7.聖地ツィギー岩地
シェリーさんがいた町を出て半月。ひたすらに岩山に沿って進んでいた。変わり映えのない景色に飽き飽きして暇を持て余すかと思いきや、暇なんてないくらいの日々に襲われていた。
「今日も大漁だなー、中型?」
「中型が十!」
「……まだ数え切れるだけマシか」
聖地に近づく度に魔物の出現頻度が上がって来るからだ。岩しかないこの一帯は目立った農地も得られないため、人里らしい場所はない。だからこそまだいいのだけど、毎日のように魔物が、しかも二桁超えの数で襲ってくると、何とも言えない不安が襲ってくる。これを放置すれば、どうなってしまうのだろうか、と。
聖地を浄化しなければならないというのは、魔物がどうこうじゃないような気もするけど、どっちにしても早急に対処しなければならないことは確かだ。だって、明らかに聖地の方から魔物が現れているのだから。
「このままのぺースで行けるなら、今日の日暮れには聖地に着くかもしれませんね」
「それなら、今日はその前に夜を明かしますか?」
「ええ、その方がいいでしょう。昼でも魔物が出るようになりましたが、夜の方が強いのは変わりませんしね」
そう答えるセイリム様はやや草臥れた表情をしている。セイリム様だけじゃない。誰もが疲労を隠せない表情を浮かべていた。それも仕方ない。街を出て数日はそれほどでもなかったけれど、一週間ほど前から連日こうして戦い詰めなのだから。
最初は私がほとんど浄化してすぐに戦闘は終わらせていた。だけど、一日に出る魔物が一回だけじゃないと、浄化も容易に使うのは躊躇った。瘴気を含めて浄化してしまう聖女の力は、強力な分魔力の消費が激しい。人より魔力の多い私だけど、いざという時に余力がない状態に陥ればどうなるかわからない。
ここから先、聖地に向かうこともあって、より慎重さを持って行動すべきだろう。そうセイリム様と話して結論付け、今では普通に倒せる数はテオ達と手分けして討伐することにしている。
流石に寝る時の浄化は欠かせないけどね。あれをするだけでこの地でも一晩魔物が来ないから大分楽だ。
「明日までに疲労を引きずるわけにはいきませんし、今日は早めにテントを張りましょう」
セイリム様の提案に、皆も深く頷いて同意を示した。もう大分限界みたいだ。
そして翌日。普段よりもきちんと睡眠をとった私達は、少しだけスッキリした表情でその場に立ち尽くしていた。見上げる先にあるのは大きな岩の壁。いくつものデコボコとした岩が立ち並ぶその景色は圧巻と言える。だけど、この先にあるのが聖地のツィギー岩地だ。
「ここまで来たけど、この先にどうやって向かうんだ?」
「その前に……ティーナさん、ここから何か感じますか?」
セイリム様に聞かれて私は岩地をじっと見つめながら言葉を探す。感じる、なんてものじゃない。ここが聖地なんて嘘のような光景だった。
岩が連なるその景色は、本来なら圧倒されて、自然の壮大さに息を呑む光景なんだろう。だけど、私の視界はほとんど黒く塗り潰されている。岩よりも、瘴気がすごい。
「ここは、」
聖地とは。瘴気とは。私の中で疑問が浮かぶ。どうしてここに瘴気が留まるのか。濃度の濃いそれはまるで渦を巻くように集結している。留まる、なんてものじゃない。集まっているようにも思えた。
(魔物は、日の当たらない……人の少ない場所から生まれる)
違う。人が少ない場所なんかじゃない。自然の多い場所に、瘴気が発生するんだ。
つまり、聖地とは。
自然が多い場所、かつ、魔力が多い場所だ。
(どうして魔力が多いかはわからないけど、結果瘴気がここに集まる。だから、この辺は魔物が殊更に多いんだ)
渦巻く瘴気と、強すぎる魔力に眩暈がしそうになる。匂いがあるわけじゃないのに、クラクラと貧血のように視界が狭まる。浅くなった呼吸をどうにか落ち着かせて、一度意識的に目を瞑る。
「おい、大丈夫か? ティナ」
(誰も何も感じているように思えない。私がここまで影響しているのは、聖女だからこそなのかな?)
わからないことは後回しだ。少し酔いそうな濃度なので、この周辺だけをどうにか浄化する。フッと体が軽くなって息が深くなった。
「ここにはかなりの瘴気が渦巻いてる。同時に、かなりの魔力もある場所。きっと、そういう場所が聖地と呼ばれてるんだと思います」
「魔力が……だから浄化が必要なのでしょうね」
「おそらく……。となれば、この聖地全体を浄化しないと、きっと好転はしないと思います」
「では、先に進まないといけないんですね」
「ロイドの魔法でこの岩をどけることはできねーの?」
元々人が来るような場所じゃないから、道なんて存在しないんだろう。だけど、ここにいては聖地全体を浄化するのは難しい。一番楽なのは飛行魔法を使うことだけど、そうなると二手に分かれることになる。いつどこで魔物が出るかわからないこの場所で人数を分担することは悪手だろう。
「やってみよう」
ロイド先輩は大きな岩に近付いて手に触れる。そして眉を寄せて低く呟いた。
「……退け!」
なんてシンプル。そういえば、魔法が苦手だっけロイド先輩。魔力量はテオと変わらないくらいあるんだけど。
彼が命令したその瞬間、地面が小刻みに揺れる。そして、岩と岩の間が開くように動いた。
「ぐっ!」
人一人が通れる道が先に延びる。パッと見た感じでは道の先は見えない。
「……すまない、これが、限界だ」
どこまで続いているかはわからないけど、それでも先に進むことができる。あとは、ここから浄化しながら奥に進むだけだ。
「大丈夫です。まずは、少しでも浄化しましょう」
私の言葉に、他の四人も言葉なく頷いた。
立ち止まっていてもこの瘴気は無くならない。少しでも浄化して、濃度を薄めないと。そう思ってどうにか集中して力を発動させた。
「魔物だ」
「ティーナちゃんには近づけさせないから!」
岩を動かしたことで魔物がこちらに気付いたんだろう。瘴気の中から黒い塊がごっそりとやってくる。濃度が濃いから広範囲に浄化はいかない。確実に、少しずつ綺麗にするので精一杯の私は、襲ってくる魔物は皆に任せるしかなかった。アイコンタクトでお願いすれば、離れすぎない場所に皆が散らばり、それぞれ武器を構えた。
(とはいえ、近付いてくれば普通に浄化されるんだけど)
でも、一瞬で消える保証はない。ちょっとのタイムラグで怪我を負う可能性はあるから、楽観視できない。だから、この方法が一番安心できる。岩場のせいでお互い足場に苦労しながらも、魔法中心で魔物を倒していく。その間にも、私は徐々に徐々に足を進めながら浄化の範囲を広げていった。
『――――』
何かが聞こえた気がして頭を上げる。だけど、依然として瘴気が渦巻く景色が見えるだけだ。気のせいかと思ったその瞬間、大きく地面が揺れた。
「うわ、何だ!」
「岩が動いてる! ロイド先輩じゃないよね?!」
「……違う」
「皆さん離れず! 一度固まってください!」
セイリム様の言葉に皆が私のところに集まろうとしたが、あまりにも地面が揺れて上手く動けない。私も体勢を崩して一度浄化の力が切れる。
「ティナ!」
「テオ!」
真っ先に戻ってきたテオの手を取って身を寄せれば、同時に大きく地面が盛り上がる。私を囲うようにして岩の壁が形成され、皆と分断されてしまった。
「一体いきなりなんなんだ! まるで意思があるみたいに!」
「意思?」
この地が聖地と呼ばれる所以が、魔力以外に何かあるのなら、意思云々があってもおかしくはない? いや、ファンタジーだからってそういうの何でもありなんて思っちゃいけないんだけど、そういうのもありそうだなー。
(なんて、悠長なこと思ってる場合じゃない)
次にどんな動きをするか理解できないままここに留まり続けるのは得策じゃない。だけど、動いたら動いただけ危ない気もする。
浄化し始めて地面が動いたのなら、浄化を邪魔しているようにも思える。それが瘴気として嫌がっているのか、それとも聖地の意思なのかは置いといて、どっちにしても浄化は必ずやるべきだ。それなら、無理やりでも続けるしかない。
「テオ!」
「何だ!」
「とりあえずちょっと抱き締めて!」
「ああ、わか……はあ?!」
今のペースで浄化しててもいつまで経っても好転しない。それなら、威力を上げなきゃ!
私の提案に素っ頓狂な声を上げるテオを無視して、自分からテオの方に抱き着いた。
「あ、ちょ!」
「ほら、早く! 背中に手を回して!」
「なん、いったい、なにを……ああ! もう!」
私の行動の意図が理解できず戸惑っていたテオだけど、私の言葉は無条件でいつも信じてくれるから、優しいことに言った通りに背中に手を回してくれた。包まれる熱に安心して、胸が熱くなる。ただ思うだけじゃない。思う相手がそこにいてくれる。それだけで、この力はより一層安定する。
力が高まった感覚を覚えて、一気に解き放つ。目に見えるほどの浄化の力が辺り一面を照らす。同時に、空気を穢す瘴気が波紋のように波打って消えていくのが見えた。
普段はもっと意識しないと力も出せないのに、今は呼吸するみたいに簡単にできる。力が増すだけじゃない。聖女自身にかかる負担も段違いに変わるんだ。
「すっげ」
その威力の違いをテオも気付いたようで、無意識に声に漏らしていた。大分見晴らしの良くなった聖地に一息ついて、周囲を見渡す。もう地面が動く気配は感じられない。
「テオ、このまま飛行できる?」
「一気に行くのか?」
「うん。その方が早いし安全な気がする」
魔物だけなら分断されるよりって思ったけど、地面が動くのなら話は別だ。瘴気の影響であんな異常が起きるなら、すぐさま完全に浄化を終えるべきだろう。風魔法が展開されている中での浄化は効果が少し減るだろうけど、そんなこと言ってられない。光を伴う浄化は、その光自体にも浄化の効果が見られるからいつもよりはいいだろう。
「了解。しっかり捕まってろよ」
「ついでに、もう少し抱き締める力強めて!」
「…………りょーかい」
すっごい複雑そうな顔で頷いたテオに首を傾げる。何か変なこと言ったかな?
疑問に思うけど、ちゃんと言った通りしてくれるから、今は浄化に集中。……浄化に集中するのは、結果テオに集中するんだけど、よくよく考えれば、これすっごい恥ずかしいや。なるほど、テオが複雑そうなのもようやく理解した。
あれから上空で浄化している間も何度か地面が盛り上がったり揺れたりした。その様子は苦しんでいるようにも見えて、やっぱり瘴気のせいなのか聖地が嫌がっているのかよくわからなかった。それでも浄化すれば動きは止まり、ようやく本来の聖地の姿を取り戻した。
眼下に広がる壮大な景色は、曇り空の下でも綺麗だった。前世の世界ならきっと世界遺産に登録されるほどだろう。
「終わった、のか?」
「うん。終わったよ。お疲れ様、テオ」
「そりゃあこっちのセリフだろ。こんな広大な場所を浄化するなんて疲れただろ」
優しく頭を撫でられて少しくすぐったい気持ちになる。確かに疲れた。だけど、テオと一緒だからか、いつも浄化した時よりも心地よい疲労感だ。魔力は大分減ったし、その影響で全身怠いけど、気持ちは清々しい。とにかくやり遂げたんだってわかるから、スッキリしている。
「みんなのところに戻るか」
「うん」
浄化した場所の地面は問題なかったからあんまり心配はしてないけど、それでも分断された時に誰か怪我をしていたら大変だ。空を飛べるのは私とテオだけだし、合流するのもこっちから向かわないと一苦労だろう。そう思って最初の地点の方へ飛んだ。
「あ!」
不自然に盛り上がった土の壁を視界に捕えた瞬間、それが一瞬で消える。その先にいたのはマリー達三人だ。ロイド先輩が魔法で壁を消してくれたのだろう。
「ティーナちゃん! 大丈夫?」
「大丈夫! 聖地の浄化完了したよー!」
手を振って大声で聞いてくれるマリーに、こっちも大声で応えた。私の言葉に、三人共安心したように笑ってくれる。これでもう安心、そう思ったのも束の間、もう動かないと思っていたはずの地面がまた振動を始めた。さっきよりは揺れはないけど、でも確かに動く地面に全員に緊張が走る。
そして、岩が動いた。至る所に無造作に転がっていたそれは、瞬く間に地面に沈み、消えた。まるで整地されたかのように平らな広場が出来上がり、塞がっていた視界が一気に開けた。
「え、え、何?」
「……わからない、が。止まったみたいだ」
「どうやら攻撃の意思はなさそうですね」
周囲を警戒しつつも揺れが治まったので、少しだけ力を抜いたタイミングで、私とテオが三人のところに合流した。人を拒むように大きな岩がゴツゴツとあったはずなのに、今はまるで受け入れるように一本の道と広場が繋がっている。これが本来の聖地の姿なのか、それともこれも異常によってできたものなのか。わからないまま周囲を見渡す。
『――お主達がこの地を癒してくれたのだな?』
凜とした、それでいて腹に響くような強い声がその場に響いた。声のした方に視線を向ければ、今まで誰もいなかった広場の中心にその存在はいた。
茶のグラデーションの長髪を風に揺らし、灰色の瞳をしたその存在は、人ではありえないとても綺麗な姿をした女性だった。あまりにも整い過ぎているその姿に声を出すこともできず、ただただ見惚れてしまう。
その姿かたちもそうだけど、人の倍はある大きさと彼女から発せられる圧倒的存在感は、やはり人ではないと教えてくれる。
「あ、貴女様、は?」
ただただ圧倒されて言葉を失う私達だが、どうにかセイリム様が声をかけた。狼狽える私達に気を害した様子はなく、彼女はその美しすぎる顔を僅かに緩めた。
『人とこうして話すのは久しぶりだな。我は地を司る大精霊。この地を城とし、世界の地の魔力を安定させる者だ。改めて礼を言おう。我の城を瘴気より解放してくれて感謝する』
大精霊。魔法を使う原理は、何処にでもいる目に見えない精霊を魔力を用いて使役することらしい。けれど、その精霊に、大精霊という存在がいることは聞いたこともない。しかも、こんな風に姿が見えるなんて。
精霊がいるっていうのも、ほとんどの人が迷信のようなものだと思っている。それでも、魔法を使う際最初に教えられるのはその原理だ。
本当に、実在していたなんて。
『魔王が復活し、この地はまた瘴気に侵された。あれは精霊を殊更に好む傾向にある。我等の力を得て、更に魔物を産む。わかっていても、瘴気に呑まれた身ではどうにもできなくてな。ようやく苦しみから解放された』
「い、いえ。それが私達の使命でございますから」
『いや……しかし、我個人が救われた事実は変わらぬ。それに、何度かこうして瘴気から救われた身ではあるが、今回は今まで以上に力強い光を感じた。今代の女神の愛し子は優秀なのだな? 確か女性だったはず、そなたか?』
大精霊様の視線はマリーに向かう。それに驚いて、マリーは勢いよく首を振った。未だに言葉は出ないらしい。
『ふむ、ならばその奥の……――ッ!』
そうして彼女の視線が私を捕らえたその瞬間、穏やかな表情が一気に険しいものに変わる。ブワリと魔力の圧に襲われて、呼吸が苦しくなった。向けられる視線には明らかに嫌悪感が宿っている。見るからに気分を害している様子に、理由がわからず混乱した。
今、お礼か褒めてもらえる流れじゃないっけ?
『なんと、なんとおぞましい!』
「え?」
『こんな、不愉快な存在、初めて目にする! お前、この神聖な我の城に、よくも足をつけたな! 早々に出て行くがよい!』
ええええー!?? 何でかすっごい嫌われたんだけど! 言葉すら交わしてないのに!
あまりにも理不尽で意味不明な態度に開いた口が塞がらない。別に褒めてほしいわけではなかったけど、それでもこんな風に嫌われるような覚えもないだけにどう反応すべきか悩む。
茫然と見つめていれば、それが気に食わなかったようで、彼女は更に視線を鋭くして手を振り上げた。
『出て行かぬというのなら、力尽くで追い出してやろう!』
魔力が彼女の頭上に集まると、そこには無数の岩が生成された。それを何の躊躇いもなく私に向かって飛ばしてくる。大精霊だけあって人ではあまりお目にかかれないほどの速さに息を呑む時間もない。身構えることもできず、ただ身を固くするだけでその岩を見つめる。その岩が私に接触しようと迫ってきたその瞬間、突風が身を囲んで岩を弾いた。
『……ほぅ?』
「黙って聞いてれば勝手なことを言いやがって」
自分の力を弾かれたことに僅かに驚いたように眉を上げた彼女は、私の前に立った存在に視線を向ける。
「別に、元々ここを浄化する予定だったから感謝してくれなんて恩着せがましいことは言う気はねーけど、それでもこんな扱いを受ける筋合いはねーはずだ。大精霊だかなんだか知らねーけど、ティナを攻撃するってんならオレが相手だ」
そう言って、テオは持っていた剣の先を彼女に向けた。大精霊と同じくらい、怒りで魔力を漏らしながら……。
風邪をひいた関係でこの後の話が書き切れてません!
申し訳ないですが、木曜の更新はお休みさせていただきます。




