32.二人の聖女
浄化の力で魔物は全て消え、怪我人も同じく浄化の力で傷が癒えたらしい。直前に魔物から傷を負ったジルシエーラ様の傷も、今は綺麗に無くなっていた。数百……いやもしかしたら千近くいたかもしれない。そんな大群の魔物攻めはこれにて一件落着。で、終わればよかったんだけどなぁ。
後処理のために残った騎士は数名、その他は外で被害があった場所の確認等のために散らばっていった。生徒も怪我の有無を確認し、必要なら神官様に治療を受けて、今日は学校の方へ帰された。
そして、大神殿の礼拝堂に残ったのは私達八人と大神官様だ。
「さて、じゃあ改めて聞くが……君はティーナ嬢で間違いないんだね?」
「……はい」
そして、私はそこで王子に質問を大人しく受けている。尋問とも言う。王子の後ろには皆が並んで私を見ている。せめてテオはこっちに来てくれないかな? 心細いんだけど。
「山や学校の森で会ったのも、君かい?」
「はい、私ですね」
髪の色が戻ってしまった上に、ここにいる全員にバッチリ目撃されたのでもう誤魔化しは効かない。どうして魔法が解けてしまったのかは、未だに謎だけど。
「どうして姿を変えていたんだ?」
王子は怒ることもなく、責めることもなく、冷静に問いかけてきた。感情的にならないところは流石だ。それに、私に事情があることを理解した上で、その事情まで聞いて判断しようとしている。あまりの人の好さに、人の上に立つ身としては苦労しそうだなと、勝手に心配してしまう。
「きっかけは子供の頃に人攫いに遭ったことですね」
「あー、そういえばそんなこともあったな!」
「え、忘れてたの!?」
「いつの間にかそうしてたなーって思ってた」
え、嘘でしょ。テオもあれに関わっていた癖に私がこうまでして髪の色変えていた理由をすっかり忘れてたなんて! とはいえ、もう十年くらい前の話だ。忘れていても仕方ないかもしれない。子供の時のことを一つひとつ明確に覚えている人なんて少ないのだし。
だけど、妙にノリが軽いテオの態度に少しモヤッとする。
「あまりない髪色だったので、目を付けられて攫われそうになったんです。それをきっかけに、山から下りて街や王都に行く際は魔道具で髪の色を変えて過ごしてました。十歳になってからは自分の魔法で変えてますが」
「……は? 自分の魔法で?」
「? はい、魔道具は水属性の魔力を利用して作られていた物だったので、水魔法が使える私には魔法で直接できるんじゃないかなって思って」
何故か驚いた顔で聞き返されたので必死に説明した。髪の色を変える魔道具はドリンク剤だ。飲めば一日髪の色を別の色に変えられるもの。ドリンクに含まれる魔力が髪へと巡り、内側から色を変える。そんな原理だと簡単にフィーネさんに教わったので、水属性魔法が使えるとわかった時に、髪に行く魔力を意識して内側から色が変わるイメージをしたらできた。ただこれだけだ。
「魔道具無しでそんなことできるなんて、聞いたこともない」
「へ?」
「魔道具は元々普通の魔法ではできないことをするために開発された物だ。だから、火属性道具でも火は出ないが熱を帯びるカイロや風属性道具だが風を出すのではなく物を冷やす冷箱だったりと本来の魔法では想像もつかないような物が作れる。だから、普通は魔法でその効果を出すのは不可能とされているんだ」
え、そうなの? でも、確かに水魔法を使う時にイメージすることは水を出すか水を動かすか水を氷にするかだ。そこに、髪の色を変えるなんて訳のわからないイメージをする人はいない。私もどういう原理かよく理解していない。
精々魔力を意識しているだけだ。そう考えると、これに関しては〝何となく〟でできてしまったものだ。だから、そうやって言われると確かにおかしいことがわかる。
「まあ、いい。君はそのまま学校に入学してしまって、今更戻せなくなった、と。そういうことかな?」
「まあ、そうですね。卒業したら改めて髪の色は戻そうと考えてました」
「あ、あの! もしかして、その子供の頃に攫われそうになった時、私も、いましたか?」
ずっと機会を窺っていたのか、突然リリーが前に出て聞いてきた。そんな風に聞いてくるということは、リリーはずっと覚えていてくれたのかもしれない。
「そう、リリーが攫われそうになってたところにテオと私が通りがかったの。その後、リリーはマークス先生に送り届けてもらったよね?」
肯定すればリリーは感極まったように口を押えて私の前に膝をついた。そして手を握ってくる。
「私、ずっとお礼を言いたかったんです。助けてくれて、本当に……本当にありがとうございました。こうして、顔を合わせて言える日が来るなんて……本当によかった」
ずっと私が皆を騙していたことには何も言わず、ただただ純粋にあの時会っていた私に再会できたことを喜んでくれる彼女に、私は嬉しい気持ちになりつつも申し訳なさで複雑だった。何か言葉を返すべきかと悩んだけど、テオが小声で「え、あの時の子ってリリアだったのかよ」と呟いているのを聞いてしまい、言葉が浮かばなくなった。そう言えば、テオにリリーとマークス先生のことを言うのを忘れてたっけ。
ところで、だ。大神官様はずっと女神像の前でお祈りしているんだけど、何をしているんだろう。このメンバーだけがここに残ったのは聖女について話をするためじゃなかったのかな。聖女と言えば、大神官様から話をされるんだと思ったんだけど。
私の視線の先に気付いた王子が、その疑問に答えてくれた。
「大神官は女神マナリスからの声が聞こえないか試しているんだ」
「声、ですか? そんな簡単に聞けるものなんですか?」
「いや。まず聞ける者が今のところ大神官だけだし、彼だって今まで数えるほどしか聞いていない。願った時に声が聞こえるなら苦労しないんだが」
ですよねー。まあ、試すのはいいけど、いつまでこっちは待ってればいいのかな? ちょっと居た堪れないからさっさと話題変えたいんですけど。
「やはり! やはりそうです!」
自分都合な事を考えていたら突然大神官様が声を張り上げた。え、何でこんなにテンションが高いの? 最初のあの厳かで知性的な雰囲気はどこにいったの?
「何という……何という幸運でしょうか! 聖女様誕生の瞬間をこの目で拝めるだけでも身に余る光栄だというのに、その聖女様がまさかの、二人も!」
「……二人?」
「ええ!!」
二人という単語に思わず首を傾げれば、独り言のように小さな呟きに大きな返事が返ってきて思わず身を竦ませた。同時に振り返った大神官様の勢いが少し怖い。顔が引きつりそうになる。
「聖女リリア様と、聖女ティーナ様。お二人のことです」
「へ?」
「この度はその尊きお力で救って頂き、誠にありがとうございます。神々しい紫水と清い薄青の光は見ているだけで心が洗われるようでした。これぞまさに聖なる光! 二つの透き通った光を浴びたその瞬間、感動で天にも昇る気持ちでした!」
いや、昇ったら死ぬから。
どうして私が聖女になるのか。問いかけたいのに口を挟む暇がない。このテンションの高さ、聖女を語らせたセイリム様そっくりなんだけど。神官って皆こうなのかな? 聖女オタクばかりなの?
「大神官、女神マナリスが聖女は二人だと言ったのか?」
「いいえ、女神様のお声は聞こえておりません」
きっぱり、はっきり。堂々とした言葉に、その場にいる全員が呆れ顔になる。今まさに神から言葉をもらったかのような口振りだったのに、違うんだ……。
「ですが間違いありません!」
「何を根拠に……」
「わ、私も、ティーナさんは聖女だと思います!」
断言できる理由は何なのか。それを口にしない大神官様に飽きれ気味に溜め息とついた王子に、けれどリリーが突然大神官様に同意した。私の前に膝をついていた彼女は、ゆっくり立ち上がってその理由を述べる。
「一回目と二回目では私が持っていたこの水晶の、光の色が違っていました。二回目の時、これを持っていたのは私とティーナさんです。それに、私だけの力では、あれほどの広さを浄化するなんて、きっとできないと思うんです」
一回目の時は神殿前にいた魔物と怪我人だけを浄化していた。だけど、二回目の時は神殿からも敷地の入り口からも離れた場所にいたのに、敷地内にいた魔物や怪我人を全て浄化してしまった。リリー一人だけの力では無理だろう。確かに、そこには私の力も含まれているんだと思う。
だけど、てっきりそれは魔力の補填だけの話かなって思っていた。私からリリーに魔力が渡って、リリーが水晶を通して力を使った。だから色が混ざってしまったのかなって。
「それでもこれはただの憶測にしかすぎません。なので、ティーナさん」
リリーは未だに持っていた水晶を取り出して私の方へと差し向ける。
「持ってみてください。あの時と同じように、今度はティーナさんだけで」
持つだけなら、きっと問題はない。持って何も考えなければ誤魔化すことは十分に可能なはず。気持ちは目に見えないのだから。
だけど、リリーの強い目がそれを許さない。
(どっちにしても、ここで逃げたってあまり意味はない気がする)
皆が静かに見守る中、私もリリーに手を差し出した。その手のひらに、リリーは静かに水晶を転がり落とす。今は沈黙している水晶をじっと見つめて、気付かれないように小さく笑った。
(それに、私がもし聖女なら――)
それはつまり、テオの夢が叶うということ。
そう考えた瞬間、手のひらに乗せた水晶は薄青い光を放ち、神殿内を優しく照らしたのだった。
あの事件から三日後。今日は私とリリー、そしてバディのテオと王子の四人で登城していた。王子は登城というより入口で迎え入れてくれた側だけど。
「き、緊張します」
「大丈夫大丈夫。リリーは王族一家とランチまでしたじゃない」
「そ、それとこれとはまた状況が違います!」
まあ、そうだけど。場所も集合した理由だって気楽なものじゃないし。仕方ないと思う部分もあるけど、最初からそんなガチガチだと話が進まなそう。だけど、リリーが落ち着くのを待ってあげる余裕もないので、王子に視線を向ける。私が言いたいことを察してくれたのか、王子は頷いてリリーに手を差し出した。エスコートという形でノロノロな足取りのリリーを急かしてもらう作戦だ。
「リリー嬢、安心してくれ。取って食ったりはしないさ」
「え! た、食べられちゃうんですか?」
「いや、だから……」
しないって言ってるのに。
話が通じない彼女を残念なものを見る顔で見つめる王子と、耐え切れずに吹き出すテオ。リリー以外は緊張感など皆無だった。
あまりにも挙動不審になっているリリーだけど、今日は陛下との謁見があるわけじゃない。聖女についての今後を説明されるために登城したけど、その説明をしてくれるのは宰相閣下だ。だから、王族と顔を合わせたことがあるのだから、それほど緊張する理由はないはずなんだけど。
「こちらのお部屋になります」
案内をしてくれた騎士がノックをした後に扉を開けてくれる。労いの言葉をかけてまず最初に王子が中に入る。エスコートをしていたリリーが続いて入り、そのまま私とテオも一緒に入った。この部屋は私が最初に城に来た際に案内されたサロンのようだ。あの時と全く変わっていない状態に懐かしさを覚えつつ中にいる宰相閣下へと視線を向ける。
「初めての方もいるようだな。お初にお目にかかる。私は宰相を務めているゼオンだ」
リリーとテオは初対面だったので、改めて自己紹介をする。宰相閣下でもやはり緊張気味のリリーだったけれど、声は震えてはいなかった。テオは気負う様子はなく普通に挨拶をしていた。だけど、妙に宰相閣下を見つめている時間が長かったけど。
促されて対面する形でソファーに座る。王子だけは脇の一人用ソファーだ。王子側にリリー、私、テオの順で座っている。図らずも、何故か宰相閣下と顔を合わせる位置にいるのは私だ。
少し緊張が解れたようだったのに、ソファーに座った瞬間、リリーの表情はまた硬くなった。そこまで緊張しなくてもいいのに、なんて思っても仕方ない。そもそもここにいるメンバーの身分が平民か、公爵か、王子かの三種のみだ。かなり極端な身分差な上、間に入ってくれる人が王子で最高権威という困った状況だ。王子役に立たn……げふん、失礼。
「では、改めて。リリア嬢とティーナ嬢、お二人が聖女であることが先日判明した。その際、数多くの魔物から、生徒並びに神官、そして我が国が誇る騎士を助けていただき、感謝する」
閣下は軽く頭を下げて感謝を示す。
「そして、もう一つ。聖女の存在が確認されると同時に、この世界に魔王復活の疑惑も浮上した。もし、本当に魔王が復活したのなら、徐々にこの空からは光が消え、暗黒の日々が待ち受けているだろう」
あの魔物の大群は、ある場所から来たと推定された。その場所というのが、黒い靄を背負った宙に浮いた小さな島だ。人では飛んでいけない高度な位置に存在するその島は、今は動くことも無くただ悠然と浮いている。漂う靄はおそらく瘴気で、そこからあの魔物が飛んで来たのなら、おそらくその島は魔王がいる場所と考えるのが妥当だそうだ。
「まだ動きはない。だからこそ、今の内に魔王への対策を考えるべきだろう。聖女という大変なものを背負わせてしまうが、どうか協力してほしい」
閣下の真摯な言葉に、リリーは頷いた。私も何らかの反応を返すべきなんだろうけど、今は敢えて反応せず、一つ息をついた。
「魔王やその後の対策についてはこちらである程度話をつけてから改めて報告しよう。まだ、情報収集にも時間がかかる。待機している間は聖女の力でも確認してもらえればと思う。それと、今回はもう一つ話がある。勇者についてだが」
そこで言葉を切った閣下はチラリと私の横を見た。そこにいるのはテオだ。そもそも、私とリリーは聖女だから呼ばれ、そこに王子とテオがついてきたのなら、言われなくても勇者は二人であることを物語っている。今更な話なんだけど。
「皆ももう察している通り、入学時に行うバディ決めは、聖女と勇者を想定した時のためのものだ。使っていた魔道具は特殊なもので、〝魂の番〟と呼ばれる存在を見つけ出すためのもの。とはいっても、どういう原理なのか、一切不明であるんだが。だが、あの魔道具で選ばれたバディは絶対に男女ペアで、誰よりも息の合った存在になる。だから、聖女がその中で見つかった場合は、必然的に勇者はそのバディにする手はずで今まで行ってきた」
「じゃあ、やっぱり私の、えっと、勇者は……ジルシエーラ様なのですか?」
「ああ、そのつもりでいるよ。そして、ティーナ嬢の勇者はテオドール君、君だ」
「……はい」
予想していた展開なので誰も驚きはしない。静かに頷いて続きを促した。
「だが……」
途端、閣下の声が一段下がる。言いようのない不安に襲われて、気付かれないように身を固くした。この流れでその言葉が出る理由がわからず、胡乱に視線を向ける。
「テオドール君、君には王家を害する懸念が出ている。そんな者に、この国の命運を決める聖女の専属護衛を任せるわけにはいかない。申し訳ないが、君はこの王都に拘束し、ティーナ嬢には別の者を連れて行ってもらうことになった」
淡々とした、感情の篭らない声で告げられた内容は、予想もしていないことで、そこにいる誰もが言葉を失っていた。
テオを拘束し、別の者が私につく。つまりそれは、私の勇者はテオではないということ。たったそれだけのことを理解するのに、酷く時間がかかった。
そして、テオと一緒にいられないという事実を理解した瞬間、全身の温度が下がっていくのがわかった。




