6.待つのは得意だから
※前半ティーナ視点、後半テオドール視点
「大変です! 魔物の大群がこの町に向かって来ています! 皆さん、避難を!」
テオの言葉に誰もが反応できないなか、突然看護師の声が治療院に響き渡った。魔物がまた襲ってくる。だけど、避難と言ってもこの部屋にいる人達は動けなそうにない。きっと他の部屋の患者も似たり寄ったりのはずだ。その状態で、どうやって避難するのだろう。
「シェリー、君だけでも」
「嫌! 嫌よ! もう、離れないもの!」
自分が動けないことをわかっているケインさんが、泣いているシェリーさんをどうにかしようとするけど、動く気配はない。困ったように私達に視線を向けてきた。ここに連れてきた以上、確かに私達にはシェリーさんを護る義務がある。だから、彼の言いたいことをもわかる。
だから……。
「テオ、しばらく時間稼ぎできる?」
「りょーかい。どんだけ来てるかわかんねーけど、まあ十分は持たせる」
「よろしく」
そう言って病室を出るテオを見送った。何が何だかわからない様子で私達を見つめるのは他の人達。ケインさんやシェリーさんはもちろん、同じようにベッドに沈むしかない怪我人の人達。
本当は、私も向かって先に魔物をどうにかするべきなのかもしれない。だけど、今は、ここを優先したかった。これは私の我がままだ。でもそれをテオは理解して、私の思いを汲んでくれる。
「ティーナさん、あの、テオドールさんは、どこに」
「心配しないでください、シェリーさん。テオは、ちょっと魔物を町の外で引き留めてくれるらしいです」
「む、無茶だ! いくら強くても、この辺の魔物は、数体だけじゃないんだ。現れる時は数十体で、しかも、大型ばかりで」
「大丈夫」
だってテオは強いもの。相手が大きいなら好都合。狙いやすいし倒しやすい。きっと、テオだってそう思うだろう。それに、私だってすぐに駆け付けるつもりだ。
でもその前に、この胸から溢れ出るモノを発散してしまいたかった。きっと、今魔物のところに向かっても、その前に漏れ出ていた。そんなのは、ちょっと勿体ないから。だから、せめて、有効活用しとこうかと。
「大丈夫って、何が――!」
「安心して。誰も死なない。だって、ここには 私 と テオがいるもの」
そう、ここにいる人達が瘴気を孕んだ傷で苦しんでいるのなら、簡単だ。だって、その瘴気を、その傷を、私が治せばいいんだから。
ああ、よかった。不治の病じゃなくて。まだ私でもどうにかなるもので。
だって、私にだって――できないことはあるから。
(よかった、みんな、助けられるんだから)
そう思った瞬間、もう限界だった。
テオに刺激された心は、聖女としての〝慈愛の心〟は、留めていたその愛と共に溢れ出る。光り輝くような浄化の力が病室に、治療院に広がって薄汚れた空気を浄化していく。
一瞬、いや流石に数瞬? 本当に僅かな時間ではあったけど、溢れ出た浄化の力は皆を癒してくれたようだった。光が収まると、その場で動けなかった怪我人三人は驚いたように身を起こして自分の体を茫然と見つめていた。そして、ケインさんが徐に自分の左手の包帯を解き始めた。
「傷が、」
そこには綺麗な左手があるのみ。同時に他の二人も自分に巻かれている包帯を解き始める。露わになるそこは、誰もが綺麗な肌色が見えるばかり。傷も瘴気も存在していない。
「痛くない」
「傷もないぞ!」
「完全に、治ってる」
信じられないとケインさんはシェリーさんと見つめ合う。彼女はボロボロと涙を零して、ケインさんに抱き着いた。
「貴女は、一体何者なんですか?」
掠れた声で問いかけられて、私は堪らず声を上げて笑った。何者と聞かれれば平民のティーナと言うべきだろうか。自分から聖女と名乗るのは、どうしても抵抗があったから。
でも、今は逆に宣伝したい気分だった。
聖女という肩書は私には重い。きっと何かの間違いだとずっと思いたかった。だけど、実際私は聖女で、浄化の力も持っていて、だからこそ使命を果たすために旅をしている。それを、いつまでも私が否定してはいけないのだ。
「私は聖女で、テオは勇者よ!」
だから、胸を張って。彼等を安心させるように。笑って部屋を出て行った。
◇ … ◆ … ◇
時間が経つとちょっとだけ後悔した。つい勢いに任せて反論したけど、オレは別にあの人達と全く関係ない人間だ。でも、どうしてもあれは黙っていられなかった。
もし、オレがティナにあんなことをされたらって思うと、どうしても許せなかった。受け取り方は人それぞれだってのもわかってる。オレがあの時勢いよく言ったけど、シェリーさんはちょっと違った思いがあったかもしれない。
でも、きっと大まかな気持ちは間違っていないだろうな。だって、彼女は最後まで否定しなかったから。
それに、もうあの二人はあんな悲しい思いをしなくていい。だって、今きっとティナが治してるだろうから。
この町に入ってきた門へと走って向かえば、避難を促している守衛から声が何度かかかった。だけど、敢えて無視を決め込んで門から飛び出――そうとしたけど、流石に門は閉まっていた。
「そりゃそうか。魔物入り込んだらヤベーもんな」
それならと上を向いて足に力を入れる。飛ぶ直前に僅かに風魔法を展開して門の上に跳躍して飛び移った。視界が上になったお蔭で遠くまでよく見えた。まだ当分先の方ではあるけど、黒い塊がこっちに向かってくるのが見える。
「まだ近づいてねーなら、そこで食い止めりゃあかなり時間稼ぎになるか」
流石にあの量を全部倒すのはオレでもキツいかな。ロイド達がいたらできなくもないけど、今はティナが来るまでの時間稼ぎができればいいだろ。
とりあえず向かうかと一度門の外へと着地する。急に上から飛び降りてきたオレに、門を護っていた守衛がギョッとして目を丸くした。
「き、君! 今日来たばかりだったな? 今から魔物が来るからすぐに避難を」
「心配はありがてーけど、大丈夫」
「いや、大丈夫って」
何か茫然としてるけど、無視して前を向く。あ、いや、無視はダメか。心配かけるもんな。そう思い直して顔だけ振り向いた。
「あいつら、オレが足止めするから大丈夫! 後からもう一人来るけど、オレ達のことは気にすんな!」
「いやいや! 気にするなって……」
「だーいじょうぶ! オレは騎士……じゃねーけど、騎士みたいなもんだから」
何となく、ティナが聖女とあまり名乗らないからオレも勇者って名乗りにくいんだよな。聖女あっての勇者だし。
だから、未だに戸惑う守衛の人達には悪いけど、それで押し切るしかない。いや、それより手っ取り早い方法あったか。
「よし、じゃあ見てろよ!」
まだ、ちょっと遠いけど、近づくの待ってたら足止めもできなくなるし、仕方ない。
オレは剣を引き抜くと同時に刃の回りに風を作る。それを徐々に徐々に力を強めるようにイメージして、それを今度は収束していく。オレが魔法を使える姿を見て、まずは後ろから息を呑む声が聞こえたけど、それは無視して魔法を放った。数秒届くまでに時間がかかったけど、放ったのは風の魔法だ。距離があるほど威力は落ちるかもって思ったけど、周囲の風を巻き込むように大きくなるイメージも合わせたせいか、どんどん視界が悪くなって、そして黒い塊にそれが突っ込んだのがわかった。まとまっていただろう魔物が散らばったように見えた。
どれだけ数が減ったかはわからないけど、少しは効果あっただろう。
「な? 大丈夫だろ?」
何が起きたのか、ちゃんと理解しているかはわからないけど、ポカンと間抜けな顔で固まった守衛の人達を今度こそ置いて、オレは飛行魔法で空を飛んだ。なるべく距離がある場所で足止めすべきだろうから、一気に距離を詰めて魔物に迫る。近づいてみるとどれもこれも中型~大型ばかりだ。こりゃあいい。的がでかい分攻撃が当てやすいじゃん。
倒すってなると核を確実に壊さないといけないから大型でも大変だけど、足止めなら大きい方がしやすい。味方を巻き込む心配もないから久しぶりに思い切り力を使える。
「こういう思考も、勇者らしくねーって言われそうだな」
でも、聖女と違って勇者像なんてものはほとんどないし、気にする必要なんてない。一番重要なのは、ティナがどう思うかだし。
きっと、ティナならこんなオレでも笑って受け入れてくれるだろう。
「さて、大掃除といきますか!」
魔物がいる少し前に降りて、剣を構える。さっきと同じように刃の回りに風を集めて、同じだけ力を込めた。一発で終われるはずがないから、何発か放つつもりで、一気に終わらせずに、様子を見て。なるべく急かす心を落ち着けて、魔法に集中していく。そして、後は思い切り剣を横一線に振り切る。
ごぉって音と共に風が巻き起こる。砂を、塵を巻き込んで見える刃になったそれはまた魔物を吹き飛ばした。先頭を走っていた魔物は見事に核も破壊されたのか、そのまま黒い塵となって消え去った。
それでも後ろの魔物は怯むことなくやってくる。理性のない様子に、人が恐怖するのも仕方ない存在だ。
「いいぜ、何度でも相手してやるから」
そう言ってオレは口角を上げる。魔力が多い方のオレでも、終わりのない戦いはツラいはずなんだけど、でも今日は何故か、絶対に負けない気がした。
どれほどの魔法を打ち込んだのか。数なんていちいち覚えてねーけど、きっと倒した魔物は二十は超えた。それでも視界は黒いままで、ありえない数にこの土地の異常性が見て取れた。いくら魔王が復活して、いくらどこにでも瘴気がある時代だからってこの土地の魔物の多さは異常だ。しかも、ほとんどが大型になってる。それくらい、ここが瘴気に溢れている証拠だってことだろう。
「山は越えてるとはいえ、聖地にちけーもんな」
聖地を浄化しに行くってことは、この異常な出来事にも関係してるのかもな。
なんてことを思いながらまた風魔法を打ち込む。途端、体のダルさを覚えて剣を地面に突き刺した。
「やっべ、魔力が尽きかけてきたか」
流石に数が多いから大技一本でやってるせいで消耗は激しい。それでもいつもより調子がいい気もするけど、限度はある。多分、約束した十分は稼いだはず。たぶん、たぶんな。時間なんて計ってねーけど!
どっちにしても、早く来てくれと思い始めたオレの思考を読んだのか、それともタイミングに関しても気が合うのか、差し迫る魔物が白い光を浴びていきなり霧散した。
「テオ、お待たせ!」
「おお、ギリセーフ」
遅くなってごめんねと少し眉を下げながら近づいてきたティナはオレの顔を覗き込んでくる。
「ほんと、ギリギリだったね。でも、流石テオ! 一人でここまでもたせるなんて!」
「だろぉ、すげー張り切っちまった」
「ふふ、私もね、すっごい張り切っちゃった」
何が? と問おうとしたら、ティナがオレの手を握った。何をしたいのかよくわかんないけど、嬉しそうに頬を緩めるその顔が、すごく久しぶりに思えて口を閉じる。
「テオのさっきの言葉、私にもすっごい響いたの」
どうして、とか。何が、とか。
聞きたいけど、聞けなかった。今は聞いちゃいけない。だって、ずっと聞かずにいたことだ。聞かなくてもわかるし、今更聞くことなんてしない。
それに、今少しでも話そうとしているティナの邪魔をしたくない。
「私ね、テオに伝えてないことがある」
「……うん」
「伝えたい気持ちはあるの。でも、まだ、怖くて、言えないの。怖い理由も、まだ言えないの」
「……うん」
言えない。その言葉に少し心は重くなるけど、でもまだってついてる。ということは、オレは無意味に待っていたわけじゃないんだって知れただけでもいい。
「でもね、いつか絶対に言うよ。その時は、誤魔化しも嘘もつかない。ちゃんと全てテオに話すから」
だから、もう少しだけ待っててほしい。
そう言ってティナはオレの指の先にそっと唇を寄せた。意図してか、それとも事故か。結果ティナはオレの指にキスをする形になったけど、でも彼女は慌てることはなく、目を細めてオレを見る。だから、オレも息をつきつつもいつも通りに笑っておいた。
大丈夫、待つことは得意だ。
ティナが王都に来るときも、ティナが一人で旅しているときも、ティナがオレに頼るときも、いつだって基本は待ってたんだから。
「わかった、待ってる」
だから、今オレができることは、ティナの言葉を信じて、ティナの傍で待つことだ。
ちなみに、ティナの張り切ったという言葉の意味は、町に戻ればわかった。なんと町全体の瘴気という瘴気が消え、怪我人は全員完治していた。
張り切り過ぎなんじゃねーの?
魔物の脅威が去った上に苦しめられていた怪我が完治した町民は大騒ぎだった。まあ、そりゃあ絶望的な状況だったのにいきなりみんなの怪我が治ればパニック起こすわ。いい意味で喜べばいいのか、悪い意味で慌てればいいのか。感情迷子になんねーかな?
でも、オレやティナが魔物を倒したことが既に伝わってたんだろう、戻ったらほとんどの人が門のところに群がって出迎えてくれた。すげー圧で入りづらかったけど。
「ティーナさん!」
そんな中でも怖気づくこともなく走り寄ってきたのはシェリーさんだ。涙をまた流しながらティナに抱き着いて何度もお礼を言っていた。
「シェリーさん、私がここに来たのは、貴女が願ったからよ。だから、これは偶然であり、町が助かったのは、貴女のお蔭でもある。ケインさんが、無事なのもね?」
だから、そんなに気負わなくていいとティナは笑う。そんな言葉にどれだけの人が頷けるかはわからねーけど、でも確かになってオレは思うから苦笑して頷いておいた。
シェリーさんがこの町に行きたいと思わなければ、オレ達だって来なかった。来なければ、この町の人達はきっと助からなかっただろう。直接助けたのは確かにティナやオレだけど、シェリーさんが望んだからこそここにいたんだから。
「テオドール、さん」
二人を眺めていたら、今度はオレが呼ばれた。ケインさんに。
シェリーさんから話を聞いたんだろう、オレの名前を呼んで、目の前で膝をついた。
「おい、オレは何もしてねーだろ!」
「いいえ、先程はありがとうございました! 私は、もう少しでシェリーを、傷付けて、死なせていたかもしれません」
シェリーさんと同じように涙を流して頭を下げる彼に、オレは居心地の悪さを覚える。そう思ってくれたのは何よりだけど、別にオレは偉そうに説教できる人間じゃない。でも、まあ、今そんなこと言っても誰も飲み込めはしないだろう。
「なら、今度からは、せめて自分とシェリーさんにだけは、嘘をつくなよ」
だから、オレだけはどうにか飲み込んで、そう促した。それに何度も頷く彼は、その度に涙を零して地面を濡らした。
ティナが癒したと言っても、臥せっていた間にやつれた体はすぐには戻らない。当分は体力がつくまで安静が必要だろう。それでも二人はすぐに自分の町に戻りたいと言ったから、オレ達は一泊して、早朝に町を出ることに決めた。
ちなみに、部屋は町の好意で一番広い部屋をタダで泊まらせてもらえた。ほぼ満員だったはずなのにいいのかどうか。
まあ、町民全員の治療費と考えれば、むしろ安いんだろう。だから、オレもティナも遠慮なんてせずに有り難くその部屋でくつろいだ。
ちなみに、落ち着いてから事情をようやくセイリム様に手紙を送ったら、案の定説教めいた手紙が返ってきたのは言うまでもない。
「それじゃあ、お世話になりました!」
「それはこっちの台詞だ。聖女様のお蔭でこの町が生き返った。ありがとな」
行きも帰りも戦う時もなんだかんだ同じ守衛に見守られたオレ達は笑って別れを告げる。
「ところで、昨日も疑問に思ってたんだが……」
だけど、離れようとしたオレ達に戸惑うような問いがかけられた。守衛が見つめる先はオレとティナが背負う椅子だった。
「それ、何に使うんだ? というか、昨日より一個増えてるけど」
聞かれてティナと見合わせる。どうせ昨日魔法を使っているところを見られてるんだから暴露してもいいんじゃねーかな? オレがそう思ってることに気づいたんだろう、ティナは笑顔で頷く。
「シェリーさん、ケインさん、ここから乗っていきましょう!」
「え」
「はい!」
ティナの言葉に固まるケインさんとは別に既に慣れたシェリーさんは笑顔で頷いた。今日はティナが背負う椅子にシェリーさんが、オレが背負う椅子にケインさんが乗る。喜々としてティナが下ろした椅子に座ったシェリーさんをそのまま躊躇いなく背負うティナに守衛は顔を引きつらせた。
「ま、まさかそれで……?」
「ええ! 山越えしたんです!」
ニコニコと笑うティナのその顔は、多分天然ではない。完璧なまでの笑みの奥に隠されている圧に気づいて、守衛はそれ以上言葉をかけるのをやめていた。
まあ、懸命な判断、というやつだよな。
そうして、ケインさんの悲鳴を背負いながらオレ達は空を飛んだ。最後に守衛に向かって手を振れば、彼もぎこちないながらも振り返してくれた。
「何だかすげー事件に巻き込まれた感じだったな」
「そうだね。でも、今回のことで聖地巡りも早くしなきゃいけない気がした」
ティナもやっぱりこの異常な現象は聖地に近づいたからだって思ってるみたいで、真剣な顔で山を見下ろしていた。空高く飛んでも、聖地は見えない。そこには何が起きているのか。
わからないけど、きっと今まで以上に大変なことが起きてるんだろうなって思いながら、今は町に急いでみんなと合流することを考える。
それに、何があったとしても、オレがやるべきことは変わらない。不安になんてならなくていい。ただ、ティナを信じて、ティナを護るためにその隣で剣を振るうだけなんだから――。




