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33.見えてる未来と見えてない先

「何を言っているんだ、閣下」


 王子の声にハッとする。冷えて手足に情けなさを覚えてそっと息をついた。思いがけない事態に頭が真っ白になっていた。体も息も全て止まっていたことに気付いて気付かれないように小さく深呼吸を繰り返す。


「何、と言われても会議で決まったことをお伝えしてるまでです」


「私はそんなことを聞いた覚えがないぞ!」


「そうでしょうとも。殿下にも今初めてお伝えしているのですから。先日の会議は贔屓にならぬようにと殿下には欠席頂いておりましたからな」


 聖女についての会議で、王子だけ参加するのは他の三人に対して不公平となってしまう。結果、王子も会議には欠席となっていた。勇者として指名されることは知っていたかもしれないが、それ以外は王子も初耳だったんだろう。


「陛下は! まさか陛下がそれを許したのか!?」


「陛下は最後までテオドール君のことを推していましたとも」


 それなのに、テオは勇者から降ろされた。と、いうのなら、陛下ではどうにもならないほどの人達がテオを反対したということになる。だけど、それほどテオを邪魔に思っている人が多いのだろうか?


「……何で、それで」


 ようやく声を出したテオはそれしか言葉にできなかった。茫然とした表情をしたまま掠れた声で問う。


「君は陛下から直々に声をかけられた。しかし、君は個人的な理由のみで栄誉ある言葉を反故にしたね? しかも、忠誠心を見せられない、という文言で。それがどこからか漏れてね。王家に忠誠を誓えぬ騎士など、勇者と認めてはいけないと主張された」


「だが、それで王都に拘束するのはやり過ぎじゃないか?」


 いくら王家に反抗的と言えど、別に罪を犯したわけじゃない。勇者に任命するほどの人格者ではないと思われたとしても、それがイコール王都に拘束するほどの要注意人物になるというのはいささかやり過ぎだ。王子が言うことは尤もだと思う。


「しかし、勇者じゃないまま彼を自由にしたら、どうなります? おそらくティーナ嬢の旅に合わせて王都を出て、外で接触を図るのでは?」


「……そうだとして、それの何がいけないんですか?」


 低く、唸るようにテオは聞く。怒鳴りたいほどの激情を抑え込んでいるようだった。


「それでは君を勇者から外した意味がないと言っているんだ。君達が幼馴染なのは理解している。だからこそ、勇者を別の物に指名し、君も傍にいることを許した場合、たとえ国民に君じゃない誰かを勇者に指名したと公表しても、行く先々の人はそう見ないだろう」


 それは、そうだろう。ほとんど初対面な人を勇者だと言われて私の傍に置いたとしても、私にはテオほど信頼できる人はいない。テオが一緒にいるなら、頼るのはテオだし、私が優先するのもテオだ。そこに〝勇者〟の肩書きなんて意味がないのだから。

 だからこそ、テオを勇者から外すと同時に、テオの自由を奪わないといけない。私の傍にいられないように。そう言いたいのだろう。

 きっと、テオを排除しようとしている人達は、テオが裏切って私を害することを心配しているわけじゃないんだろう。空いた勇者の枠に、自分の息がかかった者を送り込もうと画策しているんじゃないだろうか。そして、そのことにこの人は気付いているはず。


「一つ、聞いてもいいですか?」


 ようやく呼吸も落ち着き、手足の感覚も戻ってきた。今ならどんな答えでも落ち着いて聞けると思って、口を動かした。緊迫した場に、抑揚のない自分の声が響いて自分で少し驚いた。


「何かな?」


「テオを勇者から外すことを、閣下も賛成なさったんですか?」


 私の問いかけに、彼は僅かに目を細めた。一拍間を置いて、頷く。


「ああ、私は君の後見人だ。君を護る責任もあるからね」


(……とても、残念だな)


 すぅーっと心が冷えていくのがわかった。同時に、自分の心がいつの間にかこんなにも温度を上げていたことに気付く。知らぬ間に、こんなにも温い中にいたのだと。また同じだけ温度を上げることができるのだろうか。ふと考えて、すぐにやめた。

 別に、元に戻す必要なんてない。


(だってもう、()()()()()()()()し)


「護るというのなら、テオドール先輩は外すべきじゃありません!」


 凜とした声が隣から聞こえた。今まで黙っていたリリーが体を震わせながら閣下を睨みつけていた。


「ティーナさんを、誰よりも優先して護れるのは、テオドール先輩だけです! 王家がどうとかそんなの、元々関係ないんじゃないですか?」


「……リリア嬢、確かに勇者という概念から考えれば、元より国家や王家は関係ないだろう。だけど、聖女を護るシステムは、そこから切って考えるのは難しいんだ」


 所詮、平民であれ貴族であれ、国で生まれた以上誰もが身分や立場を考えて生きなければならない。魔物からだけでなく、身分差等による余計な柵からも聖女を護る必要がある。その為に、いくつもの法律が存在していた。聖女という身分もその一つだ。聖女は、王家と同等の地位を与えられているのだ。もちろん、政治に関与できるわけではない。貴族に命令できるわけでもない。けれど、貴族等の権力者から危害を加えられるのは禁じられ、逆に尊重すべきと今の法では定められている。

 だから、そう単純に勇者を決められるものではないのだと、言外に彼は言う。


「そんな! ティーナさんのためと言いますけど、ティーナさんの気持ちはどうなるんですか!?」


「……リリー無駄よ」


「ティーナさん!」


 それでもリリーが閣下に噛み付くのを、私が声で制す。あまりにも落ち着いている私が理解できないのか、焦ったように私の名前を呼ぶ彼女に、私はどうにか微笑んだ。


「ごめんね、リリー。せっかく聖女になったから、貴女の負担を軽くしてあげられると思ったのに」


 聖女になってもいいと思ったのは、テオが勇者になれるからだ。だけど、聖女になってよかったと思えたのは、リリー一人に残酷な使命を背負わせなくてもいいと思ったから。ずっと一人で世界の命運を背負わされる女性が気の毒だった。聖女だからと期待され、聖女だからと失望される。そんな日々を過ごすことになるんだろうと、想像しかできないけど、想像の中でも苦しい光景だった。だから、その聖女がリリーだと知った時、やっぱりと思うと同時に心配になった。だから、リリーを同じ聖女として支えられるのだと知って、少しだけ自分が誇らしく思えたのに。

 それなのに……。


「でも、この国は、聖女は二人もいらないって判断したみたいだから、私は聖女になれないね」


「……え」


「何を言ってるんだ、ティーナ」


「だって、そうでしょ? 聖女から勇者を奪うということは、その聖女は〝護るに値しない些細な存在〟でしかないと思われてる証拠じゃない? 実際、閣下は私よりもテオの身の安全を優先したみたいだし」


 リリーから視線を外せば、途端表情が無になっていくのが自分でもわかる。フィーネさんから教えてもらった愛想笑いも、今では発揮できない。


「何を、勇者は別に厳選して任命するし、君を思ったからこそテオドール君に降りてもらうことになっただけと、今言ったじゃないか」


「建前上ですよね? 別に隠さなくていいです。貴方が私の後見人になったのはフィーネさんの最期の願いだから。ただそれだけの存在とテオでは貴方にとって重要度は天と地ほどの差もあるでしょう? テオを勇者から降ろして、この王都に縛り付ければ護り切れる、そう思っているんでしょうね」


 淡々と説明すれば、閣下は焦ったように汗を垂らした。普段飄々としていて、あまり表情を崩さない彼は、確実に今困惑している。


「でも、悪手ですよ、これ。実際、貴方の言う通りに私は別の人を勇者として一緒に旅立って、テオをこの王都に残すとしたら、どうなると思ってるんです?」


「……どう、とは。君は元より誰よりも強い魔法師だ。そして君につける勇者も近衛騎士で実力のある者と考えている」


 なるほど、反対した貴族の息がかかった者達から選ぶつもりは流石にないから大丈夫だと言いたいわけね。でも、私が聞いているのはそっちじゃない。


「テオ、どうするつもり?」


「……そんなの決まってるだろ。監視されようが、拘束されようが、オレは王都から出る」


「でしょうね」


 だって、もうテオが王都にいる必要はない。学校も卒業するし、どこかに正式に雇用される話もない。つまり、縛るものはないわけだ。テオが学校から出てしまえば、お店の客足も落ち着いてしまうだろうし、きっとどこかで勇者から降ろされた話は貴族間で流れるだろう。そうなれば常連以外は確実にいなくなると考えてもいい。そこにテオの手助けは必要ないわけで。むしろ犯罪予備軍のような扱いに、テオが家にいればいるほど立場を無くしていく。

 足枷が無いのなら、躊躇いなどなく外に出るに決まっている。


「そんなことをしても引き戻すだけだ」


「どうやってですか? 兵でも出しますか?」


「それは」


「勝手にそっちが出した決まりでこの王都に本当に縛り付けられると思ってるんですか? テオは出ると言ったら出ます。その結果、テオを反対していた人達はどう出ますかね? きっと、更にテオを非難して、国家反逆罪とか大層なことを言い始めるんじゃないですか? ただ王都を出ただけで今度は犯罪者扱い。指名手配でもします? そしたら、たとえ生きて連れ戻せという内容でもうっかりとか言って暗殺を目論見るでしょうね。その方が後は楽ですし、その人達は都合がいいんでしょうし」


 私が説明している間にも閣下の顔色が悪くなっていく。そこまで考えが至らなかったんだろうな。盲目になっていたのは理解できるけど、同情はできない。その心は、さっき完全に消えてしまったし。


「ちなみに、私の方も大丈夫だと思われてますけど、多分死にますよ。人からの攻撃には備えられますけど、魔物相手には難しいですね。特に今回のような襲撃があったら」


 十単位の襲撃なら対応できないことはないはず。勇者と二人旅ではないはずだし、そのくらいならどうにか対応はできる。だけど、百単位の襲撃となれば浄化の力は必須だろう。あの力は魔物を殲滅するだけでなく、周囲に漂った瘴気も跡形もなく消してしまう強力な力だ。普通の魔法よりも魔力の消費が激しいけど、それ以上の価値があるのは確かだから。


「だが、君は聖女だ。あの力を使えばティーナなら、対処できるんじゃないのか?」


 閣下の意見には反対でも、私が言っている意味がわからないのか、王子は疑問を投げてくる。擁護しようにも難しいのだろう。


「だから、無理なんですよ。だって、()()()()()()んですから」


「何を、言ってるんですか、ティーナさん。だって、水晶は」


「あの時は確かに聖女だったんでしょうね。でも、リリー、聖女の力の源は何?」


 何をきっかけに浄化の力が発動するのか。それはリリーだけじゃなく、王子や閣下、もちろん陛下にも報告済みだ。私が直接説明したのは王子だけだけど、陛下はもちろん閣下にだって王子を通して報告が行くことはわかっているし、本人からもそう説明された。だから、知らないはずはない。


「聖女の力は、誰かを護りたいと思う……慈愛の心ですよね」


「私ね、特殊なの。親に捨てられた弊害と言っていいのかわからないけど、取り繕うことが得意なだけの無関心な人間なの。お世話になったフィーネさんやロッテさん、そして相棒であるテオに対してはその心を保っていられるけど、基本的に他人に興味がないの」


 むしろ、さっきまで閣下にも多少心を許していた事実にビックリしていた。それくらい、私は人に関心が持てない。慈愛なんて言われても理解できないし、教えられても困る。人それぞれ、その感情は異なるはずだから。

 親に捨てられたからなんて言ったけど、実のところ私は前世からこうだ。誰かの愛なんて感じたことがないし、それに返す方法も知らない。だからこそ、この世界では前世の処世術で態度を取り繕っていただけで、実際は戸惑いばかりだった。

 フィーネさんから愛してもらった実感はある。それに私も気持ちを返せていたかはわからないけど、最後は義理でも親子のような関係になれたと思う。

 ロッテさんにもいつも優しくしてもらっている。いつだって本気で心配して怒ってくれる人は前世にはいなかったから、怒られても嬉しいなんてこの世界で初めて知った。

 そして、テオはずっと傍にいたいと思う人。テオのために今は生きてて、テオの傍にいるために聖女になった。テオを思っていたからこそ、あの水晶は反応した。


「傍に護りたい人がいるわけでもないのに、どうやって浄化の力なんて引き出せばいいの? やり方があるなら是非とも教えてほしいわ」


「……君は聖女であろう? 国民のために力を出そうとは思わないのか?」


「聖女という存在なら、誰でも国民のために力を振るえると思ってるの? それじゃあ逆に問うけど、王族という身分なら誰でも王になり得る素質や力を持っているの?」


 全員が押し黙る。ピリピリとした空気を作り出しているのは私なのかもしれないけど、そのきっかけを作ったのはまさしく目の前にいる男だ。大体、未だに粘る理由がわからない。閣下が提案した方法では、誰も幸せにならないのに。もしかして、未だにきちんと拘束していればテオを王都に縛り付けられると思っているのかな? そんな、単純な力しかないのなら、そもそもテオは勇者としての力量不足になるけど。


「そもそもな話、じゃあどうして魔道具を使ってまでバディを決めたの?」


「――ッ」


「結局王家が選定した人が勇者として付けるのなら、魔道具なんてなくてもいいんじゃないの? 本来、勇者は聖女が選定する存在なはず。その考えを覆してまで魔道具で決めた理由があるんじゃないの?」


 魔道具でバディが決まっているから、王子が勇者だと説明していた。だから本来ならテオも勇者だけど、それは他の人が反対をした。その結果、こうして揉めるのはわかり切っていたことだ。それなら最初から魔道具で決まったバディは必然的に勇者に決まるなんて情報を流さなきゃよかった話だ。

 でも、そうしなかったのは予想外なことが起きたからだろう。


「なあ、ティナ、オレには何を言っているのかよくわかんねーんだけど」


「つまりね、魔道具を使ってバディを決めるようになった理由は、今回みたいに貴族が変な言いがかりをつけて勇者を降ろそうとしても、魔道具で決まっている相手だから変更できないと突っぱねるためだと思うの。じゃなきゃ、伝説通り聖女本人が王家と話し合ってでも何でもして勇者を決めれば済む話だもの。たとえ、その選定に時間がかかっても、その方法が確実だし実力だって確かな人を選べるんだし。でも、その方法できっと過去に問題が起きたから、今回はそうならないために魔道具という人間の都合に関係のない方法を用いた」


 だけど、テオを勇者にするのは閣下には不都合がある。だから、貴族の不満を受け止める振りをして、適当な理由をでっちあげて勇者から降ろそうとしていた。私はそう思っている。


「それが、オレを護るためだって? 何でそう思うんだよ。はっきり言って正反対じゃねーか」


「まあ、明らかに善意のある行為には見えないでしょうけど」


「だろ? オレが強引に王都出るって言っても意見変えねーってことは、別にオレが死んでもどうでもいいんじゃねーの?」


 あのやり取りだけ見れば、誰でもそう思っても仕方ない。いつもならそんな悪手を選ばないこの人も、それだけ焦っていた証拠なのかもしれない。


「先のことを見通せなかったのは確かだけど、テオを勇者にするわけにはいかなかったのよ」


「何で?」


「したら殺されると思ったんでしょうね、テオのお父さんみたいに」


 その言葉にようやく察した王子が目を丸くして閣下を見つめた。唇が小さく動き、まさかと呟く。王子は気付いたみたいね、テオがどんな存在なのか。


「平民であるテオが勇者になって目立ってしまえば、いつかは気付いてしまうと思ったんじゃない? セドリックさんの息子だと。血は薄くなったとしてもテオが勇者として実績を残してしまったら焦る人が出てくる。結果、その人達はテオを殺そうとするはず。旅に出ているテオを確実に護るのは難しい。それなら、王都に縛り付けてしまえばいい。護衛もしやすいし、勇者でなければそもそも殺そうともしないかもしれないし、セドリックさんの息子だと気付かないかもしれない。今は、ただ平民が勇者になることを嫌った連中を黙らせればいいし、一番確実な方法だと思った……違う?」


「何のことだが……」


 明らかに動揺して視線を逸らしているのに、未だに誤魔化せると思っているんだろうか。考え方が甘いなと息をついて、つまならそうにソファーに身を沈める。少しはしたない格好だけど、取り繕う気持ちもない。


「なあ、一体何のことだよ」


 自分の話なのに理解できなくて焦れたテオが怪訝な表情を私に向ける。閣下に問いかけるつもりはないんだろう。多分、話をしたくないんだろうな。気持ちはわかるけど。


「セドリックさんが殺された理由と関係してるってこと」


「父さんの? どういう理由?」


「簡単に言うなら、血筋よ。セドリックさんはフィーネさんが赤子の時に拾った子ってなってるでしょ?」


 問いかければテオは頷く。まだ産まれたばかりの子供をフィーネさんが見つけて育てることにした。それがセドリックさん。だけど、出自不明の子供なら、わざわざ事故に見せかけて殺す必要はないし、そもそも事故に偽装する必要だってない。


「だけどね、違うの」


「何が?」


 ようやく閣下が私と視線を合わせる。それ以上は言うなと視線で訴えてくるけど、残念なことに何も感じない相手に考慮するほどの慈悲は私の中に残っていない。だって、聖女じゃないし。




「セドリックさんは拾われた子じゃなくて、フィーネさんが産んだ正真正銘()()()()()()()()で、フィーネさんの相手は、目の前にいるゼオン宰相閣下、ということよ」




 つまり、テオはその子供だから、閣下と血の繋がった孫となる。何が言いたいかって言うと、今回のこの騒動は盛大なジジ馬鹿を発動した閣下による、空回り過ぎる愛情表現ということだ。



 

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