4.巻き込まれは唐突に
伯爵邸のあった町――つまりは領都と呼ぶべきなんだろう――から出て数日。ようやく聖地であるツィギー岩地に近付いてきた。ツィギー岩地はその周囲を囲うようにして大きな岩山が連なっている場所だ。地図で見ると〝?〟の上のような形で山が配置されている。その中央に存在するのが聖地だ。その山脈の始まりに差し掛かり、沿うようにして北上していくと町が見える。今日はここで一泊する予定だ。
「にしても、まだ先はあるのに既に山の存在感すごいね」
「そうだね。ぐるっと見ても同じような山が連なってるし。しかも普通の山と比べてほとんどが岩でできてるから、山越えも難しいらしいよね」
「トンネルも岩が固くて作れないらしいしな」
「そうですね。以前魔法でならと試したこともあるそうですよ。ですが、向こうまで開通するまでにかかる魔力が膨大だと予想されて早々に断念されたそうです」
確かにこれほどの山を開通させるのにどれだけの時間をかけて掘り続けなければならないのか。いくらイメージが上手くいったとしても、掘る土が固ければ、やはりそれだけ魔力を消費するものだ。土属性ならまだ負担は軽いかもしれないけど、他の属性だったら殊更に、だろう。
「確か、偶然にも丁度向こう側に町がありましたよね?」
「ええ。どちらも岩山を切り崩して扱う石材を卸す場所として有名ですね。運び込むのも大変なので、山のあちら側とこちら側でそれぞれ売っているので商売敵にもなっていないようです。そう考えると、もしトンネルができてしまったら、発展はするかもしれませんが、同時にいがみ合う元もできてしまうかもしれませんね」
山越えは普通に無理だから、それぞれの縄張りで石を売っても問題は起きなかったわけね。
でも、石材を作るほどの掘削ができるなら、ついでに横に切り崩していけばその内トンネルもできそうだけど?
ま、これは言わぬが仏かな。
「お、見えてきたぜ!」
馭者をしているテオの声に視線を前に向ければ、石材の町にピッタリな、石づくりの家が連なる立派な町が視界に入った。灰色の無骨な町並みをイメージしていたけど、灰色だけでなく砂色だったり茶系だったりと思った以上に落ち着いた、それでもって色合いの多い建物が並んでいた。
「ここを超えればあと数日で聖地にも着きますね」
「よーやく一つ目か」
「旅して二か月以上だもんね。先は長いね」
確かに。もう一つの聖地は西側に向かって一か月弱で着く予定だけど、それが終わったら一度王都に戻って王子達と合流する手はずだから、約半年はかかるんだよね。まあ、聖地一直線で行けばもう少し時間短縮は狙えるんだけど、立ち寄る街や村くらいは様子を見ながら浄化をしているからどうしても時間はかかる。必要な過程だと思うから仕方ないよね。
石でできた門を通り、近くの宿を目指して馬車を走らせる。卸売りをする町で、商人がそれなりに通う場所だからか、宿はそれなりに数があるようだった。門番をする衛兵の人におススメを聞いて、その宿に決める。大通りに面していて、大きく綺麗で評判がいい宿だ。大通りなら直接馬車で迎えるから楽だしね。すぐに見つかってセイリム様が代表して部屋を取りに行ってくれる。
「どの町でも立派な宿に泊まらせてもらってるけど、大丈夫なのかな?」
「費用は全部国持ちでしょ? 前々からこの時のためにお金を貯めてたっていうし、気にしなくていいと思うけど」
子爵令嬢のマリーは贅沢をする機会が少ないようで、予想外にお金に対して臆病だ。基本的に経費として国が払ってくれるって言っているのに、それでもたまにこうして不安を口に出す。平民で庶民のはずの私やテオの方が気にしてない。それもどうなんだろうとは思うけど、テオは基本肝がでかいし、私は仕事と割り切ってるからな。前世の経験で慣れてるし。
「待ちなさい! シェリー! どこに行く気よ!」
「決まってるじゃない! ケインのいる町よ!」
宿の入り口前で待っていた私達の前を、二人の女性が駆け抜ける。だけど、すぐに一人が一人を捕まえて足を止めた。捕まった方は垂れ目がちなそれに涙を溜めて、眉間に皺を寄せている。捕まえた方は苦しそうに顔を歪ませて長い髪を揺らしながら首を振った。
「何を言ってるのよ! 護衛も何もいないのに町の外に出たら貴女なんて一瞬で魔物の餌食よ!」
「でも、だって! ケインがいなくなってどれだけ経ってると思うの! 居場所がわかってるの! 手紙で、あんなことだけ一方的に送られて、あの人のことを忘れて生きていくなんて、私、できない!」
「何言ってるのよ! 会ったところで傷つくのは貴女よ! フラれたんでしょ!」
え、ええー! 修羅場じゃん!
痴情のもつれ的な?
「どうして! どうしてみんなそれを信じるの!? 今まで、ケインがそんな人間だって思ってなかったじゃない! 突然手紙で他の女性ができたって、そう言ってきたからって、あの人が私と会わずに別れを告げることに、どうしてみんな納得できるの? わかんないよ!」
涙を零しながら叫ぶように訴える彼女に、止めていた人は更に顔を歪める。苦しそうな顔は、彼女が騙されていると思っているからなのかな? それにしてはその顔に憐みを感じない。どれかっていうと、罪悪感を覚えているような顔に見えた。
「シェリー、確かに今までのケインはそんな人じゃなかったわ。だから貴女と恋人になったことを私達も喜んだの。でも、あの人が町を出て、そのまま魔王が復活して、こんな時代になって、きっと、彼もいろいろなことがあったのよ。だから、彼が以前のような人だと、私達は思えないの」
どうにか彼女を説得したいのか、言いづらそうに彼女は言葉を紡ぐ。それを聞いているのか、それともただただ拒絶してるのか、首を左右に振るばかりで、泣いている人は何も言えない。
「受付できましたよ。おや? 何かありましたか?」
こんな気まずい空気のなか、タイミングがいいというかなんというか、セイリム様が宿から出てきて声を上げた。誰もが何も言えない静かな空間に、彼の声と扉の音が妙に響いた。
それに二人の女性は反応してこちらに視線を向けてくる。気まずい。
「あ、すみません、お見苦しいところを……」
止めていた女性がハッとしてすぐに謝ってくれた。身を引こうと足を下げたそのタイミングで、泣いていた女性が逆に近付いてくる。
「シェリー!」
「あの、貴方達は、どう思いますか? よければ、意見を聞かせてください!」
苦し紛れか、見ず知らずの私達に彼女は突然そう聞いてきた。涙で濡れたその瞳は、綺麗なオレンジ色で、宝石のようだ。泣いているのに強い光を帯びるその目と勢いに押されて、一瞬言葉を失う。
というか、どう思うと言われても、全く事情がわかんないんですけど。
「やめなさい! 無関係な人よ! わかるわけないじゃない!」
「でも、でも!」
ごもっとも、と思いつつどう収拾を付けるべきか悩んでいれば、更に全く事情を知らないセイリム様が首を傾げる。
「確かに事情は知りませんが、貴女が求めている言葉はわかりますよ」
わからないって言ってるのにそんなことを言い出した彼にギョッとして全員が視線を向ける。それでも怯むことなく彼は、普段と変わらない優しい聖職者らしい笑みを浮かべた。
「〝貴女が信じたいことを信じなさい〟。そう言ってほしいんですよね?」
その言葉を聞いた彼女は、ボロボロと涙を零してその場に崩れ落ちた。それに、後ろにいた彼女も沈痛な面持ちで見つめる。
何だかよくわからないけど、多分これは巻き込まれたんだろうな。そう思いつつ、このまま知らんぷりも難しいので、彼女を落ち着かせるためにも、私達は今取ったばかりの宿の部屋へと招き入れることにしたのだった。
女性二人と、と思って招いたはずなんだけど、結局部屋に入ったのは泣いて縋った彼女一人だけだった。止めていた方は一緒にいれば邪魔をしてしまうだろうからと言って力ない笑みを浮かべて帰っていった。彼女は幼馴染だそうだ。
「落ち着きました?」
「すみません、みっともない姿を見せて」
スンスンと鼻をすすりながらもようやく落ち着いた彼女は少し掠れた声で応えた。肩につく程度の青みを帯びた黒髪をハーフアップにし、腫れてしまった目を気にしながらもまっすぐに綺麗な飴のようなオレンジの瞳を向けてくる。
「えっと、私、シェリーと言います。この街の小さな宿を経営している家の娘です」
ぽつり、ぽつりと落ち着いた調子で彼女は自分のことを話し始めた。
旅人や商人が利用する小さく手頃な宿を経営している家を小さい頃からお手伝いしている彼女は、看板娘として可愛がられているそうだ。兄もいて、跡取りの心配はないので、結婚するまではと家をお手伝いしていた彼女は、五年ほど前に宿を利用していた商人と恋に落ちたそうだ。
彼は至る場所を旅しつつ商品を購入し、他の町にそれを売るというガーシュおじさんと同じことをして暮らしていたそう。彼女と恋人になってからはこの町を拠点として周辺にのみ商品を卸すようになり、仲を深めていったようだ。
彼女の家族も友人も彼の人となりを知り、二人の仲を祝福していた。来年には結婚するつもりでいたそうだ。だけど、家を持つとしばらくは長距離を旅するのは難しくなる。だから、最後に少し長い旅に出たいと言って、今から四か月ほど前に町を出たそうだ。道中、寄った町や村から必ず手紙を出すと約束をした彼は、その通りにこまめに連絡を入れていたそうなのだけど……。
「だけど、今から一か月半前に届いた手紙に、彼らしくないことが書かれていたんです」
「らしくない?」
「町の外は今、とても危険です。だから、町から出ることはできないから、帰るのは難しい。それだけだったなら、まだいいんです。会えない寂しさよりも、彼の無事が大事ですから。だけど、帰れない理由は、それだけじゃなかったんです……。彼は、その町で――気になる女性ができた、と」
話の流れから予想していたけど、やっぱりと静かに息を吐き出した。つまり、彼女との縁を切って、その女性と一緒になりたいと遠回しに言っているのだろう。
だけど、話はここで終わらなかった。
「彼は、そんな人じゃないんです。商人は信用が命。それが口癖で、金勘定では厳しいこともありますが、人を落とし入れたり、不誠実なことをしたりすることは今まで一切ありませんでした。何かあっても、きちんと言葉を尽くして説明をしてくれるそんな人です。だから、町の皆も彼みたいな人がこの町の住民になってくれるのを心から喜んでいたんです。ですけど、その手紙にはそれがさらっと書いてあるだけで、私とどうこうなりたいという話も、ましてやその〝気になる女性〟とどういう関係になったのかとか、どうしたいのか、も何もありませんでした」
しかも、それ以降も何度か手紙が送られてきたようで、彼女のことを気遣う内容と気になる女性についての惚気のような言葉がつづられていたそうだ。
誠実な人とは思えない内容に、彼女は目を疑った。別人からの手紙ではないかと思ったくらいに。だけど、手紙の文字は間違いなく彼の字で、更に混乱することになった。
「友達や家族に相談したら、皆も最初は戸惑っていました。でも、そのうちに……もしかしたら私の方から別れを切り出してほしいんじゃないかって、言い出すようになったんです」
手紙は届くのに内容は〝気になる女性〟のことに触れている。惚れたとか好きとか明確な言葉は使っていなくても、そこには確かに恋情が見え隠れする言葉が続いていて、今では手紙が届くのを恐れるようになった。だけど、彼が無事でいる証拠でもあるし、彼の気持ちが今度こそは明確な答えとしてつづられているかもしれないと開けられずにはいられなかった。
「もう、今では……早く別れてしまった方がいいという人ばかりで、だから、私……」
またボロボロと涙を零す彼女に、私は一度目を閉じる。信じたい人の不穏な手紙。支えてほしいのに周囲は否定ばかりするようになり、きっと彼女は精神的に追い詰められている。その結果、その恋人のいる町に行こうと飛び出そうとしたのだろう。
(なるほど、つまり彼女が求めているのは、自分が求めている言葉を言って、後押ししてくれる人……か)
きっと、こんな風に悩む人を何度も見てきたのだろう。だから、セイリム様はさっき的確な言葉を彼女に言えた。それなら、私もそっち側に立つべきだ。
「シェリーさんは、どうしたいの?」
こうすべき、こうだ。そう言ってしまうのは楽だ。だけど、彼女がしたいこと、望むことを理解してからじゃないとそれは無責任だろう。
事情を知ったからには、更に。
シェリーさんはどうにか涙を拭って顔を上げた。
「話を、したいんです。本当に、そんな人がいるのか。私とどうなりたいのか。手紙では、きっと何とも言えるんです。彼がどう思っていても、きっと。でも、ずっと一緒にいたんです。彼が本当に別れることを望んでいるのかどうか、顔を見て話せば、私にだってわかります。それを見ないで、彼の気持ちをそう決めつけたくありません! 彼を信じる、信じないじゃないんです。私が、そうしたくないんです」
ブルブルと震えているのに、その目だけは強い光を帯びていて。きっと、町を出ようと思った時には彼女は覚悟を決めていたんだ。
何故か巻き込まれてしまった形だけど、でも、きっと彼女は私達が止めてもいつか町を出て行ってしまうだろう。そうわかっているのに、ここで見て見ぬふりはできないなぁ。
チラリと他の皆の顔を見る。すると、セイリム様は少し呆れたように笑い、テオは満面な笑みで、マリーはキリっとした顔で頷いて、ロイド先輩はやはり真顔でいた。まあ、反対はされていないなと思ってシェリーさんに視線を戻す。
「わかりました」
「……え?」
彼女の相談に対する答えとしては可笑しい肯定に、シェリーさんはパチパチと瞬きをした。そうして僅かに首を傾げる彼女に、私は微笑む。
「私が、貴女をその恋人の場所へと送り届けましょう」
どこにいるかまでは聞いてないけど、まあどうにかなるだろう。彼が旅立ってから魔王復活までそれほど差はないはず。あっても一か月くらいだ。それなら、まだやりようがある。
「ほ、本当ですか?」
「ケインって人に会わない限り、シェリーさんの気持ちは固まんないんですよね? それなら、会うしかありません」
そして、確実に会うには、用心棒が必要だ。本来、立場的には私に護衛が必要なんだけど、それはまあ置いておく。それに、彼女を送ると言っても、私一人じゃないんだし。皆も賛成してくれているってことは、付き合ってくれるっていうことだ。だから、絶対大丈夫。
立ち上がって手を差し出せば、シェリーさんは安堵したように笑って、一粒の涙を頬に流しながら私の手を握り返した。
「――……っ、ありがとう、ございます!」
ずっとずっと、すぐに町を飛び出したくて仕方なかったんだろうな。周囲の人が、自分が望む言葉とは逆の台詞を吐く度に、きっと彼女は胸を痛めていたんだろう。
恋人を信じたくて。
自分が愛した人を信じたくて。
そして、自分が大好きな人達に、信じてもらいたくて。
だって、今までずっと自分達を祝福してくれていた人達が、徐々に徐々に反対するようになったんだから。きっとすごく傷ついたんだろう。
彼女も家族や友人が好きだから。そんな風に恋人を否定してほしくなかったに違いない。
でも、皆がそういうのは、自分のためであることも、きっと気付いている。だから、赤の他人に縋るしかなかったんだ。
死ぬ覚悟を、決めるために。
「安心して! これでも私達すごい強いから! 貴女を、死なせたりしない」
明るく言えば、彼女は何度も頷いてくれた。ようやく一歩踏み出せる、その事実に胸がいっぱいとばかりに。
出発は明日だ。今日は彼の居場所を聞いて、地図を見てどう向かうか考えないといけないし。彼女も仕切り直しが必要だろう。そう言って、一度落ち着くためにお茶を飲むことにした。
「ところで、あんな聖職者様らしい台詞で彼女の望む言葉をかけたセイリム様は、どうして後は私任せなんですか?」
「おや、決まっているじゃないですか。民をお救いになるのは、やはり聖女様のお役目でしょう?」
ニコニコと、ふてぶてしく笑って言い切る彼に、これだからと肩を落とす。
私のことをよく知っているはずなのに、それでも聖女というだけでこれだ。セイリム様をリリーのところにつけなくて本当によかったな……。




