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35.伯父と甥と

※ジルシエーラ第一王子殿下視点

 ゼオン・リック・グロワッサム。先代陛下であり、現宰相であり、魔法学校の理事を務める僕の伯父だ。今はもう一代限りの公爵で、グロワッサムを名乗れはしないが、幼い頃から息子のように可愛がってくれた。先々代……つまり僕の祖父にあたる人はお世辞にもよき父、よき国王とは言えず、国民にも貴族にも無茶を強いる独裁者だったと父上からは聞いている。

 そのせいか、本来なら争ってでも王位を狙う可能性があった伯父上と父上は、王族とは思えないほど仲がよかったらしい。共通の敵を持って仲間意識が芽生えたというべきか、家族愛を求めて、伯父上が父上を弟として可愛がったからか。僕と妹であるメイリーが仲がいいのは、王位継承権がよほどのことがない限り僕に渡されることをお互いによく理解しているからだ。王位が欲しくても欲しくなくても、王族である以上家族は掻き回される。それが王位というものだ。だから、伯父上と父上は歴代の中でも異例とも言えた。

 今でも十離れているとは思えないほど親友のような気安さで話をし、よく僕やメイリーを揶揄ってくるし。

 国のため、民のため、身を粉にして働く伯父上を僕は子供の頃から尊敬していた。そのきっかけを与えたのは紛れもなく父上だった。兄を尊敬していた父上は物心ついた頃から僕に伯父上のようになれと言うのが口癖だったからだ。尊敬している父上にそう言われれば、父上よりもすごいのだと素直に頷いてしまうものだ。それから自分なりに伯父上のことを見てきた。見てきたからこそ、父上の言うことが決して嘘ではないことを知っていたし、王子として将来は安泰と言われるほど認められた今でも、僕は彼を心の師として称えていた。

 だからこそ、今さっき起きたことが未だに信じられなかった。尊敬する伯父上が個人の感情で理不尽な方法でテオをねじ伏せようとしたこと。そのテオを実は護ろうとした結果だということ。そして、そのテオが伯父上の血を引いた孫ということ。理解はできてもすぐに受け入れられるような内容じゃない。

 けれど、あまりにも淡々とティーナが受け入れてしまったから、否定することも叶わなくなった。


 部屋に残されたのは僕とリリー嬢と伯父上の三人だけ。俯いて動かない伯父上を見つめて改めて考えてみる。疾風のセドリックとの接点はほとんどない。テオに言った通り、僕が訓練場で見学して、覗いていた時だけだ。話したことも顔を合わせたこともない。だから、あまりハッキリとした印象が残っているわけじゃない。だけど、よくよく思い出してみれば確かにと思うことはある。

 例えば何色にも染まらない漆黒の髪や、たまに覗く色濃い青の瞳だ。伯父上とほとんど変わらないカラーリングを持っていたと思う。それに、伯父上と対面した際、テオが暫く伯父上を長く見つめていたのはセドリック殿と重なるものがあったからかもしれない。


「伯父上」


 普段ならば閣下や宰相など立場上の名前を意識して口にするが、今はそれでは話が進まない気がした。だからここは敢えて王子としてではなく、彼の甥として声をかけた。


「いつ、気付いたんですか?」


 これ以上誤魔化すことは許さない。そう思わせられるよう、意識して声を低くする。それでも僕は父上や伯父上と比べればまだまだ赤子のような薄い覇気しか出せないだろう。だけど、僕がどれほど真剣でいるのか、それがわかってもらえれば今はいい。


「あの子が孫である証拠はない」


「伯父上!」


「だから、確信を持てたわけではない。だけど、時期が合うんだ」


 何がとは、聞けなかった。伯父上はまるで懺悔するかのように顔を両手で覆い、腰を曲げ、頭を低くした。小さく、そして長く吐き出された溜め息の後、静かにその続きを紡ぐ。


「たった一度だ。一度だけ、私はフィーネに縋り、夜を共にした」


 つまり、その一度とセドリック殿の生まれた時期の計算が合うということだろう。セドリック殿はテオが六歳の時に亡くなられた。当時、彼は二十九歳だったと聞いている。逆算するのなら、伯父上がおそらく十八の頃にセドリック殿が生まれたことになる。つまり、その行為をしたのは、おそらく僕と同じ年頃だったということだろう。王子である伯父上が、そんな大事な時期に、無責任にも女性と夜を過ごすなど、許されないことだ。たとえ、それが愛する人であっても……だ。

 けれど、今の伯父上を見る限りでも当時の彼は限界だったのだろう。隣国から続く圧力。先々代国王に寄る圧政からの民からの不満や怒り。それを真正面から受け止め、どうにか抑えていたのは伯父上だったと聞いている。優秀が故に、伯父上を支えられる人物がほとんどいなかった。そんな伯父上の心の支えが、きっとフィーネ殿だったのだろう。


「……その夜の後、少ししてフィーネは消えた。何も言わず、私の許可を得ずに、近衛騎士を辞め、忽然とだ。私は、彼女に捨てられたのかと思っていた」


 手から覗く口元が僅かに笑みを浮かべる。だけどそれは自嘲に近い笑みだった。ようやく手を顔から外してその顔を僕に向ける。


「つまり、真実を知るのはただ一人、フィーネだけだ。そんな彼女ももう生きてはいない。あいつは頑固のところがあるからな、息子であるセドリックにも、他の誰にも真実を話していないだろう。結局、セドリックが義理の息子で、ただ私に似ているから拾った、という可能性もある。彼女がいないからこそ、どれが真実なのか、私含め誰も知らないのだ」


 だから、確証は持てないし、ハッキリと宣言することも難しい。そういうことだろう。それなら、テオを狙う可能性だって低い、なんて言えるはずもなく。実際、セドリック殿は何者かに殺されている。そう思ったからこそ、伯父上もあんな強引なやり方でテオを護ろうとしたのだろう。事情を知ったとしても短絡的と言わざるを得ないが。


(それだけ……焦っていたんだろうな)


 落ち着いてみると胸に渦巻いていた感情は少し治まってきた。話に参加していないが、この場にリリー嬢がいてくれるお蔭もあるだろう。第三者がいるという場は、自分の中でも客観性を保たせてくれる。

 完璧で隙の無い伯父上が、たった一人の血縁者が現れただけでこんな失策を犯すなんて誰が想像しただろうか。笑えない事態ではあるが、伯父上にも人間らしいところがあるのだと思うと安堵してしまう。

 けれど、これを放置するわけにはいかない。王子としても、彼の甥としても、だ。幸いなことにまだこのことは周知していない。それなら、王子である僕はこのことに決着をつける責任があるだろう。


「テオは勇者から降ろすべきではありません。伯父上はどう思いますか?」


「……もちろん、個人としても、立場を踏まえた上でも、その方がいいと理解している。だが――」


 わかっていても殺される危険があるから、テオを勇者にできなかった。

 伯父上が飲み込んだ言葉を拾って、僕は頷いた。


「まずは反対していた貴族を黙らせましょう。そのために再度会議を開きます。会議に僕だけが参加することに公平を崩すと言うのならば、僕が参加しないのではなく、全員で参加すればいいのです。そもそも、命を賭けて戦うのは僕達です。当事者が大事な仲間を決める会議の参加ができないのはおかしいでしょう」


「だが、それでは!」


「そして、その場で伯父上にはテオが孫だと宣言してもらいます」


「なっ!」


「え!」


 これには二人共驚きを隠せなかったようで同時に声を上げた。いつも驚くのは僕の役目だったのに、そんな伯父上に一矢報いることができた気がして気分がいい。堪らず吹き出しそうになってしまってどうにか堪える。


「今反対している貴族はそれで黙るでしょう?」


「でも、ジルシエーラ様。それだとテオドール先輩は他の方に狙われてしまうんですよね?」


 そう、ただ反対していた貴族を黙らせるだけなら伯父上だってこんな手段を選んではいない。その先にあることを考えたからこそだ。

 テオが勇者になるということは、人々の気を惹く立場になり、少なからず名声を得られる存在になるということだ。もしそんなテオが、王族だと知られれば、セドリック殿と同じように殺されてしまう。そう思ったからこその対策だった。

 誰が気付くかわからない。

 誰が血迷うかわからない。

 わからないことが多いからこそ、こちらも対策を立てづらい。それならば、ある程度こちらでその範囲を狭めればいい。


「誰に狙われるか、その範囲がある程度狭めれば問題ないのでは?」


「……確かに、そうだが。どうする気だ?」


「テオが王族だと知られるだけではあまり意味はないでしょう。だから、テオにも協力してもらいます」


 と言っても、きちんと頼めばテオはきっと軽く了承してくれるだろう。ティーナの勇者という立場には固執するだろうが、王族という地位には興味もない奴だからな。


「伯父上がテオを孫と認めたその場で、テオには王位継承権を放棄してもらいます」


 そもそも、セドリック殿が殺された理由はそこにあるはず。僕を支持する者が、最悪なケースを想定して血走った結果だ。それならば、万が一なことが無いように対策すればいい。

 本来なら、王子が一人しかいない状態で、スペアとなるべき存在が現れるのはいいことなんだけど。先々代国王の傷跡が完全に治り切っていないこの国に、小さな波が襲ってきても崩れてしまう可能性は皆無ではないからな。慎重すぎる者や短絡的な者がそんな行動をしたのも仕方ないことなのかもしれない。とはいえ、決して許されるべきことではないけれど。


「そして、陛下にもお願いして、僕の立太子を早めましょう」


 僕が立太子をしていなかった理由は単純だ。聖女が現れたら、その旅に何がなんでも同行するつもりでいたからだ。勇者でなくとも、この国の王子として、聖女を護り、国を護るつもりでいた。そんないつ死んでもおかしくない旅に同行する以上、無責任にも王太子になるわけにはいかなかった。

 だけど、僕は勇者になった。それならば、王太子であろうとも旅の同行は決まっている。タイミングを見計らう理由は最早ないだろう。王太子がいて、テオが王族であるが王族という身を欲しない姿勢を見せれば、僕を支持する貴族も余計な罪を被ることはしないはずだ。それでも手を出すと言うのなら、それはただの愚か者だろう。候補は大分絞れるはずだし、そんな者にテオが殺される可能性も低い。

 そして、極め付けに。


「そして、テオ達に伯父上直属を付ければもうほとんど安全でしょう?」


 本来なら、王族に関することは全て何か月も調整して公表し、儀式を行うものだ。だけど、今は非常事態。魔王復活という悲報に沈みがちな民に、少しでも吉報を送るのも上に立つ者の務めだろう。それが自分の立太子だというのは少し気恥ずかしいけれど。自惚れではなく、民達が自分を王子として、次期国王として期待してくれているのはわかっているつもりだ。だからこその提案に、伯父上も理解してくれているようだった。


「……いつの間に、そんな大胆な考えを持つようになったんだ、お前は」


「それこそ、最近はあのテオと行動を共にしていましたから。閣下からの圧も感じずにさらっと王都から逃げると言うような豪胆さを身近で感じ続けていると、こうもなりますよ」


 お互いに苦笑すれば、途端に可笑しくなってきた。手の甲で口元を隠しながらも、堪えきれない笑いを零せば、僕達を見守っていたリリー嬢も嬉しそうに微笑んだ。


「では、ティーナさんとテオドール先輩の説得には私も同行させてください! 他にも、もし私にお手伝いできることがありましたら、ご協力させていただきます!」


 今回何も力になれなかったことを気にしているのだろう。両手で拳を作って気合いを入れている彼女に僕は笑って頷いた。


「そうだな。今のところはないと言いたいけど、君の気持ちによっては一つ、頼みたいことはある」


「はい! 何でしょう?」


 キラキラとした柴水晶の瞳がまっすぐに向けられる。透き通るようなその瞳は、純粋な彼女を表しているようでとても綺麗だ。控えめで、けれど決して自分を曲げることのない心の強い彼女を、僕は知っている。バディとして、学校内だけではあるが、ずっと一緒にいたのだから。

 だけど、人として好ましいと思っていても、それが男として彼女を求めているかまではわかっていない。それでも、彼女が聖女で、僕が勇者である事実を知った時は、彼女と共に旅に出られることを知った時は、珍しくも嬉しいと思ったんだ。

 腰を上げて彼女の前に膝をつく。唐突な僕の行動に驚いたように目を丸くしたリリー嬢のその手をそっと取った。


「……将来、王妃になる気はないかい?」


 吉報は多ければ多いほどいい。そして、僕の地位が強固になればなるほど、テオの危険も薄まる。だからこそ、まだ淡い気持ちが育つ前ではあったけど、問いかけた。彼女には、その地位を得るだけの土台は既に整っているから。


「おう、ひ?」


「そう。つまりは、僕の婚約者になってほしい」


 きっと理解していないだろう彼女のために言い直した。今度は曖昧に問いかけるのではなく、僕の希望だとわかるように。途端、リリー嬢の顔は一気に赤く染まり、パクパクと唇を開閉した。しかし声は一向に出ない。間の抜けた表情なはずだけど、彼女がやると小動物のようで愛らしく思うのは何故だろうか。


(これが、実は惚れた弱み、というものだろうか?)


 経験がないのでわからない。だけど、思わず笑みを深めてしまった。

 それがいけなかったのだろうか。僕の顔を見つめたままリリー嬢はそのまま後ろに倒れ込み、ソファーに沈んでしまった。


「リリー嬢!? 大丈夫か? リリー嬢!」


「ジル、いくら何でも早急過ぎなのではないか? 彼女はそういう耐性ないだろうに」


「僕だってありませんよ!」


「その割には大胆だな。もしかして、それもテオドールの影響か?」


 神妙に問いかけてきた伯父上の言葉を、僕は否定することはできなかった。とにかく、リリー嬢を介抱しなければならないと、慌てて部屋の外にいるメイドを騎士に頼んで呼びつけたのだった。

 駆けつけたメイド長がリリー嬢の顔を見て、僕が無体を働いたのではないかと、遠回しに疑われてしまい、流石の僕も焦ってしまった。その焦りのまま否定をしていたら、疑いを晴らすことはおろか、むしろ更に疑われてしまったのはリリー嬢には内緒だ。

 そんな僕を愉快そうに見ていた伯父上には、もちろんその後改めて今回の騒動と共に父上の前で謝ってもらったのは言うまでもない。



 

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