10.ロティ子爵家
北の辺境領地と中央を繋ぐように存在する小さな領地。それがここ、ロティ子爵領だ。それほど広い領地なわけではないが、道の整備はそれなりに整っていることもあり、商人の多くがここに足を踏み入れる。だけど、名産品が存在するわけでも、目立った観光地があるわけでもないので、基本収入は農産物と旅人や商人が利用する宿代くらいだ。そんな土地の子供として生まれたのがマリーだ。
「本当に寄るんですか? 私の家に」
「そのように予定が組まれているから、連絡もいっているはずです。それなのに立ち寄らないわけにはいきませんから」
こんな時に里帰りするのが気が進まないようで、ここ最近ずっとマリーはこんな感じだ。でも、何か問題が起きたわけじゃないので、予定変更する理由はない。私達としても、ずっと森や山の中を旅するのも限界があるので、補給として頼る場所は必要だ。そのために、前もって城から予定された貴族家には通達がされているし、その分の保証も受けているはずなので、断ることなんてできない。そんなこと、マリー自身もわかっているはずなんだけど。
(これは、何か別のことであるんだろうな)
マリーは基本自分のことは話さない。人に合わせるタイプで、無邪気っぽく見えるけど、そう装っている部分があると思う。でも、だからこそ私もマリーと一緒にいるのは楽なんだけど。そういう風になったのは、きっと環境のせいなんだろうな。となると、もしかしてロティ家って我が強い家族なのかも。確か、お姉さんが二人いるっていうのは聞いたことあるけど、二人共家に残っているのかな? 後継ぎが必要だから、一人はいるだろうけど……。
そんなことを考えていれば、あっという間に領都にあるロティ子爵邸へと到着した。邸は想像したよりも大きめだった。とはいえ、ロイド先輩の家よりは一回り小さいくらいだけど。
「ようこそいらっしゃいました、聖女様。それに、ローバート公爵令息様にタッサ伯爵令息様。このご時世ですからあまり手の込んだ歓迎はできませんが、少しでも心休まるように尽くさせていただきます」
おそらく邸にいる全員が玄関に立ち並び、私達は歓迎されていた。挨拶をしてきたのは、きっとマリーの父親であるロティ子爵だろう。細い目を更に細くしながら微笑んで、彼は頭を下げた。旅の補充は手伝ってほしいけれど、過度なもてなしは必要ないことはあらかじめ通達されているはずなんだけど、そんなこと一切知らないとばかりの態度に私達は戸惑う。けれど、こんな時無駄に頼もしいのがセイリム様だ。
「お気遣い痛み入ります。ですが、私達は魔王討伐のために旅をしている途中であり、観光や遊びで旅をしているわけではありません。休息としての気遣いは感謝しますが、過度な歓迎はお互いのためにもなりませんので、お気になさらぬようお願いします」
「いえ、いえ! ですが」
「そんなことをされては、こちらも皆さんの好意を上にお伝えしなければなりません。そんなことは、もちろんお望みではありませんでしょう?」
これは、〝無駄に豪華な歓迎をする気ならこっちは上に報告するぞ〟っていう脅しかな? 相手は子爵本人だから実際はセイリム様ではあまり強く言う権限はないんだけど、王宮専属の神官という立場もあるから、実際子爵程度では強く言い返せないのだろう。彼は少し強張った表情をして頷いていた。
そんなやり取りを見て、マリーが静かに溜め息をついていたのは、きっと隣にいる私しか気づかなかっただろう。
「ごめんなさい、不快な思いをさせましたよね?」
各々部屋を案内されて、仲間内でくつろげるようにと専用の談話室を用意されたので、今はその部屋に五人で集まっている。マリーが沈んだ表情で謝る姿を、セイリム様は何てことのない表情で首を振った。
「いいえ、あれくらいは想定内です。そもそも、マリエッタさんは元々ここに立ち寄るのに反対されていましたしね。覚悟はしていましたよ」
「ですけど……あんなあからさまな歓迎をしてしまって、家族として申し訳ないです」
「あの手のタイプはよくいますし、権力には逆らわないので、むしろやりやすいです。だからこそ、私がこのチームに参加しましたしね」
確かに、どう頑張ってもいつかはああいうタイプの貴族と関わって来るだろう。それなら、知り合いとか身内の方が手は打ちやすい。予想していればどうってこともないだろうし、セイリム様だって予測して対策を組んでいただろう。
「多分、食事の際にも失礼なことを言うと思います。特に、セイリム様は気を付けてください」
「何でセイリム様限定なの?」
「……えーっと、その、」
気まずそうに視線を彷徨わせるマリーはその問いには答えづらいようだ。そんな様子の彼女に、セイリム様だけは何か思い当たることがあるようで、朗らかに微笑んで頷く。
「大丈夫ですよ。きっと、処罰なんて事態にはなりませんから」
「すみません、きっと甘える形になります」
まあ、ここで聞かなくても、きっと食事の時にどういうことか理解できるだろう。そう思って、私はそれ以上マリーに聞くようなことはやめた。テオもロイド先輩も空気を読んで黙っている。
そうして少し休んでいればあっという間に夕食の時間になる。使用人に呼ばれて案内された食堂には既に子爵家の方が出揃っていた。意外にも二人いるというお姉さんはどちらもここにいるようだった。長女である彼女には婚約者もいて、婿入りする予定らしくその方も彼女の隣に収まっていた。次女になる二番目のお姉さんには婚約者はいないのか、はたまた婚約中だけどまだ別居中なのかわからないけど、ニコニコと笑みを浮かべて迎えている。
「お言葉に甘えてとても質素な料理ばかりで申し訳ありませんが」
「いえいえ、もてなしは不要だとこちらからお願いしたことですからお気になさらず。それに、旅の間はそれこそ大した食事ができませんでしたから、こうしてゆっくり食べられるだけでもありがたいです」
ここもセイリム様が代表して子爵に言葉を返す。彼は聖女である私にはあまり興味がないようで、ほとんど視線を向けてこない。それについてはむしろ気が楽なので助かっている。
テーブルに並んでいる料理は質素というけれど、かなり品数が多く、贅沢寄りの食事だった。けれど、貴族である彼等の食卓なら仕方ないことなのかもしれない。節制なんて言葉、本来知らないだろうし、それでも気を遣って減らした方だろうと思うことにした。ただ、ここで余ったらその食事がどうなるかが気になるところだ。タッサ伯爵邸のように他の人にお裾分けしてくれているならいいけれど。
「セイリム様は公爵家のご子息でありながら、王宮付きの神官を立派に勤めているそうですね」
「いえいえ、私はただただ聖女様に憧れを持ち、背を追うようにして単純に神に仕える身分になっただけです。立派な志などほとんどありませんよ」
「そんなことありませんわ! こうして危険な旅にも立派に務めているではありませんか。私、尊敬いたします」
キラキラとした目でセイリム様を見つめるのは、次女である二番目のお姉さんだ。その姿を子爵夫妻も微笑ましそうに見つめて時折会話に混ざっている。長女である一番目のお姉さんとその婚約者さんは会話に興味がないのか一切混ざっていない。
そして、マリーはそれを表情に出さずとも呆れたように見つめていた。
(なるほど、二番目のお姉さんはつまり今フリーなのか)
確か、セイリム様は年齢が二十六歳。お姉さんの方は何歳くらいだろう。学校は卒業しているようだけど、一番目のお姉さんがまだ結婚していないし、二十歳前後くらいかな? それなら、有り得る年齢差だろう。それに、セイリム様自身は公爵家の跡取りじゃないけど、神官という別の地位があるし、子爵令嬢でも身分差があり過ぎることはない。むしろ丁度いいとも言えなくもない。もしこれが公爵家嫡男であったなら、身分差が大きいという理由で断ることも可能なんだけど。
(それにしたって、アプローチがあからさまだなー)
でも、そうなることをマリーは事前に予想していた。ってことは、こういう人達なんだな、普段から。
元々平民の子供として生きてきた私は、貴族という人間をあまり身近に感じていない。政略的な考えがあるから、自由も少なければ、形式や打算的なやり取りが多く存在する。そのくらいの認識だ。特にこの世界は魔法学校に入学できれば準貴族としての身分を与えられるから、実力主義なところもちゃんと備わっている。そのお蔭で貴賤の差別は然程大きくないと思う。それでも、貴族の中には選民思想が高い人はいるだろうし、こうして身分で人を見て擦り寄る人がいてもおかしくはない。だけど、それがまさか友人の家族だとは思ってもいなかった。
「ありがとうございます。そのような過分なお言葉を胸に、今後も私は〝聖女〟様を敬い、〝聖女〟様一筋で生きていこうと思います」
「え?」
「どちらにしても、私は〝聖女〟様以外の女性が誰でも同じように思えてしまう性質でして、なかなか個人的に女性の魅力に気付けないのです。そのせいでいつも愛想をつかされてしまい、この際ならばと神官の道へと歩み、〝聖女〟様のみを愛し敬い、独り身で生きることを誓ったのです。このような私を、肯定してくださる方がいらっしゃるなんて……とてもお優しい娘さんですね」
ニコニコと邪気のない神官らしい笑みを浮かべて、すごい聖女を主張するセイリム様。思わず吹き出しそうになった。その流れで行くと、セイリム様は今生きている女性の中で聖女様である私とリリーしか興味ないってことになるからちょっとやめてほしいんだけど。
まあでも、ここまで圧倒的な言葉を突きつけられれば、いくら図々しい人達でもこれ以上は強く来られないらしい。引きつった笑みを浮かべてセイリム様にアプローチするのはやめた。
「そ、そういえばタッサ伯爵令息様は一人息子だそうですね。御嫡男として、このような大役をこなすなんて、ご不安でしょう?」
「……いえ、仲間が一緒ですから」
「まあ! なんて勇敢な! 聖女様一行に加わるくらいですもの、とても優秀なのですね!」
「……いえ、それはマリエッタ嬢とバディだったからで、私自身が優秀なわけではありません」
「あら、そういえば妹とバディでしたわね。ふふ、ならもう私とも縁があるも同然ですね」
うっわー、すっご。すぐさま標的をロイド先輩に変えてきた。どうするんだろう。セイリム様なら問題なかったけど、ロイド先輩ってこういうこと苦手そう。上手い具合に避けられるのかな?
てか、マリーとバディだから縁があるし、私と婚約してもいいですよね? って、意味だよね……今の。すっごい無理やりな理由づけ。というか、そもそも目の前でアプローチしてフられた直後にすぐ隣の男って。貴族ってそういうの節操無いとかはしたないとか言わないっけ?
「……そうですね」
(え!?)
まさか肯定してしまうなんて思わなくて驚く。反射でロイド先輩を見るけど、いつも通り何を考えているのかは不明だ。うーん、マリーが苦手って言ってたの、今ならよくわかる。
「でしょう? ふふ、ここで休んでいる間は私との時間を取ってくださいませ!」
色いい返事だと思ったお姉さんは嬉しそうにはしゃいだ声を上げる。だけど、ロイド先輩は僅かに首を傾げた。どうしてそんなことをするのか理解できないという風だ。これは、もしかして、口説かれていることに気付いていないのでは?
「……いえ、その必要はないです」
「え! でも、もっと一緒にいたら、もっと深い仲になれるでしょう?」
「……? いえ、貴女と仲を深めるつもりはありません」
「え、でも、さっき」
どうにも話が嚙み合わなくてお互いに首を傾げる二人。こっちも首を傾げたい。誰もロイド先輩の言葉を代弁できない。
「んん、ちょっと失礼」
見兼ねたセイリム様がロイド先輩に耳打ちをする。おそらく、お姉さんの言葉の真意を教えているんだと思う。それを聞いて、静かに頷いたロイド先輩は暫く黙り込んだ。
「あ、あの、タッサ伯爵令息様?」
「……失礼、私が言いたかったのは、私とマリエッタ嬢の仲が深まれば、貴方方との縁もできる、そういうことです」
「「え?!」」
これにはマリーも意外だったのだろう。驚いたようにお姉さんと声を合わせて上げる。だけど、ロイド先輩はマイペースにマリーを見つめて、迷いなく答えた。
「私はマリエッタ嬢を好ましく思っています。バディとしてではなく、これから共に歩む人として求めています。彼女が望んで下さるなら、彼女と婚約したいと」
「――っ!」
全く予想していなかったことにマリー含めた家族は言葉を失う。マリー自身はただただ驚いているようで、いいも悪いも顔に出ていない。ちなみに、私とテオはかなりの部外者になるので、大人しく食事をしている。半分以上残している他の人達と違って、もうそろそろ終わりそうだけど。
「な、何を言ってますの!? この子は末っ子で、一番能力も器量もない子ですのよ! 私の方が、きっと貴方のお役に立てますわ。だって、伯爵家の御嫡男でしょう? 今は、戦闘で少しはマリエッタがお役に立てていると言っても、領地へ戻ったらそんなもの……」
「……」
「あの……?」
「…………」
「タッサ伯爵令息様?」
どんなにお姉さんが呼びかけてもロイド先輩は反応しない。それどころかずっとマリーに視線を向けている。その状況に居た堪れないのか、マリーは焦ったようにお姉さんとロイド先輩を見比べていた。
「マリエッタ嬢」
「え、あ、はい!」
「俺では、駄目だろうか?」
うわー、お姉さん全無視したー! あまりにもはっきりした態度に今度は我慢できなかったのか、テオが隣で体を震わせている。やめて、私も笑いたくなるじゃん!
だって、お姉さん二回連続でこの短時間にフられたってことじゃん!
(まあ、本気で好きだったわけじゃないから同情なんてしないけど。だからこそ、笑いそうになっちゃう)
「き、聞いてますの!?」
「……? 聞いてません」
「んぶっ、ロイド、待ってくれ、笑わせるな……ッ!」
「……笑わせてるつもりはないのだが、すまない」
「まあ! なんて失礼な! 貴方、平民でしたわよね? 今、笑ったのは私の娘に対してですの? いくら聖女様一行の一員であろうとも、貴族に対して礼儀がなっていないのではありませんの?」
お姉さんのあまりの扱いに我慢できなくなったようで夫人が声を上げた。それでもロイド先輩本人ではなく、平民で非難を向けやすいテオを選んでいるあたり、この家族は性格がよろしくない。そのヒステリックさにビクリと肩を震わせたのはマリーで、他は無反応だ。
確かに勇者であるテオは聖女と違って旅が終わるまでは地位が確立してない。だから、今の時点で平民だと言われるのは仕方ないことで、礼儀がなっていないのは確かでもある。でも、それでも私達聖女と高位貴族であるセイリム様やロイド先輩のお供だ。そんなテオが礼儀を失したとして、それを堂々と咎めるのは貴族と言えどあまり褒められた行為じゃない。だから、これはどっちもどっちな気がする。
「まあ、オレが平民なのは確かだけど、オレが礼儀を尽くすかどうかは尊敬できるかどうかで、貴族だからじゃねーよ。だから、あんたらに礼儀がなってないのは仕方なくねえ?」
あっちゃー。
テオの明け透けな言葉に顔を引きつらせる夫人。これには子爵も驚いたようで顔を険しくしている。こういうことになるから、気のいい相手以外には口を開かないように注意していたのに、絡んで来るんだもんな。
「貴様――!」
「子爵」
テオに怒鳴ろうと立ち上がった子爵に仕方なく私が声をかける。聖女である私に一応言葉を止めたものの、私を見る目までも厳しい。まあ、ここの人達は、聖女がどういう立場なのかちゃんと理解してないみたいだったから予想ついてたけど。
「今の言い方の非礼は詫びますが、貴方方の配慮が欠けていたのも確かでは? この場はいつ、見合いの場になったのでしょうか? 私達は魔王討伐のための大事な旅の最中。その補給と休憩のために貴方方に甘えているのです。そんな時に、どうして貴方の娘さんは、私の仲間にちょっかいをかけているのでしょうか?」
「な、それは……折角のご縁だからとお話をさせていただいているだけです。何も悪いことはないでしょう? ああ、貴女は平民だからわからないかもしれませんが、貴族はこういう機会を逃さないものなのです。気分を害してしまったのなら申し訳ありません。なんでしたら、貴女とそちらの男性は別室でお休みいただいても……」
「お父様! やめてください!」
「マリエッタ! お前は黙っていなさい!」
子爵ともあろうお方が、こうも簡単に人前で声を荒げる。これは、マリーが憂鬱にする訳もわかる。
でも、折角の好意。従うのが道理だよね。そう思って席を立った。
「子爵が別室で過ごすことをお望みだそうです。というわけで、移動しましょうか、セイリム様、ロイド先輩、マリー、テオ」
「そうですね。聖女様のことをご配慮してくださり、私としても嬉しい限りです。気心が知れた仲間だけの方が、心休まるというものですからね」
「確かにな。身分でしか人を見ないようなヤツと一緒だと旅してる時より疲れるもんな」
「……マリエッタ嬢、では、話の続きは移動した後にしよう」
「え? え、まだあの話するんですか!?」
私が声をかけると他の四人も次々と席を立つ。後ろから制止する声が聞こえるけど、誰も立ち止まらない。控えていた給仕の人も慌てているけど、そもそも私達は客人だ。失礼になるような言動はできない。それに、別室で過ごせと言ったのは向こうだし。
「それでは子爵。お言葉に甘えて、出発までの数日、仲間だけでゆっくりと休ませてもらいますね。御機嫌よう」
嫌味を込めてカーテシーをすれば、それが意外だったようでマリーの家族たちは驚いていた。まあ、立場的に言えば、私は彼等にカーテシーをするべきじゃないんだけど。
だって、彼よりも聖女の方が今は地位が上なのだから。
「私は聖女。元は平民ですが、子爵なら当然知っていますよね? 聖女は王家に匹敵する地位が保証されるということを。貴方達の態度と行い、きちんと王家の方々には報告しておきますね」
マリーの家族であろうと、彼女自身が誇りに思っていないのなら、私達だって丁寧に扱う気はない。
もちろん、後でマリー自身の意思は確認するけど。でも、彼女も蔑ろにしたこの家族に、私は容赦するつもりはなかった。




