幕間1.聖女一行のそれぞれの夜
※前半リリア視点、後半テオドール視点
旅をし始めて一か月程度の話です。
「今日はここで寝ようか」
ジルシエーラ様の一言で馬車が止まります。誰も何も聞かずにエリクさんは馬に餌や水を与え、エルダさんは焚火のための枝を探し始め、ルドルフさんは馬車から必要な荷物を下ろします。そして、私はそんな慌ただしい皆さんの中心に立って、まずは周囲の浄化をしました。
魔王が復活してから昼でも夜でも、森じゃない場所でも魔物が現れます。だから、人のいない場所の野営は今まで以上に危険です。動物や夜盗ももちろん、魔物にも常に狙われているのですから。そのため、寝る場所を決めたらせめて魔物対策として周辺の浄化をすることにしました。
「ありがとう、リリー」
「い、いえ!」
ジルシエーラ様の柔らかい声に胸が跳ねます。旅を始めてもうひと月近く。流石の私もジルシエーラ様と顔を合わせるのも話をするのもできるようになりました。だけど、それでもこんな風に優しい声をかけられると、まだドキドキしてしまいます。
「焚火できたわよ」
「テントも作り終わりました」
流れるように準備をしていたエルダさんとエリクさんが同時に声をかけてきました。ルドルフさんは私の浄化を終えたのを確認してから周辺の見回りに出ているので今はいません。それぞれが一番早く、慣れている作業を担当していて、もうわざわざやることを確認することはありません。
「身分や立場で必然的にこのメンバーになったんだが、騎士が三人もいると野営が楽で助かるな」
「そうですね」
「それに、リリーが料理上手で本当に助かったよ」
「――~~っ」
本当に嬉しそうに目を細めて笑うジルシエーラ様に顔が熱くなります。料理なんて、そんな大層なものじゃありません。もともと孤児院でお手伝いをしていたのも含めて、なるべくお金をかけずにご飯が作れないかと食べられる野草や果物を調べて利用してきた経験から得た知識があるだけです。
「ここで一番役立っていないのは僕だな」
「そ、そんなことありません!」
自嘲気味に呟いたジルシエーラ様の言葉を反射で否定します。人一倍責任感のある彼だからこその言葉とはいえ、そんな風に思わないでほしいです。
「ジルシエーラ様はちゃんと勇者として私を護ってくださってます!」
そもそも、ジルシエーラ様は王子様で、野営なんて経験がなくて当然なのです。普段人にお世話をされるのが当然の身分の方が、何日も野営が続く過酷なこの旅に文句一つ言わないどころか、誰よりも皆さんを気遣ってくれます。夜の番だって、私だけを休ませてくれるのです。
そんな方が、役立たずなんて誰も思うはずがありません!
「そうか……これからもリリーにそう思ってもらえるように頑張るよ」
そっと私の髪に触れながら甘やかに囁かれて、私の頭は真っ白になります。と、突然の、破壊力に、思考がついていきません!
「あーはいはい、イチャイチャタイムはそれまでねー」
硬直する私を見兼ねてか、ジルシエーラ様との間に手を叩きながら割り込んできたのはエルダさんです。その音にハッとして、ドキドキと高鳴る胸を押さえながら静かに呼吸を落ち着かせます。助かりました……危うく心臓が止まるところでした。
「リリー、今日も悪いけど料理担当よろしくね。エリクが下ごしらえはしてるから」
「あ、はい! もちろんです!」
騎士の皆さんはそれぞれ最低限の料理ができるようなのですが、もちろん得手不得手があります。エルダさんも料理はあまり得意ではないようです。エリクさんも率先してやりたいとは思っていないようで、下処理をしてフォローをしてくださいますが、その後の調理は私が担当することになっています。そもそも、遠征中は調味料も限られているので切って焼いて食べられれば十分なのだそうです。
私は、木の魔法を練習する際に、ついでに美味しいスパイスやハーブを作れないかと調べてみたりしたことがあったので、その時の経験を生かして、毎日飽きないように味付けを変える工夫をしています。聖女だからと夜の番も免除にされている身として、少しでも皆さんのお役に立てればと考えた結果です。
「戻った」
用意してもらっていた食材を鍋に入れて、スープを作っていれば、見回りをしていたルドルフさんが戻ってきました。手にラビーの死骸を数体持って。
「疑っていたわけじゃないが、本当に聖女の力は魔物を浄化するんだな。夜なのに全く姿を見ない」
「ちょっと、魔物がいなくて手持ち無沙汰だからってラビー狩ってきたとか言わないわよね?」
「見回り先に偶然見かけただけだ。食材になるんだし、ついでに獲るのは基本だろ?」
見回りついでにラビーを何匹も見つけて狩ってきたことをただの偶然で片付けるのはすごいです。だけど、それが嘘じゃないんだろうなって思うのも、またすごいです。
ルドルフさんは王族専属の護衛さんらしいのですが、本来の騎士様というイメージとはまったくかけ離れています。主人であるはずのジルシエーラ様にも敬語は使いませんし、まったく敬っているように見えません。何でも、身分でへりくだるような態度はしない主義なんだそうです。それでも、任務ならばきちんと従いますし、王族の中でもジルシエーラ様は認められている方で、きっちりと仕事をこなすと信頼されているようです。
むしろ、身分で態度を変えるタイプじゃない方だからこそ、ジルシエーラ様は彼をこの旅の同行人として選んだようにも思えます。テオドール先輩のお父さんのことで、彼も騎士を信頼できずにいるようでしたから。
ルドルフさんと言い合いながらもエルダさんはエリクさんも呼んで三人でラビーを食材へと処理し始めました。遠征時は限られた食材で食いつなぐことが多いため、現地で食材を得ることも少なくないそうです。そのため、騎士の人達はこうして狩りをして得た肉の処理を完璧に行えるようです。最初見た時はあまりの手際よさに思わず見入ってしまいました。
「騎士三人もいて頼もしいと確かに思うが、同時に向こうに騎士が一人もいないことに申し訳なく思うな」
同じように三人を見つめていたジルシエーラ様の囁きに確かにティーナさん達の方には騎士として育った方が一人もいないことに気付きます。尤もな心配ではありますが、私は頷くことはせずに思わず笑ってしまいます。
「大丈夫ですよ、ジルシエーラ様」
こういう時、一番心配をしてしまうのは、ジルシエーラ様より私なのですが、それについては全く心配する必要はないと断言できます。そんな私が意外なようで、彼は驚いて目を丸めました。
「確かに向こうには騎士さんはいませんが、そもそもあっちにはティーナさんとテオドール先輩がいます」
騎士がいないことで慌てるなんてこと、きっとありません。むしろこちらよりも迅速に、快適に旅を楽しんでいるように思えてなりません。
それどころか、あちらのチームの最高権力者であるセイリム様をもてなしてすらいそうで、想像すると笑いが止められませんでした。
今度、ジルシエーラ様に頼んで向こうに手紙を送ってみましょうか。野営時の様子を聞けば、隠すことなく教えてくれるでしょうし。
「……はは、確かにな」
私の言葉に納得したようで、ジルシエーラ様も不安の色を消しました。代わりに同じように肩を震わせて笑い、顔を見合わせます。そうして、またお互いに笑いました。
まだまだ、先の長い旅ですが、それでもこうして皆で力を合わせて、楽しく毎日を積み重ねていくと心に宿る不安が薄れていきます。
完全に不安が消える日はありませんが、それでも私達は前に進むための活力を皆にわけてもらいながら、旅を続けていきます。まずは一つ目の聖地へ。そこが終われば二つ目の聖地へ。一歩一歩、確実に前に進んでいけば、きっといつかはゴールにたどり着くことができるはずだから。
その方法以外に、この不安を完全に消すことはできないのですから……。
「スープ、できましたよ!」
ラビーの処理を終えて手を洗っていた三人に声を掛ければ、火の回りに囲むように腰を下ろします。出来上がったスープを器に盛って、少し固くなってしまったパンを全員に回し、食事を始めます。
こうして、いつの間にか非日常が日常化した旅を満喫しながら、今日もまた一日を終えました。そして、明日もきっと、変わらず五人で火を囲んで食事をするのだと、そんな些細な幸せを祈って眠りにつきました。
◇ … ◆ … ◇
「今日はこの辺にしましょうか」
セイリム様の一言で馬車を止める。ずっと走り続けていた馬を労わるように撫でて、ロイドは餌や水をやる。その間にオレはテントを出して寝床づくりに励んだ。
「浄化完了~」
やる気を出しているのか、それともふざけているのか、手を頭上に上げてグルグル回していたティナはすぐさま周辺を浄化し終えていた。何だか頼りない動きだけど、あれだけでかなりの距離を浄化してるんだから、文句は言えない。
「ティーナちゃん枝拾ってきたよ!」
「ありがと! じゃあ、火を熾して~」
石を円を描くように置いたその中央に枝木を置き、指先一つで火を熾す。更に指を振れば石の外側から木が二本生えて橋を架けるようにアーチ状に伸びて火の上空で繋がる。それにまた指先一つで水を注いだ鍋を吊り下げて火にかける。
この一連の流れをほとんど反射で行って、ティナは食材に手をつける。
「肉はまだあるのか?」
「今日の分はあるよ! でも、そろそろ補充しないと厳しいかも」
「りょーかい。ちょっと見て来るわ」
すっかり慣れちまったけど、何をしても指先ヒョイって完結するティナっておかしいよな。そんなことを思いつつ剣を手に持って森の中に入る。聖女の力のお蔭で魔物はこの周辺には一切いないけど、元々いた動物がどういう行動に出るかはわからない。
瘴気のせいでどこの動物も殺気立っている。何でも、瘴気は生きている者にも多少ならずとも精神に影響を及ぼす? だとか、ティナが言ってた。確かに魔王が復活してからは臆病で大人しいラビーですら攻撃的になっている。まあ、つまり、森にもし獣がいるならもれなく突進してくるんだよな。
「こんな風にな」
グモモモといいながらオレに殺気を向けるのは色の濃い茶の毛をした四本足の獣。鋭くつり上がった目をオレに向けて、蹄を地面にこすりつけて、いつでも突進してきそうな勢いだ。
「ノッシーかあ。見た目に反して臭みもなくて扱いやすい肉だよなー」
せっかく敵対心丸だしで来たんだし、まあ狩ってもいいよな。よっし、大物ゲットじゃん!
「さ、こーい!」
やる気満々で剣を構えたその瞬間、待ちきれないとばかりにノッシーが向かってきた。最近魔物ばかり相手にしてたからドッシリとしたこの大きさの割に速く感じる。なんて、呑気なこと思っていたせいで、タイミングがズレてノッシーの牙がオレの服を捕らえた。
「ふぁああああああああ!??」
あまりの勢いにそのまま体が持ってかれて、案の定オレは地面に引きずられることになるのだった。
「うわ、何その格好!」
仕留めたノッシーを片手に引きずって戻れば、オレの姿を見たティナが声を上げる。それも仕方ない。ノッシーはオレの服を引っ掻けた状態でかなり暴走してたからオレは泥まみれだ。多数の魔物と闘った時よりも酷い状態だろう。
「怪我はしてないの?」
「ああ、それは大丈夫。汚れてるだけだ。収穫はあったんだけどな」
「……引きずられたのか?」
「はは、まーな」
ロイドが背中の泥を手ではたいてくれているようだけど、もうここまで汚れたら取れるはずがない。手が汚れるだけだから早々に止めさせて、代わりにノッシーを渡しておく。
「まだ時間あるだろ? 着替えて来るわ」
「あー、ちょっと待って! それならお風呂入っちゃおっか」
「……は?」
まるでここが自宅のような軽いノリで提案されて流石に耳を疑う。風呂は確かに入りたいけど、ここは森の中だ。どこに風呂があるのか。温泉でも見つけたのか?
「ちょっと待っててね、作って来るから」
「……は? え、おい!」
「お鍋見てて~」
グツグツ煮られているシチューを任されたからティナの後を追えない。焦げ付くのは困るから仕方なく手だけは洗って鍋の中を掻き回す。もうあとは具材に火が通ればいつでも食べられる状態らしく、漂う香りに腹が鳴りそうになった。今日も美味そうだな……。
ばあちゃんの教育の賜物なのか、ティナは勉強はもちろん家事でも料理でも何でもできる。完璧人間なんじゃねーかって思うくらい。しかも、母さんに並ぶくらい美味いし、レパートリーも豊富だ。学校を卒業したらティナと一緒に店を継ぐのもありなんじゃねーかなって思ったくらいだ。
ティナの手料理なんて学校に入るまではそれほど食べる機会があったわけじゃないのに、学校でのお弁当とか旅での食事でとか、すっかり胃袋掴まれちまってる。まあ、それで困ることは何もねーんだけど。
「お待たせー。向こうにお風呂作ったから着替え持って入ってきて」
「……は?」
「簡易的だから見た目はアレだけど、入ったら戻すから」
何を言ってるのかよくわかんねーんだけど。とにかく早く入れと急かされるから仕方なくティナが言っていた方向に足を進める。すると、土を盛り上げただけの壁がぐるっと塀のように円を描いてできていた。入口を見つけて中に入ると直角に通路が曲がって中の空間に入れた。多分目隠しのためだろうな。無駄に凝った作りだなと思いつつ中に足を踏み入れれば、確かにそこには風呂があった。石を突き詰めたような床の真ん中に、三人くらいは余裕で入れそうな風呂が、そこに。
「本当にあいつ、簡単に何でも作り過ぎだろ」
まあ、でもきっと後から他の皆も入るだろう。それなら無駄ではないし、作ってもらえたんだから素直に喜ぼう。静かな森の中で一人優雅に風呂に浸かるなんて本当に贅沢だ。今、魔王討伐の旅に出てる最中だなんて思えない。むしろみんなで気ままな旅行中って言った方が気分としては合っている気がしておかしくなった。
泥を落としてさっぱりしたオレがみんなのところに戻れば、丁度食事の準備が終わった頃だった。一人ひとりに食事を配って、火を囲んで座り込む。流石にパンはこんなところで焼けないからすっかり固くなったものだけど、その代わりにスープやシチューを必ず作って浸しながら食べる方法を取る。パンは柔らかくなるし、味が沁み込むし、すごく食べやすい。セイリム様は少し食べ方に苦戦していたけど、今ではすっかり慣れた様子だった。むしろティナの料理の美味しさに毎回満足そうにお代わりしている。意外にもよく食べる人だ。
「お風呂、どうだった?」
「すげー気持ちよかった。ありがとな」
「どういたしまして! 皆も後で順番に入ってね!」
「え! 本当にお風呂があるの? てか、作ったの? もしかして!」
「そうなんですか? それでは、お言葉に甘えて後で入らせてもらいますね」
「……ねえ、セイリム様。本来なら聖女様になるべく負担かけさせずに旅をさせるのが私達の役目じゃないの?」
「本来ならそうなんですけどね。マリエッタさん、そもそもこのメンバーでティーナさんとテオドールさんのお世話にならずに済むと思いますか?」
ただの木の皿を手に持ちながら妙な優雅さを出しながら食事をするセイリム様の言葉に、マリエッタはジッとメンバーを見つめた。そして、小さく嘆息を漏らして、無理だねとあっさりと肯定する。
「そもそもどうしてテオ先輩はそんなに狩りが得意なの? 王都生まれでただの食堂の息子だよね?」
「ん? でも、ティナの育て親がばあちゃんだぜ? 山にはよく行ったし、狩りして食事するなんてよくあることだったし」
「私も山育ちだと自給自足する場面も多いから、旅しててもあまり生活的に変わらないしねぇ。火熾しとかは魔法ですぐ終わるし、テオにとっても今更だよね」
のんびりとした声でそんなことを言うティナに、だけど誰もが苦笑する。
魔法があるから楽できる。それは確かなんだけど、そもそも五属性使える人間なんて他にいない。
旅で風呂を作るとか、旅で木の実を作るとか、旅で水を作るとか、そんなの誰もができるわけじゃない。ティナだからこそできることで、快適さだ。
「まあ、誰もが無理をしていない最良の旅なので、問題はないのでは?」
確かに。できることを、できる人がやる。だからこそ複数人での旅を強要されるんだから、これがオレ達の旅の最善なんだろう。
「元より、オレもティナももてなしをされるためにいるわけじゃねーしな」
「そうだよ。仲間と一緒に魔王退治のために旅してる。それだけなんだから」
未だに聖女という実感のないティナは、迷うことなくそう言う。それに複雑そうに笑うのはセイリム様だけだ。マリエッタもロイドも気にする様子はなくて、オレと一緒に頷くだけ。
でも、確かに。ティナが聖女っていうのを抜きにすれば、おかしい関係じゃない。権力の負けぬようにセイリム様がいて、立ち寄る場所の関係と信頼関係でロイドとマリエッタがいて、聖女の力があるティナがいて、それを護るためにオレがいる。ただそれだけのこと。ある意味でバランスはいいんだろう。貴族なのに旅に不満を言うことのないメンバーだし。
そう考えるとジルの方もバランスはいいんだろうな。騎士だから遠征慣れしているってエリクは言ってたし、ジルを尊重しつつもある程度自由を許す。そんなメンバーばかりだ。エルダは口は悪いけど、護らないといけない存在には親身になる姉御肌系だし、女性同士何だかんだリリアとも仲良くしてるだろう。そう思ったから、ティナもエルダにリリアのことを任せていたんだろうしな。
いつか、合流した時はどんな風に旅をするんだろうか。
全く違う旅のスタイルだろうから、人数が増えた方が手間取ることがあるかもしれない。いや、それ以前に向こうがティナの有能さに驚いて固まるかもな。そんな、まだ先のことを考えて思わず笑いそうになる。そんなオレに隣にいたティナが気づいてどうしたのと聞いてきたけど、何でもないと誤魔化した。どうにか表情を戻して、残りのシチューを飲み干す。
香辛料の効いたピリ辛なシチューは、まだ冷える夜にはピッタリの味で、体にジンワリと染み渡るように美味い。いつか向こうのチームとも一緒にこうして火を囲んで食べられるその日を楽しみに、お代わりを入れるために腰を上げた。




