幕間9.身勝手な恋心
※ミシェーラ・レント伯爵令嬢視点
わたくしはミシェーラ・レント。レント伯爵家の唯一の子。父は国の第四騎士団長。そのため、伯爵領は王都から馬車で半月かかる場所にあるけれど、ほとんど王都で過ごしていて、領地には年に一回帰ればいい方。わたくしは幼い頃は領地にいたけれど、いつしか婿を取らなければならない未来が待っていることもあり、魔法適性があるとわかってからはお父様が住む王都の別邸に住むようになったわ。
多くの部下を持ち、強く豪快なお父様。騎士団長という大役を担っているからあまり一緒にはいられないけれど、そんなお父様をわたくしは尊敬しているわ。騎士の娘。しかもたった一人の子供。女の身ではあるけれど、お父様のように騎士になることだって不可能じゃないはず。デートリア辺境伯の子供も、同じ女の身で騎士として腕を磨いているとよく耳にするのだから、わたくしにだってできるわ。そう、幼い頃は思って侍女が止めるなか木の棒を持って振り回したこともあったわ。お父様に懇願して、稽古をつけてもらったことすらもあるの。だけど、結果はボロボロ。どう贔屓目に見ても、才能は欠片も見られなくて、周囲が慰める言葉を必死に探すほどだったわ。
お父様は良くも悪くも正直な人で、明るく気にするなといいながらも、その表情はとってもがっかりしていたのを今でも覚えている。そんな顔をわたくしがさせてしまったのだと、しばらく落ち込んだわ。
でも、どう頑張っても無理なものは無理。それならば、わたくしの役目は騎士になることではなく、お父様のように強い騎士を婿として迎えることだわ。柔軟に未来計画を軌道修正したわたくしは、優秀な人が集まる魔法学校に胸を高鳴らせながら入学したの。
そして、見つけたわ。わたくしの運命の人!
出会ったのは、そう、毎年恒例の武術大会が開催される前日だったわ。
この時期は武術大会のために遅くまで特訓している生徒が多くいるから、わたくしが求める強く逞しい方と素敵な出会いがあるかもしれないと至る場所を歩き回っていたわ。けれど、連日そんなことをしていれば、か弱いわたくしはすぐに疲れてしまうし、明日は武術大会本番。いくら騎士としてお父様の期待に応えられないとはいえ、魔法でも不甲斐ない姿を見せるわけにはいかないわ。そう思って、今日はそろそろ寮に戻ろうと踵を返したのだけど……、足場の悪い場所でつい足がもつれて体が傾いてしまったの。
「きゃあ!」
傾く体に、変な方向に曲がった足。これは完全に怪我をするわ。そう思ったのだけど、すぐ脇の木々の間から何かが飛び出してきて、それがわたくしの体を支えたの。
「おっと、大丈夫か?」
「……え、ええ」
「張り切るのはいいけど、その結果ケガするようなことはしない方がいいぜ」
何事もないように体を戻されて、茫然とするわたくしに屈託なく笑ったその顔にわたくしは目を奪われたわ。艶やかな黒い髪に宝石のような綺麗な緑の瞳。少しあどけない、けれども頼もしい男性の顔をした彼に一瞬で心奪われたのがわかったわ。ああ、これが恋に落ちるということなのね。小説や歌劇でしか知らない感情にわたくしは一気に舞い上がったわ。ぼんやりするわたくしに気を悪くすることもなく、彼は颯爽と去っていく。その姿を目に焼き付けて、どこの誰か絶対に突き止めて見せると心に誓ったわ。
そして、その翌日、彼が平民で、テオドールという一学年上の生徒だということを知ったわ。わたくしが求めていた強さを兼ね備えた理想的な方という事実と共に。
そうして、舞い上がった心のままに運命の人であるテオドール様……もとい、テオ様に思いをぶつける毎日だったのだけれど、そんな彼と結ばれるには大きな障害があるなんて思わなかったわ。
(だって、平民で才能があってこの学校に来ているなら、誰だって憧れるものよ、貴族に)
ただの平民として生きる人には貴族という地位はとても遠い。だから、別世界の存在として認識している人ばかりだけど、魔法学校に通う人はまた別。才能があり、学校という勉学の機会を得ることができた人間は、それだけ貴族という存在と近しい立場になる。優秀な人材を貴族や王家が得やすくするために準貴族として扱われるから。そうなれば、平民である子供も爵位を欲するのはごく自然なことで、テオ様は剣を好まれるところを見れば、おそらく将来は騎士になりたいのだろうと思っていた。それなら、わたくしと結婚すれば伯爵位を得られるわけだし、お父様に見込まれれば騎士団のなかでも出世街道まっしぐらだわ。お話をすればすぐさま飛びついてくるに決まっていると思っていたのに、結果は散々で。毎回、毎回、馬のように素早く逃げていく姿ばかり見る羽目になったわ。
そして、学年が上がる少し前。休みでなかなか会えないテオ様に会いに、ついに実家である食堂に足を運べば、そこで彼の幼馴染という女の子に挨拶をされたわ。貴族も顔負けなほど、完璧なカーテシーで。
ただの平民の女。本来なら、平民同士の男女、幼馴染でお似合いの二人だと笑って流すべきなのかもしれない。けれど、わたくしは本気でテオ様のことを好いていて、だからカッとなった。この状況でわたくしよりも貴族然とした彼女に、テオ様が心を許しているその姿に。だから、あんな馬鹿なことをしてしまったのよ。
あの時のことは、わたくしのなかでも思い出したくないほどの失策だったわ。あんなこと、するつもりはなかった。それから彼女を見ると罪悪感と嫉妬心で複雑な感情が渦巻いて、一人で彼女と会うなんてこと、結局できなかったわ。
あれから一年。テオ様を結局諦めきれずに追い回していたけれど、彼は変わることなく彼女だけを見ているようで。あんな風にまっすぐに、揺らぎない気持ちを向けられる彼女が、すごく羨ましかった。それで、気付いてしまったわ。わたくし、彼女のように誰かから求められたいって、きっとどこかで思っていたんだわ。
お父様に認められたかった。でも、剣の腕はなくて、魔法も中途半端で、だからテオ様と結婚することで、どうにかしたかったんだわ、と。それに気付いてしまってから、段々と自分がしていることが虚しく思えてきた。
「わたくしは、何のために……」
貴族の娘として、お父様の意向を叶えるために、今まで頑張ってきたつもりだった。だけど、ここにきて、結局探していたのが自分自身のためだったなんて、馬鹿々々しくて力が抜けてしまった。しかも、そんなタイミングで魔王復活なんて……話が大きすぎてついていけないわ。そんな国の、いいえ世界の一大事にただの小娘であるわたくしが何かできるはずもないし、だから誰もいない裏庭でぼんやりと空を眺めているしかないのね。空を見たところで、真っ黒な雲に覆われていて、何の気晴らしにもならないけれど。
「あれ、あんた確かレント家の娘じゃねーか?」
欝々としたわたくしにこの天気に似合わない陽気な声がかかって、思わず怪訝な顔で振り返ると、そこにはあまり会いたくない人がいたわ。
「なっ! 貴方はロータスの!」
「何してんだこんなところで? 今は授業もないだろ?」
「それは貴方もでしょ!」
現れたのはロータス伯爵家の次男。ロータス家とレント家はそれぞれ当主が騎士団長ということもあり、折り合いが悪い。お父様からも何度も話を聞いているから、わたくしも彼にはいい印象がない。一つ年上であっても学校で顔を合わせることがあるかもしれないと警戒していたのだけど、まさかこんな場所で、しかも二人っきりで会ってしまうなんて。
「オレは元々部屋でじっとしている性分じゃないからな。それに、アイツは勇者に選ばれて、これから大変な旅に出るんだ。オレだけここでぬくぬく過ごすってのはどうかと思ってさ。だから、この暇な時間はほとんど特訓に費やしてんだよ」
「……そう。わたくしはただの気分転換ですわ」
「ふぅん」
そう答えたものの、彼は特に興味はないようで、わたくしがここにいるのも気にせずに持っていた剣を振り始める。いくら仲の悪い家同士とはいえ、令嬢の前で無神経に剣を振るうなんて本当にロータス家はどういう教育をしているのかしら。失礼しちゃうわと思って目を吊り上げながらその様子を意味なく見つめる。
だけど、そうね、確か彼は彼女を好いていた気がしたわ。ということは、彼も叶わない恋をしているのよね。
「貴方は……虚しくならないの?」
「は? 何が?」
「あの子のこと、好きなのでしょう? でも、あの子にはテオ様がいるわ。貴方だってわかっているんでしょう?」
それとも、彼はそんなこともわかっていないのかしら。それはもう鈍いとかそういうレベルではないし、わかっていて諦めないのなら、無謀とも言えるわ。
「そうだなー、はっきりフられてるし、それに勇者にテオドールを選んだ以上、ティーナ嬢の心に入り込める余地はねーんだろうな」
「だったら」
「だけど、オレが騎士として力をつけるのは、別にティーナ嬢に認めてもらうことだけが理由じゃないからな。ティーナ嬢のことは、正直諦めたくないけど、だが、それ以上にオレは騎士としてここで立ち止まるわけにはいかない。だから、虚しくても、悔しくても、剣だけは降り続けるって決めてるんだ。それに、一応思いのタケはぶつけたからな、結構スッキリしてるんだ」
そう言いながらも剣を振り続ける彼に、わたくしは心が重くなる。わたくしと同じ、報われない恋をしていたはずなのに、それなのにどうしてそんな前向きになれるのだろうか。彼は次男で、家も継げないのに、それなのにどうしてそんな純粋な気持ちで、力を磨けるのだろうか。
わたくしとは違う、志溢れたその姿勢が眩しい。羨ましい。どうして、わたくしにはその志も、その力も、何もないのだろう。
「貴方は……すごいのね。それに比べて、わたくしは――好きと言いながらも結局はただ自分が愛されたかっただけで、身勝手な思いでテオ様を振り回していた、最低な女だわ」
テオ様に惹かれたのは本当。まっすぐで強くて、憧れだった。だから自分の物にしたくて必死だった。それはまるで子供がおもちゃを強請るようなもので、しかも神髄にある心は親の関心を得たいためのもの。
こんなわたくしが、結局誰かに愛されるはずもなかったのよ。
気付けば彼は剣を振るのをやめてわたくしを見ていた。地味な茶色かと思っていたその瞳は、僅かにオレンジかかっていて、よく見れは綺麗に思える。そんな風に思うのが不思議で、思わず見つめ合ってしまう。
「そんなこと気にするなんて、あんた案外可愛いとこあんだな」
「なっ!」
「別に気にしなくていいんじゃねー? 人に恋するって何かしら身勝手なもんだろ?」
思いがけないお世辞にカッと頬が熱くなる。これは照れているのではないわ。馬鹿にされたのかと怒っているだけよ! そう言い聞かせるけれど、彼に言い返す言葉が咄嗟に思いつかない。
「で、でも、わたくしは、何もないわ。戦闘技術も、特筆する学も、何も! 見た目だって派手なだけで、美しくも可愛らしさもない! それなのに、人に愛されたいだけなんて、そんなこと、許されませんわ!」
「そうか? オレにとっては、誰かをあんなふうに一途に思えるのは、それだけで才能とも言えるし、誰かに愛されるべき人間だと思うけどな」
思いがけない言葉に頭が真っ白になったわ。そんなこと、誰にも言われたことがなかった。伯爵令嬢だから気を遣って世辞を言う人はいたけれど、能力や見目とは関係のない、ただの一途なだけのその性格を〝才能〟だなんて言ってくれる人は、いなかった。
しかも、それを言ってくれたのがロータス家の人間だなんて。つい、そう思ってしまうけど、わたくしのその思いとは裏腹にトクトクと胸が鼓動していて、苦しくなる。
「貴方、単純でいいわね」
「まあ、それはオレの長所だからな! 幼い頃から深く考えることはしないようにしてたらいつの間にか短絡的思考になっちまったんだよ。でも、結構気が楽だし精神的に強くなるから、あんたも一度やってみればいい。気が楽だぜ?」
親同士が険悪なのに、そんなこと気にしないとばかりに気さくに声をかけるこの男が信じられない。だけど、そんな彼を見ていると、わたくしばかり家に拘って敵意を向けているのが馬鹿らしくなってくる。
親がいがみあっているからといって、子供のわたくしまでそれを継ぐ必要はないわね。それに、今は親の目が届かない学校の中で、わたくしの交友関係まで口出しはしてこない。それなら、別にいいのかもしれないわ。そう思うと、体に張っていた力がフッと消える。
「それもそうね……、少し気が楽になったわ」
「そっか、よかったな」
「ええ……。ねえ、もしよかったらわたくしもその特訓に混ぜてもらえない?」
無意識に飛び出した言葉にわたくしはびっくりする。だって、彼はロータス家。たった今、親に習って嫌悪すべきじゃないと考えたとしても、わざわざ歩み寄る必要は全くない。むしろ、ここで仲良くなってしまえば、いずれはお父様にもバレてしまう。
だけど、撤回する気にもなれなくて、そっと彼を見やる。すると、彼もそんな提案をされるとは思っていなかったのか、驚いたように目を丸くしていた。
(これは、もしかしなくても断られるわね)
いくら彼がわたくしに悪い印象を持っていないと言っても、それとこれは別問題でしょうし。そう思って悶々としていれば、唐突に彼はわたくしの肩を掴んだ。
「きゃっ!」
「マジか! じゃあ一緒に特訓しようぜ! 確か火属性魔法使いだろ? ならさ、オレの木属性魔法と連携したりしようぜ! 何でも、威力が倍増するらしいから試してみたかったんだ!」
案外乗り気らしい彼に唖然とする。本当に彼は家同士の問題に頓着していないようだ。何だか、自分だけが彼を意識しているみたいで悔しくて、だけどそれを悟らせたくもなく平然を装う。
そんな他愛もないやり取りが、この先長く何度も繰り返されることになるなんて、この時のわたくしは知る由もなかった。
本当はティーナも出そうかと思っていたんですけど、話がややこしくなる気がしたのでやめました(笑)
ここで、第二部の幕間は終わりたいと思います。まだちょっと書き足りないところもある気がしますが、今は保留にして、第三部に向けて執筆していきます。また、しばらく更新をストップして、六月中か、七月ごろには更新を再開できればなと思いますので、もうしばらくお待ちください。
第三部も20話前後で~なんて思っていましたが、書きたい内容の数を考えると無理な気がしてきますので、何話くらいと言明するのはやめておきますね(泣
あくまでも恋愛小説なので、戦闘シーンはさっぱりあっさりとさせつつなるべくテンポいい話の進みになるよう頑張ります!




