1.再会と奇跡
※農村の男視点
ぞわぞわ、ざわり。言葉にはできないけど、言葉にして説明するならそんな不快な感覚が体を襲って目を覚ました。明かりはついていないから薄暗い室内だが、まだ昼を過ぎた頃だろう。本当なら室内にいても明るくて、眩しいくらいの時間帯なのに、この暗さも見慣れ始めてきている。
まだ起きるには少し早いけど、未だに全身を襲う不快感を無視することができなくて身を起こした。体調が悪いわけじゃない。これは直感というものだろう。前にも同じ感覚を味わったことがある。
外が騒がしい様子はないし、誰かが呼びに来る気配もない。だから、今はまだ大丈夫なのかもしれないけど、まだ連絡が届いていないだけかもしれない。どちらにしても気になって眠れないから潔く身支度を整えた。
家を出て視界一面を飾るのはこの村が誇る麦畑だ。ここは国の北東に位置する小さな農村だ。小さなってつくけど、畑を含めた村面積を考えるとあまり小さくもない。最初は納税分と村人の食い扶持分を賄う程度の規模だったらしいんだけど、昔から畑に熱意ある村人が多かったらしく、どんどん畑の規模を広げ、味を良くしていった結果、領主に褒めてもらうまでになり、それに感動した村人が更に熱心に畑を耕し、そうして出来上がったのがこの広大な麦畑だ。
今では他領にもこの村の麦が納品されている。この村一番の……というか、唯一の自慢だ。
「あれ? ディーノ、まだ交代には早いぞ」
隣の家のおっちゃんがオレの姿を見つけて声をかけてきた。昼夜逆転しているオレへの気遣いだろう。苦笑しつつも首を振った。
「そうなんだけど、妙に目が覚めちまったからさ。異常はないか?」
「今のところはな。ワリィな、おめぇばっか苦労かけて」
「何言ってんだよ。適材適所だろ? その分オレは畑仕事を免除してもらってんだから」
そう言って何でもないとばかりに笑えば、おっちゃんも目を細めて笑った。
「畑の調子はどうだ?」
「まあ、相変わらず元気はねーけど、でもどうにか収穫には持っていけるんじゃねーか? 小ぶりだけどな」
太陽が雲に覆われて、もう二か月近い。光を浴びていない麦は少しずつ元気をなくしていくように、背も低く、小ぶりのまま成長が止まってしまった。それでもあとひと月ほどで収穫時期を迎えるから、収穫ができないことはない。だけど、それもこのまま何もなければの話だ。
魔王復活と共に太陽が姿を消しただけでも農作物に影響が出ているというのに、同時に魔物も増えた。光がないことで瘴気が流れるようになったのか、それとも魔王の力に共鳴するように瘴気も増えているのか。わからないけど、普段なら深い森や山にしかいないはずの魔物が町や村にまで姿を見せるようになってしまった。
麦畑がメインのこの村には陽を遮るものがほとんどない。当然、よっぽどのことがない限り生まれてから死ぬまでをこの村で生きていく村人達は魔物なんて見たことがない人ばかりだ。太陽がないことで慌ててたオレ達は、突然姿を現した魔物に戦慄した。パニックを起こし、逃げ惑うことしかできず、オレが気付いた時には畑にも人にも被害が出た後だった。
どうにか魔物を倒し、危機を凌いだオレ達はすぐさま村人を集めて今後について話し合った。護るべき畑、護るべき村人。今後必要なのは労働力の他に戦力だった。特にここは村人の人数の割に畑が広すぎる。今後の食事情を考慮すれば畑を放置することもできない。それに、この畑は村人の誇りだ。自分の命と同じくらいの価値があるにも等しかった。誰も、逃げようなんて言えなかった。
「せめて、国に支援を願えればよかったんだけどな」
無理だとわかりつつも求めずにはいられなかった。国が無情なのではない。こんな事態、どの町も村も同じだからだ。となれば、救える人が多い場所に優先的に支援するのは当たり前で、優先されるような場だったらこちらから求めずとも早々に救助が来ていただろう。
だから、不満を持っても仕方ない。持ったところで事態は何も変わることはないのだから。
「まあ、でもおめぇが魔法学校に行ってたお蔭でこっちは命拾いしたぜ」
「魔法自体はあんまりだけどな。でも、いろんな戦い方をあそこでは教えてくれたから、オレも積極的に学んでおいてよかったって思う」
あの学校は魔法学校と言われているけれど、戦闘の授業はかなり自主性に任せていた。もちろん、指導者は数多くいる。魔法師はもちろんのこと、剣、槍、弓……望めばそれを教えてくれる教員はいくらでもいた。武術大会では魔法か剣しか使用を許可していなかったけど、あの無駄に種類の多い戦術指導は、こういった事態を想定して揃えていたのかもしれない。
魔力がある人間はほとんどが貴族の出だ。男なら貴族であっても自ら騎士として先頭に立ち、領民を護るような人もいるらしい。そんな人が魔法学校で貪欲に知識を学べば、屈強な戦士になるだろう。
そうなれば、国力はもちろん上がるだろうし、何より今この状況でもきっと領民を護ってくれているに違いない。
――カァン
「「!!」」
響いた鐘の音にオレはおっちゃんと共に顔を上げた。
カンカンカンと続く音は緊急事態を報せる鐘だ。同時に他の家からも何人もの村人が飛び出してくる。みんな、夜の警備に備えて仮眠していたメンバーだった。
「ディーノ、今のはどこだ?!」
「音の高さと方角を考えるとおそらく西の鐘だ。半分は様子見としてオレと、半分はここで待機だ。万が一に備えて他の村人を固めておいてくれ。増援が必要なら追加で鐘を鳴らす!」
「わかった!」
集まってきたメンバーに指示を出せば、誰も疑問に思わず頷いた。このメンバーの中で一番若いのはオレだが、一番戦闘力があるのもオレだった。知識経験を持つ者を尊重する。それがこの村の方針で、畑仕事に関しては年長者を敬うが、戦闘に於いては真っ先にみんなが頼るのはオレになっていた。それだけ、誰も戦闘には無縁だった。もちろん、賊を迎える最低限の衛兵だって存在していたけど、それは最初の魔物の襲撃でほとんどが死んだか傷を負って動けないでいる。だから、もう村のことは村のみんなで対処するしかなかった。
各々自分の武器を持ってすぐに音がした方向へ走り出す。村の端と言っても、畑の端だ。王都程じゃなくてもかなり距離がある。普通なら馬や牛を使って移動する距離だ。だけど、調教済みの馬なんてこの村に数多く備わっているはずもない。牛はそれなりにはいるけど時間がかかり過ぎる。
夜警のメンバーは特に魔物の遭遇率が高い。いざという時すぐに駆け付けられるように若手で、体力のあるメンバーが選ばれていた。
「見えたぞ! オイ、あれ鳥型じゃねーか!」
「チッ、最悪じゃねーか!」
「他にも獣の小型が何体かいるぞ!」
鐘を鳴らした村人は他の村人と合流して既に敵対していた。畑の端はこうして警備に伝令を送る役も担っているので、時間稼ぎ程度の戦力を持っている者が担当している。それでも、その場にいるのはたった五人ほど。このまま長引くと確実に誰かの命は喪ってしまうだろう。
「鳥はオレがどうにかしてみる! 他はまずは獣の方を頼む!」
そう指示を出せば全員了解と頷いた。とはいえ、鳥型は非情に厄介だ。空を飛んでいるからオレ達ではなかなか攻撃を当てられない。弓を扱える者も存在するが、魔物はただ矢が当たれば落ちてくるような単純な相手じゃない。核を確実に壊さなければ倒せない。だから標的と同じ大きさの岩でもぶつけるつもりでいないとこちらも対処しようがないのだ。
「とはいっても、そんなに魔力ねーんだけどな」
愚痴っていても仕方ない。できる限り数を減らさないことには生き残れない。他のみんなが獣型と対峙したのを確認して、オレは久しぶりに魔法を展開する。相手と同じ大きさの岩を宙に生成して、必死にそれを矢のように相手に向けてぶつけるだけのイメージに集中した。
一応何か使えると思って魔法の特訓は卒業後もしていたけど、ここ最近は村のことで手いっぱいで使っていなかった。それでも、三つ同時に展開した岩を鳥型に向けて放つくらいはできた。
「ギャッ!」
三つも放ったのに当たったのはたったの一体だ。距離が延びればそれだけ魔法の操作は難しくなる。素早い敵相手に魔法をぶつけるのに、何個も同時操作するのはオレには荷が重い。それでも、少しでも早く敵を倒したい焦りから岩をどんどん生成していく。五体程いた鳥型もどうにか残り二体になった。
「クソ、もう魔力が……」
けれど成功より失敗の方が多かったせいでかなり魔力を消耗していた。息を乱しながら周囲を見れば、他の者はどうにかもうすぐ倒しきるくらい敵を追い詰めていた。これなら増援は必要ない。魔法を使えない者が増えても空の敵には対応できない。逆に敵にとって標的が増えるのはよくないから増援はしない方がいい。そう思って空へと視線を戻せば、その一瞬の間にいつの間にか鳥型が目の前まで迫っていた。
「うわっ!」
辛うじて避けたが、脇に猛烈な熱を感じた。かすり傷程度だが、魔物から受けた傷は瘴気をはらんでいて、まるで毒のように痛みが広がる。
「ディーノ!」
「こっちは、いい! そっちをまずは終わらせることを考えろ!」
気を逸らせばオレみたいにすぐに傷を負う。どんなに軽い傷でも瘴気を含んだそれは治りが遅い。これのせいで村の戦力は大幅に下がっているんだ。強い口調で言えば、迷いながらも獣型のせん滅に意識を戻した。もう何度も襲撃を受けているから、みんなも言われなくても本当はわかっているんだ。だから、余計に情けなくなる。気を逸らしたのはオレだ。オレが、みんなを信じ切れてなかったから。
「ここは、意地でも凌ぐ!」
魔力はもう残り少ないがまだ尽きていない。最後の力を振り絞ろうとしたその時、風が唸るような音が響いて突然空を飛んでいた魔物が二体とも吹き飛ばされた。
「は?」
「どりゃあ!」
突風でも吹いたのかと思えば、魔物は地面に落とされ、その瞬間を狙ったように誰かが走り込んで剣を振りかざした。そしてあっという間に残された魔物は討伐された。唖然とした気持ちで眺めていたが、ハッとして周囲を見れば、他の魔物も見知らぬ人達が加勢したことで既に倒されたようだった。
「まだ日暮れ前だってのに、本当面倒な時代だな」
魔物を倒したばかりとは思えない陽気な声に振り返る。聞き覚えのある声だった。それだけじゃない。バカみたいな威力の風魔法にも、魔物を叩き斬ったその剣技にも見覚えがあった。だから振り返った男の顔を見てオレは思わず苦笑した。
「すげーな、こんな偶然ってあるんだな……」
小声で感想を漏らしつつもオレはそいつに近づいた。そうして相手もオレに気付いて顔を上げれば、驚きでガラス玉のような綺麗な緑の瞳を丸くする。
「え、ディーノ先輩じゃん!」
「久しぶりだな、テオ。助けてくれてありがとな」
魔法学校の時、たった一年だけどバディを組んだ、平民なのに異常な強さを持つ後輩。それがこいつ、テオドールだった。
戦闘が終わった後はその場の悲惨さに打ちひしがれる。それでももう夕方だ。一度中心に戻って体制を立て直さないといけない。待機している村人も心配しているだろう。そうわかっていながらも荒れた畑と怪我を負った仲間を見て溜め息をついた。
「みんな、無事か?」
「とりあえず、重傷者はいねーよ」
「前よりかは、まあ畑もマシだろ」
それでも幾度となく襲撃を受けたこともあり、今回はかなり早く対応ができた。だからこれだけの被害で済んだんだ。それでも苦い気持ちが込み上げる。踏み荒らされた畑はそれほど広くはないが、魔物との戦闘後は大体周辺に濃い瘴気が散らばる。そのせいで麦がダメになるんだ。
「また、収穫物が減るな……」
「クソ、このままいけばそれでも八割くらいは収穫できると思ったのに!」
傷の痛みよりも畑の被害の方が悔しいのだろう。顔を歪めて立ち尽くすみんなに、オレは何も言えない。オレだって同じ気持ちだからだ。オレ達の誇りはこの畑だ。そして、今ではこの麦をなるべく広く卸すことが使命だと思っている。それなのに、じわじわと魔物に侵されている状況に、悔しくて堪らなかった。
「傷は治療できますよ、見せてもらえますか?」
突然、降って湧いてきた声に顔を上げれば、テオと共に来たと思われる男が微笑んで近づいてきた。光もないのに輝いて見える金の髪に真っ赤な瞳をした姿は見るからに高貴な存在だ、絶対。わかる、だって学校でこういう雰囲気のヤツいっぱい見たし。むしろ学校で見た以上の高貴さを感じる。
「え、いや、でも……オレ達そんな金はないですし」
「お金なんて取りませんよ。え、私、カツアゲするように見えますか?」
「……多分、近寄りがたいだけかと」
「正直が過ぎますよロイド先輩」
オレの態度にショックを受けたようで困ったように眉を下げる男に、何とも言えない言葉を投げつけているのもきっと貴族だ。その隣にいる小柄な女性も、この流れだと貴族だろうか。どうしよう、こんなに貴族がいると村人達がパニック起こすんじゃねーかな……。
「失礼しました、私は神官を務めているのです。今は巡礼しているようなものですから、治療魔法の押し売りなどしませんよ。気を楽にしてほしいのですが……」
「じゃ、じゃあ……お願いします。おい! 治療魔法を掛けて下さるみたいだからケガしたヤツは集まれ!」
神官って、神官だよな? そんな人がこんな何もない村に来るなんて有り得ない。そう思いつつも、テオと一緒にいたんだからきっとおかしなヤツじゃないだろう。仲間に呼びかければほとんどが集まってきた。かすり傷程度ではあるけど、魔物の傷は酷く痛む。みんな、脂汗をかきながら縋るように近づいてきた。
「これは……そうか、魔物の傷は瘴気をはらむのですね」
「普通の傷と比べて治りが遅いので、おそらく。オレ達は瘴気は見えませんが、やはり神官様には見えるんですか?」
「うっすらとですが……ですがこれは、私よりも彼女にお願いした方がいいかもしれません。テオドール君」
神官様は倒れている者がいないか確認していたテオを呼んだ。テオは顔だけを向けて頷く。
「ティナー! 出番ー」
テオは更に奥の方に向かって声を張り上げた。するとかなり離れた場所にまだ仲間がいたのか、そこから女性の声が聞こえた。
「はいはーい!」
どうにも、テオの仲間は全員陽気すぎる。そう思ってしまうのはいけないことだろうか。おそらくは、誰もがテオと同じように強いからなのだろう。神官様が同行するくらいだ。このメンバーはきっと国から大切な使命を受け持った可能性が高い。だから、信頼はできるが、どうにも今の状況では気が合わない。村が悲惨な状態なのに気楽でいられる人間はここにはいない。
そう思って僅かに湧いた苛立ちを誤魔化すように息を付けば、周囲が騒めく。今度は何だと思って視線を上げれば、テオが呼んだ仲間がこちらに向かってきていた。――空から。
「ここすっごいよ、テオ。辺り一面麦畑!」
「ロイドが言うには一番収穫量が多いらしいぜ」
「それを村の人達が総出でやってるんでしょ? 大変すぎるし、その上で魔物に対抗してるなんて凄すぎるね。あとでちゃんと事情聞いておかないと、きっと困ってると思うよ」
呼んでいる神官様ではなく、テオの隣に着地した彼女は興奮したように見た景色について話していた。陽気だけど、でも、ちゃんとオレ達のことを見てくれている発言に僅かに心が凪いだ。神経が高ぶっているからいけないんだろう。もう危機は去ったんだから少し落ち着かないと。
「セイリム様、お呼びですか?」
「すみません、普通の怪我なら私でも治療できるのですが、瘴気をはらんだ傷のようなので」
「あー、魔物の傷ですもんね。確かに、黒ずんだ気配が濃いですね。じゃあやってみます。ついでに、ちょっと試したいことがあるので、範囲浄化をやってみてもいいですか?」
「もちろんです。貴女の負担にならないのなら」
怪我人の俺達を置いて二人だけで何やら話して決めた彼女は、くるりと身を翻した。さらりと綺麗な銀髪を揺らして、青空のような綺麗な水色の瞳がとても美しかった。貴族の女性は誰もが綺麗ではあるけど、こんなに息を呑むような人を、オレは見たことがない。思わず食い入るように見つめて、だけど彼女はその美しい顔に似合わないくらい無邪気に笑った。
「今、傷を治しますね」
そう言ってそっと目を閉じた彼女は、祈るようにして両手を胸の前に組んだ。すると白い光が彼女の周りから発して、淡く照らすようにオレ達を包み込んだ。
じりじりと、焼けるような痛みを発していた傷は、その光を受けてすぅーっと痛みと共に消えていく。まるで奇跡だ。他の仲間達も傷口がわからないくらい綺麗に完治していて、痛みが引いたことに驚いていた。
そして何より、光を受けた周辺の麦が、萎び始めていたそれが、水を得た魚のようにグングンと背を伸ばして頭を上げていた。踏みつぶされてしまった麦すらも、そんな事実はなかったかのように元通りになっていた。
何が起きているのか全く理解できなかった。けれど、それを見てオレ達は胸に込み上げてくる感情を制御できなかった。感動的な光景に胸を熱くして、涙を流す者もいた。もうダメかと思っていたのに、それなのにこれは、本当に奇跡だ。
「聖女……様?」
誰かがその名を口にした。ああ、そうだ。きっとそうなんだろう。神官様でも治しにくい傷をあっという間に治し、なおかつ誰も手が付けられない畑を、浄化してくれたんだから。
まさしく彼女は、女神に愛された女性――聖女に違いない。




