんは優しくて責任感ある人だって。私と同じように人から距離を取っているのに、人を放っておけないティーナちゃんが、私羨ましかった。そういうティーナちゃんだから、きっとテオ先輩とかリリーちゃんみたいな人が、周りに集まるんだろうなって」
マリーの言葉に、私は肯定も否定もできなかった。自分のことは、自分が一番わからない。マリーから見たら、きっと私はそうなんだろう。だけど、私自身は、そうは思えない。人を放っておけないって言うけど、それでも関わる人は最低限だ。自分が気になる人限定で、自分にできる限りの手助けをしているだけ。結局はエゴでしかない。
でも、きっとエゴであっても、マリーにとってはすごいことなんだろう。
「ティーナちゃんが羨ましくて、憧れで、眩しかったの。だから、つい思っちゃうの。私みたいに迷ったり、卑屈になったり、人に当たったりしないんだろうなって。そう思ったら、更に惨めになって、あんなこと言っちゃった」
震える声と共に、マリーは涙を流す。ポロポロと落ちるそれを、拭うこともなく顔を伏せて、か細い声でごめんなさいと紡いだ。小柄な彼女が、更に小さくなった気がして、思わずその肩を抱き締めた。
「私だってあるよ、そういう気持ち」
人を羨む気持ち。人を妬む気持ち。人を恨む気持ち。どんな気持ちも、私にだってある。
だって、そもそも私には何もなかった。家族も友人も恋人も。〝以前〟では無縁だった。だからこそ、自分にそんな価値はないのだと、人と関わる資格はないのだとずっとそう思ってた。
それでも、人は一人では生きていけない。そのことも、以前から知っていて、だからこの世界に来て、私は真っ先に一番信用できるフィーネさんに縋った。
ちっぽけな自分が、人の迷惑になる。申し訳なくて、でも死にたくはなくて、生きるためには仕方なくて。また、そんな思いを繰り返すのかと。
最初から恵まれた環境にいる人が羨ましかった。血が繋がっているというだけで愛される人が妬ましかった。恵まれた環境に胡坐をかいて傲慢になる人が恨めしかった。
でも、そういう強い感情は、私の心を消耗する。それも、以前の経験で知っていたから、人への興味を最大限薄くした。その中で、テオだけ特別だったのは、テオが……無条件で私を見てくれたからだ。
テオが私を見てくれているから、私も少しだけ余裕ができた。他人を見ても、どうしてって思う回数が減ってきた。だから、人を気にかけることもできるようになって、人に手を差し伸べることができるようになって、そうして今の私がある。
ああ、なんだ……つまり私もまた〝恵まれた人〟だったんだ。
きっと、マリーには今もそういう人がいなかったんだ。
「マリー、次からは溜め込まなくていいよ。私に全部吐き出していい」
「……え?」
「きっと、そうしたら、マリーのいっぱいっぱいになった心は少しだけ余裕ができるから、そうしたらきっと見える景色が違ってくると思うの」
私にとって、テオのような人が、マリーにはいないのなら……それなら私がそうなればいい。
きっと、今ならなれるはず。だって、こうしてマリーが本音を言ってくれるのは、それだけマリーの中で私の存在がそれなりに大きいからだって思うから。
そうじゃなきゃ、言えない。言えるようなら、今こうなっていない。きっと、自惚れじゃない。
「で、でも」
「大丈夫、怖がらないで。マリーがどんな子なのか、私はもうちゃんと知ってる。マリーだって、私のことよく知ってるでしょ?」
たった一年と少しだけど、それでもずっと一緒にいた。他愛無い会話ばかりだけど、お互いにどんな性格なのかよく理解している。
「マリーはずっと一緒にいてくれたでしょ? 私のことよくわかってくれて、いつだって居心地のいい空気を作ってくれた。だから、今度は私の番。マリーが苦しんでいるその思いを、私が受け止めるから」
「……私、きっと性格悪いよ?」
「そんなことないって私が知ってるから大丈夫」
「結構後ろ向きだし、同じような悩みばかり言うかも」
「その悩みを延々と自分の中でくすぶっているより気は楽でしょ?」
「また、さっきみたいに八つ当たりしちゃうかも」
「それならそれで、また私が事実だけを言って、落ち着かせてあげる」
「……ほんとに、いいの? 面倒なだけじゃない? 私といたって、いいことなんてないよ?」
「そんなことない。一緒にいて、楽しかったり、落ち着けたりするから、傍にいたいって思うんだよ。いいことなんて、人それぞれ違うでしょ? 私はマリーと一緒にいたいって思う。だって、マリーは初めてできたお友達だから」
笑って答えれば、マリーはまた涙を零した。泣き止む様子のない彼女の背中を撫でながら、私は落ち着くまで待ち続けた。その合間に、掠れた声で「ティーナちゃんも、私にとって、初めての友達なの」と必死に伝えてくれた。
この日、私達はようやく本当の〝友達〟になった。




