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6.日常

 パチリと目を覚ます。うっすらと白んでいる空を窓から見て、私は起き上がった。王都で購入しておいたワンピースに着替えて外に出る。家の裏手にある川から引いた水溜めに近づいて、桶で水をすくって顔を洗う。実はこれ、私がフィーネさんに提案したもの。それまで毎回フィーネさんは水瓶に水を地道に運んで溜めて使っていたらしんだけど、土属性の魔法を使えると聞いて、川からここに小さな水の道を作って勝手に流れてくるようにしてはどうかと提案したのだ。そうすればわざわざ川に向かうことはないし、魔法で生成した道だから水も汚れにくいのではと思って。やってみる価値はあると頷いてくれたフィーネさんが一日で作り上げて、今では生活に根付いている。

 どうせなら水車を作って水瓶に水を入れる仕組みも作れたらいいんだけど、水車や風車のようならからくりはあまりこの世界には馴染みが無いらしく、説明しても夢物語のように思われてしまった。残念。

 せめて、私に木属性の魔法が備わっていたら試しに作ってみてもいいんだけど。どうせ水を引いてるんだから、その水の流れを利用しないなんて勿体ないし。水車の羽部分にバケツを取りつければ、上部まで水を運んでくれるわけで、後はバケツの角度を調整すれば水瓶に水を入れられるはず。そんなことができたら水瓶の水が無くなることもないんだし。

 でも、私の魔法属性がわかるのは十歳だし、当分はお預けだ。いつ作れてもいいように設計図や仕組みはきちんとまとめておこう。自分なりにわかりやすく。まあ、水車なんて前世でも作ったことないから、本当に動くかどうかなんて私も知らないけど。

 何て思っている私は、しかし今現在何歳なのか未だに不明です。見た目年齢的には六歳か七歳くらいだろうけど、この年齢って成長の仕方個人差激しいし、明確なことはわからないよね。フィーネさんが言うには十歳になった瞬間に魔法解禁になるらしいので、十歳くらいかもって思い始めたら毎日魔法適性検査を行えばいいと言われた。そうしたら十歳からは誕生日も年齢も明確化するだろうって。

 そう言われて、今はのんびり山の中で勉強する日々だ。小さな山小屋なんだけど、驚くことにこの家には書斎がある。私の寝室よりも三倍はある大きさの部屋の壁一面に本がぎっしり詰まっていて、いつでも好きな物を読めと言われている。もちろん、最初は文字も読めなかったのでフィーネさんに習うところから始めたけど。

 でも、元々言葉という概念はあるから、読み方さえわかれば結構すらすら読めるようになった。英語とか日本語とかのように意味ごとに単語が別れていたらどうしようって思ったんだけど、かな文字みたいに一音ずつ文字を書いて、最終的に言葉にしていくタイプだったので、そうならなかった。つまり、ローマ字に似た形式だ。だから、難しい記号も書き方と形と組み合わせさえ覚えれば読めるし、理解できた。まあ、未だ頭の中で漢字変換して意味を飲み込んでしまう癖が抜けないんだけど。


「いけない、今日は王都に行くんだった。朝ご飯の用意しないと!」


 月に一回。フィーネさんとの約束で私は二人で王都に向かうことになっていた。子供の身である私は、何かと入り用になる物が多く、定期的に山に物を売りに来る商人はいるんだけど、それでは間に合わない。それを含めて一応今でも私の捜索届が出ていないか定期的に確認を取ることにしていた。だけど、きっとどっちも建前で、フィーネさんは私とテオが一緒に遊べる機会を作ってくれているんだと思う。山にこもっていては、私は大人にも子供にも触れ合うことはできないから。

 対人経験は重要だ。今後、私に魔力があって学校に通うようになったら、そうじゃなくても仕事をしなければならなくなったら、とてもじゃないが世間知らずの田舎娘が生きていけるところじゃないだろう。フィーネさんの細やかな心遣いに感謝するばかりだ。

 根野菜と野草を使ったスープにパンと卵焼きを用意して二人分テーブルに並べれば、タイミングよくフィーネさんが起きて来た。


「おはよう、フィーネさん」


「おはよう。今日も美味しそうだね。あんたが作ってくれるようになって楽でいいよ」


「それはよかった!」


 電気もないこの世界ではあるけれど、電気の代わりになる物が存在する。それが魔力だ。本来人が直接魔法を使わなければ便利なことはできないものではあるけれど、この世界には特別な鉱石があり、その鉱石にだけ人が持つ魔力を蓄えられる性質が備わっている。それを利用して作られたのが魔道具だ。この小屋にもいくつか存在していて、たとえばコンロだったり、冷蔵庫ならぬ冷箱だったり。私の前世とは形が違うけれど、同じ用途の物はいくつも存在していた。だからとりわけ不便なことにはなっていない。それなら水道も同じようにどうにかならないのかなって思ったけど、村や町ほどの規模になると必要になる魔鉱石の数も尋常じゃなく、実現するのは難しいそうだ。けれど、王都の中心地、つまり公共施設や貴族街、城といった場所だけは惜しみなく魔鉱石を使用して、上下水道の設備が整っているらしい。魔法学校もその中に入っているようなので、もし通うことになったら寮の生活は快適なのだろう。


「にしても、ますます不思議だねえ、あんた」


「何が?」


「記憶がないわりに料理や変な知識はあるじゃないか。身なりといい、容姿といい、貴族の子でも可笑しくはないけど、それなら料理がそんだけできるのは変だしね」


 ギクリと内心で冷や汗をかく。この世界での記憶がないので学もマナーもわかっていないのは確かだ。それでも、知らなかったはずのことも、フィーネさんに聞けば一度で覚えられるし、貴族としてのマナーや姿勢は意識してみれば勝手に体が動いた。その為、貴族の娘だったのではという疑惑は、私の中では確信に近くなっている。だから、これ以上面倒なことになりたくなくて、本当は王都で捜索届の確認はしたくない。できることならフィーネさんとこうしてずっと暮らしていたいから。その方が気が楽だもの。

 でも、体に染みついている記憶はこの世界のものだけど、私の思考は前世のものだ。だから慣れない手つきではあるけれど、料理の知識はあるせいで教えられてもいないのに簡単な調理はお手の物だ。最初何気なく朝食を用意してフィーネさんを迎えたらすごく驚かれてしまった。

 どちらにしても七歳程度の子供が料理なんてするわけないから当然だよね。役に立ちたくて行動したけど、結構失敗だったなって思う。


「わ、私ね、いつかロッテさんのお店のお手伝いがしてみたいの!」


「そうだねえ、あんたならすぐにでもできるんじゃないか? それで魔法を使えるようになったらあっという間だろう」


「本当? でも、料理だってもっといっぱいして、ロッテさんの役に立ちたい! だからもっといっぱいいろんな料理作りたいんだ!」


 だから、実はいっぱい勉強しているんだと仄めかす。苦しい言い訳だけど、その気持ちは少なからずとも持っているので嘘ではない。実際、今でも配膳とかオーダーだけは、お手伝いさせてもらっているし。そのお蔭でその言葉を信じてくれたのか、フィーネさんは途端ニヤニヤとした顔で私を見つめて来た。


「ロッテのところでねえ?」


「な、なに?」


「いいや、いいじゃないか。あそこで認められれば将来安泰だよ。嫁の貰い手を考えなくて済むからね」


 何を言っているのか。理解できなくて首を傾げる。ロッテさんに認められれば店の従業員として雇われるから安心ってこと? 嫁の貰い手って何? 誰が誰の?

 そこまで考えてようやく私がテオの嫁としてロッテさんに認められることだと気付いて、思わず素っ頓狂な声を上げた。何でいきなりそんな話になるのか。私はまだ七歳程度のお子様なんだけど!


「な、な、なにいってんの!」


「おやおや、顔が赤いよ、ティーナ」


「だ、だだだだってそんなこと言うから! 大体、こんな年齢から将来の伴侶について決めるのはやめてよ! 貴族でもあるまいし! テオだってきっと可愛い子と恋愛とかしたいだろうし、大人が勝手に決めつけたら、それだけ子供は変なこと考えちゃうんだから!」


「何だかねえ、言ってることは尤もではあるけど、夢がないよねえ、あんた」


 溜め息をつきながらフィーネさんは残ったスープを飲み干した。

 夢が無くて悪かったわね。仕方ないでしょう、中身はとっくに成人を迎えたおばさんなんだから。ああ、でも、それでもフィーネさんよりも年下だけど。年齢差で言えば、孫と祖母だったのが、実は親子程度の差しかないってところか。


 朝食を終え、軽く身支度をしたら早速フィーネさんの魔法で王都へ向かう。馬車だと一日以上かかる道のりも、魔法だと数時間で終わるんだから本当楽でいいよね。でも、魔法を使うには集中力とそれだけの魔力が必要になるはずなのでフィーネさんに負担はないのかとたまに心配になる。そんな私の顔を見て、毎回大丈夫だと彼女は言ってくれるけれど。

 魔力の基準は自分が魔法を使うようにならないとわからないからなあ。こればかりはフィーネさんの言葉を信じるしかないかな。実際、魔法を使って移動した後にフィーネさんが疲れている様子は見たことないし。彼女が世間一般的に見て、魔力が強い方なのかどうかは定かではないけれど、実はすごい人なのでは? と、毎回涼しい顔をしているフィーネさんを眺めていると思ってしまう。

 馴染みのある店の前にたどり着くと、私はフィーネさんより先にドアをくぐる。


「こんにちは!」


「やあ、ティーナちゃん久しぶり! フィーネさんも」


 今日も元気に店を切り盛りしているロッテさんは、眩しい笑顔で出迎えてくれた。小さな店ではあるけれど、いつ来てもご飯時は満席だった。その活気の良さを見るのが私は大好きで、席がないってわかっても毎回こうして顔を出してしまう。


「ロッテさん、お手伝いすることある?」


「本当ティーナちゃんは優しいわねえ! それじゃあ席があくまでお願いしてもいい?」


 その分うんと美味しいものを作ってくれると約束してくれて、私は喜々としてオーダーを取りに行った。

 町外れにある小さな飲食店は、旅の人を受け入れる頻度も高いのであまり治安はよくない。けど、この店はロッテさんという明るい女主人がいるからか、客層に恵まれている。誰もが気さくに話しかけてくれるし、友達のように優しく接してくれる。それが嬉しくて、いつの間にか私もこの店の一員のような扱いをされていた。

 お手伝いをして、席が空いた後にご飯を食べる。しばらくして、店の奥から馴染みのある顔が覗いた。


「あれ、フィーナばあちゃんとティナじゃん!」


「まぁったく、あんた今帰ったの? 少しはティーナちゃんを見習いなさいよね!」


「また始まった。たまには手伝ってるだろ! ちょうどいいや、ティナ! 午後一緒に遊ぼうぜ!」


「え、いいけど。今日は誰かと約束してないの?」


 テオは友達が多い。毎回王都に訪れた日に会えるとは限らない。約束をしているわけでもないからそれは気にならないのだが、毎回決まった友達と遊んでいるわけではないみたいで、その顔の広さに感心してしまう。

 でも、私が来たことを聞いた次の日は、いつだって私のために時間を空けてくれている。だから、来た当日に遊びに誘われるのは実は珍しいことだった。


「ああ、今日はもう約束ねーからさ! 二人でちょっと街回ろうぜ!」


「本当? 回りたい! フィーネさんいい?」


「ああ、私はいつものように屯所であんたのことを聞いたら宿でのんびりしておくよ。ただ、あんまり派手なことはしないようにね?」


 頭を撫でられて優しく言われれば嬉しくて勝手に頬が緩む。ちょっと言い方が強い時はあるけど、彼女は基本的に優しい人だ。まるで本当の娘のように接してくれているようで、何だか心が温かくなる。はい、と返事をしてテオと一緒に店を出た。


「どこに行くの?」


「隣地区に行ってみようぜ! ここの奴ら区を超えるの好きじゃないみたいでさ、いっつも来てくんねーの!」


「仕方ないよ。家の人にも言われてるんじゃない? 王都は区域によって出てる店も住んでいる人の性格も違うから、何があるかわからないって思ってるんだよ」


「んだよそれ、どちらにしても同じ王都の人間じゃんか。中央区にさえ行かなきゃ一緒だろ」


 私もそう思うけど、王都が広すぎるから区で行動範囲を狭めるために家で言い聞かせているのもあると思う。だから、一概にも駄目ともいいとも言えないんだよなあ。

 子供だけで遠い所に行くのはよくないだろうし、面識のない人が集まる場所だと、何かあった時に協力体制を取りづらいのも確かだから。せめて、魔法が使えるようになったら安心するかもしれないけど。

 そんなことをつらつら考えつつも、見たことのない街並みをテオと一緒に眺めながら足を進める。大きな壁で区切られた門を超えれば隣の区だ。超えるだけなら簡単だ。入ったのは西区。南区は港町からの旅人を受け入れるために宿屋や飲食店などの店が多く建ち並ぶ区域だったけど、この西区は住宅を中心とした区域のようで、少しだけ活気さに欠ける印象だ。人目が少ないのもあるが、建物の質も少し悪いように思える。


「やっぱり東区に行けばよかったかなあ」


「何で?」


「あっちはたまに貴族もお忍びで遊びに来るような店が多いんだ。まあ、その分物価も高くてオレ達の小遣いじゃ何も買えねーんだけど。見るだけでも楽しそうじゃねえ?」


「確かに! キラキラしたものいっぱいありそう!」


 この王都には貴族の人がたくさんいる。らしい。中央区に何度か足を運んでいても、貴族と関わり合いになるわけじゃないので、その辺りは知識としてでしかない。沢山いると言っても、常にいっぱいというわけではなく、貴族とは所謂領主の人が大半なので、基本は自分の領地にいるのが普通だ。けれど、社交シーズンになると王都の貴族街にある自宅へと戻り、王城で開かれるパーティーへ定期的に足を運ぶのだそうだ。だから、比較的貴族が多くいるし、貴族が喜びそうな店も沢山ある。それが集中的に存在しているのが東区らしい。


「今度は東にも行ってみようぜ!」


「まあ、また今度ね。それより折角来たんだし、少しくらい面白そうなものないか探そうよ!」


「それもそうだな」


 そう言って更に奥へと歩いてみるけれど、やっぱりこれと言って変わり映えはしなかった。テオは早々につまらなそうな顔をしていて、そろそろ戻ろうなんて言い出しそうだなと思ったその時だった。


「――めて! 放して!」


「大人しくしてろ!」


 ただならぬ声に足を止める。人通りの少ない建物の裏から聞こえてくる。声は野太い男のものと、高く幼い女の子っぽい声だ。同じように足を止めたテオと顔を見合わせて頷く。そっと声がした方に体を近付ければ、微かだけれど会話が聞こえた。


「いや! いやあ!」


「うるさいぞ! 黙れと言ってるだろ!」


 バシンと、響いてきたのは確実に暴力の音だ。男に誰かが襲われているのは確かに違いない。助けなきゃと思うけれど、周囲には人の姿が見えないし、建物の中にどんな人がいるかもわからない。大いにしろ、少ないにしろ、二人だけで飛び込んでどうにかなる可能性は低いだろうし、困った。せめて周辺を見回して大人を見つけるしかないだろうか。そんなことを考えている隙にテオが走り出してしまった。


「テオ! まって!」


「そんなことしている間に死んじゃうよ!」


 そうかもしれない、けど! でも、このまま無謀に挑んで勝てるはずがないのに!

 それでも、テオをそのまま見送ることはできなくて、私も一緒に建物の影へと走り込んだ。建物と建物の隙間。その奥にある行き止まりに、二人はいた。私達と同じくらいの女の子と、やせ細った体をした男が一人。やせ細ったと言っても、それでも大人だ。子供にとって男の力は強いだろうし、真正面から挑んで敵うはずもない。それでもまっすぐに走っていくテオをどうにか止めようと手を伸ばしたけれど、間に合わなかった。

 小さな体は地面を蹴り、器用に両足を男の顔面へと突っ込んだのだった。


 そう、つまり、飛び蹴りをかましたわけだ。


 そして、見事にヒットした。


(ええええ? 嘘でしょお!)


「んだ、テメーはあ!」


 もちろん、逆上した男はすぐさまテオに向き直って手を振り上げるけれど、素早いテオはうろちょろと足元を動き回っていて、その拳が当たる気配はない。その光景を茫然と眺めていたけれど、不意に我に返ってゆっくりと縮こまっている女の子に近寄った。


「大丈夫?」


「ふぇ、え、いたいよぉ」


 怖くて、痛くて、声が上手く出せないのだろう。体全身を震わせて顔を伏せる彼女の背中をさすってあげる。けれど、このままではいけない。せめてこの道から逃げ出して人目のある場所に出なければ。ちらりとテオに視線を向けると、逃げていたテオはもう一度男に蹴りを入れているところだった。


「うわっ!」


「はは、捕まえた」


 けれど、今度はその足を男が掴む。ブランと宙づりにされたテオをギョロギョロした目で見つめて、男はそのまま壁に叩きつけた。聞き慣れない鈍い音が耳に届いて、思わず息を止める。


「邪魔しやがって。まあ、いいや。なんか上玉増えてるし」


「……ッ!」


「すげーな。白金の髪だけでも珍しいのに、今度は白銀なんて。セットで売ったらぼろ儲けだぜ」


 背筋を這うようなねっとりとした視線と声音に勝手に体が震える。気持ち悪い。こういう人間を、私は知らない。今まで出会ったことがない。そもそもここは王都だ。それなりに人が多く、だからこそ治安は整えられている方のはず。それなのに、こんな場所でもこういう人売りは存在しているなんて。

 逃げなきゃ。そう思うけれど体が動かない。それに、蹲っている女の子を放っておくこともできない。男の後ろで放られたテオは未だに痛みで悶えていて動けそうにないし、どうすればいいのか。


(落ち着け、落ち着け。どっちにしても子供だけじゃ無理だ。それなら、人を集めればいい。その為には、まだ元気な私が、思い切り――――叫ぶ!)


 すぅううっと大きく息を吸う。男から目を放さずに私は覚悟を決めて声を上げた。




「きゃあああああああああああああああああああああ!」




 前世含めて今までにない程の絶叫だったと、そう自負できるほどの声量で、叫んだのだった。



 

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